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東京シティ・フィル第365回定期(11月30日)

2023年11月30日 | 東京シティフィル
そもそも2020年3月の第332回定期に予定されていたこのプッチーニの歌劇「トスカ」(演奏会形式)だが、コロナ禍で演奏会自体が中止に追い込まれ、一旦は同一キャストでその年の8月への延期が発表された。しかしその時点でもまだ情勢が合唱付きのオペラを公演できるまでに至らず、ついに三年越しで実現にこぎつけた、いわば「リヴェンジ公演」である。しかも今回もオリジナル・キャストとは、常任指揮者高関健とシティ・フィルの並々ならぬ執念を感じさせる。そんな曰くを知ってか知らずか、会場はこのオケの定期としては珍しくほぼ満員となった。さて演奏の方は満を持しただけあって輝きに満ちた極めて充実したオケの響で開始された。このあたりは数多のイタリア・オペラの中でもとりわけシンフォニックな「トスカ」を演目に選んだ理由でもあろうし、そうしたオペラのオケ部分の面白さを聞かせたいという高関の意図は見事に実現できたと言って良いだろう。「演奏会形式」と一口に言っても照明も駆使した舞台風な仕切りの場合もあるが、今回はオケの響に重点を置いて演技は「できるだけ控えめ」を指向していたように思われた。それゆえか、一幕前半では堂守役の晴雅彦やアンジェロッティ役の妻屋秀和は舞台の臨場感を感じさせる動きを伴った歌唱だったが、主役カヴェラトッシの小原哲楼とトスカ木下美穂子の二人は、ほぼ棒立ちの歌唱で折角の愛の二重唱もいささかの物足りなさを感じさせた。変化が生じたの上江隼斗演ずるスカルピアが登場してからだ。控えめながら性格的な動きや形相を伴った熟達の歌唱が場を大いに盛り上げ二幕に続けた。二幕はトスカとスカルピアの独壇場だ。二人の演技も歌唱もだんだんと熱を帯び、ストーリーをフォローすべき自然な動きが生まれ始めた。「歌に生き恋に生き」は木下のクリスタル・ヴォイスによる清廉な歌唱。小原の「ヴィットリアー」も多少のくぐもりはあったが見事に決まった。上江はスカルピアのいやらしさ、狡猾さを十分に表現した秀でた歌唱だった。ただ肝心のトスカがスカルピアを刺す場面ではもう少し動きに工夫(演出)が欲しかった気がする。ストーリーを背負って歌手が生で歌っていながら、それをあえて制したのだとしたら、それは「オペラ」ではない。さて終幕、「星は光ぬ」でも小原の声は今ひとつ突き抜けてこなかったものの破綻のないスタイリッシュな歌唱。カヴァラドッシの処刑から自害に至るまでの木下の所作には制約の中にも説得力が感じられ、それが一定の感動を導いたことは確かだ。ただやはり演奏会形式とはいえ、全体にもうすこし一貫したドラマツルギーに基づいた歌手達の動きがあったら折角の歌唱が引き立っただろうなというのが正直な感想だ。それがオペラというものだ。一方高関はいつものような丁寧な棒で絶好調のシティ・フィルを率い、プッチーニのオーケストレーションの魅力を余すところなく引き出して聴衆に印象づけた。しかし一方でドラマの持つ緊張感や感情の機微を場面毎に作り出すオペラティックな柔軟性にはいささか不足していたように聞こえた。とは言え、3年越しでのこの舞台の実現を喜ぶ出演者達の感動に満ちたカーテンコールを見ていたらこちらの胸も熱くなった。シティ・フィルは、来シーズンの最終公演でも21年3月に中止になったヴェルディのレクイエムのリヴェンジ公演をオリジナル・キャストで予定している。

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