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新国「シモン・ボッカネグラ」(11月26日)

2023年11月27日 | オペラ
開館以来26年にして、このヴェルディの名作「シモン・ボッカネグラ」が初めて新国立劇場の舞台にかかった。1976年NHKイタリア・オペラによるピエロ・カプッチルリの伝説的「シモン」の洗礼を受けた身としては、期待に胸踊らせて会場に向かった。今回はフィンランド国立歌劇場とテアトロ・レアルとの共同制作によるピエール・オーディのプロダクションである。シモンを歌ったのは先シーズンのリゴレットで喝采を浴びたロベルト・フロンターリ。今回も公私両面において悲哀に満ちたこの役を見事に歌い演じた。宿敵のフィエスコはリッカルド・ザネッラート。第三幕の和解の場面の二重唱には胸が熱くなった。アメーリアのイリーナ・ルングはイタリア組に囲まれて歌唱スタイル的には不利な場面もありながら、一幕一場の父と娘の二重唱では感動を誘った。まあここは音楽がいいからと言ってしまえばそれまでだが。その恋人役のガブリエーレを歌ったのはルチアーノ・ガンチ。フォルテを張った時には力強い美声なのだが、小さい声の時に芯を失っていたが、これは不調だったのかも知れない。悪役パオロはシモーネ・アルベルギーニ。ピエトロの須藤慎吾がイタリア勢と立派に対峙していたのは嬉しかった。オペラ芸術監督大野和士と東フィルのピットは、丁寧な捌きで美しくヴェルディを描いた。このように音楽的にはマズマズの出来だったが、それが舞台としての感動に結びつかなかったのは残念だった。その理由は演出に起因していたように思う。オーディはプログラムの「Production Note」で、この物語の入り組んだ内容を舞台で表現することは不可能だからあえて台本のディテールには拘らなかったというようなことを書いているのだが、造形美術家アニッシェ・カプーアの赤と黒の火山のマグマのような抽象舞台ではどうにも物語の時代性や音楽の情景は描ききれはしないし、それがなければ台本(歌詞)との乖離による観衆の居心地の悪さは増すばかりである。こんなことでお茶を濁すならば、いっそ演奏会形式にしてしまえば良いのではないかと思いながら聴いていた。

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