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言霊をさがして

mattamanの一刀両談

我が子を亡くしてⅠ

2007年02月20日 19時35分33秒 | ムコ多糖症について

我が子を亡くした。24歳だった。
ただ、我が子といっても、本当の子ではなく、教え子の一人だ。

何千人と教えた子のうちの一人だが、我が子とずっとおもってきた。

特別な子だった。

 その子は、ムコ多糖蓄積症ハンター症候群という病気を患っていた。

日本にも100人いるかいないかという病気だった。

体内でできるムコ多糖という物質が、代謝されずに、

体内に蓄積され、発達阻害が起きる病気である。

生まれてからしばらくは、やや発達が遅れながらも、

発達するが5歳(実際の知能や行動には3歳程度)くらいをピークに、

いろいろなことが、できなくなっていき、

最後は寝たきりで、平均寿命は12歳という病気だ。

 私は、中学校で担任として受け持つときに

「この子を担任するということは、受け持っている間に、

この子の最後を見てやるつもりで、受け持ってください」といわれた。

 

 三年間が始まった。

もうこの時点では、歩く、補助輪付きの自転車に乗る、

このふたつ以外は、何もできなくなっていた。

もちろん、話すことなどのコミュニケーションもできない。

こちらが、必死になって、見て何を思っているのか

したいのか。くみ取らなければならなかった。

毎日、歩いて、自転車に乗る、

お弁当を食べる、みんなと一緒に授業を聞く。

ただそれだけの三年間だった。

何もしてやれなかった。

体力が落ちていくのを見守るだけしかできなかった。


ムコ多糖症について2

2007年02月19日 23時54分39秒 | ムコ多糖症について

私は、以前も書きましたが、

この2型ハンター症候群のT君を今から15年前に

担任をしていました。

T君は、病状でいうと重度と中度の間くらいで

幼稚園くらいまでは、簡単な単語程度までは話せるくらいでしたが、

小学校低学年頃から、だんだんとまわりの子ども達より

発達が目立って遅れて来始めて

私が出会った頃は、もう話をしたりすることはできなくなっていました。

何とか時間をかければ、自分でスプーンを使ったりして、

食事を口に運ぶことや補助輪付きの幼児用の自転車に乗ったりすることはできました。

身長は120センチちょっと体重は36キロ前後でした。

私は最初、なかなかT君の表情などから

彼が考えていることなどを察することはできませんでしたが、

小さな時から一緒に育ってきたまわりの子ども達は、

T君の視線や表情からT君が何を考え、

どうしたいのかが分かる様子でした。

 

私が、彼を担任するときには、小学校の先生から

「先生は、この子を担任している間に、

この子を最後を見ることになるかもしれません。

そのことを肝に銘じて担任してあげてくださいね」

との申し送りをうけて

その責任の重さを背負いながらの毎日が始まった。


ムコ多糖症について

2007年02月19日 23時42分33秒 | ムコ多糖症について

先日からムコ多糖症

日本テレビの「THE サンデー」で取り上げられて

話題になっている。

前にも書いたが、私は15年前、

この病気のⅡ型ハンター症候群のT君を担任していた。

これから、しばらくは、この病気について

書いていきたいと思う。

ムコ多糖症の患者さんは、

先天的に体内の老廃物であるムコ多糖を分解する酵素を作ることができず、

このムコ多糖が関節や内臓に成長とともに蓄積していって

発達が阻害される進行性の難病である。

重度の場合だと寿命は12~15才までともいわれている。

気管支などが影響を受けるために、呼吸器系の障害で亡くなることが多い。

いま全国には、300人程度の患者さんがいるといわれています。