我が子を亡くした。24歳だった。
ただ、我が子といっても、本当の子ではなく、教え子の一人だ。
何千人と教えた子のうちの一人だが、我が子とずっとおもってきた。
特別な子だった。
その子は、ムコ多糖蓄積症ハンター症候群という病気を患っていた。
日本にも100人いるかいないかという病気だった。
体内でできるムコ多糖という物質が、代謝されずに、
体内に蓄積され、発達阻害が起きる病気である。
生まれてからしばらくは、やや発達が遅れながらも、
発達するが5歳(実際の知能や行動には3歳程度)くらいをピークに、
いろいろなことが、できなくなっていき、
最後は寝たきりで、平均寿命は12歳という病気だ。
私は、中学校で担任として受け持つときに
「この子を担任するということは、受け持っている間に、
この子の最後を見てやるつもりで、受け持ってください」といわれた。
三年間が始まった。
もうこの時点では、歩く、補助輪付きの自転車に乗る、
このふたつ以外は、何もできなくなっていた。
もちろん、話すことなどのコミュニケーションもできない。
こちらが、必死になって、見て何を思っているのか
したいのか。くみ取らなければならなかった。
毎日、歩いて、自転車に乗る、
お弁当を食べる、みんなと一緒に授業を聞く。
ただそれだけの三年間だった。
何もしてやれなかった。
体力が落ちていくのを見守るだけしかできなかった。