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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

縁に感謝  ~藤沢七福神巡り その① 2019.1.12(土)

2019-02-10 10:30:14 | 街・観光地編2019

 藤沢市を歩いてきました。
以前に訪れた事が有る地、初めて訪れる地、以前訪れた際に気付かなかった事に気付いたり…と、様々な発見と出会いが有った1日でした。

 10:30頃出発し、11:00の快速急行に乗り、途中で各駅に乗り換えて藤沢本町に。
目的は東海道歩きの際に縁が無かった大鋸の諏訪神社の御朱印と藤沢七福神巡り。



 先ず、白旗神社へ。
此処がスタート。


 焚火。
寒い日だったので、チョットあたって行きたい気持ちにも。

 階段の右脇に石塔が。
左から三笠山大神、御岳大神、八海山大神、一番道は・・・忘れてしまった、

 拝殿へ向かう階段の右側、社務所の脇に有るのが毘沙門堂で、此処で、御開帳されています。

 毘沙門天へ参拝後、拝殿へ。

 階段の左側に行った事が無かったのだけれど、こんな感じに石塔が並んでいます。

 庚申塔がならんでおり、馬頭観音も。
十字の槍を持っている像は毘沙門天かな?

 片手に槍、片手に持っているのが宝塔であれば、毘沙門天なのだけれど・・・。

 巨大絵馬も有りました。
青年会議所による物で、藤沢宿の光景。
奥に有る2社は稲荷社。
参拝者は真直ぐ階段を登るか、右手の社務所の方へ行くので、左側のこの一角は穴場。
江戸時代の多くの庚申塔等が立ち並ぶ興味深い場所でした。

 相模大野迄の途中で雪がチラホラ舞っていましたが、藤沢本町に着いたら雨に。
雨脚が強くなった事も有り、白旗神社前のタリーズで昼食を済ませる事にしました。


 タリーズを出ると雨は止んでおり、傘を射さずに歩く事が出来ました。
東海道を歩き、街道の南側に位置する常光寺へ。
自販機が有るのは消防署で、その脇を入って行き、突き当りが常光寺。


 常光寺の山門。

 山門の向かって左側に小さな石碑と細かい文字の案内が。
藤沢警察署発祥の地で、創設100年の記念碑との事。

 境内。
正面が本堂で、右が寺務所。

 豚のベンチ。


 六地蔵。


 カタツムリと亀。
御住職の趣味かな?
可愛い石像やベンチで心が和みます。


 本殿の前に七福神めぐりの幟が出ており、スタンプが置かれています。


 市指定文化財の木造阿弥陀如来立像が御本尊。
14世紀の特徴が見られ、南北朝期の作と推定されているとの事。
常光寺は1572(元亀3)創建で、本尊は廃堂になっている鎌倉の扇ガ谷阿弥陀堂から移したと考えられています。

 同じく市指定文化財の木造地蔵菩薩立像。
南北朝時代(14世紀中頃~後半)の物。


 本堂前の福禄寿。
手に持っているのは桃?


 庚申塔が2基。
「御住職かな?」と言う方を見掛けたが、忙しそうに行き来しておられたので、声を掛けず、常光寺を後にした。
この庚申塔は、藤沢市指定有形民俗文化財に指定。
1659(万治2)の物と1669(寛文9)の物で、徳川4代将軍家綱の時代。


 大鋸の諏訪神社へ。
目の前の坂は箱根駅伝で激戦の舞台になる遊行寺坂。


 階段の下に自転車が止められていて、誰か居られる事が分かる。
七福神巡りの幟の他に赤い『大黒天』と書かれた幟が沢山。
「神社の方と出会えそうだな」

 何組かの七福神巡りの参拝者が居たが、この撮影時は私だけ。
諏訪神社の拝殿。
右には日本酒男山の樽が。


 左の四神剣展示館の中に大黒天2体が。
ガラス越し沿いなので、写真を撮るとピンボケしてしまう。


 境内社は、正月同様扉が開いていました。
右から太子堂、祖霊社、大黒天社、道祖神。

 大黒天社。
御札の文字は『大黒天社』。

 社務所前でスタンプを押し、物音で脇の斜面を見たら、台湾リスが。
社務所の扉は閉まっていたが、玄関には履物があり、奥の障子が僅かに開いていて、部屋の奥にテーブルの向こうの椅子に座って此方を見ている方が。
扉を開けて聞けば良いのだが、何だか話し掛け難い雰囲気。
う~ん・・・どうしよっかなぁ~と、迷いながら諏訪神社を後にした。


 遊行寺坂を少し下り、左へ曲がった先に有る感応院。


 突き当りにあり、山門に七福神の幟が。


 寿老人は本堂の左側の扉の先に。
僅かに扉が開かれていて、その隙間からその姿が見える。
真言宗寺院で、弘法大師空海の像が見える。

 弘法大師像の後ろに2基経っている石板の片方に彫られた僧侶の姿。
文字が読み難く、弘法大師の姿なのか、過去の住職の姿なのかは不明。


 本堂の右には鳥居が有り、三島明神と扁額に記されている。

三島山感応院 藤沢市大鋸2-6-8
高野山真言宗 
1218(建保6)源実朝の命で道教が開山。1398(応永5)幸海が中興。
三島明神は、1193(建久4)源頼朝が藤沢清親に三島大社から勧請させた物。

 一昨年東海道歩きで辿り着いた三島大社か…。
三島迄行かずとも、此処藤沢で三島大社に参拝できると言う事だね。

 此処で「矢張り、はっきりさせよう」と、再度諏訪神社と常光寺に行く事にしました。
諏訪神社に行くと、社務所は僅かに開いていた障子も閉められていて、先程以上に尋ね難い状態。
「ありゃ・・・」と思ったのだけれど、拝殿の方に行くと、お賽銭を回収している方が。
先程社務所の中に居た方とは違う方ですが、先日訪れた際に見掛けた方で、「矢張り神社の関係者の方だったんだ」と。
再度参拝し、社務所前に行くとその方と会う事が出来たので、御朱印の事をお聞きした。
「宮司さんが体調を崩していて、現在御朱印は行っていない」と言う事だった。
残念ではあるが、はっきりした事ですっきりした。

 前から気になっていた境川沿いの舩玉神社へ寄りました。
舩玉神社 藤沢市大鋸2-4-12
祭神は弟橘姫命で、昔は江の島からこの辺り迄船が出入りし、源頼朝が船用の木を切り出した場所と伝わります。
因みに神社前の道は鎌倉街道です。

 舩玉神社の拝殿。
左にシャッタが閉まっているのが神輿舎で、石灯籠と狛犬と二宮金次郎像に木々と、小さい境内に色々な物が。


 狛犬。比較的新しい姿勢の良い凛々しい姿ですね。
この中に違和感を感じませんか?
分からないかな?

 正解は!
台座に狛犬ではなく狛パンダが。
はて、誰が置いたのかな?
何時から居るのか分かりませんが、気付いた時には「クスッ」と笑ってしまった。
このまま何年経ってもこのまま狛犬と一緒にパンダがこの神社を守っていたら嬉しいな。


 境川を渡ります。
若干曲がっていますが、ほぼ真直ぐ。
でも、昔はくねくねと大きく蛇行し、此処から海迄は大して距離は無いのだけれど、蛇行した先で複数の沼地を作り出していた事が配布されている地図に記載されています。
現在の流れは河川改修後の姿。


 橋を渡り、左右に延びる大通りを渡ります。
この道は藤沢本町から歩いて来た道で、東海道は途中で曲がって境川を渡って遊行寺坂を登ります。
大通りの向こうにセブンイレブンが見えますが、明治頃の境川は、その裏辺りを流れていたとの事。


 大通りを渡ると、鼻黒稲荷大明神が。
眷属の狐像の鼻が若干黒いのは、長年の汚れからなのかな?
名の由来や謂れは分からなかった。 


 T字路に出ました。
蔵まえギャラリーと看板に書かれており、ギャラリー兼カフェになっている古民家です。



 「古くからの通り」と言う感じ。
この右手が昔の境側の流れかな?



 左手の細い通路の先に階段が。
その上が白山神社。


 階段の上には猫さんが。
此方の様子を伺っています。



 白山神社には、今回は寄らなかった。


 藤沢市のマンホール。藤の花ですね。


 再び東海道へ戻り、何度も通っている会社の前を通過。
塀の上に瓦屋根が有り、「何だろう?」と思っていたのですが、横に説明が書かれた石柱が。
『稲元屋本店跡 明治天皇行在所記念碑』
1844(弘化2)創業。明治24年に陸軍の演習を見に行った際に利用したとの事。

 豊島屋本店 藤沢市本町1-3-28
1849(嘉永2)創業の老舗。
「江の島の海岸でかつて採れたキノコ(松露)を蜜漬けにして練り込んだ松露羊羹が名物」
と言うのは、帰宅後に知ったので、今回は購入しなかった。


 再び常光寺に。
先程と異なり、参拝者は私だけで静かな中でじっくりと参拝と散策が出来た。
そのお蔭で、先程気付かなかった事に気付く事が出来た。
先ず、本堂の左側が墓地になっているのだけれど、裏側が丘になっていて、その際の部分に歴代の住職の墓と思われる墓石が並んでいた事。


 更に本堂の横には、写真の様な説明看板とモニュメントが。
此れは常光寺の住職を務めた方の弟で詩人の野口米次郎の辞世句碑。
「鐘がなる かねがなる これは即ち警鐘と言うのです これが鳴ると皆ねます さあみんな眠りましょう」
因みに、インテリアデザイナー、彫刻家のイサム・ノグチは息子。

辞世句でこの「鐘」や「警鐘」「眠りましょう」と言うのは、何を指すのだろう?
迫りくる死を認識した上でのそれらの事を指した物なのか、他の事なのか?
前者だとすると・・・と、チョット考え込んでしまった。

 一際大きな木と、その近くの看板にも気付いた。
あの看板は・・・。
思った通り『神奈川の名木100選』の看板で、『常光寺のカヤ』
樹高25m 胸高周囲5m 樹齢約300年(推定)との事。
此れで名木100選の何本目かな?
写真を撮影していない木も有るのだけれど、2桁いったのではないかな?

 先程気付かなかった出会いと発見に喜んでいると、背後の寺務所の方で物音が。
先程訪れた際にお見かけしたお寺の方だった。
御挨拶してこの日の寒さ等の他愛もないお話をする。
そして御朱印をお願いすると、快く御受け頂き、事務所の玄関に通していただいた。

 先程迄法事で忙しかったそうで、対応が出来なかったとの事。
そう言う点でも再度訪れて正解だった。
「通常お出ししていない御朱印ですが、これも縁ですので」と言う事で、戴けた御朱印もあり、『3枚の蓮華』も戴き、とても有り難く嬉しく思った。
様々な『縁』と言う出会いや発見、物の巡り合わせに感謝し、常光寺を後にした。
藤沢本町に訪れた際には、欠かさず足を運ぼう。

八王山摂取院 常光寺 藤沢市本町4-5-21
浄土宗、本尊:阿弥陀如来像 像高99cm 全高204cm 
1572(元亀3)光明寺27世明蓮社光誉(西隠)創立、享保年間に遵冏が中興。
1872(明治5)藤藤沢警察署の前身となる藤沢駅邏卒屯所設置
名所
➀弁慶塚(弁慶の首塚跡と伝わる塚)
②亀女の墓
 藤沢の阿亀(おかめ)と麦搗唄に唄われた美しい娘だったが、百日咳で僅か17歳で亡くなり、石碑に地蔵の立像が彫られている。
寛文5年9月15日と彫られ、咳に苦しむ者が祈願しにきた

 弁慶塚と亀女の墓には今回訪れていません。
此れも次回訪問の目的になるな。

 伊勢山橋で小田急線を渡ります。
小田急線の線路は、地面を掘削して通したのかな?
此処だけ極端に凹んでいるよな。
伊勢山と言うのは、写真左隅の木が生えた丘で、伊勢山公園が有るとの事。



 東海道を進み、今度は引地川を渡ります。
引地川は、大和市の『泉の森』から流れ出ている川。
引地台公園に有る引地台球場は、高校野球も行い、球場の周りにドカベンの銅像が並んでいた。
ドカベンの舞台にもなっていると言う事で、ドカベン全巻を持っていた私にとっては、「わぁ~」と思った場所だったなぁ~。
神奈川の各地を歩くようになってから、大和だけでなく、藤沢に近い高座渋谷や藤沢市の湘南台、善行等でも散策時に引地川を渡る事が多く、住宅地のお世辞にも綺麗とは言えない川の姿や写真の様な護岸工事がされてそこそこ川幅が有る姿、一面畑や田んぼの風景の中を流れる姿・・・等、様々な姿を見ている。
唯、何れも川には降りる事が出来ない護岸になっているのが残念なところ。
大雨が降ると増水し、周囲は住宅が広がっている場所が多いので、護岸工事は大切なのだけれど、普段は川ともっと触れ合える構造であって欲しいな。

 引地川を渡り、左手に大きなスーパーが有り、それを過ぎると右手に見えるのが養命寺。
このお寺も藤沢七福神のお寺。

 この道も東海道なので以前通っている。
そしてよく覚えている場所で、その時は道の左側を歩いていた。
上り坂で、この辺りで左にカーブしている。
養命寺の隣(写真右の建物)はメルシャンの工場。
大きなタンクが並んでいて、あの中にワインが入っているのだろう。
手前の赤い屋根の建物はお店風だけれど、直売流行っていないのかな?
調べたけれど、分からなかった。
 実は、このメルシャン藤沢工場により、ワインの生産量で神奈川は全国1位と言う意外な結果になっているとの事。
「へぇ~」と、そんな事を知った今回の訪問でした。

 そして、写真左側、歩道の少し上に有る赤い小さい建造物。
此れも此処の名物で、前回はそれが目当てで往路の左側を歩いていました。
道路の反対側にお寺(養命寺)が有るけれど、横断歩道を渡るのが面倒だから・・・と、その時は寄らなかったんだよね。


 赤い建造物の中にに写真の小さい双体の石仏が。
これは『おしゃれ地蔵』で、手前の缶の中には化粧道具が入っています。
「女性の願いなら叶えてくれる」と言うお地蔵様で、「満願の暁には白粉を塗って御礼をする」と言うお地蔵様。
私の願い事は叶えてくれないかな?
でも、ユキさんの事を願うのであれば、それがユキさんにとって良い事であれば叶えてくれるかも?


 ペン太達とおしゃれ地蔵!
君達の願い事は?

「きゅうり山盛り!」
「キュウリ1年分!!」
「キュウリ畑付き一戸建て!!!」

 メルシャンの工場に立っていた幟。
藤沢のゆるキャラも有るんだね。
『ふじキュン』か・・・。
頭に江の島が乗っていますね。
耳はヨットで、髪の毛等の水色が海か。
で、此れは猿?何者?

 曹洞宗 引地山養命寺 藤沢市城南4-10-35
 天正年間(1573~1592)頃に暁堂が開山したと伝わるが、延文(1356~1361)頃に創建と言う説も。
大拙が延享(1744~1748)に中興。
本尊は木像薬師如来坐像で、1197(建久8)の銘が有る

 国指定重要文化財に指定されている本尊の木像薬師如来坐像。
鎌倉初期の量感豊かな像で、寅年の年に公開しているとの事。



 日光菩薩、月光菩薩と薬師如来の写真。
何れも古く痛みが激しい事が見て取れ、「「日光菩薩、月光菩薩」は京都美術院で修復中で、薬師如来は修復を終えて鎌倉国宝館に預けてあり、展示してあれば拝観できます」と言った貼り紙が貼ってあった。
本尊脇侍共に留守と言う事か。


 布袋様。
立派なお腹だなぁ~。

 代わりの御本尊なのか、普段は非公開なので、前立なのか、これも薬師如来だよね。
植込みの中の小さな石仏は皆倒れ、地面には小さな土の山がボコボコと。
モグラの仕業かな?

 次に皇大神宮へ。
皇大神宮裏手の玉垣。
七福神巡りをしている人は、廻る順番は人夫々だけれど、廻る場所は同じなので、「さっき会った人達だ」と言うのが何度も起きる。
電車やバスを使う人、車を使う人、自転車の人、歩き、ランニング・・・と、人夫々で、それによって廻る順番もペースも大きく変わっている様に感じた。
私は歩きだけれど、結構速いペースで歩いているのと、「知っている場所」と言う事で、裏道を使って移動している事もあり、ランニングで廻っている人達と何度も出会った。
分かり易い大通りをジョギングで行くのと、裏道を早歩きで歩くのが同じ所要時間になるようだ。

 皇大神宮の裏手は写真の様な針葉樹の森になっている。
玉垣で囲われているので入れないのだけれど、こんもりとした丘になっていて、その上に社殿も有る。

 くるりと廻って表側に。
皇大神宮に到着。

 此処も相模の国の式内社である石楯尾神社の論者なのだが、拝殿の左側に有るこの小さい社殿が石楯尾神社。


 恵比寿社は境内の左側に並んでいる境内社の1つ・
扉が開いており、テントの下にスタンプが。

 木彫りの恵比寿様。
此処でも台湾リスを見た。
地面に居た猫に警戒の鳴き声を出していた。
台湾リスの生息範囲は何処迄広がっているのだろうか?

 藤沢駅迄歩き、小田急で片瀬江ノ島へ。
15:35着。
16:00で七福神めぐりの受け付けは終了なので、残りの龍口寺と江の島神社2社の両方を行くのは難しいかな?
先ず、龍口寺へ行く事にした。


 日蓮宗の龍口寺。
鎌倉では珍しい五重塔が有るお寺で、江ノ電の北側の山の中にお寺が有る。
スタンプも毘沙門天も本堂の中で、撮影はNG。
片付け作業の中、参拝をし、スタンプを押して御朱印を戴いた。
この時点で16時を越え、今日の日程は終了。
江の島神社1社のみを残す…と言う中途半端な結末は、私らしいがすっきりしないなぁ~。


 豊島屋で購入した『ふじさわ』と『鹿の子』。
松露羊羹が名物と知っていれば購入したのに・・・と、心にひっかかる。
此れもまた訪れる目的になるな。


 七福神巡りのパンフレット。


 8か所を巡るので、空欄が江の島神社です。


 白旗神社の毘沙門天と常光寺の福禄寿。


 諏訪神社の大黒天と感応院の寿老人。

 養命寺の布袋様と皇大神宮の恵比寿様。

 龍口寺の毘沙門天。
以上8寺社の内7寺社を巡った「あと一歩で・・・」と言う藤沢七福神巡りでした!









 



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