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街・山、名所・イベント等、様々な場所に出没!
『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

横浜の浦島巡り  ~2018.5.5(土)

2018-08-13 09:38:37 | 街・観光地編2018

 昨年歩いた東海道。
当然、行く事が出来なかった場所、もう1度じっくり見たい場所が有る。
今回は京急線の雑色駅から散策。

雑色駅。
高架(高価かどうかは分からないけれど)で、綺麗な駅です。

 『昔ながらの商店街』と言う感じの雑色商店街。
『昔ながらの喫茶店とか食堂』が残っています。
常連でないと入り難い感じのお店も有りますが、子供の頃に普通に有った『アーケード商店街の風景』が残っているので、あやふやな曖昧になってしまった子供の頃の記憶を思い出すには良いな。

 六郷神社は広い境内に立派な拝殿、昔から伝わる狛犬、以前多摩川に架けられていた橋の柱等、歴史的な物が有る。


 六郷神社の御朱印。
今回で参拝は3回目だか4回目。
毎回『御朱印授与時間』が終わった後に到着していたので、漸く戴く事が出来ました。

 東京都大田区と神奈川県川崎市の境を流れる多摩川に架かる六郷橋。
この橋を渡るのは、昨年から何回目かな?
何度来ても、橋の途中に有る県境では、
 「此処で東京とお別れだ」
 「此処迄よく歩いたなぁ~」
等と色々感じるものが有る。

 東海道の横道に有る川崎稲荷社。
東海道から神社の幟が見えるので、
「この横道の何処かにお稲荷さんが有るんだろうかぁ」
と思っていたけれど、横道に入った事が無かったので、何処に有るのか今迄分からなかった。
今回横道に右折してその場所を確認。
案内看板によると、戦争で古文書が焼失し、創建等は不明だが、8代将軍徳川吉宗が紀州から江戸に入る際、この稲荷社の敷地で休息したとの事。
昔はどの位の広さが有ったのか分からないけれど、お社の位置が同じで、サイズも同じ位であれば、この幟の間とかこの辺りを吉宗がウロウロ歩いたのではないかな?
 徳川吉宗と言えば『あばれる君』・・・じゃなくて、『暴れん坊将軍』か。
『マツケン(松平健)』だよね。
マツケンサンバの印象が強くて、サンバ隊一行の行列がウロウロしている光景が浮かんでしまう・・・のは私だけか(^▽^)/

 多摩川を遡り、女躰大神に参拝。
この日はお休みでしたが、境内に保育園が有るので、保育園がやっている際は入り難い感じ。
変わった名の由来は、多摩川の洪水に際して身を投じて洪水を沈めた女性を祀ったとの事。

 絵馬はアンパンマン。
東日本大震災の復興祈願絵馬で、諸経費を除いた分を寄付されるとの事。
800円以上寄付した場合、記念にもう1枚戴く事が出来るとの事。
『記念の持ち帰る』為の物か、800円払えば『お願い事が2つ聞いてくれる』と言う事なのかな・・・。 (・・?

 横浜市の子安に移動し、今回の目的である『浦島巡り』を開始。
浦島巡りと言うのは、この地に伝わる『浦島太郎伝説』の地を廻る事。
この住宅街の細い路地の家の横に有る井戸は、上陸した浦島太郎が使ったと言われる井戸。

 この地に伝わる浦島太郎伝説と言うのは、
「浦島太郎が竜宮城から故郷のこの地に帰って来た」と言う物ではなく、竜宮城から戻って来た浦島太郎が、
 「長い時間が過ぎていた為両親は既に亡くなっており、両親は両親の故郷であるこの地に葬られた」
その話を聞き、墓参りの為に訪れた」
と言う内容。
 蓮法寺に設置されている案内板に拠ると、
「横浜市神奈川区に伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応4年(1868)に焼失した為、縁起の詳細については確認できません。
しかし、『江戸名所図会』『金川砂子』等の文献には演技に関する記述がみられます。
 それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。
太郎が20歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。
三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人も無く、やむなく本国の相州へ下り、父母を訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武藏国白幡の峯に葬られたことを知る。
これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び戻る事は無かった。
そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、と言う内容。
この浦島太郎伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、慶運寺と蓮法寺に残されてるとの事。


 井戸の有る海側から北上し、坂を上って線路を越えた歩道橋の上。
道路の表示にこの地の地名である『浦島丘』(うらしまがおか)と記されています。


 近くの浦島丘中学校の校章は、分かり難いでしょうけれど『亀』の形。


 蓮法寺の山門。


 山門の手前、左手に石塔、石仏が並んでいます。
此れが浦島太郎の父母の供養塔と伝えられている物。

 今日のお供のミニペン太達。
車掌
「未だ未だ一般には知られていませんが、昔から伝わる物であったり、謂れの有る場所であったり、地名であったり、近年建設された物であったり、浦島太郎に関係する物が多く有る『隠れた浦島太郎伝説の地』なんです」
犬ペン太(右)
 「浦島太郎の山車が有って、夏祭りでは出るじゃ。観光資源としても可能性を感じる地じゃな」
メモ取りペン太(左)
 「浦島太郎に関わる銘菓とかグッズとかを作ったり、旧跡やお店を廻るスタンプラリーとか、楽しそうですね」

 石仏?
衣をまとい、蓮の花の上に立ち手を合わせる姿。
姿だけだと天女とかそんな感じだけれど・・・。
 その後ろには、亀が。
手前は浦島太郎で、亀に乗って帰るのかな?


 横浜市のマンホール。
ベイブリッジと空には横浜市の鳥であるカモメですね。



 浦島小学校の遊具。
亀の滑り台が。
子供の時から浦島太郎伝説に親しめるようにと言う事かな? (⌒∇⌒)


 歩道の車止めの上には、『亀の甲羅』。
『サッカーボール』に見えてしまうのは私だけかな?
『メロンパン』にも見えてしますのは、食い意地が張っている私だけ? (^▽^)/


 街灯の上にも亀が。
街の上(街灯)から、下(歩道の車止め)迄、子供(小学校の遊具、中学校の校章)の代から、住居表示や地名も浦島がそこら中に。

でも、目立たないんだよね。
この街灯も車止めの場所も・・・以前歩いたのに、気付かなかった。

 ・『浦島伝説の地』
 ・『散策マップ』
とか、地元の商店による
 ・『浦島最中』
 ・『亀の甲羅煎餅』
 ・『亀どら焼き』
 ・『亀ワッフル』
 ・『亀パン(上から見ると亀の甲羅に見えるパン(メロンパンとも言う))』
 ・『亀のアクセサリー』
 ・『玉手箱に似せた収納箱や商品の包装箱』
 ・『夏の灯篭流しならぬ亀流し』
とか・・・・。
商品やイベントを多数作って、案内をすれば、こう言った建築物や地名にも改めて目が向けられるし、面白いのだけれど・・・。

 そのまま歩いて東神奈川へ。
何度か参拝している笠脱稲荷。
『脱』の左側の作りは、本当は『のぎへん』なのだけれど、存在しない字なのかな?パソコンで変換できない。
名の由来は、この地を通ると何故か被っている笠が脱げるから・・・との事なので、意味からだと『脱』も合っていますね。
海の方からだと上り坂になっていて、風が駆け上がる事で、被っている笠を吹き飛ばすのかな?


 東神奈川駅を通り過ぎ、熊野神社へ。
此処も何度か参拝していて、鳥居横の大きな大きな狛犬が印象的な神社。


 熊野神社の先に有る成仏寺へ。
普段は参拝者も観光客も訪れない静かなお寺。


 この本堂の左手前に有るのが『泪石(なみだいし)』と伝わる岩。


 白地に黒の模様が有り、湿度なのか地下水位なのか、時として濡れている時が有るそうで、不思議な岩とされ、『浦島太郎の泪』ではと伝わる。
この日は乾いていました。


 直ぐ近くの神奈川区地区センター。
図書館や体育館、レンタルスペース(部屋)等が有るのですが、『昔の神奈川宿のジオラマ』が有るとの事。
でも何処に有るのか分からなかったな・・・。


 地区センターの前に再現された『高札場』


 次は慶運寺へ。
右側の石塔の根元にも亀が。
この寺は、開国後にフランス領事館が置かれた地。


 手水場は亀。
お寺も徹底して『浦島』づいています。
怪獣好きな方が敢えてガメラに・・・何て場所もその内出て来るかな?


 浦島観音が祀られた観音堂。
浦島太郎が龍宮から持ち帰った観音像を祀っていると言われています。


 扉の隙間の窓から。
御開帳日には扉が開かれているとの事。
 植込みの木も亀の形にカットされていて、ちょっと可愛い (⌒∇⌒)。


 歩いていたら、雀のお宿を発見。
崖の水抜きのパイプが雀の巣になっているんですね。
寄り添って外を眺める2羽の雀。
何が見えるのかな?

 雀を助けて招待される雀のお宿(『舌きり雀』)は、こんな場所なのかな? (^▽^)/

 洲崎大神にお参りした後、その裏手の丘に。
埋め立ての為に削られ、昔よりも低くなったそうですが、この地は権現山城が有った地。
戦国時代に小田原を治めた北条早雲が更に勢力を伸ばす為、扇ガ谷上杉氏配下の上田蔵人を寝返らせて扇ガ谷上杉氏2万の兵と北条氏・上田氏の連合軍が戦った地。
激しい戦いの後、城は落城し、扇ガ谷上杉氏の勝利に終わったのですが、この戦いを契機に北条氏と扇ガ谷上杉氏は対立し、相模の国を巡って戦う事になりました。
そう言った点でこの戦いでは敗れた北条氏が後に相模の国を治める三浦市、扇ガ谷上杉氏の勢力を破り、相模の国を手に入れる発端の地です。
 江戸時代に神奈川台場を作る為にどの位削られたのか分かりませんが、所々山頂部の公園と下の家並との間に急な斜面が残っていて、要害としての往時を想像させます。

 唯、扇ガ谷上杉氏2万の兵を相手に何日も耐え凌いだと言うのには、頼りない地形。
結構大き削られてなだらかになってしまっているのでしょうね。
 現在の公園は、猫の楽園。
沢山の猫が日向ぼっこや散歩をしてました。

 東神奈川駅迄歩いて、今回の散策は終了。
駅のサンマルクで反省会と復習の時間。

※このブログは2018年5月5日の事で、UPして4年後2022年5月5日に気付いたのだけれど、『復習の時間』を誤変換していて、『復讐の時間』になっていた・・・。
4年間も『復讐の時間』になっていたとは・・・。
サンマルクカフェで『復讐の時間』って・・・何をしてたんだろう・・・(@ ̄□ ̄@;)!!

車掌
 「如何でした?京浜急行とJR沿線の旅でしたが」

メモ書きペン太(中央)
 「未だ未だ知られていない名所・旧跡を知って、勉強になりました」

犬ペン太(左)
 「名所になるには、名物の食べ物と土産物、案内表示、イベントが必要じゃな」
 「後は、わしには温泉旅館、子供には『ゆるキャラ』もあった方が良いのぉ~」
 



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