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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

『目指せ多摩川越え!今日こそ神奈川へ!!』 (品川宿~川崎宿) ~東海道歩き旅レポート その③ 2日目後編 2017.8.11(金)

2017-08-11 23:00:06 | 街・観光地編2017

 蒲田の街を散策。
先を急ぎたい気持ちも有りましたが、蒲田で寄りたい場所が。

 細い路地で迷い、結構ウロウロしました。
彷徨っている中、目的地の椿神社に到着。
結構遠回りし、彷徨い、突然神社の横に…と言う感じなので、「同じ道をもう1回」は無理。
「はて、何処をどう通ったんだか・・・」
細い路地を行きますし、神社自体も小さな小さな神社で、分かり難いです。

 新しい小さな拝殿と左手に麻ひもがつるされた看板。



 この椿神社は『咳止め』に御利益が有ると言う神社。
麻紐を戴き、首に巻くと咳が止まると言う事で、無人の神社なので、麻紐を欲しい方は稗田神社の社務所に・・・と言う事か。
稗田神社も参拝したい神社の1つだけれど、予定より大分時間が遅れているので、迷った挙句今回は断念。

 神社ですが線香台が有ります。
新しい物だけれど、神仏分離令前の名残りとの事。


 椿神社は無人ですが、蒲田駅近くの蒲田八幡宮で御朱印を戴く事が出来ます。
この御朱印は翌日に蒲田八幡宮で戴いたもの。
椿の花と葉、麻紐の印が押され、「椿神社ならでは」と言うになっています。

 梅屋敷の駅と線路(写真左上)の直ぐ近くに「梅屋敷公園」が。
この場所は地名の由来となった梅が多く生えていたお屋敷が有った場所との事。
現在は大田区の敷地で、公園になっています。

 蒲田八幡宮。
工事中で、壁とシートで多くの場所、建物が覆われています。



 拝殿も壁の向こう。
白い壁に神社の拝殿の絵が描かれ、その前に賽銭箱が。
う~ん、やむを得ないとは言え、何とも残念。

 蒲田八幡宮の御朱印だけでなく、兼務社の御朱印も戴けます。
・蒲田八幡宮
・稗田神社
・椿神社
・御園神社
・北野神社
・女坂神社
と、6社の御朱印を戴く事が出来ます。
いずれも夫々の神社に関連した印が押されて凝った物に。
この日は時間切れで御朱印を戴く事は出来ず。
9:00~15:45が受付で、12:00~13:00も受け付けない。
お祭り期間の8月4~7日、10月1日~翌年の1月31日は、兼務社の御朱印は行わないとの事。



 横道の奥に熊野神社が。
今日は此処で挨拶のみ。
ちょっと寄り道をし過ぎて時間が遅くなってしまっていたので、残念だけれど…。


 迷ったけれど、東海道を離れて六郷神社に寄り道。
思いの外大きくて立派な神社でビックリ。
此処も御朱印を戴く事が出来るけれど、時間が遅く、社務所は閉まっており、片付けの最中でした。
鳥居が無ければ、お寺か武家屋敷の門みたい・・・。


 境内は広く、奥に幼稚園も有ります。
正面が拝殿で右に社務所が有ります。

 拝殿。
中央の波打った屋根の他に左右に張り出した屋根(庇(ひさし))。
随分と立派で凝った造りだなぁ~。
時間が有れば、もっとゆっくり、じっくり見ていたいのだけれど・・・。

  拝殿左手の神社入口へ向かう途中、古い狛犬が鎮座しています。
ずんぐりむっくりな体系でぺたんと後ろ足、お尻を地面につけた格好。
表情も何とも言えない。
怖さや威厳、威嚇する様な物は無く、チョット微笑ましい。
貞享2(1685)に作られたもので、大田区では最も古い物との事。
石工は三右衛門。


 旧六郷橋の親柱。

「江戸の防御の為、多摩川には橋が架けられなかった」

と聞きますが、1600年に徳川家康は六郷大橋を架けたとの事。
然し、貞享5(1688)の洪水によって橋は流され、その後186年間は渡し舟で往来していたとの事。
明治7年に入り再び橋が架けられたものの洪水によって流され、明治16年に旧六郷橋が架けられました。
明治30年に鉄道も通る橋に架け替えられましたが、明治43年の洪水によって流出。
大正14年に鉄筋コンクリート製の六郷橋が開通。
昭和元年に先代の旧六郷橋の親柱が六郷神社に保存されたとの事。

六郷神社HPhttp://www.rokugo.or.jp/




 大正14年(1925)に架けられた六郷橋の橋門と親柱が現在の六郷橋(写真奥)の横に保存されています。
架け替えの撤去作業中に橋桁が落下し、5名の死者を出す事故になったとの事。
親柱には、亡くなられた方々の名と鎮魂の詩が刻まれたプレートが取り付けられているとの事。

 土手の外側に1925年の橋門と親柱と並んで有るのが『止め天神』の愛称で呼ばれている北野神社。
鳥居の扁額には『北野神社』と刻まれていますが、隣の柱には正式名称ではなく、愛称の『止め天神』と刻まれています。
あくまでも正式名称で…と言う看板や柱が多いですが、皆「止め天神」と言うし、「止め天神」として知れ渡っている…と言う事なのでしょう。
こうなると、この愛称は「公認」と言う感じ。

 鳥居の右側、敷地の端っこに社務所と言うか、御札等の授与所として使用される小さな建物(小屋)が有りますが、通常は無人の神社。
毎月25日は縁日。
その日は人が居り、拝殿に入る事も出来、御守り御授与がされるとの事。
・北野神社HP http://www.rokugo.or.jp/tome/index.htm
・六郷神社HP http://www.rokugo.or.jp/

 8代将軍徳川吉宗が乗った馬が暴走した際、暴走を止めたのは、この「北野神社の御加護」とされました。
以降、東海道を行き来する旅人に『落馬止め天神』として知られ、地域の住民は『止め天神』と呼び、「身に降りかかる悪い事を止めてくれる天神」として信仰を集めたとの事。

 絵馬の絵には馬が。
その背中には『止め』の文字が。

 狛馬ではなく、普通に狛犬。


 左側の狛犬。
この狛犬は子ではなく、玉(毬?)を前足で抑える構図。
狛犬は昭和9年の物。

 拝殿の屋根の上には、逆立ちをする獅子が。
曲芸師みたい(⌒∇⌒)

 拝殿に向かって右前から撮影。
小さな拝殿ですが、全面の瓦屋根は参拝者を雨や日差しから守るように長く垂れています。
柱の黄色みが買った明るい色が際立って見えます。



 拝殿の扁額。
拝殿の扁額ですが、『北野神社』ではなく『落馬止め天神』になっています。
もはや『北野神社』と言う名で名乗る事にこだわらず
 「うちは『止め天神』です!」
と言っている感じ。
縁日の時に訪れてみたいですね。

 六郷橋を渡ります。
橋の袂の柱の上には鉄製の『木船』が。
昔は、こう言った船が渡し舟として利用されていたのでしょう。

 橋の中央に県境の看板が。
此処迄は東京都大田区、此処から先は神奈川県川崎市。
前方にリュックを背負った男性が居られますが、東海道を歩いていると、付近にお住まいの方だけでなく、延々前方を歩いて居られたり、抜きつ抜かれつしたり・・・と、「東海道の散策や旅をされているのかな?」と思われる方を多く見ます。
徒歩や自転車の方が居り、「あっ!あの人さっきも見たな」と言った具合。
私も同じ様に見られているのかな?


 漸く辿り着いた県境で記念撮影!!
昔の武蔵の国と相模の国の境は保土ヶ谷宿の中なのですが、現在の国境となる『県境』はこの多摩川に架かる六郷橋の上。
日本橋から延々歩いて漸く東京都を歩き切った事になります。
県境の看板が有るだけで、川の周囲はマンションやオフィスビルと言う場所だけれど、自分の中ではちょっと感傷的になる場所。
この先再び東京都に入る事は無いので、
 『東京都踏破!』
 『東京とお別れ!』
と言う気持ちと、
 『今まで通った場所の思い出が蘇る』
そう言った気持に。
橋の手摺りに手を置いて、コーヒー片手に周囲を通ってきた道や通りすぎた街の方角を見ながら物思いにふけりたい心境。

 「どうも、此処迄お疲れさま!」

ペン太達と言葉を交わし、先を行きます。

 もちろん看板の反対側は、此処から『東京都大田区』と言う表示。
東京都の木は銀杏なので、マークは銀杏の葉なのだけれど、大田区のマークは何がモチーフなのだろう?
調べてみると、此れは『紋章』との事。
大田区と言う名は、昭和22年に当時の大森区と蒲田区から1文字ずっ取って命名されたとの事。
区の紋章は昭和27年に一般公募で1,429点の中から選ばれ、『大』と『田』の2文字を図案化した物との事。


 多摩川を渡り、川崎宿へ。
道は狭くなり、両側はマンションやオフィスビル、1階が店舗で上がマンションと言った高層建築物が並んでいます。
宿場町と言う感じは有りませんが、大きな街ですし、大きな駅の近くなので、ビジネスホテルが所々に有ります。
此れが「現在の宿場町」と言う事かな?

 写真中央の街頭の柱に『宋三寺』案内が記されていますが、このお寺の墓地には、宿場で働いていた遊女の供養塔が有ります。


 本陣跡。
案内看板が有るだけで、当時の趣は有りません。
川崎宿の中は、すっかり開発されてしまっていて、昔の建物は無く、遺構や当時の雰囲気を感じさせてくれるものは皆無と言った状態です。


 川崎宿の名物だった『奈良茶飯』が地元の和菓子屋さんによってアレンジ、復活しています。
店内で食べる事も出来ますし、テイクアウトも出来ます。
『奈良茶飯風おこわ』
パッケージも良いですね。

 「おっ!これは、普通に美味しいな」

と言う物。
この日はお土産に購入して家で食べましたが、旅人の気分になるのだったら、昼食として食べていくか、お弁当として購入して道中で食べるのが良いかと。
 

 栗と奈良漬、豆が入ったおこわ。
具沢山でもっと食べたかったな。

 稲毛神社に参拝してこの日名終了。
フラッシュをたいての撮影で、辺りはすっかり暗くなっています。

 御神木の銀杏。
物凄く大きな銀杏で、何本もの木材によって支えられています。
樹齢は1,000年以上との事で、『山王様の大銀杏』と呼ばれ、親しまれているそうです。
安藤広重の『武相名所旅絵日記』等にも描かれているとの事。
 神奈川県の天然記念物に指定されていたそうですが、戦火で大きな損傷を受けたとの事。


 『銀杏の周囲を回りながら願い事をすると願いが叶う』
と言われていたそうで、『『いろ紙』に願い事を書いて枝に結び、銀杏の葉を1枚』取って御守りにすると良いと言われています。
昭和61年(1986)に御神木の周辺に十二支のブロンズ像(昨・川村易)を置き、『12支巡り』が出来る様にしたそうです。


 猿の像。
頭でっかちの2頭身。


 これは龍。
怖さは全く無し。


 兎はずんぐりむっくり。
何とも愛らしい12支です。

 これは寅。
この十二支は、個性的でユーモアが有り、何とも愛らしい姿。
なかなか私好みだな。

 境内社。
堀田稲荷神社と第六天神社。


 稲毛神社の拝殿。
社務所も既に閉まっており、この日の感謝をして帰路に。
何とか川崎に到着出来たけれど、川崎宿の入口と言う状況。
神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿・・・と未だ未だ先は長いけれど、何時になったら到着出来るやら・・・。

稲毛神社 HPhttp://takemikatsuchi.net/

 明日は川崎スタートですが、寄りたい場所が幾つか残ってしまった。
どうしようかな?



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