2010年8月14日
初の南アルプス。
思えば、3000メートル以上の山で最初に計画したのがこの北岳だった。
7月末からずっとひいていた風邪がようやく回復をみせた夏休み後半、残り4日という中で急遽思い立ったのが今回の山行。
前々日に福島までラーメンツーリングに行った際、思った以上の体力の低下を実感し、残りの夏休みはゆっくり休養すべきかとも考えたが
今の会社ではお盆休みとお正月しか連休が取れない。この期間を逃せばまた来年までチャンスが無くなると思い決断した。
当初「広河原」から北岳に登りそのまま「広河原」に戻ってくることを考えていたが、使える休みが4日ということで、
思い切って「北岳」~「間ノ岳」~「農鳥岳」を縦走することにした。
農鳥岳に降りてくることを想定し、先ず奈良田方面にスカブを走らせるが、8月の前半に大雨のため道路が崩落していたらしく、
復旧作業のため深夜は通行禁止になっていた。
7時にならないと通過できないということで、しょうがなくゲートの前で2時間ほどスカブの上で仮眠をとることにした。
ようやく通行止めが解除され、奈良田の駐車場に到着。
そこから北岳への登山口となる広河原まで小一時間ほどバスに揺られる。
雨は降っていないが、あいにくの曇り空。
9時前に広河原から登り始める。
ポイントらしいポイントも無く2時間半ひたすら登り続け、ようやく白根御池にたどりつく。
国定公園にも指定されている名所だが、降り続いた雨と曇り空のせいか、ただの泥沼のような様相にがっかりする。
山頂方面は厚く重苦しい雲が占領していた。
どうも体調が良くない。
食欲はないが風邪薬を飲むためにも遅めの昼食をとり、のろのろと出発。
ここから有名な「草すべり」という登りがまた延々と続く。
お花畑が広がり、虫たちがその蜜に群がってのどかな雰囲気だが、
これまでに経験したことのない急登が延々と続きとてもそれどころではない。
高度を上げるにつれ、雨とも霧とも区別のつかない水滴が強い風に乗って顔面を叩きはじめる。
着ているものがぐっしょりと濡れ、それが汗なのか雨のためによるものなのかよく分からないのだが、
立ち止まるたびに冷たい風で体か凍えそうになる。
そんな状況のなか3時間弱をひたすら登るだけの道のり。
暴風が吹きすさぶ小太郎尾根に出るころにはもうすでに心が折れに折れていた。
猛烈な風と濃いガスで視界が全く効かなくなくなり、前も後ろも人影が見えなくなる。
とにかくもう真っ白で何も見えない。
横風にあおられながら必死に歩を進めて行くが、ついに自分がどこを歩いているのかわからなくなった。
前方に時折うっすらと巨大な山影が見えるたび、それを頼りにルートをたどっていった。
そのつもりだった。
しかし、目の前に現れたのは山頂へと続く尾根ではなく、深くどこまでも切れ落ちてゆく巨大な崖。
霧と雨で黒く光ったその岩肌は、まさしく「絶望」と呼ぶにふさわしい光景だった。
あまりのことに気が動転してしまい、その崖にしがみついて乗り越えれば再び尾根道に戻れるのではとも考えたが、
何かがあったら間違いなく滑落死を免れない。とにかく心を落ち着けて今まで来た道をもどることにした。
が、
道だと思っていた道が道ではなかったわけで、当然後ろを振り返ってもどこをどう来たか全くわからない。
一瞬頭の中でこの霧が晴れるまで何日間生き延びられるか食料と水の量、それに防寒着の数々が頭をよぎった。
相も変わらず真っ白な世界、耳を澄ましても風鳴りの音しか聞こえない。
とにかく方位を計測。
ルートをロスする前はほぼ真南に進んでいたはずなので、何度も細かく北を計測しながらゆっくりとその方向に降りていく。
当然登山道ではないので、浮石、ガレ場の連続が続く。
一歩間違えば落石を発生させてしまい、おそらくこの下にあるであろう登山道にはこれから登ってくる人たちもいる。
それにしてもよくこんなところを登ってきたものだと、我ながらあきれるような崖また崖。
小さな落石を起こすたびに「ラク!」と叫んで、周囲に人の反応がないか祈るような気持ちで耳を澄ませる。
お尻をつけたまま、ゆっくりとゆっくりと下ってゆく。
20分ほど降りて行った時、
風の向こうに、ふと熊避けの鈴が鳴るのが聞こえた。
大声で「おーい」と呼びかけると、それに応えて「おーい」と返ってきた。
見つけた!!!
うっすらとルートが確認できた時の喜びといったらそれはもう筆舌に尽くしがたいものだった。
緊張が解けるのと同時にそれまで気付かなかった疲労が一気に体中を包み込む。
体温は完全に奪われ、ひどい頭痛のため歩くたびにうずくまりたくなる。
ようやく肩の小屋にたどり着いた時には、この登山が失敗に終わったことを確信していた。
気温は10度を大きく下回り、ストーブが焚かれた部屋で布団に包み込んだ体の震えは
寝付いて気を失うまで止まることはなかった。
夕食で一度目が覚め、ひどい頭痛のなか何とか物をノドの奥へ通しこみ、風邪薬を飲んで
再び寝床に潜り込んだ。
翌日、悩まされた頭痛は治まり、食欲も回復。
特に痛むようなところもなかったが、強烈な疲労感だけが体だけでなく心までも重くした。
雨はやんでいたが、ガスと風は一層濃くそして強くなっていた。
すぐ目の前に広がっているはずの雄大な北岳の景色はまったく目にすることができない。
山小屋の情報ではこの先さらに風が強まり、ガスが晴れるのに2日以上はかかるだろうとのこと。
肩の小屋から50分も歩けば、北岳の山頂。
標高3193m。富士に続く日本第2位の頂。
行くべきか、行かざるべきか。
散々なやんだが、結局今回はやめることにした。
この真っ白な世界でその頂に立ったところで、何の喜びが見い出せるだろう。
そしてその頂にたってしまったら、再びこの北岳に登る日がずっと後になってしまう、そんな気がしたからだ。
交換レンズや三脚も合わせ3キロ以上という重さ。
その犠牲を払ってまで持ってきた一眼レフカメラのシャッターを一度も押していない。
こんな登山が登山といえるのだろうか。
山に登ることを純粋に楽しめる人にとっては、これも登山に違いない。
真っ白な頂きに登ることにもなにかしらの意義を見出すだろう。
しかし私にとっては意味がない。
北岳の雄大な姿を写真に収めるために登ってきたのだ。
こんな形で頂に立つわけにはいかない。
失意の中、それでも何枚か写真に収めたが、結局一眼レフを取り出すことは無かった。
農鳥岳から下山する予定だったので、広河原からまた奈良田の駐車場までバスに乗ることになった。
奈良田行きのバスを待っている人達の何人かと話をしたら、みな同じ理由で奈良田に帰るところだった。
バスに揺られながら、隣の人に今回の登りが辛かったと話すと、
「ここも長くてきついけど、テカリ岳はもっときついよ~(笑)」と言っていた。
南アルプスの「光岳」を「テカリ岳」と読むことも知らなかったが、
自分には無理だなということだけはよくわかった。
奈良田の駐車場で着替え、荷造りを終えたころには、もうすっかりくたくたになっていた。
まるで3日間まるまる縦走してきたかのような疲労感、そして今までも何度が味わってきたこの敗北感。
最短でも来年の夏になってしまうが、リベンジを果たさなければならない山がまた一つ増えてしまったのだった。
ってか8月に行ったんだ~ね。
随分忙しくやってるんですかぁ~??
更新無いからどうしたのかなぁ~って思ってたよ。
それにしても大変なタイミングで行ったんだね。
ずぶぬれになって負けて帰ってきたこと甲斐駒ケ岳で1回あったなぁ~。
その時は俺も何故か頭痛くなって大変だった。。
重たい荷物担いで全身冷えちゃうと肩の筋肉が弱って頭痛くなるのかなぁ。。
すっごく天気のいい日にリベンジだね!
びっくりした~。
久しぶりにのぞいたら、北岳の記事だったから(笑)。
いつだったかの記事で、ルートを見失ったこと書いていたじゃない。
俺も経験してその恐ろしさを思い知りました。
もう二度とあんな経験はしたくないです・・・。
キリマンジャロ、すごいね。暇を見つけてゆっくり読ませてもらいます。
冷静に考えれば、こうして更新している以上、
そんな事は無かったわけですけどね・汗
綺麗な山岳写真が見れなかったことは残念ですが、
無理は禁物ですね、やっぱり。
帰ってきて1週間ぐらいは本当に笑えませんでした。
これだから山はおっかない。
血の気が引きました…。