音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

統制経済と現代

2008-02-25 21:54:19 | 時事問題
今年は色んな意味で、排出権取引制度がホットな議論となっていくでしょう。経団連が「新たな生産規制」として反対の立場を表明しているのはわかるとして、経産省が「国が排出枠を公平に割り当てるのは困難で、経済統制につながりかねない」とこれまでは慎重な姿勢をとっていたのが可笑しいですね。何を今さらいうとんねんという感じで。だって、日本は今に至るまでずーっと統制経済の国じゃないですか。

野口悠紀雄教授の近刊『戦後日本経済史』(新潮選書)はこの種の本では珍しく、ページをめくる手が止まらないほど面白いので、2回続けて読んでしまいました。東洋経済とダイヤモンドの両方に同時に連載している人も珍しいと思うのですが、それだけ野口教授がビジネスマンに人気があるということであり、もう一つは素人にもわかりやすく解説ができて、バイアスがかかってない論陣を張れるスクエアな有識者がこの国に少ないという現実です。実際、経済学者やエコノミスト、アナリストという人種は予想はたいてい外れるし、信用できない人が多いのですが、私が野口教授を好きなのは、87年の時点でいち早くバブルを指摘し警鐘を乱打したり、古巣の大蔵省(財務省)からも、しばしば「余計なことを言うな」と煙たがられるほど、正論をブレずに主張されるところです。

同書は「週刊新潮」の連載をまとめたものなので、一層かみくだいて書かれていて読みやすく、ある意味で野口教授の「私の履歴書」にもなっているのが興味深い。ご存知のように、教授は東大の工学部在学中に独自に経済の勉強をして、大蔵省に入省(通産省の内定も得ていたそうですが)した後、アカデミズムの世界に転じたという珍しい経歴の持ち主です。ゆえに「埋蔵量」は豊富で、「官と民」「日本と世界」など事象を多面的に捉えることができるのです。

戦争を遂行するために構築した諸々のシステムが、目的を軍需から復興へ変えて戦後にそのまま温存されたというのは、とかく戦前と戦後を分けて考えてしまう従来の常識からすると意外に思われるかもしれませんが、政治はともかく経済の方は戦中と戦後がはっきりつながっており、それゆえに機能不全に陥っているのだというのが同書のテーマです。戦時体制を基本とする日本の経済体制は、世界に比類なき高度成長を実現し、石油ショックへもうまく対応することができました。それは80年代までの先進国の経済活動が主に大量生産の製造業を中心とするもので、軍隊型の組織が有利だったのと、石油ショックというのも一種の戦争ですから、日本経済が世界経済の中で優位性を発揮したのです。典型例としては、軍需産業に効率的に資金を集中させるために、間接金融とよばれる、銀行が産業資金供給の中心となる仕組みを作ったことですが、これも戦時経済の産物なのです。

『文藝春秋』の最新号で別宮暖朗氏という歴史評論家が「昭和十一年体制の呪縛」~連合艦隊ミッドウェー潰滅の真実~と題して、「官僚が経済を支配したとき、すでに敗戦は決まっていた」というテーマで論考を展開されていますが、これも併読するとわかりやすいですね。それによると、実は日本は戦前においても高度成長を遂げていたというのです。大正五年(1916年)から昭和十一年(1936年)の20年間で一人当たりGNPを年平均8.9%も伸ばしているのです。そして大阪を本社とする十大紡が綿製品でイギリスを圧倒し、アジアの工場と呼ばれるようになっていた日本は、第一次大戦後は世界七位の経済規模にありました。鐘渕紡績などの有力企業は、市場からの資金調達を中心にしていて、政府の介入や銀行を嫌っていたといいます。事実、1931年においては、企業が調達した資金のうち実に86%が直接金融によるものでした。(戦後はこの比率がまるっきり逆転する)そして、当時は大株主が経営者をどこかから連れてくることが多かったそうです。さらに大正から昭和の初めにかけて、外資が新産業の発展の芽をもたらしました。アームストロング、GE、シーメンス、フォード、GM、スタンダード・バキューム、シェルなどが相次いで進出し、日本経済に好影響を与えました。

しかし戦後経済は全く逆を行ったのです。大企業の社長は内部昇進者が主流となり、産業報国会を母体とする企業別組合は、経営者(出世競争に勝ち残った労働者)と労使協調路線で高度成長に邁進するのに都合がよく、日本の株式会社は閉鎖的で株主を意識しない組織になりました。株式持ち合いにより市場の要請が経営に影響を与えない状態が現在に至るまで続いています。(先の経産省トップの発言が象徴的) また、戦中そのままに国策で傾斜生産方式という名の規制・統制経済体制を敷いた日本は、外国企業を締め出し、金融鎖国を長らく続けたのです。市場経済(自由経済)⇔統制経済(社会主義経済)とすれば、日本は世界で最も成功した社会主義の国だったといえます。

しかし、90年代以降は大規模大量生産の製造業ではなく、ソフトウエアや知財が中心的な役割を果たすようになり、規律より創造性が、巨大さよりスピードが、安定性よりリスク挑戦が求められるようになったため、市場を中心とする経済システムに転換する必要がありました。それがうまく行かなかったのがジリ貧の理由だというのです。過去の成功体験があまりに強烈過ぎたために、バブル崩壊以降の停滞が構造的な問題であることに指導者層は長らく気付かなかったのか、あるいは知っていて目をそむけていたのかということなのでしょう。ただ指導者層だけでなく、「改革」が一向に進まずに、ホリエモンや村上ファンドへの激しいアレルギーが示されたことなどを見ても、大衆の側もまた同様なのかもしれません。

元大蔵官僚として、霞ヶ関の論理と手口を知悉する野口教授は、随所に役人の狡猾さを指摘しています。終戦直後の巧みな立ち回りで省益を守り、当時の占領軍に日本語を解す人材や、日本のことを知っている人間がほとんどおらず、役人の出すペーパーを鵜呑みにせざるをえなかったのをいいことに、かなり自分たちに都合のいい方向に政策を誘導したという事実です。(ドイツの場合は亡命者により戦勝国に多くの情報がもたらされていた)

一例を挙げると、日本史を学ぶ中学生でも知っている1949年のドッジ・ラインとシャウプ勧告という税・財政改革。この二つも大蔵省が後ろで糸を引いていたのではないかというのが野口教授の見立てです。均衡財政を唱えたデトロイト銀行頭取ジョセフ・ドッジのある発言に着目して、それを推理しているのです。このあたりのやり方は現在の審議会メソッドのルーツともいえます。

他にも財政投融資や道路特定財源など、現在も重要なテーマの歴史的経緯が解説されていてタメになります。写真も多用できますから、新書ではなく選書にしたのも正解だと思います。定価1200円とコストパフォーマンスも高い。「戦後の日本経済は、戦時期に確立された経済制度の上に築かれた」という野口教授の持論は名著『1940年体制―さらば戦時経済』にも詳しく書かれていますが、日本経済の国際的なプレゼンスの低下が止まらない今、いったい何故こういう風になってしまったんだろうという疑問を持つ全ての人に、この『戦後日本経済史』という編年史はお薦めです。


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