サラ☆の物語な毎日とハル文庫

『クリスマス・カロル』とロビンソン・クルーソー

18世紀初頭(正確には1719年4月)にこの世に出たロビンソン・クルーソーの物語は、
19世紀の知識人に、そうとうパンチの効いた刺激になったようです。

カール・マルクスが『資本論』にロビンソン・クルーソーを登場させたことについては、
前にも触れました。
そして、久しぶりに読み返してみると、ディケンズの書いた『クリスマス・カロル』にも
クルーソーが登場するのを発見。
当時『ロビンソン漂流記』がどんなに印象深い小説だったか、ということですよねぇ。

クルーソーが出てくるのは、スクルージが過去の幽霊に導かれて、少年時代へとワープす
るシーン。
寄宿学校の生徒だったスクルージは、クリスマスに家に帰れず、一人ぼっちで教室で本を
読んでいました。
すると、少年のもとに、本のなかの登場人物がイメージとなってあらわれます。
最初は『アラビアン・ナイト』のアリ・ババや他の登場人物。
そして、その次にロビンソン・クルーソー。
多分少年の思い描くイメージを、スクルージは映像化されたシーンのように見るのです。
スクルージは、少年の気持ちになって叫びます。
「あそこにオウムがいる」
そして、こう続けます。
「緑の体に黄色の尻尾で、頭のてっぺんから、ちしゃのようなものを生やしてるよ。島を
一周りしてきたロビンソン・クルーソーに、あのオウムが『かわいそうなロビンソン・クル
ーソー、今までどこへ行ってたの、ロビンソン・クルーソー?』って、こう言ったんだな。
ロビンソン・クルーソーは夢かと思ったけれど、夢じゃなくて、オウムだったんですね。や
あ、フライディが、小さな入り江をめがけて夢中になって走っていくな。おおい! しっ
かり! おおい!」

ある作家が書いた冒険物語を少年時代に読んだ作家が、自分の物語の中に、その冒険物語
のイメージを登場させ、それを読んで、さらに新しい時代のわたしたちが感動している。
そういうイメージの連鎖が、楽しいというか、つながりの実感というか…。

物語は一つ一つ個別に書かれたものだけど、どこかでつながって、1つの物語大世界を形
作っている。そんな印象を受けます。
そして、個々の物語りをつなげている強力接着剤が、わたしたち読者ということになりま
せんか?
そういう感じだったら、素敵ですよね。

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