サラ☆の物語な毎日とハル文庫

「聴こえない世界」についてナカヨシさんが語ること

おはようございます!
ハル文庫の高橋です。
青い空に暖かい日差しがキラキラあふれて
冬なのに、ほんとに気持ちのよい日曜日です。
今日はナカヨシさんという方が書き始めた
「聴こえない世界」についての記事をご紹介したいと思います。

ハル文庫にはいろいろな方がお見えになるのですが、
ナカヨシさんは、サラさんのお友だちのライターさんで、
何年もハル文庫にやってきては、カフェのほうで
コーヒーとスイーツを召し上がり、
文庫の書架の本を読んで
2~3時間、まったりとした時間をすごされています。
月に1回くらいでしょうか。
ちょっと遠くにお住まいらしくて、
「もっと頻繁に来たいのだけど」とおっしゃっていますよ。

ナカヨシさんというのは、もちろんニックネームです。
本当は中西さんというのですが、
いつぞや4歳くらいのお子さんを連れた常連さんと高橋と
何人かで、たまたま一緒におしゃべりをしていたとき、
その子が中西さんに向ってニコニコしながら
「ナ・カ・ヨ・シ・サン」と呼びかけたのです。
「きっと幼稚園で『仲良し』という言葉をしょっちゅう使うので
そう聞こえたのかしら」とお母さんがおっしゃってました。

最初キョトンとしていたナカヨシさんでしたが、
「はーい、なんでしょう?」と嬉しそうに
その子に返事をしておられました。
我々もナカヨシさんという気持ちのよい言葉の響きに笑ってしまって
以来、中西さんはナカヨシさんと文庫で呼ばれるようになりました。

そのナカヨシさんが今度「聴こえない世界」について
記事を発信することにしたというので、
このブログでもご紹介していこうかと思います。

少々長いですけれど、ご興味のある方は
目を通していただければナカヨシさんもうれしいと思います。
7回のシリーズらしいです。まずは1回目。

知らないことって、世の中にたくさんありますね。
考えさせられます。

ここから ↓

 

風の音と、心の音~「聞こえないこと」の思索と物語

難聴児医療・教育界の92歳の長老、田中美郷先生が教えてくれたこと①

あなたの周りに、「聞こえない」人はいますか?

思いあたらないにしても、例えばお友だちが手話を覚えて、
聞こえない人のボランティアをしていたり、
「〇〇さんのお嬢さんが聞こえないらしい」という話が伝わってきたり。

あるいは、お父さんが年を取って「耳が聞こえない」と言い始めたり、
というようなことは、あるのではないでしょうか。

『Silent』という「聞こえない」世界をテーマにしたテレビドラマ
(2022年秋に放送)が人気でしたから、
関心をもっている人もいると思います。

ただ、「聞こえない」世界があるのは知っていても、
では、それはどんな世界なのか?

聞こえることを当たり前に生きていると、わからないことばかりです。

このnoteでは、そういう聞こえないもろもろのことについて、
いろんな角度から思索し、エピソードをご紹介していこうと考えています。

▼まずは自己紹介から

もしかしたら「そういう、聞こえない世界を語ろうとしているあなたは、
どんな立ち位置にいるの?」と疑問に思われるかもしれません。

そこで、まずとっかかりに、少し自分の話をしようと思います。

現在働いているお母さんたちと同じに、
2歳7か月の男の子を保育園に預けて、
フリーランスのライターとして働いていたとき。

仕事をしていた雑誌社に、保育園から呼び出しがありました。
子どもが熱を出して具合が悪いから、迎えに来るように!

こういうことは、よくありますよね。

あわてて、仕事を中断して帰ったのですが、
病院に連れて行くと、子供は“よくある、ただの風邪”ではなく
「髄膜炎にかかっているかもしれない」と言われました。

すぐに近くの総合病院に入院し、肺炎球菌が悪さをして
髄膜炎になったことがわかりました。
幸い、治療をしていただいて難しい状態からは抜け出したのですが、
なんだか耳が聞こえないようです。

なぜ気がついたかというと、後ろから声をかけても振り向かないし、
誰かが病室のドアを開けても、まったく気がつかないからです。

たまたま同じ北区で、別の総合病院のケースワーカーをしていた
友人のSさんが、帝京大学医学部附属病院に移るよう、
強くすすめてくれました。

そこで板橋区にある帝京病院に転院したのですが、
結果から先にお伝えすると、子どもは髄膜炎の後遺症で聴力を大幅に失い、
重い難聴になっていました。

重い話です。どうしようもなく哀しい出来事でした。

当たり前にあるものが失われることに対して、人は無防備です。
喪失感と起きたことの理不尽さにあえぐばかりですが、
それはそれとして、とにかく問題に対処していかなくてはなりません。

ただ有難いことに、帝京病院の耳鼻科では、
難聴についての専門医、田中美郷(よしさと)先生が
診療にあたっておられました。
当時、全国から難聴児(聴覚障害のある子ども)をもつ親が頼って来て、
受診を希望した名医です。

その田中先生の難聴外来をすぐに受診することができ、
入院中から補聴器を装用し、当時STで活躍しておられた
廣田栄子先生のリハビリが始まったのは、
人生最大の幸運だったと思っています。

よく「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と言いますが、
本当にその通りだと思います。

▼医療のワクを超え、聞こえない子どもたちの療育支援

田中先生は、当時、帝京病院の会議室で週に1回、
難聴児の親のために「ホームトレーニング」という
講座を開いておられました。

診察を受けた親たちが参加します。

それは何かというと…、例えば0歳児や1歳児で
難聴と診断されたとして、親は何とかしたいと悩むのですが、
当時はその受け皿となる療育の場がほぼなかったのです。
(聾学校もその当時は、4、5歳からしか幼児の受け入れを
行っていませんでした。)

そのために、田中先生は乳幼児期の難聴の子どもの育て方、
何よりも「障害をどう受け止め、どのように育てていけばいいか」
という明確な指針と考え方を指導されていました。

「聞こえない子ども」をもつ親にとって、
「大丈夫です。しゃべれるようになります」と優しく言葉を
かけてくださる田中先生は、夕方の空にひときわ明るく輝く一番星、
頼っていれば間違いのない勇者のような存在だったのです。

このnoteを始めるのは、聴覚障害児・者の「聞こえない世界」が
少しでも風通しのよいものになるように、
「聞こえる」「聞こえない」が別々の世界ではなく、
もう少し溶け合った世界になるように、という思いからです。

まずはじめに、私や周りの親たちが心から敬愛してやまない田中美郷先生が、なぜ、医者の領域を超えて難聴児の療育に携わられるようになったのか、
そこにある哲学とはどのようなものかについて、
先生のお話をもとに、たどっていきたいと思います。

 

いかがでしたか?
ナカヨシさんの記事は、毎週1回くらいのペースで発信するそうです。
このブログでも、ご紹介していこうと思っていますよ。

それでは、ぜひ素敵な日曜日をおすごしくださいね。

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