宵っ張りの高橋です。ずっと、三津田冨左子さんというおばあちゃんの物語に
取り組んでいるサラさんから、原稿が回ってきました。
夜遅くなりましたが、アップさせていただきます。
私もすっかり三津田さんのファンになりました。強い女の人が好きですよ。
ここから
あまり知られてはいませんが、新聞社によっては
読者の会というものが設けられていました。
月に一回ほど開催され、話し合いの場を設けて、
読者の考えや意見を直に聞くという催しです。
フサコさんがよく参加していたのは、読売新聞の『コダマの会』や、
東京新聞の『移動編集局 読者と対話の日』。
読売新聞の『コダマの会』には、国家公務員官舎が横浜にあったころに、
毎月のように通っていました。
当時は娘の直子さんは中学生。いつもお留守番をしてもらうのですが、
帰りには必ず新宿「中村屋」に寄って、
肉まんとあんまんをお土産に買って帰りましたから、
文句ひとつ言うどころか、お土産を楽しみにしていました。
昭和三十年のその頃は、まだまだ終戦後の貧しい食生活が続いていて、
中村屋の肉まんとあんまんは、
新宿の店でしか手に入らない特別なご馳走だったのです。
いっぽう東京新聞の『移動編集局 読者と対話の日』は、
七十歳になったころからずっと、都合のつく限り通っていました。
移動編集局ですから、毎回開催場所が変わります。
でもフサコさんは、横須賀だろうが、栃木だろうが平気です。
電車を乗り継いで、意欲的に参加しました。
東京新聞の会は、その時々のテーマが設けられていて、
参加者はひとり三分ずつの持ち時間で意見を発表します。
フサコさんは、たいがい一番前の真ん中の席に座りましたから、
いつも意見を言いました。
その意見は、新聞掲載される「読者と対話の日」という記事で
紹介されたりしました。
フサコさんは自分の名前と抜粋された意見が新聞に載っているのを見つけると、
嬉しくてにんまりしたものでした。
八十歳を過ぎても通っていると、もう本当に常連ですから、
新聞社の人もフサコさんのことを大事にしてくれます。
寒い冬の日など、暖房が効かなくて「寒いな」と思っていると、
記者の人が自分の背広を脱いで、そっとかけてくれたりしたものでした。
「意見をいいたい」というフサコさんの思いは、
こうして長い年月、フサコさんを元気にし、楽しませてくれました。