サラ☆の物語な毎日とハル文庫

三津田さんの物語⑱~「夫の三津田氏が亡くなったこと」

11月も第2週に入りました。

ハル文庫は、今日も元気にオープンしていますよ。

 

サラさんから、三津田さんの続きの物語が送られてきました。

三津田さんにとって、人生の節目となるお話です。

そこからどう生きるか、が常に問われますが

三津田さんは、潔く、果敢に生きていこうと思うのです。

 

十月一日に誕生日を迎えた頃は、「五十歳になったわね」と思いながら、

のんびり過ごしていました。「まだまだ、これからよね」と思いつつ。

ところが、本格的な秋となり、冷たい風が吹き始めると、

夫の三津田氏の体調がよくないことが、なんだか気になってきました。

風邪の症状が出始めたのです。

これまで、病気らしい病気一つしたことのない三津田氏です。

丈夫な夫を頼もしく思っていただけに、ときどき咳込む様子を見ると、

「風邪をひくなんて、珍しいわねぇ」と、とても気になるのです。

フサコさんはたまりかねて、医者に行くように、強く言いました。

「風邪は万病の元と言いますからね。お願いですから、お医者様に診てもらってくださいな」

三津田氏も咳が続くのが、自分でも苦しかったのか、

「それでは」と近所の内科医院に罹りました。

 

ところが、〝風邪の薬をもらってお終い〟ぐらいに思っていたのですが、お医者様は、

「うーん。肺炎を起こしているかもしれません。

検査体制のしっかりした大きい病院で診てもらったほうがいいですね」とおっしゃるのです。

フサコさんは慌てました。

早速、三津田氏の友人の紹介で、大病院にかかりました。

フサコさんも心配なので、ついていきました。

その病院でいくつか精密検査を受け、その日のうちに診断が下りました。

でも、なんていうことでしょう! 

三津田氏は肺がんで、しかも相当進んでいて、余命3カ月というのです。

そんなこと…。

 

そう言われても頭がボーっとして、何も考えられません。

ただ恐ろしいことが起こったことだけはわかりました。

一九六二年当時は、まだ「がん」という病名自体、

それほどポピュラーではありませんでした。

ましてや、予防のための情報など、まったくなかったと言っていいでしょう。

ちなみに日本の戦後復興を象徴するとされる東京オリンピック開催は、

その二年後の話です。

 

フサコさんと娘の直子さんは、それからというもの、

懸命に三津田氏のお世話をしました。

直子さんは十九歳になっていて、よい会社に就職が決まり、すでにお勤めをしていました。

三津田氏は、十一月の末に入院しました。

母と娘と力を合わせ、病院通いに明け暮れながら、お父さまの回復を祈ります。

何とか、助かってほしい。奇跡が起きることはないのかしら…。

 

お正月には、一時退院がかない、自宅に戻ってきました。

でも、その間も寝たきりで、腰が痛いというので、

娘の直子さんが根気よく、ずっと腰をさすってあげていました。

世間が「松の内だ、なんだ」とまだお正月気分のときに、三津田氏は病院に戻りました。

その頃から痛みを緩和するためにモルヒネを打つようになり、

意識は朦朧とし始めました。

三津田氏が亡くなったのは三月末のこと。

最後の方は意識が戻らず、別れの言葉を交わすこともできないままでした。

 

老女になったフサコさんは、当時のことを振り返り、こんなことを言っていました。

「夫はヘビースモーカーでね、いつも書斎にこもって原稿を書いていたけれど、

その間じゅう、タバコをプカプカふかしていました。部屋の中がいつも煙っていてね。

あの頃の人気の銘柄は『いこい』というのだけれど、多い日には五箱、

つまり一〇〇本も吸っていましたからね、いま思えば、体にいいはずはなかったのですよ。

知っていればうるさく注意したと思うけれど、

何しろ、そんなことはまったく知りませんでしたから。

悔やんでも仕方ないけれど、残念よね。

悲しいというよりも、私の中では諦めのほうが強かったのよ。

北朝鮮で娘を亡くしたときに思ったことは、いくら悲しんでも、泣いても、

生き返りはしないということ。

もう夫との時間は終わったのです。もとには戻らないの。

だから割り切るより仕方ないと思いましたね。

お葬式の翌日には、娘を連れてデパートのバーゲンに行きました。

何かしていないと、おかしくなりそうな気がして。

私はなるべく、普段と同じ生活を続けようと思っていました。

ただ、娘が会社に出かけた後、号泣したことはあるわ。

悲しみを押さえるなんて無理。それより、悲しみ尽くして、

吐き出してしまうほうがいいと思いますよ。

それからね、おちおち悲しんでばかりもいられなかったのよ。

国家公務員の官舎に住んでいましたから、そこを引き払って、

よそに住むところをみつけないといけなかったの。

さっさと気持ちを切り替える必要があったのです。それで助かりましたけどね」

 

朝からしんみりしてしまいますが、

私たちは素晴らしいことに、いまを生きていますから

ぜひ今日もステキな1日をお過ごしくださいね。

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