くまのお気楽日記

好きな漫画や映画の話を主にその日あった事や感じた事等をお気楽に書いていきたいと思います。宜しくお願いします。

「お花見日和」

2006-04-08 08:44:36 | 日記
みなさん、こんにちは。
昨日、くまは、郷里の和歌山から遊びに来てくれたお友達のヨッシーと、お花見に行って来ました~!

昨日は朝からお天気も良く、暖かくて、くまとヨッシーは「日頃の私達の行いの良さの賜物ね」などとのたまいつつ、先ずは京都御所の公開を見に行きました。

地下鉄を利用してもよかったんですが、せっかく買った市バスの一日乗車券をフル活用しようというセコイ考えが働き、四条烏丸から市バスに乗ったんですが、おしゃべりに夢中になって、ボケてたくまは、烏丸今出川で降りたいところを千本今出川で降りてしまい、たくさん歩かなくてはならなくなりました。

しかし、ヨッシーはくまのたよりない案内にも、やさしく「こういうのが楽しいよね」とついてきてくれ、「こっちがバス停ちゃうかなぁ」なんて、逆に案内してもらっちゃたり…。

くま、一応、以前(8年くらい前ですが)学生時代も合わせると6年間くらい、京都に住んでて、御所とか通勤路に使ってたはずなんですが…。
どんだけ、方向音痴なんでしょう?
もしくは、記憶力悪すぎ?

でもまあ、なんとか無事目的地に着き、着いてすぐお抹茶とお菓子を食べ(沢山歩いた後のお抹茶はとっても美味しかったです。)それから、拝観しました。
なんとも綺麗な色使いの花や鳥を描いた襖絵や、細かな細工や金箔が美しい雅楽器なんかが印象に残っています。

それから、祇園の辻利で期間限定の「さくらパフェ」を頂きました。
辻利の前は凄い行列で、40分待ちほどだったんですが、待った甲斐あって、美味しかったです。
二人で「パフェなんか食べるの何年ぶりかなぁ」なんて言い合いながら、堪能しました。

次は、丸山公園に行って、桜を見ながらお散歩しました。
満開の桜がいっぱいで、とても綺麗でした!
くま、丸山公園って始めて行ったんですが、屋台が沢山出てて、大勢の人が桜の下でシートを敷いてお花見してました。
賑やかで楽しかったんですが、風流な感じもいいかと思い、哲学の道にも行こうかと思ったんですが、ヨッシーの帰りのバスの時間もあるので、また今度ということにしました。

その後は、近くの大きな観音像がある霊山観音にお参りして、「願い玉」(手を当てて右回りに念じながら一周りすると願い事を叶えてくれるという、境内にある金色の大きな玉)の周りを一周して、最後に木屋町でお蕎麦を食べて、帰りました。


ヨッシー、くまは一日テンション高くて、しょーもない冗談みたいな話とかいっぱいして、あんまり手際よく案内したりできんかったけど、楽しかったね!
また、遊びに来てね!遠くから来てくれてありがとう!


それでは。



「雨あがる」

2006-04-07 08:29:43 | シネマ好き
みなさん、こんにちは。
今日のタイトルの「雨あがる」という映画、少し前にテレビで放送されたのを、たまたま観たんですが、とてもいい映画でした。

この映画は、原作は山本周五郎さんの小説で、黒澤明監督の遺稿をもとに、小泉堯史監督と寺尾聰さんのコンビで作られた作品です。
(このコンビの作品は、他に「阿弥陀堂だより」「博士が愛した数式」があります。(残念なことに、くま、まだ観れてませんが…)どちらも、おもしろそうですよ。

以下、ネタばれになりますので、ご注意を。


剣の達人であるのにお人好しのため仕官できない浪人、三沢伊兵衛(寺尾聰)。
仕官先を探す妻(宮崎美子)との旅の途中、雨に足止めされ安宿に泊まることになり…。という始まりなんですが、くまが、一番シビレたところは、

せっかく、その領地の藩主に、人柄と剣の腕を認められ、仕官が決まりそうになった時に、同じ安宿に泊まっていた、貧しい人達の、食べ物を盗った盗らないの殺伐とした雰囲気を、楽しい気分に変えるため、皆で宴会する費用を、賭け試合で工面してしまい、流れ者の大抜擢に難色を示す古参の武士に、そのことを責められ、仕官の取り消しを告げられる場面で、妻が言う
「今まで自分は主人に賭け試合を諌めていたが、それは間違いだった、あなたがたのような木偶の坊にはお分かりになりませんでしょうが、大事なのは何をするかではなく、何のためにするか、ということです。」
という啖呵です。

そして最後の、二人でまた旅を続ける場面では、妻の「仕官できないことを、あなたはすまないとおっしゃいますが、私は少しほっとしてもいるのです。この旅がとても幸せですから。」というような独白が流れるんですが、二人がお互いを気遣い、信頼しあっていて、それだからどんな時も幸せな気持ちでいられることが、そのあとの峠の上から、眼下の美しい景色を「綺麗だな」と二人で眺める場面からも感じられて、とても清々しい気持ちになれる、素敵ないい映画です。

くまも旦那さんのこと、ずっと尊敬して信頼していこうって思いました。
(ちょっと、お惚気ですね。アホらしくなられたかた、くまの勝手な決意表明です。すみません。

このままでは、ブログのタイトルを「くまのお気楽日記」から「くまのお惚気日記」に替えなくてはいけない羽目になってしまいます…。

なんちゃって。

それでは。


「ブロークバック・マウンテン」

2006-04-06 12:17:36 | シネマ好き
みなさん、こんにちは。
くま、昨日お友達のウランさんと「ブロークバック・マウンテン」に行って来ました。
(ウランさん、お付き合い頂きありがとうございました。
同性愛ものではあるんですが、それ以外にも偏見や暴力、嫉妬や家族愛など、色々なことを考えさせられる、切ないラブストーリーでした。
以下ネタばれ有りですのでご注意を。

時代背景は60年代のアメリカ西部、ただ同性愛者だというだけで、拷問され殺される時代。どうしてそんなことをするのか?魔女狩りの石打のように、石を投げないと、今度は自分が周りから石を投げられる立場になるみたいに、恐怖が人にそんな残酷なことをさせるんでしょうか?
主人公、イニスの少年時代のトラウマとして短い時間で語られるところが、かえって現実味を帯びて恐ろしいです。
そんな時代に孤独な人間が、運命の人として愛してしまった相手が同姓であったなら。
イニスが、ジャックの、一緒に牧場を経営して、当たり前の愛し合う二人の生活を築こうとする気持ちに、答えられなかったことを責めることはできません。
ストイックで不器用なイニスに比べて、正直で自分勝手でもあるジャックの、いままでの生活を捨てて、イニスとの本当に心が満たされる生活を望んだことも責めることができないように。
ジャックがラスト近く、偏見という狂気によって殺されたのでは?と暗示させる場面では、同性愛者に限らず、今も現実にこんなことが起こるのだろうかと感じさせられ、切なく、恐ろしかったです。

二人の青年は、作中、家庭を持つのですが、けして自分を偽る為にだけ、というような描かれ方はしていなかったように思います。家族として愛し、大事にもしているように描かれていたと思います。
くまは、主婦なので、この奥さんにも感情移入してました。
相手が同姓であろうと異性であろうと、自分がただ一人愛する人が、別の人を愛しているのだと知ったら?
どうしようも、心は変えられないと悟らなくてはならなくなった時のこの奥さんの気持ちを考えると、ここでもやっぱり切なかったです。

くまは、ジャックよりイニスの方が、孤独が大きくて、感情を抑えていた分、情の強い人のように感じられましたが、愛情を求める気持ちが大きいほど嫉妬深くなるものなんでしょうか?
くまも、かなりのやきもち焼きですが、
大島弓子さんの「夢虫・未草」という漫画の中で、不倫相手がその妻に「みんなで一緒に住みましょう」と(厭味とかでなく)提案し、その後の場面で、不倫相手の息子が、妻の娘に「おれはそのアイデアは数千年古いと思うな」と言い、娘は「あたしは数千年未来のアイデアだと思う」と言って、子供達は「あたし達は、数千年未来のアイデアだということで一致した」と締めくくる、途轍もなくポジティブな解決策が描かれていますが、こんなふうな自己完結したようにも思える究極の与える愛って、くまにはできそうにありません。

少し話しが反れましたが、とても切ない、でもいい映画でした。

ちなみに、くまのお勧め同性愛ものは、
映画は、「モーリス」「アナザーカントリー」「マイビューティフル・ランドレット」「ブエノスアイレス」「司祭」「マイプライベートアイダホ」「太陽と月に背いて」「1999年の夏休み」「戦慄の絆」
漫画は「風と木の詩」「残酷な神が支配する」「トーマの心臓」「日出処の天子」「摩利と新吾」「ニューヨークニューヨーク」「あふれそうなプール」
小説は「仮面の告白」「真夜中の相棒」「泥棒日記」等々です。


それでは。

「放課後保健室」

2006-04-05 09:21:21 | マンガ好き
みなさん、こんにちは。今朝は雨ですね。
今朝「めざましテレビ」を見てたら、トム・ハンクスが家族で京都御所に来てたみたいですね!くま、田舎者なんで、トム・ハンクスなんか見た日にゃ、当分(一生?)自慢しちゃいますね。
「ダ・ヴィンチコード」の宣伝もかねて来てたのかな?
「ダ・ヴィンチコード」おもしろそうですよね。

さて、今日のタイトルですが、くま、久しぶりに新しい漫画を買いました!
優先順位が今まで買ってる漫画の続きを買うことのほうが上なので、「おもしろそう」って思ってもなるべく我慢するんですが、とうとう誘惑に負けまして。(「誘惑に負け続けやん」って旦那さんの声が聞こえてきそうですが…

でも、買って正解。おもしろいです。
水城せとなさんの「放課後保健室」という漫画です。
水城さんの漫画は以前は読んでいたんですが、ボーイズラブ系を多く描かれてまして、くまも元々はボーイズラブ好きなんですが、過激なエロ描写が多くなって、内容が薄くなったように感じられる作品が段々と増えてくるに従って(水城さんの作品はおもしろかったんですが…)読まなくなってしまってて、久しぶりに読んでみたらくまのボーイズラブ好きが再発しそうです。

下半身が女の子上半身が男の子の主人公、真白は選ばれた生徒たちだけが行くことのできる、見たことのない地下の保健室へ連れられ、自分の心の中の本当の姿が具現化する異世界の学校で、見られたくない姿をさらけ出しながら互いに戦い、その時々に誰かの体内から出る、卒業の扉を開けるための鍵を奪い合う、残酷な秘密の授業に参加することになる。といった内容なんですが、

この設定、そこはかとなくエロいです。
こういうエロさはくま、好きですね~。

現在、4巻まででていますが、続きが待ち遠しいです。

今日はくまのプチ変態?を暴露(披露)してみました。


それでは。

「胡蝶の夢」

2006-04-04 09:02:43 | 日記
みなさん、こんにちは。今朝もいいお天気ですね。

さて、今日のタイトル「胡蝶の夢」という言葉。

荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か、区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事からきた、自分と物の区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢の区別ができないこと。を表す言葉だそうなんですが、
この言葉を始めて知った時は、蝶が眼を覚ませば世界がパチンと消えてしまうようなイメージに感じて、自分の足元が崩れるような恐ろしい印象を受けたものです。

これに似たテーマの物語って、くまの知ってるだけでも結構沢山あって、萩尾望都さん(原作は光瀬龍さん)の「百億の昼と千億の夜」に出てくるゼン・ゼン・シティーや、佐藤史生さんの「打天楽」のクワンの夢、佐々木淳子さんの「ブレーメン5」のCA38のエピソード、京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」でも冒頭部分でそんな会話が書かれてますし、映画「マトリックス」なんかも、そうですよね。

比較的、コンピューターやなんかに現実の世界で眠らされ、仮想現実の世界で支配された人類の中から覚醒者が現れ、支配者と戦う。といった設定が多いように思いますが、
こういうお話を読んだ時によく思ったのが、「本当に現実と仮想現実の区別がつかないのなら、平和な仮想現実で夢をみててもいいのに」っていうことです。

でも、やっぱり人間は、脳を支配されて五感だけを操られた状態には(例えるなら風邪を引いて臭いの無い料理を食べるような)何か足りないって第六感が働くんでしょうか?だとすると、これらの物語の登場人物達の行動は、本能的に正解なんでしょうね。

でもくま、この「胡蝶の夢」の言葉の意味、現実と夢の区別がつかないっていうことのほうしか分かってませんでしたが、もう一つの意味、物と自分とが一体になる境地って、自分の内面(内宇宙)をどんどん突き詰めていくとひっくり返って外に出る(外宇宙とつながる)、みたいな感じなんでしょうか?

それを思うと、例えパチンと蝶の夢が覚めても、この世界は、次元が移動してるだけで消えて無くなったりしないのかも、って思えて怖くなくなりますね。


それでは。


「言葉」って…

2006-04-03 09:03:43 | 日記
みなさん、こんにちは。今日はまた暖かくなってきましたね。
雨で空気も澄んだような感じで、いいお天気になりそうです。

さて、みなさんお気付きかもしれませんが、くま、おしゃべりです。
なので時々頭に「沈黙は金なり、雄弁は銀なり」という言葉が浮かびます。

意味は「言葉は雄弁に語ることよりもよく考えてから語ることが重要」
というような意味だったと思うんですが、(間違ってたらすみません…
確かに言葉って、内容もさることながらタイミングも重要ですよね。言霊っていうのもあると思ってますし。
くまは多分、割と普段からテンション高いほうなんで、言ってしまってから
「もしかして意味違って取られてるかな?」という言葉の選び間違いや
「今、言うことじゃなかったかな?」っていうタイミングの間違いに気付くことがあるんですが、「覆水盆に還らず」で、やっぱり鍵は人の話をよく聞くことですかね?なかなか性質って変わらないものですが…。

そういえば言霊といえば、以前何かの本で、水の入ったコップのまわりに「愛」と書いた紙と「死」もしくは「悪」だったかとにかく何かよくない意味の言葉を書いた紙をそれぞれ別のコップに貼り付けて、暫くしてからそれぞれの水の結晶を調べると、「愛」という言葉の紙を貼ったコップに入ってた水のほうは綺麗な幾何学模様の結晶になり、よくない言葉の紙を貼ったコップに入ってたほうは崩れた形の結晶になっていた。という実験のことが書いてありました。
誰が書いた本だったかも忘れましたし自分で調べたわけでもないですが、考えてみるに、人や物質にまだ機械では計測できない波動というかエネルギーのようなものがあるとして、たくさんの人が見たり(聞いたり)して、その意味がたくさんの人に同じであると感じられている、記号のような役割を果たしている言葉というものは、それ自体に力が備わっているのかもしれません。だとすると、やっぱり言霊ってあると言えるのではないかと思います。

今日は言葉について思うことを書いてみたんですが、今自分のブログの文章を読み返してみるに、読みにくいですね…すみません。
くまの旦那さんが以前に「読みやすい文章って簡潔やな」って言ってましたが、今くまの文章を読み返すと、あれも書こうこれも書こうとつい欲張ってしまって、スゴク分かりにくい文章になってしまってるようです。これも性質が出てるんですね…

言葉は大事に使わないと。ですね。


それでは。



「パーム」2

2006-04-02 09:01:47 | マンガ好き
みなさん、こんにちは。今日は日曜日。
今朝はあいにくの雨ですが、来週はいいお花見日和になるといいですね。

さて、今日は前々回に引き続き「パーム」を読んで、を書きたいと思います。

「パーム」の第6章にあたる「星の歴史」を読んで、なんですが、作中にも「星の歴史」という詩が出てくるんですが(作者はエフトレエンコというかただそうで、野生さんが中学時代の恩師のかたに教えて頂いたそうで、ロシアのかたではないか?ということです。)

つまらぬ人間などこの世にいない
人の運命は星の歴史にひとしいもの
ひとつひとつがつねに非凡で独特で
それに似ている星はない

という詩です。
ハーレムで育った黒人青年ボアズは、主人公のジェームスにこの詩を詠んでもらった後「ハーレムの黒人を知らないからこんなことが言える。お前も白人だから分からない」というような言葉を言い、ジェームスが「変えられるものではないんでな。あんたは待っているのにやめようとしない」というような言葉を返す場面があるんですが、
その立場の人間でないと分からないことってあるとは思うんです。
でも理解しよう、理解されようという気持ちがあれば少しは分かり合えることもあって、大事なのはその気持ちなのかな?と思いました。

でもこの物語では、憎悪、殺意、復讐、裏切り、死などという現実があるということもちゃんと描かれています。
そして物語の最後のほうで、主人公ジェームスが殺人鬼サロニーを殺した後、アンディに「彼を憎んでいたか?」と聞かれ、「憎い人間など誰もいない。一緒に居られない人間がいるだけだ」と答える場面では、残酷な運命や自分の中のマイナス面をも受け入れ、認めて「失くしたものが戻ってくる」という希望を持って生きようとする人の姿に感動します。

最後に一番最後のページに書かれた野生さんの言葉を載せて、今日のブログを終わります。

天使と悪魔
死と誕生
光と闇の棲む
美しきこの世界に、愛をこめて


それでは。



「アースワークス」

2006-04-01 10:40:18 | 本好き
みなさん、こんにちは。
4月1日。元日の次に節目の日って感じる日ですね。
くまも今日から怠けてたダイエットほか、再開です!

さて、今日はくまがとても好きな、ライアル・ワトソンさんの本について書きたいと思います。

この本は1985年に書かれた物で、生物学者であるワトソンさんが、今まだ解明されていない不可思議なものについて推理する、といったエッセイです。
この中でくまが好きなエピソードは、
ある元情報部員の男性が、退職後警察にポリグラフ(うそ発見器)の使い方を教えるのを生業にしていた頃、ある時暇を持余し、ドラセナという植物をポリグラフにかけたところ、彼が植物に危害を加えようと思った途端、記録テープに劇的な変化が現れ、実際に炎を葉に近づけた時や危害を加える振りをした時には全く反応が無かったという事例で、つまり植物が彼の考えを読み取っているのではないか?と推理したお話と
同じくワトソンさんの「未知の贈り物」という本の中で、
ワトソンさん自身が船で嵐にあい漂流していた夜、海底から真っ暗な闇の中に浮かび上がる沢山の光に驚き、それが発光するイカの大群であることが分かるが、船を観察するかのように円状に取り囲み、不思議な行動を取るイカの群れを見て、イカの単純な脳しか持たないのに、その脳が処理しきれないほどの情報量を集めることのできる高度に発達した眼をもっていて、また敏速で神出鬼没、昼も夜もあらゆる深さ、水温、海域に何十億といる特徴から、イカは地球という大きな一つの生命体の観察者の眼の役割を果たしているのではないか?と推理するお話です。

また、アーノルド・リーバーと言う人の書いた「月の魔力」という本の中では(今手元になく、読んだのが中高生の時なので、少し間違って記憶しているかもしれませんが)満月に殺人や出産が多いのは、海の潮流が月の引力により起きるように、体の60%が水でできた人間にも影響を及ぼしている。といったことが書かれています。

こういうことを考えると、星の間にも引力は存在しますし、星占いも、昔の人が考えた立派な科学なのかな?とも思えます。
何だか自分が全体の一部であり、互いに影響し合っているという考えは安心します。

そういえば、諸星大二郎さんの漫画で(これも今手元に無くタイトルも忘れたんですが)宇宙から飛行士たちが帰ってきた時に持ち帰った何かによって、人や金属がくっついて一緒になってしまい、意識まで統合され、最後には大きな一つの生命体になってしまう。というようなお話があったと思うんですが、
宇宙がビックバンから膨張を始めて、膨張が止まると今度は収縮し始めて最後にはまたビックバンの始まりの時の、小さな凝縮された点になってしまうように、意識?の世界のうえでもそういう働きが繰り返されてたりするんでしょうか?
今はバラバラになって、それぞれの経験する情報を集める時期なのかな?
そして集められた情報はいつか共有する意識に統合された時に生かされるのかな?

昨晩の月は微笑んでるみたいな細い細い月でしたが、そんなことを考えながら眺めてみると感慨深いものでした。


それでは。