3月も下旬になり、鯉も動きが活発になり,いよいよ春本番ですが,産卵を控えて、この時期の鯉の行動は広くなります。朝から午前中にかけて本流から支流の産卵場へ遡上して来ては,日中のぽかぽか陽気に,ぽかーんと浮いた状態で餌に見向きもしない状態で,夕方には,本流へ下っていくというのが、地元の櫛田川の状況です。
写真の浅場にも鯉は入って来ています。しかし、これらの鯉のうち餌を喰うのは稀で,なかなか見える鯉は釣れないの格言通りです。昨年迄の春の私の釣りもたまに例外的に喰って来た鯉かも知れません。なので、今年は鯉の着き場の深場狙いで,餌場で喰わすという今年のポイント狙いです。
昼間は喰ってこないのが今のポイントなので,午後から夜を狙っての車中泊です。ポイントの全景は下の写真の←の様に投げています。
この写真は、頭首工の堰の通路から上流に向かって撮影したものです。2月は写真の左手の手前で竿を出していました。この堰の通路から下の川面を眺めると鯉の姿が冬でも確認でき,意外なポイントで餌を食んでいることが確認できて、そこを狙ったのが2月の釣りでした。水中カメラでも言えますが,実際の動画を見ると釣り師が勝手に想像していたよりもリアルな現実を目の当たりにできますが,2月でも浅場に餌を食んでいる姿が確認でき,その泳ぐコースも一定のパターンが読み取れて、それが想像していたのとはかなりずれていて、実際のそのコースに餌を打つと確実に喰ってくることが判明しました。
しかし、鉄橋下流15m程の昔の橋桁の残骸とも言うべき乱杭が水中に隠れて、底にゴミがたまって、鯉の絶好の着き場になっています。
私が狙っているのは,この乱杭の下手になります。先日釣った94cmはこの乱杭に入られ、何とか出すことができましたが,覚悟して攻めないといけないポイントです。写真の手前が左岸で,こちら側が深場になっていて,水深4m程です。底の様子は減水時の写真確認できますので,以前の記事を参考にして下さい。かなり変化に富んでいて、そのことが投げるポイントを難しくしています。殆ど竿が入ってない状態ですので,自分の釣り方の影響だけが魚の喰い方にも影響が出ると考えられます。
さて、ここ迄読まれて,何が悪夢なんだと思われそうですが・・・・。日が傾き,温かい晩飯を車中の電子レンジで温めて食べて、テレビを見ながら当たりを待ちます。日ごとに日の入りの時刻が延び,日の出も日ごとに早く感じるこの頃ですが,もう春の彼岸ですね。
いつしかシュラフに包まって眠ってしまって,突然、目覚ましのアラームより鋭い、デルキムのメロディーにはっと目が覚め,時計を見ると夜中の2時です。「この時間帯かよ!」と半分寝ぼけ眼で靴を履きながら釣り座に急ぎます。幸いこの車を止めている堤防は、頭上を走る県道の外灯のおかげで,真夜中でもある程度の明るさがあるので,助かります。
釣り座に近づくに従って,送信機のアラーム音が大きくなって来ます。「まだ走っているな」と自問しながら、竿を持つと鯉の引きがずっしりと感じられます。釣り座はヘッドライトだけが頼りの暗闇なので,穂先をライトで照らしながら、穂先の曲がり具合で引きの強さを感じながらのやり取りです。沖に向かって走っているので,ゆっくり少しずつ弱らせながら、こちらのペースに持ち込みます。その為の時間は大切にします。ヘッドライトに映し出された白っぽい魚体が確認できます。80cmはあるなと思いながらも,足下とは深いので,すぐに潜られてしまうので、寄せて来てからも急ぐことなく確実にネットインさせます。
85cmの良型でした。夜なので,ライフバッグにいれてキープします。喰わせ餌を確認しながら、もう1本の竿を見ると,リールのスプールに糸が残っていません!。かろうじて一巻きだけ残っている状態です。今、上げた鯉の前に当たりがあったのですが,バイトアラームの送信機の電池切れでした。これが悪夢ならまだ気にもならないのですが・・・・・・。
その後あたりはなくなり、バラした鯉の影響かとも考えられます。翌日、午前中に一旦片付けて、フィーディングをして釣り座を休める為に家路につきます。翌朝、ゆっくりと再度釣り座に向かいます。昼間は喰って来そうもないので,日暮れからの勝負にかけます。昼間は、生徒が餞別にくれたヘルマンヘッセの小説「クヌルプ」を読み始めます。昭和45年11月が初版の新潮文庫本です。昭和45年といえば、高校1年生の頃か。ヘッセの小説は中2の頃に「車輪の下」を読んだだけで,それも忘れてしまってる状況です。生徒が感動したと言っていたが,普段あまり小説を読まない自分には,何とも言えない読書感覚です。描写は叙情的で、島崎藤村を思い浮かべます。ヘッセの創作活動の時期は大正時代当たりなので,時代背景や風景の描写の印象も藤村の時代とオーバーラップします。高校1年時は人並みには小説も読んでいたので,その感覚を思いだしながら。そういえば、藤村の「春を待ちつつ」の中で,信濃や小諸の春の叙情的な光景を勝手に思い描きながら、それは自分が住んでいる田舎の風景からの想像でしたが、そんな当時の自分を思いだしながらの暫しの読書タイム。
少し横になった時でした、時計は7時過ぎです。デルキムにまた驚かされます。しかし、3秒程続いてもう1本の竿のデルキムと同時にまた2、3秒鳴り、その後、アラームは止みます。「狸がロッドポッドを動かしたのでは?」と釣り座へ確認に行きます。もう既に暗くなって、ヘッドライトを頼りに,竹薮を抜けて竿を照らすも、バイトアラームは光を放っていません。何だか不審に思いつつ釣り座のロッドポッドを照らすと・・・・・
「竿が一本しかない!」
確かに当たりがあったのです。一瞬、バイトアラームが鳴って,その後,ドラッグが締まったままのリールを着けたまま、竿もろとも鯉にもっていかれたのです。その振動でもう一方のバイトアラームも鳴ったのです。何としたことか!愕然というだけでは表現が足りないこの気持ち。泣きたくなりますね。何だか夜空が霞んでいます。
丁度3年前のこの時期に,佐奈川で同じことをしでかしました。その時のブログは「鯉の恩返し?」でした。今回は絶望的な状況です。年を取って単純なことを忘れてしまう悪い症状とも言うべき我が失態。これ以上書くと惨めさが倍増しますので,止めよう。くれぐれも、ドラッグを緩めることをお忘れなく。
後悔しても始まらないので,気を取り直してといいたいところですが、打ちのめされた感じ。残された一本の竿の餌交換をして、静かに眠りにつきました。寝付きは最悪です。2時頃には目が覚め,またうとうとしていた3時に当たりを知らせるデルキム。今度は連続音です。
慌てることもなく,妙に冷静に釣り場に付くと,糸がリールから勢いよく出ています。竿を持つと、沖の方で鯉が跳ねる音がします。珍しというべきか、この鯉は潜ろうとはしなく,簡単に寄って来ます。しかし、足下では何度も潜って暴れます。その動きの様子がこれ迄の鯉とは違います。
85cmですが、失われた竿とリールへの思いから、感動はありません。その後は当たりもなく,明るくなって、釣友のTさんからラインが入り,関連で,岐阜の高橋さんと電話で話しながら,今回の悪夢も話さないといたたまれなくなりました。
静かに帰り支度をして,家で,洗車をしながら心の中も洗い流したい気持ちで,静かに車の中を片付けました。2度目の悪夢・・・・・。数日前に、気に入ってるこのリールの中古をイギリスから3台買ったばかりで、そんなことも関係してるのかとか落ち込んだ春の一日でした。やはり、春は物悲しい。♪春なのに、お別れですか・・・・。