豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

祈りと感謝

2015-03-22 08:18:53 | 読者に人気の記事
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おはようございます。

本日は6時10分ごろに起床しました。

妻も同じ時間に起きてきて洗面していると「頭が痛い」と言っている。

昨日、買い物に出た時に2枚刃の剃刀を買ってもらったので、よく剃れて嬉しい。

洗面を終えると座禅を50分します。

相変わらず、動いてしまいますが、まあ、時間だけは「あっ」という間に経つ。

座禅を終えると読書です。



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珈琲と煙草を味わいながら、楽しんでいると、千鶴さんが朝食に呼ぶので一緒に、いただきました。

黒糖ロールと目玉焼き、ハム、バナナ、苺、ヨーグルト。

テレビでオウム真理教の事件から20年の特集をやっていた。

3月20日だったんだ。

食べ終えてから、再び、玄関先で読書です。

そのあとブログ更新に家へ入ると千鶴さんが悠聖の寝顔が可愛いと言うので、覗く。

確かに、天使の寝顔だw


さて、昨日はテンションも高く、色々書きましたが、今日は何かあるだろうか。

そうそう「感謝」についてであります。

これは、今あることに感謝するのであって、何か特別な出来事があったことに喜ぶことではないのであります。

この感謝が祈りとなり、この祈りが、自己を落とすから、幸せになれるのですね。

つまり状況には関係なく「感謝」していることなのです。

人間に生まれてよかったとか、今日も食事が出来てよかったとか、何事もなく平穏無事に一日が終わってよかったとか、とにかく感謝するのであります。

そこで「オレ」が誰にも頼らずに生きていると思うのではなく、神仏のご加護があることで、自分が生かされていることに感謝するわけです。

まあ、お陰さまで平穏無事ですと、いいことに感謝する。

そうして、まあ、南無阿弥陀仏でも、般若心経でも、まあ、そんなのは僕は、唱えていないですが、何でもいいのですが、自分が落ちて感謝、祈るという態度が、もう、すでに自分を救っているのです。

その、有り難いという思いが、自己を消すからです。


これも、まあ、座禅と同じですよね。

眼前の事実に心を込めているのと「祈り」や「感謝」は同じ意味です。

何か特別なことや、特別なものに、感謝するのではなしに、今在る事実に感謝しているわけです。

人間に生まれて平穏無事に過ごせることに感謝するわけです。

今ある平凡の中に「感謝」する能力のことが大事なのであって、求めるものではないということであります。


あ、ここで思い出しましたが「発心」という言葉がありますが、これは、心が解放されるという、とても高度な言葉であります。

たぶんですがwwww

みんなが、心を「いまここ」に決める。

他に生きようがないのだから、眼前の事実、ここに、心が触れる。

触れて、そこに、夢中に一生懸命に働く。

ただ、動くのではなく、集中心と、創意工夫がなければならない。

気持ちがついてこなければ、これはできないのであります。

その気持ちというのが、いま、ある、ことへの感謝であり、祈りであり、発心であり、座禅であり、まあ、色んな言葉に置き換えられているのです。

内容は、事実は、態度は、ひとつのことを指しているのです。


たぶんね!

あなたは、今日も、明日も、毎日、いつでも、悟ってますよ^^

2015-03-21 08:09:02 | 読者に人気の記事
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おはようございます!

久しぶりに音楽を聞きながらブログ更新を始めています。

『ルパン三世のテーマ』

これって、メッチャいいですよね^^

絶対、ルパン、ルパーンって言ってるように聞こえるんだけどなあ。

千鶴さん、間違えてるんちゃうかなw

まあ、とにかく夜勤明けで寝ていないのでテンション高いのです。



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いつもは寝起きだけど、今日は冴え冴えとしています。

休みってのもあるしね。


家へ帰ってから、携帯弄りながら珈琲飲んで、煙草プカプカとしておりました。

ほれで、お風呂入って、また携帯弄るwwwww

ちなみに、だいたい毎日チェックするのは、阿部敏郎さんの『リーラ』と、さとうみつろうさんの『笑えるスピリチュアル』です。

超有名ですよね!?

あとは『私を知る』というブログとか、2ちゃんねるの宗教版とか、まあ、そんな系ばっかりですね、苦笑。

好きなんだから、しゃーないw


お風呂出てから、玄関脇で再び、携帯弄って煙草プカプカ。

珈琲もね!

自分のブログのアクセス解析とか見ていたのだ。

もっと来てくれる人、増えるには、どうしたらいいのかなあ、とか考えてた。

そしたら、何か、ガサゴソと右手の木の方から、音がする。

ん? 猫か!?

と、思ってみていると、またガサゴソと音がして、ライトの光が・・・・・・。

背筋が凍りました。

午前5時半ごろに、こちらの方を照らす、ライト。

近距離に、誰かがいたのだと思いますが、薄暗くて分かりません。

まあ、公道だから別に、問題ないといえばそうなんですが、距離が近くて、木がガサゴソいって、いきなりライト点灯はビビリますよ、あなた。


まあ、怖くなってきたので、切り上げて、家へ入る。

そこから、ブログの記事アクセスの総数を調べようと思って、ノートに書き写していたら、あっという間に、6時ごろになる。

歯磨きをして、髭を剃ってから、座禅に入ります。

ちょうど千鶴さんも、このころに起きてきたので、おはようです。


休みなので50分ということもあり、気合いを入れて準備する。

畳に寝そべってお尻を上げ、起き上がったら、真下にお尻がつくようにしておいて、起き上がってから左右に体を捻り、バランスを整えていきます。

携帯で50分後にアラームを入力して開始。

一瞬、眠りに落ちて、くらっとしたけど、戻ってきたら、なんかいい調子になった。

そこから、まあ、いつもの脳内妄想と戦いながら、無心を目指しました。

まあ、今日も、たいして、集中できなかったけど、それでもスッキリ。

これは、あれなんだよねー。

瑞々しくなるというのは、絶対、間違いないです。

空気も音楽も、心も、なにもかも、新鮮に、リセットしてくれるのが座禅ですよ。

最高なので、是非、一度、試してみてください。

ただ座るだけだから、無料なのですよ。

無料で温泉に入っているような感じになれるのですwwwww

効果は、もちろん、それ以上です。


で、まあ、いつものように、珈琲淹れて、玄関脇で煙草スパスパ。

読書のお時間です。

今、読んでいる本は、秘密ですが、最高にいい。

もう、読んでいるとニタニタと笑ってしまうくらい好きです。

人生で出会う本というのは、タイミングが決まっているとか言われますが、本当かもしれませんよ!?

読み終えてから、家へ戻ってブログ更新をしています。


ちょうど悠聖も起きてきたので「おはよう!」と声をかけ、抱っこして、千鶴さんのところへ連れて行った。

PCの前へ、戻ろうとすると妻が悠聖に「おは妖怪」と言っているので、僕も「おは妖怪!」と言っておく(苦笑)


えーっと、そうそう、背面の自己ですね。

いきなり飛ぶけどごめんw

この、背中には、麻痺した悲しみが眠っているんですよ?

そうして、ここを、天からのエネルギーがストーンと入ると、過去の傷が、ドンドン出てきて、認識することが出来るのです。

僕が認識したのは「理解力」と「できる」という2つに対する拘り、つまり『悲しみ』であります。

ここにですね、涙ポイントがあるんです。

泣いちゃいましょう、まあ、心でいいんで、泣いちゃいましょうよ。

なんせ、背中の真ん中辺りに、ある、これは、核心なんです。


背中で泣いてる、男の美学と、ルパン三世のテーマも歌っているでしょう♪


ここを突かれると普通はムッとするか、怒って終わりなんですが、なんせ秘儀、感情ストップの業を聞いた、あなたは、秘儀参入者なので、怒りがなくなって、内部消去されている。

しかし、このムッと反応が抑えられると、泣き崩れるのです(必ずです)

泣き崩れてから、気がつくんですね。

ああ、オレって、こんなに傷ついていたんだ。

背中が! とwwwww


これは背中の中央、肩甲骨の間ぐらいに、痺れとして、明確に感じられます。

普通の体の感覚として、あるんですよ。

男の美学がね(爆笑)

これを洗い流したら、今度は、目の前を向くのです。


目の前には、もしかしたら、洗い残しの食器があったりとか、困っている家族がいたりとか、まあ普通にテレビの放送が流れていたりとか、いろいろあります。

その、そこに、命があるんじゃないですか?

最初っから、そこにしか生きていないんですよね、僕ら。

で、頭の中で、あれが、いい、これが、いいと言っている分別の世界は、どこにあるんですか?

絶対に、目の前には、眼前には現れないでしょう。

眼前には、必ず、こころ、命、の開花が顕現しているんであります。


そこを外すのが、分別智とかいうやつじゃあ、あーりませんか。

ここんところを、あれこれ、偉そうに言ってみてもですよ、俺がすごい、アイツがえらい、こいつはダメとかやってみても、仕方ない。

誰も差別なく、ここで、命やってるんだからwwwwww

樹も草も空も人も、差別なんかないでしょ。


社会の基準が「お前は出来が悪い」とか抜かしやがるわけですよ。

この木はできがわるいとか。

この草は雑草だとか。

あの実は食っても不味いとか。

とにかく、人間の都合によって「できる」とか「できない」とホザクw


猫にできるできないがあっても怒らないでしょう?

まあ、怒っちゃう人もいるんだなあ、これに・・・・・・orz


とにかく、ここにいる、あなたは、宇宙よりでかい!

そして、その宇宙を内部に持っていて、外部に心をもっている。

その心が宇宙なんです。

そして、心が、眼前に込められた時に、無が生まれ、幸福になるんです。

無というのは、あれが、どう、これが、どうと散々言われますが、この無は、あなたが、無になることを言ってるんですよ?

あなたの自我活動、認識活動が「ふっ」と消えている瞬間がある。

ショッチュウあるんですよ?

毎日、毎日、大悟しているんですよ、みんな。


だから特別な悟りなんて標榜している人には、着いていかないに限ると僕は思います。

なにせ日常が、ここが、目の前が、奇跡の命であって、心なんです。


自分を忘れるってことですよ、単純に。

楽しくって時間を忘れるってこと、子供時分にはよくありませんでした?

ゲームに夢中になってたら、もう、こんな時間だ。

お母さんが怒ります。

「なんで、勉強ができないの?」

ここがポイントですよ。


この単純なことだけなんです。

つまり、罪悪感を植えつけられたり、悲しみを植えつけられたりしたんです。

社会に、背中へ、突き刺されたのです。

流しましょう、流しましょう。

だって、目の前で、夢中になれることがあったら、それで、自分は忘れられて、ふっと消えて幸せで、それが『悟り』なんだもんwwwwwww


ほんまでっせ?


座禅して高徳な人格を目指される方は、勝手にやったらいいです。

人それぞれ、自分の、道があって、それは、自分が夢中になれることなのです。

努力なしで幸せなんです。

努力なしでできるんです。

努力なしで達しているのです。

なにもしないで、そのままで、人それぞれに、違った道をいけばいいじゃないですか?


集団にならないといけないのは、なぜなのか。


まあ、あれだ、悟りって言うのは、なんでもないもんだ。

なんでもないから、掴まえようとしたって、スルリスルリと逃げていく。

勉強できる人は、逆に、こういうの苦手だと思うなあ。

ただ、普通に生きてる人の中に、日常の幸福を知っている人がいる。

そういう人は、目立たない。

目立たないけれど、自分がいて、素直で、純粋で、楽しげなのだ。


今日はお休みだし、馬鹿やってみませんか?w

『もし馬鹿騒ぎをするのなら、細かいことには拘るな』ですよ。

まあ、あとから、あーだ、こーだ、言う社会の頭の声は五月蝿いです。

ほんとに単純なことだよ。


眼前の風景が自己を生きているので、あなたは、消えているんです。

この消えているというのは実際にはいるんですよ。

でも、実際にいるというのを忘れているんです。

玄関脇で、僕が、煙草を吸いながら、庭を見ているだけで、こうなるときもありますw

誰でもなっています。

そんなもんじゃないって言っても、これが、悟りなんだから仕方ないよ。

と、僕は、思っています。


まあ長くなったんで、この、あたりでー♪

是非とも、よき休日を過ごしてリフレッシュしてくださいねっ!


背中の悲しみは、流しましょう(ごめんw)

背面の自己と眼前の事実

2015-03-20 14:49:50 | 日記
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こんにちは。

本日は13時ごろに起床いたしました豊田です。

起きて直ぐに洗面をしていましたが、剃刀で唇を切ってしまいました。

不注意、不注意。

妻が保冷材をタオルに包んでくれたので、当てていたら、治りました。

治ったというか、血が止まりました。


それから座布団を2枚ひいて、座禅を15分します。



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お寺に参禅した時は、普通の座布団の上に、円形の小さな座布団があって、アレに座ると背筋が伸びて、リラックスできたのだけれど、買ってみたいなあ。

妻に言ったら、即、却下されましたが(笑い)


座禅中は、彼女が『花嫁のれん』を視聴している音が流れてきます。

それに加えて僕自身の脳内妄想やら、自我が落ちようとアレコレ思案して動いている様子が伺えますが、このアレコレしている自我くんが「ふっ」と消えていないといけない。

まあ、今日も全然、自然に成りきれませんでした。


座禅を終えてからは、ブラック珈琲と煙草を味わいながら読書です。

玄関脇で畑に生えた樹なんかを眺めながら、ふーっと、のんびりと目を通す。

と、千鶴さんが来て、悠聖を膝の上に乗せる。

「ちょっと今は読書中だから、待って、あとで遊んであげるから」と言うと、不平感丸出しで家へ戻っていく。

すぐに「うわぁああああん」という悠聖の泣き声が響き渡って、耳を突いた。

こちゃあどうも、罪悪感が、こころを掠めていきます・・・・・・orz


ブログを書き始めていると悠聖が笑顔満面で横へ這ってきた。

ドキッ!

「悪戯したらアカンぞ」と言っている傍から、障子を開けたり閉じたりとしている。

ちなみに家は、超狭くて、部屋数もないので、僕の部屋、というかPCがあるのは、日本間の縁側です。

悠聖が、障子を破りそうなので「ちぃちゃん! ちぃちゃん!!」と、呼んでいるのだが、全く反応がないので、遂に、ビリッと破きおった。

あーっ、と思って「こらっ、やぶいたらアカンやんかー」と怒っている。

千鶴さんが来たので「これ直してよ! ちぃちゃん来てくれやんで破れたやんかあ」

子供みたいなことを言っている、ダメ人間、だめまでありました。


そこでブチ切れた千鶴さんが障子を外してビリビリと破りだす!

おいおい、そんなむちゃな破り方したら、綺麗に貼れないではないかと思い、あーだこーだと言っていると、ハサミを持ってきて切り出したwwwww

いや、ハサミでは無理だろうと言っているのに、チョキチョキやっている。

僕は見かねて、工場へ障子を持って行くことにしたのだが、やってみると意外にというか、全然、やり方がわかんない。

まず工具というか、道具がどこにあるかもわからない。

一応、書いておくと、父親と祖父は『建具屋』だったので、障子と言えば、僕が、ここに生きているのは、障子と襖のおかげだと言えなくもないくらいに大事なものなのだ。

しかも、温厚な父親が、唯一、僕を叩いたのが、障子を破いたときだったのですよ。

まあ、お客さんのヤツだったから当たり前だけど・・・・・・orz


まあ、そんなことはいいとして、とりあえず刷毛で水を付けて、糊面を剥いでいきます。

その間も、千鶴さんが、悠聖を連れてきたり、戻しに行ったり。

あーだこーだと言い合ったり、罵り合ったり、煙草を吸いに行ったり。

と、他事三昧の僕達。

仲がいいのか、悪いのかwwwww

予想以上に面倒なので、もう、明日でいいかとなり、家へと戻ります。

最後の方は、ヘラで剥がすのが楽しくなって、私もやる、僕もやるとお互いにやっていたのだった(爆笑)


そんなバタバタ感満点の中、ブログの更新を始めています。

いつもより早く起きたのだが、全く意味がないではないかっ!


で、なんでしたっけ?


ああ、そうそう、新しい発見があったのであります。

これにはビビリますよ。

というか、たぶん、ドン引くかな(笑い)


あのですね・・・・・・。

ここに背面の自己というものがあります。

この背面の自己の中に、他者が生存しているのですよ。

実際にね。


この目に見えている他者というのは、実は、背中の後ろ側にもいるんです。

目に見えているほうは、まあ、なんというか、実体としての力はあんまり持っていないんですよねえ。

って、まあ、これは、ちょい行き過ぎ感があるのでやめておこう。


さて、そんなこんなで感情の消化もだいたい進んできましたので、色々ある中で『深刻』にならなくなってきました。

迷い、怒り、欲というものが、人間の中で、様々にあるわけですが、それが、私の動きではなくて、まあ、物質のような働きとして見られるわけです。

例えば、ビールを味わっているのは、もちろん欲ですが、この味わっている私が、だんだんと酔っ払ってくると失われますね。

そうして今度は、物質としてのアルコールが体内で、脳内の海馬を麻痺させて、私自身の意志とは無関係に機械的感情の発露を始めますね。

刺激と反応のロボットのように、本質むき出しの『動物』になるのです。

これがエコノミックアニマルなのですwwwww

まあ、だめまは、よく、これになっているので分かります(爆笑)

理性は完全喪失されて、もはや、ビールは、なんの快楽も与えなくなっているのです。

快楽のはずのビールが、苦しみに変貌しているのです。

これが欲望の境界線で、不必要な貪りなのであります。

つまり『腹八分である』ことが、迷い、怒り、欲に対して機能するのです。


拒絶するのも、貪るのも、どちらも離れなくてはならないというのは、これは、味わいが保たれているか、つまり、意識が参加しているかどうかが、問われているのであります。

私が飲まれなければ、どんだけ、飲んでもOKということです。

健康面は知りませんがね。


自己が麻痺に陥るということが、迷い、怒り、欲が、自己を喪失させる原因となっているので、中毒してはいけないということなのです。

それだから戒律があるわけですね。

だから自己が保たれた、つまり背面の自己がしっかりと立った上で、味わうのならば、それは瑞々しさ、清々しさを必ず伴うのであります。

「清々しさ」が無くなるまでに成らないように、欲の働きを抑制するだけですね。

欲はあって当たり前なんです!

なかったら、もう、この世にいないでしょう。

まあ、生きている限り、迷い、怒り、欲はあって当たり前ですが、それが、自分を乗っ取ったら負けということですよ。

自分が乗りこなしているのであれば、無問題なのです。

それを意識している、自覚できている場合は、あってもいいんです。


『一挙手一投足』という言葉がありますが、これが普段は、見失われているのですね。

これは「動作」だけではなく「感情」や「思考」の『一挙手一投足』もあるわけですが、これらを自覚するには、背面の自己が機能していなくてはならない。

この、背面の自己とは、宇宙や他者を照らし出す感受体、感光体なのだ。

今、目の前にある自然、事実は、実は、この人間の内部にあるのである。

外ではなく内なのです!

通常の常識とは、逆ですが、それが本当です。


外には心がある。

この心と自然を分離させているのが自我の働きの作用なのである。

この外の心と内の自然が合体すること、融合すること、愛し合うことを覚醒と言っているだけの事なのだ!

本来は、最初から、この感光版やら、感情遮断体やらが、機能しているのだが、自我に張り付いた真我の反映である心が、区分、差別された、自我の活動、肉体のみが自分だと思い込んで、社会教育(洗脳)によって、実際の、全一なる自己を見失っているのである。

ここの事実としての、眼前のリアルなる風景。

この風景の側が、自分を生きているのである。

最初ッから!!!!


その自分というのは、常に独りでありながら、この独りは、森羅万象と等しいのだ。

ですから、三千大千世界は一塵埃の中にあるのです。

あなたは、普段、あなたが認識しているところのエゴとしての私ではなくて、もっと偉大なる働きをする宇宙大の機構なのである。

○が宇宙だとしてその横に同じ規模の○があり、その○と○が接している点が肉体である個人としてのあなたなのである。

この点は、思量が及ばないほどの超絶巨大でもあり、超絶微小でもあるのです。

○○


8の字を横に倒すと、真ん中の線があるが、この線が、自我の正体ですよ。

左が自然界、右が心霊界で、これは相似しています。

この分裂した○と○が、意識の中で、ひとつになることが覚醒なのです。

実際は、この線は存在していないのであるが、この線があるお陰で、不思議に無量であるあなたが、この奇跡の世界を堪能できるのである。

この線の意味を、深く、考えてみてください!!!!


これが宇宙を貫き、時間を貫いているあなたの、真我の反映だ。

この垂直の光の元(魂)は、なんと、あなた自身の胸の奥に眠っているのである。


ですから、他者は背面にもいるのですwwwww

というか、実際、背面の他者こそが、あなたと人を分けている。

あなただけの感情なのである。

これを高次感情中枢と名づけた人がいる。

そして、これと、光としての自己が、同時に作用することで、あなたは迷い、怒り、欲を物質として捉えながら、これらを利用して自己を完成させることができる。

『純粋な私』を『自我の終焉』を達成できるのである。


それは、まあ、単に、僕が玄関脇で煙草を吸いながら、ふっと消えたということと全く同じことなのです。

大げさに書いたのに、これだけなのです。

なんかこう、いろいろと凄いことの様になってしまっていますが、書いていると比較と想像が入るので、そうなるのですが、事実としてのあなたを認識したら、あなたは、

「えっ、こんだけのこと??」と言うのです(大爆笑)

今、ある事実は、これは、誰も離れることが無く、差別も無く、単にあるのです。

地球は丸いというのと一緒です。

努力や修行とは、教えや宗教とは、無関係なのです!


目で見える太陽と惑星と地球と月は、これは、実は、あなたの中に、内側にあるのです。

不可視の太陽が、世界の、次元の、外側にある。

まあ宇宙空間に光を放つ恒星のように、我々は、存在している可能性があるんですが、このあたりは研究中なので、まだハッキリとはしません。

文字通りに、宇宙の惑星体が、アストラル体かもしれませんが、まだ未確認です。


でもね、言いたいのは。

これらの想像も含めて、存在する一切のものは、最初からあるのです。

雑草でも石ころでも、生きているもの一切は、あなた自身なのですwwwww

これらの最初からある、目の前の風景の側が、どんな次元であれ、あなたなのですよ!!!!

あなたが如来、自然、そのものなのです。

例え、7次元まで行ったとしても、そんなことは、関係ないのです。

眼前の風景に、ふっ、と消えれば、それだけで終わりです。


ただ、そんだけ。

究極秘儀「眼差し」の伝動w

2015-03-19 14:52:00 | 日記
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こんにちは。

今日は13時50分ごろに起してもらいました。

朝からテンションの超高い妻(千鶴)

僕は寝起きのボーっとした感覚なのでイラッとが胸にきた、笑

すかさず胸に留め置いて、忘れ、洗面と座禅15分です。

洗面をしていると、なんやかんやと甲高く騒ぎながら、洗濯物のポケットを見て欲しいと要求がきたので見てあげる。

このタイミングでも、イラッとしそうになったが、これも簡単に、止められる。



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これらは事前に観察できていたから不意を突かれてないんだよね(笑い)

事前に準備できていたら、結構、対応できるものだ。

問題は不意打ちの、恐怖、身体防御のための怒りが来たときである。


それから座禅をしているときも、悠聖が、録画した教育テレビを見ている音が流れてきて、なんか妻もガヤガヤと騒いでいるのが分かる。

何か今日は機嫌いいなあ千鶴さんw

座禅には、あんまり集中できなかったが、まあ、こんなもんだろう。

姿勢を正して座ることが楽しみなのだから、それだけでもいいのだ。

とにかく長期間、続けることが大事だと分かっている。

もちろん、清々しい気持ちに成れれば、それに越したことはないが、良くても悪くても、決められた時間、体験していることがいいのだ。


座禅を終えるとブラック珈琲を淹れて読書だが、悠聖が外へ出たがる。

でも雨が降っているので、少し玄関脇だけ抱っこしてあげて戻ります。

朝から鼻が詰まっているようなので、綿棒で取ってあげる。

そのあいだ必死の抵抗でギャン泣きします。

歯磨きの時もそうですが、メッチャ抵抗激しいwww

まあ、段々と慣れてくるものなのだろうか。


雨が降っているのを眺めながら、煙草&珈琲で読書タイムです。

枯れ木と緑樹を見比べながら、どちらも、素晴らしいなあと思います。

シトシト降る雨には、雨の良い雰囲気があって、落ち着ける。

こうやってボーっとしてると、幸せだよね。


で、家へ戻ってブログ更新をしています。

ああ、千鶴さんが昨日の楽天1位キャラメルを持ってきてくれた。

なんでも貝殻のパスタをキャラメルにしたらしいが、変わってるなあ。

まあ、なんでも個性で競争していく社会だからねwwwww

美味しかったです。


さて、まあ、なんか感情面の戦いも、起動に乗ってきたのですが、ここで価値判断に傾きそうな思考の問題が出てきています。

つまり、あーだ、こーだと言い出しているのです(爆笑)

もちろん、良い時と悪い時があって当たり前なのですが、落ち着いて怒りのない状態でない時に他者の怒りなんかを見ると、裁いているのです。

この病も捨てなくてはいけない。

感情が落ち着いてくると他者の内面状態がよく見えるようになって、ああ、この人は、今、落ち着きなく攻撃性(怒り)に支配されているが、自覚できていないなとか、ああ、あの人は今、空想の中で「思い」を膨らませて、あれこれ逃げているなとか、判断して、その相手を、どうしょうもないなあ、アンタとか思ってしまう。

分別、評価、つまり価値判断です。

ちょっと分かってきたのですが、自分が落ち着いてくると、他者の感情と首筋の後ろくらいで繋がっているのが分かります。

ここがすごく敏感なので、相手のアストラル波動に影響されるのです。

察知して、恐怖して、防御して、イラッとして、怒りですwwwww

察知して、安心して、考えずに、笑って、幸せなのです。

しかし、自覚の出来ない人が、ほとんどなので、自分がなぜ不機嫌に落ち着きがなくなっているのか分からずに、他者に攻撃的になっている人がほとんどであります。

自分が、そこに敏感に触れているのは、感情体の、まあ呼吸、空気の伝導なわけですが、
それが、同じ空間で距離が近づくとビンビンと引き合ったり、拒絶しあったありする。

拒絶しあうと怒りであり、引き合うと笑いなのです。


では、この、攻撃的他者と遭遇している環境で、どうあるかが問題ですね。

もちろん、まずは、自己が落ちるために、感情ストップの秘儀を実行するわけですが、そこで自己が泣き崩れて、落ち着いてくると、他者の攻撃性をスルー出来ます。

完全無視できるのです!

ちなみに、ブログを毎日読んでくれていない、あなたに説明しますと、感情ストップというのは、胸の上部の不快感の地点で、怒りを止め、そこから自己内部に発展させず、内的自己自体を消失させるという秘儀ですよ。

これで、あなたも秘儀参入者になれるかもしれません(爆笑)


まあ、それはいいとして、落ち着いてみると、他者は、自分をとても注目していることが分かってきます。

あなたが攻撃的他者の注意をとても惹いているのです。

めっちゃ愛されているのですwwwww

もちろん、それをしている他者には、全く自覚はありませんがね・・・・・・orz


そうして、この他者の「注意している力」があなたの「察知能力」を刺激して、首筋の後ろから敏感に、本能的恐怖を刺激しているのです。

監視されているような恐怖が、自由とリラックスを妨げ、怒りとなって胸に着きます。

しかし、ここで、感情ストップの業を行使している間に、この他者の攻撃性は露になってきて、正体が分かりますね。

ここで、こう考えましょう!


そんなにオレを愛するんじゃないよ(大爆笑)


まあ、それは冗談として、この他者の注意は、依存症であり、構って欲しい、助けて欲しい、私を僕を、何とかして欲しいという欲求、もしくは、あなたが、私の僕の、個人的自尊心や虚栄心を満足させる態度を示して欲しいということなのです。

まあ、愛されていたいわけですね。

ハッキリと言ってしまうと、そこに病的なものが含まれているのですが、そこをスルーして、相手は、問題ないと思うことにするのがいいのかもしれません。

ここは、まだ、実験段階ですよ!?


攻撃的他者は、あなたの動きによって、自己評価が揺らぐために、そんなにも敏感に注意を張り巡らせているわけであります。

しかし、自分自身も他者の動きによって揺らぐと、たちまち喧嘩というか、怒りから裁くような区別、差別が生まれてしまいます。

もしくは、哀れに思って、相手にしなくなります。


今度は、感情の問題ではなく、思考中枢の比較問題が関与してきているのです。

ここで第2段階の超絶秘儀「愛してあげる」が出てきますwww

この「愛してあげる」は注意の向け方なのです。

まず、自己が落ちた上での、超高度な技なので、僕には、まだできません(苦笑)

未完成な依存的他者を緑樹として、完成した自覚的他者を枯れ木だと見ましょう。

そうすると、どちらも味がある。

雨が降ったり、太陽が昇ったりする中で、土の養分や、風や、昆虫達に囲まれて、成長していく木々は、それぞれに違う顕現を見せるのだが、そこに味(個性)がある。


現在「依存的」である攻撃的他者に慈悲を向けるというのは、その、悲しみを慈しんであげるような眼差し、つまり「注意」を他者に当てることなのである。

この「注意している力」は「気にしている」という個人的感情とは全く違います。

完全に、アストラル攻撃を無視した上で、自己からの憐れみを他者に向けているのです。

この向けられた注意は、他者の、反応とは無関係なのです。


って、まあ、これは完全に、想像入ってしまったなあ、今日は・・・・・・、笑

この思考の価値判断の部分を除外した注意の力、眼差しの力が、グルジェフさんの獲得した超人的能力なのであります。

見方の問題なのです。

この「見方」「眼差しの向け方」が、自己中心でもなく、他者中心でもなく、天から流れ来る、高次感情中枢への刺激「悲しみの粒子」から発せられるということなのだ。

それが慈しむということの意味なのである。

この悲しみの粒子は、自己が落ちた時に生まれ、そうして、そこから他者を見た時に、また自己と同じように「自尊心」「虚栄心」に足掻く、その姿に、自己の経験からくる推測が始まり、価値判断を外すことで、同じ、天の魂である隣人の「苦」に対して、心の底から、同情してくることなのである。

魂を、つまり、表面ではなく、自覚されていないであろう心の奥へと眼差しを向けてあげることなのだが、まあ、これは、実践されてないので、確証はありませんw


とにかく思考の比較での評価に繋がる前にストップして、無自覚な感情の奥を見抜いていくことなのである。

アストラルの動き、その向こうに、重心の磁力的働きが作用しているのだ。


たぶんね(ごめんw)

心理的苦しみ(恐怖)に居座って、禅!

2015-03-18 15:06:48 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。



こんにちは。

本日は午後2時に起床しました豊田です。

居間へ出て、見渡すと誰もいない。

あれ、千鶴さんはどこだろう?

ハッ!

昨日は起されて怒ったので、何も言わずに悠聖と散歩へ行ったのかもしれない。

シーンと静まった家の中で、洗面をして、座禅を15分します。



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静かに座っているとガヤガヤと賑やかなる女性の声がする。

「こんにちは」

「おじゃましまーす!」

と4、5人の方々が、ゾロゾロと母親の家を訪れているようだ。

ここで、めちゃめちゃ注意を惹かれてしまいます(苦笑)

気合を入れてリラックスして、そのままで、胸、胸とか集中していたら、肝心の、体を忘れてしまっていた(爆笑)

どうも落ち着きのない中で、今日も座禅を終えます。


いつもの如く、ブラック珈琲を淹れて、玄関脇へと読書に向かう。

母親の家の窓が開かれているので、先程の女性達との会話がちらほら聞こえてくるが、どうも、父親の介護のことに関して話しているようだ。

健康な息子が、煙草を吹かして、読書をしているのに、他の方々に介護をしてもらっているという申し訳ない気分で逃げ隠れしようかと思ってしまう・・・・・・orz

極めて情けない我ですw

そのまんま読書を続けていると「ただいま~」と千鶴さんが帰ってきた。

見ると買い物袋を2つ抱えている。

「買い物に行ってたの?」

僕はてっきり悠聖と散歩へ行っていると思っていたので、珍しく一人で買い物へ行ったのかなと不思議な感覚になる。

「うん、オトンもおるでなっ」

ああ、勢和多気のご両親が、遊びに来てくれたのか。

と、思っている内に、お母さんが見えたのでご挨拶します。

「怒るとアカンで、起さないでおいたからね!」と千鶴さんが嫌味っぽく言うw

こりゃ、なんとなく攻撃されている気分になるねえ。

そんなガヤガヤとした雰囲気の中で、読書を終え、ブログの更新をしています。


悠聖も多気のお父さんと帰ってきて、ワンワンと泣いていたが、遊んでもらって、落ち着いたようだ。

最近は、外に出ることが好きで、家の中に入ると、よく泣いている。


ブログを書き始めていると、千鶴さんがキャラメルを「お土産」と言って見せに来た。

どうも『鈴鹿ベルシティ』に、買い物に行っていたらしく、そこで楽天で1位とかいうキャラメルを試食して惚れ込んだようだ。

「僕は甘いもの食べてないよ」と言うと「まあ1個、2個なら大丈夫でしょ!」

「それくらいなら大丈夫かなあ」


さて本日は、実践しだした『感情ストップ』の効能について書きたいと思います。


これは、社会、他者から向けられた心理的不快感や、本能、性の働きから来る不快感を胸の上部にある感覚として捉えた瞬間でストップして、内面にある自己へと発展させないというテクニックであります。

昨日から、この感情の苦との直面を開始しているのだが、たった1日で、もう泣きそうになり、更に、なんかこう悲しくもなり、自分が落ちるってこういうことか! と、納得もしてきて、逃げ出したくなっています(爆笑)

これ、絶対無理だよね!?

無理、無理、これは無理に決まっている。

なんか方法を間違えているのではないか、掴まるところ、逃げるところ、隠れるところがあるのではないか。

と、何度も、自己内部だけの「思い」でアチコチの空想へと逃げ出して「方法」を考えていた、軟弱なる僕・・・・・・orz

これは「どうすれば病」との戦いでもあったのですね(苦笑)


しかし、リアルに「自尊心や虚栄心」を見るのは、マジで苦しい、キツイ。

ヤバイっw

「人に威張りたい」とか「オレは正しい」とか「約束を守っている」とか、なんだかんだと超勝手なる思い込みを抱えながら、反発している自分が、これでもかと認識される。

他者や自然に怒っているのは、完璧に、自分の性なのだ(大爆笑)

それを感覚の段階で無理矢理ストップさせようとすると、泣き崩れそうになる。

何かこう、子供の頃に苛められてワーンと大泣きしていた時のように、顔面が熱くなって泣き崩れそうになってくるのだ。

さすがに大人なので、それはしないのですが、気分的に、こう、なんともならない苦しさ、情けなさに晒されます。

この「こころの穢れ」が崩壊するまで踏ん張るのだ!!!!

そこを突き抜けると「悲しみ」のような「落ち込み」のような状態になって、どうも落ち着いてくるのだが、これが『諦めの境地』かもしれない。

確かに、落ち着いて静かな「こころ」になっている。

リアルなる事実に敗戦後の主人公のような、そんな、感覚である。


これは苦しみを、苦しみのままに受け取ることだろう。

肉体的感覚、もしくは社会(他者)からの心理的不快感→本能、または過去の記憶からくる恐怖の誘発→怒りの胸への突き上げ→エゴの壁(緩衝器)の発動→脳内爆発(理性喪失)となっているのだが、このエゴの壁から脳内爆発の作用を観察して止めるのだ。

実際の感覚としては、怒りが胸の上部で、苦しみの感覚のまま、止められている。

そこから内部へと展開しようとする、愚痴、やら、批判に、絶対行かせないのである。

目の前の事実の中に、無理矢理、自己を出そうとしている。

自己の内部活動を消失させる。

これは効果覿面すぎて、速攻で、逃げ出したくなりますwwwww

苦しみを苦しみのままに受け止めるのが「ワーク」つまり「仕事」だなと思いました。

肉体の労働だけではなく心の仕事も毎日の生活全体に含まれていたのだ。

仕事したのは肉体と心と頭でなければならない。

全部が参加して、初めて、人間であるとグルジェフさんは言ったのである。


人間としての義務ではないと思っていたら、どうしても個人的自尊心から、嫌になってしまうに決まっている。

休むほうが楽に決まっているのだから怠惰の習慣に陥るだろう。

まあでも、自己を主張したくてしかたがない、子供のような、この自分自身が、落ちるための心理的ストレスは、そこら中に無料で転がっているではないか(爆笑)

こころの苦しみが全部それだ。

『苦』自体が、苦を滅尽させるための栄養素なのだwwwww

だから文字通り、非常に苦しい戦いだが、超えていくためには、苦しみを苦しみのままに、恐怖を恐怖のままに、そこにいるしかないだろう。

苦から、外れる、逃げる、隠れるというのが、脳内妄想なのであり、クンダバッファの「緩衝器」の正体なのである。

それが性的妄想やら、他者批判に繋がっているのだ。

これを『愛の欠如』と言うのである。

苦しみのままに、恐怖のままに、ここで開き直って生きる。

あるがままの自己が、今、ここに存在することでしかワークできないのである。

情けない自己を炙り出さなくては、真の人間、誠実な人間にはなれないようなのだ。

それでは、だめまのように『嘘』を生きる人になる。

他者は自己の弱点を常に突いてくれているのだから、自尊心や虚栄心のある間は、嫌なことばかりあって当たり前なのである。

苦しみは、乗り越えるべき、壁、破壊すべき空想なのだ。

生きて、超えるまで、永遠に与え続けられる、創造主の恩恵であるわけだ。


というわけで、僕、個人の、内面での密かなる幸福にとっては、恐ろしくも腹立たしいことではあるが、自我活動の落ちる「悲しみ」に触れるために『不快感』を胸の感覚でストップさせ、外に出るという『秘儀』に今日も挑戦していかなければいけないのでした。