・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんにちは。
今日は13時50分ごろに起してもらいました。
朝からテンションの超高い妻(千鶴)
僕は寝起きのボーっとした感覚なのでイラッとが胸にきた、笑
すかさず胸に留め置いて、忘れ、洗面と座禅15分です。
洗面をしていると、なんやかんやと甲高く騒ぎながら、洗濯物のポケットを見て欲しいと要求がきたので見てあげる。
このタイミングでも、イラッとしそうになったが、これも簡単に、止められる。
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これらは事前に観察できていたから不意を突かれてないんだよね(笑い)
事前に準備できていたら、結構、対応できるものだ。
問題は不意打ちの、恐怖、身体防御のための怒りが来たときである。
それから座禅をしているときも、悠聖が、録画した教育テレビを見ている音が流れてきて、なんか妻もガヤガヤと騒いでいるのが分かる。
何か今日は機嫌いいなあ千鶴さんw
座禅には、あんまり集中できなかったが、まあ、こんなもんだろう。
姿勢を正して座ることが楽しみなのだから、それだけでもいいのだ。
とにかく長期間、続けることが大事だと分かっている。
もちろん、清々しい気持ちに成れれば、それに越したことはないが、良くても悪くても、決められた時間、体験していることがいいのだ。
座禅を終えるとブラック珈琲を淹れて読書だが、悠聖が外へ出たがる。
でも雨が降っているので、少し玄関脇だけ抱っこしてあげて戻ります。
朝から鼻が詰まっているようなので、綿棒で取ってあげる。
そのあいだ必死の抵抗でギャン泣きします。
歯磨きの時もそうですが、メッチャ抵抗激しいwww
まあ、段々と慣れてくるものなのだろうか。
雨が降っているのを眺めながら、煙草&珈琲で読書タイムです。
枯れ木と緑樹を見比べながら、どちらも、素晴らしいなあと思います。
シトシト降る雨には、雨の良い雰囲気があって、落ち着ける。
こうやってボーっとしてると、幸せだよね。
で、家へ戻ってブログ更新をしています。
ああ、千鶴さんが昨日の楽天1位キャラメルを持ってきてくれた。
なんでも貝殻のパスタをキャラメルにしたらしいが、変わってるなあ。
まあ、なんでも個性で競争していく社会だからねwwwww
美味しかったです。
さて、まあ、なんか感情面の戦いも、起動に乗ってきたのですが、ここで価値判断に傾きそうな思考の問題が出てきています。
つまり、あーだ、こーだと言い出しているのです(爆笑)
もちろん、良い時と悪い時があって当たり前なのですが、落ち着いて怒りのない状態でない時に他者の怒りなんかを見ると、裁いているのです。
この病も捨てなくてはいけない。
感情が落ち着いてくると他者の内面状態がよく見えるようになって、ああ、この人は、今、落ち着きなく攻撃性(怒り)に支配されているが、自覚できていないなとか、ああ、あの人は今、空想の中で「思い」を膨らませて、あれこれ逃げているなとか、判断して、その相手を、どうしょうもないなあ、アンタとか思ってしまう。
分別、評価、つまり価値判断です。
ちょっと分かってきたのですが、自分が落ち着いてくると、他者の感情と首筋の後ろくらいで繋がっているのが分かります。
ここがすごく敏感なので、相手のアストラル波動に影響されるのです。
察知して、恐怖して、防御して、イラッとして、怒りですwwwww
察知して、安心して、考えずに、笑って、幸せなのです。
しかし、自覚の出来ない人が、ほとんどなので、自分がなぜ不機嫌に落ち着きがなくなっているのか分からずに、他者に攻撃的になっている人がほとんどであります。
自分が、そこに敏感に触れているのは、感情体の、まあ呼吸、空気の伝導なわけですが、
それが、同じ空間で距離が近づくとビンビンと引き合ったり、拒絶しあったありする。
拒絶しあうと怒りであり、引き合うと笑いなのです。
では、この、攻撃的他者と遭遇している環境で、どうあるかが問題ですね。
もちろん、まずは、自己が落ちるために、感情ストップの秘儀を実行するわけですが、そこで自己が泣き崩れて、落ち着いてくると、他者の攻撃性をスルー出来ます。
完全無視できるのです!
ちなみに、ブログを毎日読んでくれていない、あなたに説明しますと、感情ストップというのは、胸の上部の不快感の地点で、怒りを止め、そこから自己内部に発展させず、内的自己自体を消失させるという秘儀ですよ。
これで、あなたも秘儀参入者になれるかもしれません(爆笑)
まあ、それはいいとして、落ち着いてみると、他者は、自分をとても注目していることが分かってきます。
あなたが攻撃的他者の注意をとても惹いているのです。
めっちゃ愛されているのですwwwww
もちろん、それをしている他者には、全く自覚はありませんがね・・・・・・orz
そうして、この他者の「注意している力」があなたの「察知能力」を刺激して、首筋の後ろから敏感に、本能的恐怖を刺激しているのです。
監視されているような恐怖が、自由とリラックスを妨げ、怒りとなって胸に着きます。
しかし、ここで、感情ストップの業を行使している間に、この他者の攻撃性は露になってきて、正体が分かりますね。
ここで、こう考えましょう!
そんなにオレを愛するんじゃないよ(大爆笑)
まあ、それは冗談として、この他者の注意は、依存症であり、構って欲しい、助けて欲しい、私を僕を、何とかして欲しいという欲求、もしくは、あなたが、私の僕の、個人的自尊心や虚栄心を満足させる態度を示して欲しいということなのです。
まあ、愛されていたいわけですね。
ハッキリと言ってしまうと、そこに病的なものが含まれているのですが、そこをスルーして、相手は、問題ないと思うことにするのがいいのかもしれません。
ここは、まだ、実験段階ですよ!?
攻撃的他者は、あなたの動きによって、自己評価が揺らぐために、そんなにも敏感に注意を張り巡らせているわけであります。
しかし、自分自身も他者の動きによって揺らぐと、たちまち喧嘩というか、怒りから裁くような区別、差別が生まれてしまいます。
もしくは、哀れに思って、相手にしなくなります。
今度は、感情の問題ではなく、思考中枢の比較問題が関与してきているのです。
ここで第2段階の超絶秘儀「愛してあげる」が出てきますwww
この「愛してあげる」は注意の向け方なのです。
まず、自己が落ちた上での、超高度な技なので、僕には、まだできません(苦笑)
未完成な依存的他者を緑樹として、完成した自覚的他者を枯れ木だと見ましょう。
そうすると、どちらも味がある。
雨が降ったり、太陽が昇ったりする中で、土の養分や、風や、昆虫達に囲まれて、成長していく木々は、それぞれに違う顕現を見せるのだが、そこに味(個性)がある。
現在「依存的」である攻撃的他者に慈悲を向けるというのは、その、悲しみを慈しんであげるような眼差し、つまり「注意」を他者に当てることなのである。
この「注意している力」は「気にしている」という個人的感情とは全く違います。
完全に、アストラル攻撃を無視した上で、自己からの憐れみを他者に向けているのです。
この向けられた注意は、他者の、反応とは無関係なのです。
って、まあ、これは完全に、想像入ってしまったなあ、今日は・・・・・・、笑
この思考の価値判断の部分を除外した注意の力、眼差しの力が、グルジェフさんの獲得した超人的能力なのであります。
見方の問題なのです。
この「見方」「眼差しの向け方」が、自己中心でもなく、他者中心でもなく、天から流れ来る、高次感情中枢への刺激「悲しみの粒子」から発せられるということなのだ。
それが慈しむということの意味なのである。
この悲しみの粒子は、自己が落ちた時に生まれ、そうして、そこから他者を見た時に、また自己と同じように「自尊心」「虚栄心」に足掻く、その姿に、自己の経験からくる推測が始まり、価値判断を外すことで、同じ、天の魂である隣人の「苦」に対して、心の底から、同情してくることなのである。
魂を、つまり、表面ではなく、自覚されていないであろう心の奥へと眼差しを向けてあげることなのだが、まあ、これは、実践されてないので、確証はありませんw
とにかく思考の比較での評価に繋がる前にストップして、無自覚な感情の奥を見抜いていくことなのである。
アストラルの動き、その向こうに、重心の磁力的働きが作用しているのだ。
たぶんね(ごめんw)
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僕は寝起きのボーっとした感覚なのでイラッとが胸にきた、笑
すかさず胸に留め置いて、忘れ、洗面と座禅15分です。
洗面をしていると、なんやかんやと甲高く騒ぎながら、洗濯物のポケットを見て欲しいと要求がきたので見てあげる。
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事前に準備できていたら、結構、対応できるものだ。
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それから座禅をしているときも、悠聖が、録画した教育テレビを見ている音が流れてきて、なんか妻もガヤガヤと騒いでいるのが分かる。
何か今日は機嫌いいなあ千鶴さんw
座禅には、あんまり集中できなかったが、まあ、こんなもんだろう。
姿勢を正して座ることが楽しみなのだから、それだけでもいいのだ。
とにかく長期間、続けることが大事だと分かっている。
もちろん、清々しい気持ちに成れれば、それに越したことはないが、良くても悪くても、決められた時間、体験していることがいいのだ。
座禅を終えるとブラック珈琲を淹れて読書だが、悠聖が外へ出たがる。
でも雨が降っているので、少し玄関脇だけ抱っこしてあげて戻ります。
朝から鼻が詰まっているようなので、綿棒で取ってあげる。
そのあいだ必死の抵抗でギャン泣きします。
歯磨きの時もそうですが、メッチャ抵抗激しいwww
まあ、段々と慣れてくるものなのだろうか。
雨が降っているのを眺めながら、煙草&珈琲で読書タイムです。
枯れ木と緑樹を見比べながら、どちらも、素晴らしいなあと思います。
シトシト降る雨には、雨の良い雰囲気があって、落ち着ける。
こうやってボーっとしてると、幸せだよね。
で、家へ戻ってブログ更新をしています。
ああ、千鶴さんが昨日の楽天1位キャラメルを持ってきてくれた。
なんでも貝殻のパスタをキャラメルにしたらしいが、変わってるなあ。
まあ、なんでも個性で競争していく社会だからねwwwww
美味しかったです。
さて、まあ、なんか感情面の戦いも、起動に乗ってきたのですが、ここで価値判断に傾きそうな思考の問題が出てきています。
つまり、あーだ、こーだと言い出しているのです(爆笑)
もちろん、良い時と悪い時があって当たり前なのですが、落ち着いて怒りのない状態でない時に他者の怒りなんかを見ると、裁いているのです。
この病も捨てなくてはいけない。
感情が落ち着いてくると他者の内面状態がよく見えるようになって、ああ、この人は、今、落ち着きなく攻撃性(怒り)に支配されているが、自覚できていないなとか、ああ、あの人は今、空想の中で「思い」を膨らませて、あれこれ逃げているなとか、判断して、その相手を、どうしょうもないなあ、アンタとか思ってしまう。
分別、評価、つまり価値判断です。
ちょっと分かってきたのですが、自分が落ち着いてくると、他者の感情と首筋の後ろくらいで繋がっているのが分かります。
ここがすごく敏感なので、相手のアストラル波動に影響されるのです。
察知して、恐怖して、防御して、イラッとして、怒りですwwwww
察知して、安心して、考えずに、笑って、幸せなのです。
しかし、自覚の出来ない人が、ほとんどなので、自分がなぜ不機嫌に落ち着きがなくなっているのか分からずに、他者に攻撃的になっている人がほとんどであります。
自分が、そこに敏感に触れているのは、感情体の、まあ呼吸、空気の伝導なわけですが、
それが、同じ空間で距離が近づくとビンビンと引き合ったり、拒絶しあったありする。
拒絶しあうと怒りであり、引き合うと笑いなのです。
では、この、攻撃的他者と遭遇している環境で、どうあるかが問題ですね。
もちろん、まずは、自己が落ちるために、感情ストップの秘儀を実行するわけですが、そこで自己が泣き崩れて、落ち着いてくると、他者の攻撃性をスルー出来ます。
完全無視できるのです!
ちなみに、ブログを毎日読んでくれていない、あなたに説明しますと、感情ストップというのは、胸の上部の不快感の地点で、怒りを止め、そこから自己内部に発展させず、内的自己自体を消失させるという秘儀ですよ。
これで、あなたも秘儀参入者になれるかもしれません(爆笑)
まあ、それはいいとして、落ち着いてみると、他者は、自分をとても注目していることが分かってきます。
あなたが攻撃的他者の注意をとても惹いているのです。
めっちゃ愛されているのですwwwww
もちろん、それをしている他者には、全く自覚はありませんがね・・・・・・orz
そうして、この他者の「注意している力」があなたの「察知能力」を刺激して、首筋の後ろから敏感に、本能的恐怖を刺激しているのです。
監視されているような恐怖が、自由とリラックスを妨げ、怒りとなって胸に着きます。
しかし、ここで、感情ストップの業を行使している間に、この他者の攻撃性は露になってきて、正体が分かりますね。
ここで、こう考えましょう!
そんなにオレを愛するんじゃないよ(大爆笑)
まあ、それは冗談として、この他者の注意は、依存症であり、構って欲しい、助けて欲しい、私を僕を、何とかして欲しいという欲求、もしくは、あなたが、私の僕の、個人的自尊心や虚栄心を満足させる態度を示して欲しいということなのです。
まあ、愛されていたいわけですね。
ハッキリと言ってしまうと、そこに病的なものが含まれているのですが、そこをスルーして、相手は、問題ないと思うことにするのがいいのかもしれません。
ここは、まだ、実験段階ですよ!?
攻撃的他者は、あなたの動きによって、自己評価が揺らぐために、そんなにも敏感に注意を張り巡らせているわけであります。
しかし、自分自身も他者の動きによって揺らぐと、たちまち喧嘩というか、怒りから裁くような区別、差別が生まれてしまいます。
もしくは、哀れに思って、相手にしなくなります。
今度は、感情の問題ではなく、思考中枢の比較問題が関与してきているのです。
ここで第2段階の超絶秘儀「愛してあげる」が出てきますwww
この「愛してあげる」は注意の向け方なのです。
まず、自己が落ちた上での、超高度な技なので、僕には、まだできません(苦笑)
未完成な依存的他者を緑樹として、完成した自覚的他者を枯れ木だと見ましょう。
そうすると、どちらも味がある。
雨が降ったり、太陽が昇ったりする中で、土の養分や、風や、昆虫達に囲まれて、成長していく木々は、それぞれに違う顕現を見せるのだが、そこに味(個性)がある。
現在「依存的」である攻撃的他者に慈悲を向けるというのは、その、悲しみを慈しんであげるような眼差し、つまり「注意」を他者に当てることなのである。
この「注意している力」は「気にしている」という個人的感情とは全く違います。
完全に、アストラル攻撃を無視した上で、自己からの憐れみを他者に向けているのです。
この向けられた注意は、他者の、反応とは無関係なのです。
って、まあ、これは完全に、想像入ってしまったなあ、今日は・・・・・・、笑
この思考の価値判断の部分を除外した注意の力、眼差しの力が、グルジェフさんの獲得した超人的能力なのであります。
見方の問題なのです。
この「見方」「眼差しの向け方」が、自己中心でもなく、他者中心でもなく、天から流れ来る、高次感情中枢への刺激「悲しみの粒子」から発せられるということなのだ。
それが慈しむということの意味なのである。
この悲しみの粒子は、自己が落ちた時に生まれ、そうして、そこから他者を見た時に、また自己と同じように「自尊心」「虚栄心」に足掻く、その姿に、自己の経験からくる推測が始まり、価値判断を外すことで、同じ、天の魂である隣人の「苦」に対して、心の底から、同情してくることなのである。
魂を、つまり、表面ではなく、自覚されていないであろう心の奥へと眼差しを向けてあげることなのだが、まあ、これは、実践されてないので、確証はありませんw
とにかく思考の比較での評価に繋がる前にストップして、無自覚な感情の奥を見抜いていくことなのである。
アストラルの動き、その向こうに、重心の磁力的働きが作用しているのだ。
たぶんね(ごめんw)
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