豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

ハートの奥にある小人

2014-07-31 07:16:42 | 日記
おはようございます。

リラックスした親密なる心を解放している皆様!


本日は6時前まで寝ていました豊田です。

座禅だけはしたいので起きてすぐに1時間座っていました。


すると、いつもは寝ている悠聖くんが、どうも近づいてきている様子です。

ごろんと転がりながら僕の膝元へやってきた。

そうして膝から足にかけてポンポンと手でたたいたり、ゴニョゴニョと喋っていますw




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横にある障子を蹴飛ばしたり、タイマーを持っていったりしました。


これは!


もしかしたら僕の設定したタイマーを解除するんじゃないだろうなあと考えていると「ピッ、ピッピッ」とタイマーを押す音が!

これはイカーンと目を開けて時間を見ると30分経過していました。

横を見ると千鶴さんが起きていたので、タイマーあと30分設定しておいてと依頼する。

もちろん悠聖の手の届かないところに置いてもらいました、笑。

途中でポンポン叩きながら「パーパー」と言ったときは、褒めてあげたくなってしまった。


と、色々と邪念? が入っていましたが、座禅効果は十分あります。

でも今日は時間が経つのが非常に長く感じてしまったw


さて「怒り」を鎮める作戦ですが、中々うまくいっていますよ。

やはり自分の欲望、願望、期待、等々が、怒りの原因になっているようです。

また予想に反する場合も怒りが出てきますね。

自分が相手の反応を予想しているのですが、それと違うと怒ってしまうのですw

まあ要するに「我がまま」な部分で怒ってしまう。


で、怒りの問題は、心の、胸の位置で麻痺した、緊張した心の防衛線が張り巡らされているというところですね。

この防衛線は常に緊張していて、周囲に対する警戒をしているのです。

あまりにも常に緊張しているために緊張していることにすら気が付いていないことに気が付いた、笑

で、この奥に小人がおるのです(爆笑)

胸の奥にですね、小さな感情君が慎ましやかに鎮座されておりました。


で、この感情君は防衛線(怒り)を排除すると出てくるのです。

この小人=感情君を捕まえているのは思考の気づきビームですね。

気づきビームが小人の感情君を捉えていると、めっちゃ深い感情状態になります。

一言でいうと「安心」です。


この小人君を見失わずに、常に「怒り防衛線」を意識します。

そして「怒り防衛線」は何と緊張感として、胸の位置に常にあらわれているのです。

怒る準備はできている!

というような感じで(爆笑)

この何もない時にでも張り巡らされている「緊張感」(怒り)を見て解消する。

小人の感情君を捉えて、ここで一緒に安心している。


これが怒りを解消するために、とてつもない効果を発揮しています。

もちろん不意を突かれて怒りが瞬間的に込み上げてくるのですが、その時は、緊張を見て、その奥にある感情君、小人の感情君に戻るのです。

怒りは発散すると、余計に駄目なようです。

発散するのではなく、もっと奥にある小人の感情君に帰ることで「癒す」のです。

癒すことでより「怒らなくなり」そうすると相手も「怒らなくなる」という素晴らしい状態になる。


みぞおちの奥に小さな可愛い反応体があると確認してみてください。

生まれ持った本質の心とはこの、奥にある反応体であるのではないだろうか。

それは小さな可愛い小人の感情君なのですw

味わい、と理解

2014-07-30 06:19:55 | 日記
おはようございます。

統一された完全なる心を生きている皆様!


本日も1時間座禅を遂行いたしました豊田です。

座禅を1時間行ったあとで『奇跡を求めて』の『知識・存在・理解』の章を読み切りました。

だいたい座禅と読書で2時間ですね。

なぜか今日も4時前に自然と目が覚めたのが不思議です。


ああ、そういえば!




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昨日は南くんから久しぶりに連絡があってお盆休みの予定など立てていました。

その時に、お世話になっている、ある先輩がブログ見つけたよと教えてくれましたのです、はい。

「アイツはアホか!? ブログやっとんのか」とのコメントいただきましたw

このマニアック化しつつあるブログも、知人に広まる可能性があるのだなあと改めて認識しました(笑い)


まあ、最初のころには、たくさんの人にメール連絡しましたが、たまには読みに来てくれてるのかなあ。


知人の方々、是非とも、ブログランキングのクリックもよろしくお願いします!(ぺこり)


えーっとですね……。

座禅はだんだんと効果が出てきましたが、これは続けないと意味がないですね。

道元さんが、只管打座で「ただ座る」ことが理解の元になると言っておられますが、これはグルジェフさんが知識と存在の両輪で人間は成長すると言っているのと同じですね。

昔、鈴木大拙さんという偉い禅僧が、ワークと禅は共通していると言ったそうですが、この日本の伝統文化である禅は是非とも知っておくべきだろうと思います。


『道元入門』という本が講談社現代新書から出ていますが、これはお薦めです。

なにせ分厚くないので、そんなに無理せず読めますし、全体像が把握できるので、これを読んでおくことで、だいたいはどういうものか分かるでしょう。


更に『正法眼蔵随聞記』という本が、これは永平寺に行ったときに購入したものですが、正統派な感じで読んでおくにはいいでしょうね。


あと、僕が読んだのは『臨済録』(山田無文著)ですが、これは価格が高いけど名著!

フカさんだったかな? 

っていうような名前の自由奔放な僧の逸話が楽しかった印象があります。

有名な「赤肉団上の一無位の真人、汝らの面門より出入りす!」はここにありますね。


その他、鈴木大拙さんの英語出版を纏めた『禅』は短くて読みやすいです。

インターネット上にも様々な人が書いていますので、これも参考になりますね。


で、こういった知識を手に入れても人間は成長しないとグルジェフさんは指摘します。

なぜなら自分に従って人は聞くことしかできないからです。

グルジェフさんのところには、たくさん人が訪問してきますが、だいたいの人は1回聞いたら、彼の考えを理解したと思い込んで、もう帰って行ったそうです。

「人間が眠っている? ああ、そんなことなら知っている。俺は目覚めているがね」といったところでしょうか(爆笑)


存在とは生存ではない


と彼が言うように、この肉体、感情体、思考体のバランスの中に出来上がっている人間の存在は、各人、非常に異なっているのです。

そして言葉や知識は、この存在のレベルに依存して、理解される。

であるからして、存在のレベル、知識のレベルのどちらが欠けても人間には害になるのです。

しかし、現代文明では知識の道はたくさんの人々が追及しています。

それに対して、存在の道は『忘れ去られた道』となってしまったのであります。

ですから、これから必ず人間の進化に関する「心理学」が世界を席巻するときが来るのですね。

まあもう始まっているとは思いますが、、、


存在というのは実地に理解するという意味です。

実際に知識を応用して、怒りの感情は胸にある緊張感であると見抜き、この緊張を解くことで誠実であるという状態を実際に、味わうということです。

この「感じて味わう」この「味わい!」

これがないと、いくら誠実と読んでも理解できるはずがありません。

誠実とは、心がどのような状態である時のことを指すのか味わったことがない人が、ああ理解したとはならない。

リンゴを食べたことがない人が、ああ、リンゴね、あの赤くて、丸い木の実のことだねと理解した気になるのが、知識の世界で生きる事なのです。


欲望と怒りを捨てる、また離欲と渇愛も同時に捨てると、どんな味がするのか。

祈りが現れるのですね。

この深い、安定した、真剣な、感情が奥にある良心を目覚めさせる。

これは感覚→感情→解放という流れに従っているのですが、これを知るには、知識を得て体験を得る。


知識は理解ではない!

これが本当に、本当に、リアルに知られたときに、人間は目覚める準備ができているのだ。

欲望を制する者は平安を得る

2014-07-29 06:22:29 | 日記
おはようございます。

妄想分別を捨て去って清涼の境地で平安にあられる皆様!


本日は3時半過ぎに起床しました豊田です。

早起きのお蔭で1時間の座禅と1時間の読書を楽しむことが出来ました。


1時間座禅は4日目に突入しましたが、体のバランスが非常に不味い状態です。

左半身が奇妙に曲がっているので垂直を維持することが難しく、また感覚が麻痺しているので、ここを寛がせるのも難しいという状況ですね。

続けるに従って、より不味い状態に気が付くのは、前回の15分瞑想でも同じでした。



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また妄想に引っ張られる時間が非常に長いという問題点も、よりハッキリします。

1時間は長いように思いますが、気が付いたら時間の流れが速く、すぐに終わってしまいます。

身体を回復させるにしたがって、汗が滲んできますね。

何事もやってみないと気が付かないものだということに非常に恐怖を感じます。


この気が付くというのは、自分ではいつも気が付いているつもりであるから、尚更、難しい。

いつも気が付いているつもりでいながら、眠りの中で、迷いの中で、リアリティから遠ざかっている。

極端に表現すれば「まるで死んでいるかのように生きている」のである。


読書の方は『スッタニパータ』の八つの詩句の章を読み切りました。

お釈迦様が激流と表現しているのは「貪欲」のことだったのですね。

貪りと怠惰のゆえに世間は輝かないという言葉は、違う章だったと思いますが、どこまで読んでも「欲望」を捨て去ることについての表現の違いになっています。

怒りに関しては、怒りと高慢を捨てよと書かれていたり、快、不快によって、これらが起こると書かれていたりします。

高慢とは辞書で調べたところ「人を侮って偉そうに振る舞う事」とあります。

このようにしていると、もちろん怒ることも増えるでしょう。


しかし怒りの問題は、自己と他者との人間関係の根幹に関わる問題です。

昨日から自分自身の欲望を持たないように意識していましたが、これは格段に効果がありました。

欲望が相手を刺激して、怒りを誘発させているのです。

欲望をソフトに言い換えれば、期待ということになるでしょう。

我がものにしたい、こうであってほしいと思っているだけで刺激する波動が生まれているのかもしれない。

また相手が怒った時には、この相手の煩悩を見て、この煩悩に慈悲を垂れるというのも効果があります。


誰もが「愛されたい、認められたい」「察してほしい」「大切に扱われたい」と『我』を主張しているのでありますね。

つまり『渇愛』しているわけです。

しかし、この相手の『煩悩』を見て、これを侮ったり、小馬鹿にしたり、批判してはダメです。

自分自身の中にも同じ『煩悩』がある。

この自分の中にある『煩悩』と他者の中にある『煩悩』は消えることはありません。

しかし、煽らなければ、貪らなければ、瞬時に起こっては消えていくものでしょう。

執着しなければいいということです。

まあ仏陀さんの受け売りですが、この煩悩に対する態度が『怒り』の原因でしょう。


この『怠惰と貪り』楽したい―欲しいの連携を、赤ちゃんをあやす様に「よしよし」してあげる。

しかし、正しい方向へ導かなくてはならないというわけです。


グルジェフさんの注目すべき人々の条件に、

他人の弱点に対して公正に辛抱強く対処できる人間という項目がありました。

これは感情中枢、怒りの問題に対処する項目ではないでしょうか。


自分自身も相手も、この欲求にたいする弱点をもっている。

自分の弱点を克服して、また相手の弱点を見ても『公正に対処する』ことだ。

公正とは?

ブッダさんの言う「世間で不正とされるいかなることも行ってはならない」という、この世間で不正とされるかどうかという基準に照らされることだろうか?

これも含まれるだろう。


このようにして自己と他者の『欲望』を見て、これを離れることである。

欲望は他者にもあるのだ。

この欲望は、誰にでもあるのであるが、これに反応せずにいることである。

相手の欲望を見て怒る、また自己の欲望が相手を怒らせる。

怒りを見て、また、怒る。

この連鎖を断ち切るには、現実的な公正なる態度であるだろう。


またこれらの欲望を消滅させるように、激流を渡り終えられるように、よく気を付けることである。


自己の内面にある『怠惰と貪り』を克服できたなら、あらゆる『怒り』の問題も解決されるだろう。

蓮の花の例えにあるように泥と水の中から棘のある茎を通して蓮の花が咲く。

この蓮の花は、泥水と棘のある茎から離れて咲くのである。

泥水とは肉体的欲望であり、棘のある茎とは感情的怒りであり、これらを離れて(成長して)花を咲かせるために人間は、ここにいるのかもしれない。

反応しあう煩悩!

2014-07-28 07:55:22 | 日記
おはようございます!

思いやりと優しさに溢れた自愛ある皆様。


本日も1時間の座禅を敢行しました豊田であります。


しかし、そのあと食事、オムツ替え、ミルク、洗面等々をしていましたら、時間がありませんw

僅か5分で、いや3分しかないw


仕方なく短文更新でいきたいと思います。


慈悲の心というのがある。




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この慈悲の心が怒りに対抗するものであると読みました。

小池龍之介さんの「もう、怒らない」という著作を昨日読んでいたのです。

それによると相手の煩悩と自己の煩悩が反応して怒りが生まれている。


僕の煩悩(欲望)を見た相手が怒り(煩悩)、それを受けた僕が怒る(煩悩)

という具合に、煩悩同士が延々と核反応を起こしているらしいのですね。


で、ここで「察してほしい」「愛されたい」「認められたい」という相手の煩悩を見て、ここに慈悲を垂れつつ、赤ちゃんを相手にするように、相手するといいらしい。


まあ時間がないので、今日はこの辺で!

今日も一日、生き切りましょう♪

怒りという超難題

2014-07-27 13:31:11 | 日記
こんにちは!

澄んだ透明性の中で、あらゆる存在を照らす皆様。


自治会の草刈手伝いと嫁様のお迎えという激務をしてきました豊田です。

現在は気分最悪の状況でブログの再更新をしようとしております!


アメーバのプロフィールをですね、書いたわけです。

これは携帯のメアドで登録してある奴で、嫁様は知らないはずなのです。

結構、多項目に渡る質問に答えたので、これを読んでほしいなあと思ったんですね。



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そうしたら、明らかに機嫌悪そうに「頭痛いから無理」と即拒否!

ムカーッ、となってしまったのであります。


悠聖くんは、ガラス戸を見つめながら興奮している。


ブログ書きながら「薬飲んだらとか、冷えピタ貼ったらとか、もう返事ないから救急車やな」

とか嫌味を言っていたら、家へ行きました。

僕はパソコンが壊れたので母親の家からブログを更新しています。


えーっと、朝の超開放的な気分はどこへ行った!?

というくらいネガティブエモーション全開になっております(爆笑)

これは、気分というのは、あれですね。

良くなったり悪くなったり、天気のように移り変わるようです。


この気分さんの調子に合わせていると非常に悪いことになるので冷静にしないといけません。

しかし相手がいる問題なので、非常に難しいですね。

うん!


思い出しましたが、前の前の職場ではしょっちゅう怒られていました。

怒られるには、もちろん原因があるわけですが、相手の上司は、この怒りパワーを遠慮なくブツケテこられるので僕も防御の範囲を遥かに超えてダメージを受けます。

このダメージを受けるのを見て、満足するのです。

前の職場の上司も、そうでしたね。

怒るのですが、中途半端な怒り方はしません。

徹底的にやるのです(爆笑)

それが、もう、鬼の形相とはこのことか!? というレベルでやられます。

もちろん怒るには、それなりの理由がキチンとありますよ。


また僕自身もこれらの波動に包まれると怒ります。

そして性懲りもなく今でも、数々の恥辱の瞬間を覚えているわけであります。


ここからが恐ろしいパターンなのですが、この怒られたことに対して、構えができます。

例えば「仕事は正確に効率的に」してほしい上司から怒られた場合。

この伝播した情報が作用して「仕事は正確に効率的に」しようとします。

すると、そうでない人に対して怒りが込み上げてくるのであります。

ああ、恐ろしや、恐ろしや。

つまり自分自身も、他の人に怒りパワーを発揮してしまうのです。


そのようにして緊急度のパラダイムが伝播すると『7つの習慣』の中にも書かれていました。


この怒りパワーは3毒の一つで、制することが必要です。

制するには状況に何も期待をしないことではないでしょうか。

だいたいにおいて他者との感情のぶつかり合いで、怒りが生まれるわけです。

僕がブログのプロフィール欄を見てほしいと期待するから怒りが生まれたでしょうw


単純ですが、ほとんど、これだけが激怒の原因です。

だから名著『7つの習慣』にも『期待を明確にしておく』という項目があるくらいです。


またブッダさんも『サイの角のように、ただひとり歩め』とおっしゃっています。

独りあることは他者に期待しないことになる。


しかし、自分が期待しなくても他者は期待しますよね?

これが難しくさせている原因ですよね。

自分は期待せずに、相手の期待には応えるとなるとストレス爆破必死!?


この近辺で何年もウダウダやっているのに答えが出ないとはどういうことだ、苦笑

期待の先を変える事だろうかと、今、思いつきました。

どのように期待を持てばよいのか、このところを追求してみようかな……。


確かグルジェフさんは外的考慮というアイデアを提供していましたね。

内側で考えずに、他者の欲求に従う事です。

そうなると期待の矛先を変えるというより、他者の欲求に従う事を何が妨害しているのかを考える方がいい。

しかし他者というのも、色んな人がいるので、特に今の社会、自分の身を守らなくては、いいなりになっていたら、それこそ終わってしまいます……。


ああ、難し!!!!