子どもの頃に、歌の歌詞を間違って覚えていたという話がよくある。
橘かおる、というのを人の名前と思っていたとか。
野中の薔薇を「夜中の薔薇」と思っていたとか。
こは、いかにを「怖い蟹」と思っていたとか。
わたしは、中学1年の時に「学生街の喫茶店」という歌を知ったのだが
ボブ・ディランをまったく知らなかったので「片隅で聞いていたボブ・ディラン」の意味が分からず
しかも歌の主人公たちが聞いていた音楽、という解釈もできず
ボブ・ディランという何かが、喫茶店の片隅で僕たちの話を聞いていた、という風に解釈した。
喫茶店の片隅で違和感なく客の話を聞ける存在。
わたしはなんと、それは観葉植物だと解釈したのだ。
ボブ・ディランという植物が喫茶店の片隅で僕たちの話を聞いていた・・・
一体いつ、ボブ・ディランが歌手だと気付いたのだろう。
気付いた瞬間、学生街の喫茶店の歌詞を正しく理解したのだろうか。
正しい意味を知った意味でも、この曲を思い出すたびに
学生で賑わう昔ながらの喫茶店が思い浮かび、そこには必ず観葉植物がある。
橘かおる、というのを人の名前と思っていたとか。
野中の薔薇を「夜中の薔薇」と思っていたとか。
こは、いかにを「怖い蟹」と思っていたとか。
わたしは、中学1年の時に「学生街の喫茶店」という歌を知ったのだが
ボブ・ディランをまったく知らなかったので「片隅で聞いていたボブ・ディラン」の意味が分からず
しかも歌の主人公たちが聞いていた音楽、という解釈もできず
ボブ・ディランという何かが、喫茶店の片隅で僕たちの話を聞いていた、という風に解釈した。
喫茶店の片隅で違和感なく客の話を聞ける存在。
わたしはなんと、それは観葉植物だと解釈したのだ。
ボブ・ディランという植物が喫茶店の片隅で僕たちの話を聞いていた・・・
一体いつ、ボブ・ディランが歌手だと気付いたのだろう。
気付いた瞬間、学生街の喫茶店の歌詞を正しく理解したのだろうか。
正しい意味を知った意味でも、この曲を思い出すたびに
学生で賑わう昔ながらの喫茶店が思い浮かび、そこには必ず観葉植物がある。