まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

親の因果が子に報い・・・

2011年08月11日 15時08分58秒 | 日々雑感
自分の育った家の常識と、他家の常識の違いに一番最初に気づくのは幼稚園くらいなのだろうか。

物心がつき、自我が芽生え、自分の母親とよその母親の違いとか家庭習慣の違いがなんとなく分かってくる。

まったく、育つ環境というのは恐ろしい。

大人になったら、自分のことは自分で責任を持てというけれど、大人になる前に人格はある程度形成されてしまうわけだし

それを大人になって矯正するのは困難である。

矯正自体も困難であるが、矯正しなければいけないと気づくことすら困難だろう。

なので、人は育った家庭環境の因果から逃れることはできないのではないだろうか。

そんなことを思ったのは、最近、父親の厳しい家庭で育った男性の話を聞いたからだ。

その家では父親が専制君主のような存在で、家族は父親の顔色を窺って暮らし

彼は父親を恐れ、憎んで育ったとまで言う。

そんな父親に耐えて従う母親が可哀想だという。

今も別れないところを見ると母親が可哀想とは決め付けられないと思うが

息子の目から見れば可哀想なのだろう。

夫婦のことは子供であっても分かりにくい。

わたしは子供の頃、両親は憎みあっているのだと思っていた。

それくらい激しく毎日喧嘩ばかりしていた。

いつか離婚するだろうと思い、姉妹が離れ離れになることを恐れた。

しかし成長と共に気付いたのは、確かに喧嘩は激しいし憎み合うときもあるが

離れることはできないという関係である。

「絆」や「結びつき」なんてきれいな言葉では括れない「愛憎」「共犯」ともいうべき関係。

夫婦って誤解を恐れずに言えば、そういうやましい関係で成り立ってるんじゃないだろうか。

「愛」だけの夫婦は珍しいだろう。

わたしの家では、母親が厳しく父親に怒られたことなどほとんどない。

大体、母親があれだけ怖いのに、父親まで厳しかったら今頃わたしはまともな人間にはなっていないだろう。

今だって、そんなにまともでもないのに。

父親が厳しい家庭で育つかそうでない家庭に育つかは、その後の人生に大きな影響を与える。

そんなことを考えるようになったのは、やはり父親が厳しい家庭に育った女性の話を聞いてからだ。

彼女は、父親に従順な母親を見て育ったので男性に逆らうとか口答えするとか言うことが無く

恋人と喧嘩をしたことが無いという。

例え相手が悪くても、謝ったり泣いたりしてしまうという。

ふーん。

となると、わたしが男と喧嘩するのが平気なのは、言い返す母親を見てきたからなのだろうか。

男に従うとか、男を立てるとか、男のプライドを守るとかいう考え、わたしの中にはないもんね。

女に守ってもらわなきゃ保てないようなプライド持つな!と言いたいが

実際はそんなちまちましたプライド持ってる男の、なんと多いことか。

多くの男はいつでも「女より優位に立ちたい」と考えているし

女と対等だなんて思っちゃいないんである。

別に声高に「男女平等」なんて言うつもりはない。

だって、そんなことありえないから。

男が女より優位に立ちたいように、男に庇護してもらいたい女はいっぱいいるし、

女であることをフルに利用する女もいっぱいいるわけだし。

そういう女が好きな男はいっぱいいるわけだし。

こういうこと言うのは、女をフル活用できないわたしのヒガミかもしれないし。

需要がある以上、女を活用することは悪いことではない。

活用しないのも自由だし。

どっちがいいとも悪いともいえない。

因果なものですよ、家庭環境って。









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