テレビを見ていると、アナウンサー出身のタレントが街歩きをする番組に出演していた。
街の人たちとの会話も素敵で、好感度が高いわけだ・・・と思いながら見ていた。
とある食べ物をレポートする場面で、あれ?今なにか違和感が・・・
それは、食材の匂いが気にならなくなる、という説明の時だったのだが
「これならXXが得意じゃない方も大丈夫ですね!」
こういうときは「苦手な方」って言わないか?
体育が得意だとか不得意だとかいうけれど
肉が得意って言うだろうか。
虫が嫌いな人は虫が得意じゃないって言うだろうか。
この後、別の番組で別のタレントが、やっぱり本来は「苦手」というところを
「得意じゃない」と表現していたのでなんとなくわたしなりに推理してみた。
「苦手」というとネガティブに響く。
「嫌い」と同じネガティブさを感じ、誰かを傷付ける恐れがある。
視聴者の反感を買う危険がある。
でも「得意じゃない」といえば、それが緩和される・・・
なんだか面倒くさい。
目の前に、その食物の生産者がいるわけでもないのに。
もっと無神経なこと、テレビはいっぱいやっているのに。
ちょっと本筋から外れるけど、面倒な言い回しを丁寧な言い方と誤解している人がいる。
ある化粧品店で、販売員が60代くらいの女性に何度も聞き返されながら
「店舗でお渡しできるサンプルもご用意がございますので」と繰り返している。
しまいに、そのお客さんから「なんておっしゃってるの?」と聞かれてもなお
「店舗でお渡しできるサンプルも・・・」と繰り返していた。
優しそうな販売員で、意地悪から分かりにくい言い方をしているわけではないらしい。
「サンプルがあるので、お渡ししましょうか?」でよくないか?
「店舗にサンプルがあるので、お持ち帰りください」
「サンプルご利用になりますか?」
いくらでも相手の分かりやすいように伝えられただろう。
たぶん、そのお客さんにしてみれば
店舗って、どこの?ここの?
あなたがくれるの?
お渡しできるって、ここで?どこで?
お渡しできないサンプルもあるの?
結局サンプルはくれるの、くれないの?
文章にしてみれば分かる言葉も、話し言葉では分かりづらいことがある。
もったいぶって遠回しな言い方するのは、言い切ることへの心配だろうか。
そういえば最近周りでも「XXです」と言い切らずに
「XXという形になります」と言う人が増えた。
どんな形だよ。
街の人たちとの会話も素敵で、好感度が高いわけだ・・・と思いながら見ていた。
とある食べ物をレポートする場面で、あれ?今なにか違和感が・・・
それは、食材の匂いが気にならなくなる、という説明の時だったのだが
「これならXXが得意じゃない方も大丈夫ですね!」
こういうときは「苦手な方」って言わないか?
体育が得意だとか不得意だとかいうけれど
肉が得意って言うだろうか。
虫が嫌いな人は虫が得意じゃないって言うだろうか。
この後、別の番組で別のタレントが、やっぱり本来は「苦手」というところを
「得意じゃない」と表現していたのでなんとなくわたしなりに推理してみた。
「苦手」というとネガティブに響く。
「嫌い」と同じネガティブさを感じ、誰かを傷付ける恐れがある。
視聴者の反感を買う危険がある。
でも「得意じゃない」といえば、それが緩和される・・・
なんだか面倒くさい。
目の前に、その食物の生産者がいるわけでもないのに。
もっと無神経なこと、テレビはいっぱいやっているのに。
ちょっと本筋から外れるけど、面倒な言い回しを丁寧な言い方と誤解している人がいる。
ある化粧品店で、販売員が60代くらいの女性に何度も聞き返されながら
「店舗でお渡しできるサンプルもご用意がございますので」と繰り返している。
しまいに、そのお客さんから「なんておっしゃってるの?」と聞かれてもなお
「店舗でお渡しできるサンプルも・・・」と繰り返していた。
優しそうな販売員で、意地悪から分かりにくい言い方をしているわけではないらしい。
「サンプルがあるので、お渡ししましょうか?」でよくないか?
「店舗にサンプルがあるので、お持ち帰りください」
「サンプルご利用になりますか?」
いくらでも相手の分かりやすいように伝えられただろう。
たぶん、そのお客さんにしてみれば
店舗って、どこの?ここの?
あなたがくれるの?
お渡しできるって、ここで?どこで?
お渡しできないサンプルもあるの?
結局サンプルはくれるの、くれないの?
文章にしてみれば分かる言葉も、話し言葉では分かりづらいことがある。
もったいぶって遠回しな言い方するのは、言い切ることへの心配だろうか。
そういえば最近周りでも「XXです」と言い切らずに
「XXという形になります」と言う人が増えた。
どんな形だよ。