まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

なにが嫌って

2024年02月09日 23時49分28秒 | 日々雑感
推しがいる人はなぜ、推しがいることを披露したがるのだろう。

いや、誰もがそうだとは言わないけれど。

隠れて推してる人もいるだろうけど。

推し疲れなんて言葉も聞くけれど、概ね推しのいる人生はバラ色らしい。

アニメでもアイドルでもバンドでも俳優でも作家でも

推しがいたら楽しいんだろうなとは思う。

知人に、子供の話ばかりする人がいる。

子供といったってもう、中学生と高校生だ。

なんの話をしていても「うちのお姉ちゃんが」「うちの下の子が」

本当に、なんの話をしていても結びつけるので油断がならない。

うちの子の話じゃなくて、彼女が好きな音楽や映画の話を聞きたいと思っても

それらは子供と共有されているので、結局は子供の話になる。

でも、その人いい人なのだ。

いい人なんだけど、子供の話ばかりされるのが嫌で、

なにが嫌って、その人の子供の話が嫌というよりも

この程度の話が嫌だと思う自分が、なんだか偏屈で不寛容な気にさせられるのが嫌なのだ。

いっそ「子供の話、聞きたくない」と言ってみようかとさえ思ってしまう。

でも、いい人なのだ。

いい人だし、いいお母さんなのだろう。

そんな人を傷つけるのは良くない。

きっと彼女の推しは子供たちなのだ。

四六時中、推しのことを考えて、推しの話ばかりしてしまう、なんでも推しに結び付ける…

そう思えば少しは気にならなくなるかと思ったが

もともとわたしは推しの話ばかりされるのも苦手だ。

分かってる人

2024年02月09日 22時38分21秒 | 日々雑感
他人のことを「めんどくさいやつ」なんて言うのはひどいと思うかもしれないけど

面倒くささもそれぞれだ。

わたしは子供のころから

「なに言ってるか分からない」とか

「そんなこと考えなくてもいいんじゃない?」とか

「考えすぎだ」とか言われて

周りの子供からは変な奴と思われ、大人からは屁理屈ばっかりこねて・・・みたいに言われて

考えたり屁理屈こねることは恥ずかしいことなのだと隠すようになった。

考える自由や理屈をこねる自由があるなどとは思いもよらなかった。

考えようとして考えているのではなく、考えてしまうのだということを分かってもらうすべも持たなかった。

でも「めんどくさいやつ」という言葉を聞いたとき

それは悪口かもしれないけど、許容の言葉にも感じた。

「あの人めんどくさいよね」

分類されてしまえば、それもありでしょうと言ってもらえる時代なのだ、今は。

多分だけれど。

それで、めんどくささを誰に対しても垂れ流さない程度の常識は身に着けたので

分かってくれそうな人には、ぐだぐだ言ってみたりする。

人の悪口は好かないのだけど、今日はどうしても言いたくなり

同僚にぐだぐだ言った挙句、

「とは言っても、そんなに悪い人でもないのにこんなに悪く言ってしまった。

昔はこんなじゃなかったのに、ああ、もう心がうす汚れてるなぁ」と

中原中也のように嘆いて見せると

「そこまでがワンセットなんですね」

この人、よく分かってるなぁ。

そう、ここまでがワンセット。

ただ悪口を言うならまだしも。

わたしは本当は悪口なんか言う人間じゃないんだよ、というアピール。

でもそんな自分に対しての嫌悪。

そこまでを披露するのがワンセット。

ああ、めんどくせぇ。