まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

過去が呼ぶ

2012年08月25日 21時28分34秒 | 日々雑感
物欲が強いことと、物に対する執着心が強いこととは違う。

わたしは物欲に関してはあまりないほうだと思っている。

ちょっといいなと思うものを見かけても、今使ってるものが壊れたらでいいやと考える。

知人の「自称・物欲の強い人」が言うには

とにかく欲しいと思ったら、手に入れなくては気が済まないのだそうだ。

しかし、手に入れた時点で目的は達せられ、また新たなものが欲しくなるという。

だから、どうしても欲しいと思って手に入れたものでも簡単に手放して

新しいものを買ってしまうという。

わたしとは真逆だ。

新しいものを欲しがらない代わりに、古くから使っている物への執着が強い。

たとえば、今使っている定規は30年くらい前から使っている。

ミシンは生まれる前から家にあるものだ。

といって、わたしが物を大事にする性格かというとそうでもない。

洋服など、わりと躊躇なく捨てる。

その代わり、思入れの強いTシャツなどは20年も持っている。

どうやら物にというよりも、それにまつわる思い出に執着があるようだ。

幼児の頃に遊んだぬいぐるみ。

小学生の頃に読んだ本。

20代の頃に買った雑誌。

それぞれに思い出が深くあるわけではないのだが

それらを目にしたときに、ぼんやりと立ちのぼる「その頃」の空気感に執着がある。

古くからあるものを捨ててしまったら、ぼんやりとした記憶がなくなってしまうような気がする。

しかし、別に昔からいいことばかりがあったわけではないのだ。

むしろ思い出さないほうがいいようなつらいことも多くあった。

それでも古い日記を捨てないのは、自分が死ぬまではいつでも思い出せるようにしておきたいという

過去に対する執着ゆえである。

なぜだろう。

1976年、と印字されたキャラクターグッズを見ても答えは出ない・・・