今月号の文藝春秋の中吊りを見て、ぎょっとした。
村上春樹の原稿流出?!しかも本人が寄稿してるって?
たとえ、原稿流出事件が本当だったとしても、私の知っている村上氏は、そういうことは事件が片付いた後で、こっそりとエッセイ集などに載せる人だからだ。
雑誌に寄稿するなんて、よほど何かあったんだろうと思った。
もしこの雑誌が文藝春秋ではなく、三流週刊誌だったら、はなから気にしなかったと思う。
かなりのページ数をさいて、村上氏は過去に知り合った雑誌編集者が事実上「村上春樹の」翻訳原稿などを手元に保管しておき、自分の死後、遺族に遺品として渡るように手配してあったと述べている。
村上春樹の手書きの生原稿は、今ではほぼ見られない。彼はPCで原稿を書いているからだ。しかし、PCが普及していなかった初期の頃は当然直筆で、写しはない。世界にたった一つの生原稿。
世界中の言語に彼の小説が翻訳されている今、知名度は上がり、生原稿の価値も跳ね上がり、100万円という値段でネットオークションや古書店に並んでいたらしい。今の彼のまっとうな原稿収入よりはるかに多いということだ。
まず、原稿は基本的に本人に返却されるべきだし、(新人賞応募作などは除く)それを勝手に隠匿して家族のものにしてしまうのはどう考えても違法だ。
村上氏は「訴える」とは一言も書いていないが、今は亡きその編集者との関係は、末期の頃にはそうとう冷え切っていたそうだ。
文壇、出版・編集業界の裏を垣間見て、これは胃が痛くなるくらいではすまない職業だなと思った。なにか恐ろしい波に呑み込まれてでも、自分の表現するものを訴えていく、ぐらいの気骨がないと、新人賞をとっただけであとは鳴かず飛ばず。
そういう人はたくさんいる。作家は幸せな職業ではないと思う。それでも作家が生まれてくるのは、表現せずにはいられない人、そうしなければ生きていけない人がいて、さらにそれらが世間で受け入れられるからだ。
狭き門だし、幸せ人間には向かない因果な商売だと思う。
でもなりたい人は多いんだよね。
村上春樹の原稿流出?!しかも本人が寄稿してるって?
たとえ、原稿流出事件が本当だったとしても、私の知っている村上氏は、そういうことは事件が片付いた後で、こっそりとエッセイ集などに載せる人だからだ。
雑誌に寄稿するなんて、よほど何かあったんだろうと思った。
もしこの雑誌が文藝春秋ではなく、三流週刊誌だったら、はなから気にしなかったと思う。
かなりのページ数をさいて、村上氏は過去に知り合った雑誌編集者が事実上「村上春樹の」翻訳原稿などを手元に保管しておき、自分の死後、遺族に遺品として渡るように手配してあったと述べている。
村上春樹の手書きの生原稿は、今ではほぼ見られない。彼はPCで原稿を書いているからだ。しかし、PCが普及していなかった初期の頃は当然直筆で、写しはない。世界にたった一つの生原稿。
世界中の言語に彼の小説が翻訳されている今、知名度は上がり、生原稿の価値も跳ね上がり、100万円という値段でネットオークションや古書店に並んでいたらしい。今の彼のまっとうな原稿収入よりはるかに多いということだ。
まず、原稿は基本的に本人に返却されるべきだし、(新人賞応募作などは除く)それを勝手に隠匿して家族のものにしてしまうのはどう考えても違法だ。
村上氏は「訴える」とは一言も書いていないが、今は亡きその編集者との関係は、末期の頃にはそうとう冷え切っていたそうだ。
文壇、出版・編集業界の裏を垣間見て、これは胃が痛くなるくらいではすまない職業だなと思った。なにか恐ろしい波に呑み込まれてでも、自分の表現するものを訴えていく、ぐらいの気骨がないと、新人賞をとっただけであとは鳴かず飛ばず。
そういう人はたくさんいる。作家は幸せな職業ではないと思う。それでも作家が生まれてくるのは、表現せずにはいられない人、そうしなければ生きていけない人がいて、さらにそれらが世間で受け入れられるからだ。
狭き門だし、幸せ人間には向かない因果な商売だと思う。
でもなりたい人は多いんだよね。
坪内祐三氏がそんなことを…そうですか。
私、職業って最終的には「どれだけ好きか」で決まると思ってます。才能とかコネとかも必要だけど、「好き」は単純だけど、それだけに強いと思うんです。小説を恨んでるような人にいい小説が書けるのかな…。ほんと、悲しいですよね。きっとその編集者も最初はただ、小説が好きだったんだと思うのだけど。