3月21日 朝方まだ雨は時折、激しい音を立てて降っています。
6時半より本堂での朝のお勤めは十数人の人が参加され、遍路姿ではまってきていたのは私たち二人だけでした。
前日、夕食を頂いた部屋で朝食を頂きます。
正御影供(3月21日)水回地蔵さんの所で9時から始まると聞き
十分間に合うように宿坊を出ます。
車はそのまま宿坊に置かせてもらって、一の橋から奥の院へと向かいます。
雨は小降りになり よかった。
一の橋から奥の院へ向かうと弘法大師の傍に眠る、戦国武将の苔生した墓石がたくさんあります。
夫と二人、ゆっくり奥の院御廟へと足を運びます。
雨の降るお墓、普通私はこ わ い・・・・・と思うのですが
全然 怖い気持ちはありませんでした。
東北関東大地震で災害に遭われた方々の元の生活が早く戻りますように、
早く穏やかな日本に 穏やかな地球になってほしい
いろいろ祈りながらの一歩一歩です。
3月21日、今日ここへお参りに来れました事 感謝します。
中の橋辺りまで来ると 団体さんが多く見られるようになりました。
御廟橋を渡って、燈籠堂へ。
夫と私の先祖供養をお願いします。
9時から お経を上げます。
「えっ!9時から・・・」「正御影供が・・・・・9時から・・・」初めてご縁があった正御影供
どちらに行くかチラリと迷いました・・・・ご先祖様ごめんね。
お坊さんが「○○家のご先祖様の名前を読み上げお焼香が終わったら 立たれてもいいですよ」と言って下さいました。
午前9時 外では 正御影供の始まる鐘がなります。
こちらも先祖供養、他、亡くなられた方の供養のお経が始まります。
大震災で亡くなられた方々の供養も一緒になされると言う事でした。
お焼香を済まれた方が途中、席を立たれる方が数人おられました。
私たちは最後までこの席に居る事を決めていました。
今、夫が元気で居る事 私が元気で居る事、子供達、孫が元気でいる事、ありがたくご先祖様のおかげです。
50分ほど、お経が終わって、21日だけ弘法大師の御開帳がなされているとお姿を拝見させて頂きました。
燈籠堂ではまだ弘法大師の法要が続いていました。
20数人のお坊様が 両サイドに座って中央にお一人、御廟の方に向かってお経を唱えられていました。
こちらでも大震災で亡くなられた方々の供養もなされているとの事でした。
法要が終わってお坊様がお帰りになります。
中央でお経を唱えられていた方が最初に籠に乗っておくだりです。
続いて20数人のお坊様が 雨の降る中、順々に帰られます。
奥の院から御廟橋に向けて一人一人持たれる赤い傘がならんで行くのがとてもきれいでした。
私が居る場所では撮影禁止となっているのでお見せできないのが残念です。
三宝にきれいに盛られ、お供えしてあった 甘夏と白い饅頭を「どうぞ頂いて下さい」と下さいました。
弘法大師の法要のお下がりです。
居合わせていた、私たちはありがたく、遠慮なく頂いて来ました。
その後、塗香を頂き手を清め、後方の御廟へとお参りにいきます。
たくさんの方がいらっしゃいます。
そして 大師は今もおわしまする、弘法大師にいちばん近い所、燈籠堂の地下へとお参りにいきます。
祈りを気持ちを込め、ゆっくりと手を合わせます。
奥の院の納経所で納経帳は2度目の御朱印を頂き、
夫の叔母さんへのプレゼントにとずっと持って廻っていた掛け軸も奥の院の御朱印と墨書で満願です。
今回は墨で汚す事のないようにと心がけ、きれいにできて嬉しく思います。
まだ雨の降る中、納経所の前では
「東北関東大震災復興の為の義援金をお願いします」と10数人のお坊さんが並んで声を掛けておられます。
災害に遭われた方々に何も出来ないので早々に募金は済ませていましたが 素通り出来ないですね。
気持ちばかりさせて頂きました。
八十八ヶ所巡り逆打ち 高野山でのお勤め終わりで満願出来ました 感謝 感謝。
6時半より本堂での朝のお勤めは十数人の人が参加され、遍路姿ではまってきていたのは私たち二人だけでした。
前日、夕食を頂いた部屋で朝食を頂きます。
正御影供(3月21日)水回地蔵さんの所で9時から始まると聞き
十分間に合うように宿坊を出ます。
車はそのまま宿坊に置かせてもらって、一の橋から奥の院へと向かいます。
雨は小降りになり よかった。
一の橋から奥の院へ向かうと弘法大師の傍に眠る、戦国武将の苔生した墓石がたくさんあります。
夫と二人、ゆっくり奥の院御廟へと足を運びます。
雨の降るお墓、普通私はこ わ い・・・・・と思うのですが
全然 怖い気持ちはありませんでした。
東北関東大地震で災害に遭われた方々の元の生活が早く戻りますように、
早く穏やかな日本に 穏やかな地球になってほしい
いろいろ祈りながらの一歩一歩です。
3月21日、今日ここへお参りに来れました事 感謝します。
中の橋辺りまで来ると 団体さんが多く見られるようになりました。
御廟橋を渡って、燈籠堂へ。
夫と私の先祖供養をお願いします。
9時から お経を上げます。
「えっ!9時から・・・」「正御影供が・・・・・9時から・・・」初めてご縁があった正御影供
どちらに行くかチラリと迷いました・・・・ご先祖様ごめんね。
お坊さんが「○○家のご先祖様の名前を読み上げお焼香が終わったら 立たれてもいいですよ」と言って下さいました。
午前9時 外では 正御影供の始まる鐘がなります。
こちらも先祖供養、他、亡くなられた方の供養のお経が始まります。
大震災で亡くなられた方々の供養も一緒になされると言う事でした。
お焼香を済まれた方が途中、席を立たれる方が数人おられました。
私たちは最後までこの席に居る事を決めていました。
今、夫が元気で居る事 私が元気で居る事、子供達、孫が元気でいる事、ありがたくご先祖様のおかげです。
50分ほど、お経が終わって、21日だけ弘法大師の御開帳がなされているとお姿を拝見させて頂きました。
燈籠堂ではまだ弘法大師の法要が続いていました。
20数人のお坊様が 両サイドに座って中央にお一人、御廟の方に向かってお経を唱えられていました。
こちらでも大震災で亡くなられた方々の供養もなされているとの事でした。
法要が終わってお坊様がお帰りになります。
中央でお経を唱えられていた方が最初に籠に乗っておくだりです。
続いて20数人のお坊様が 雨の降る中、順々に帰られます。
奥の院から御廟橋に向けて一人一人持たれる赤い傘がならんで行くのがとてもきれいでした。
私が居る場所では撮影禁止となっているのでお見せできないのが残念です。
三宝にきれいに盛られ、お供えしてあった 甘夏と白い饅頭を「どうぞ頂いて下さい」と下さいました。
弘法大師の法要のお下がりです。
居合わせていた、私たちはありがたく、遠慮なく頂いて来ました。
その後、塗香を頂き手を清め、後方の御廟へとお参りにいきます。
たくさんの方がいらっしゃいます。
そして 大師は今もおわしまする、弘法大師にいちばん近い所、燈籠堂の地下へとお参りにいきます。
祈りを気持ちを込め、ゆっくりと手を合わせます。
奥の院の納経所で納経帳は2度目の御朱印を頂き、
夫の叔母さんへのプレゼントにとずっと持って廻っていた掛け軸も奥の院の御朱印と墨書で満願です。
今回は墨で汚す事のないようにと心がけ、きれいにできて嬉しく思います。
まだ雨の降る中、納経所の前では
「東北関東大震災復興の為の義援金をお願いします」と10数人のお坊さんが並んで声を掛けておられます。
災害に遭われた方々に何も出来ないので早々に募金は済ませていましたが 素通り出来ないですね。
気持ちばかりさせて頂きました。
八十八ヶ所巡り逆打ち 高野山でのお勤め終わりで満願出来ました 感謝 感謝。