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ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

母に面会

2025-07-06 16:35:37 | 家族
先週母の担当者会議が施設で行われた。退院後サービス内容が変わるので、訪問診療の先生や看護師、ケアマネさんらと話し合う。
来月には新しい介護保険証が届く。
今介護2だけれど、おそらく介護4になるかもしれない。



今の施設を選んだ理由の一つに、料金がそう高くないというのがあった。
しかし、いつのまにかどんどん出費はかさみ、今は当時と比べて5万近く増えている。
例えばおむつ代。
母は何故かおむつを外してボロボロに引きちぎったり、失禁で何度も交換しなければならなかったりで、通常の倍は購入しなければならないことがわかった。
最初は元気な人も、電動ベッドや車いす、訪問看護が必要になる。
施設の場合は、そこのサービスを介護保険限度額のぎりぎりまで使うので、その費用。ほかに訪問診療や薬代、入院時の費用などの医療費。そして施設の料金・・・・。

お金もちの人は何も心配する必要はないが、余裕のない人は、そのあたりのことを予測して将来の親の介護を検討する必要がある。




生活保護にすればよいと言う人もいるけれど、簡単なことではない。
支えられる家族がいるなら、安易に生活保護の選択はするべきではないと思う。
将来のある若い人たちに出来るだけ負担をかけたくない。

私は一人娘で、その点残念に思うのだけれど、きょうだいがいることでかえって揉めることもあると聞くので、まあ働ける間は何とかなるかなと思っている。
ここ立て続けに、友人から沢山のおむつをいただいた。親御さんが亡くなられたり、特養に入ったりで、不要になったから、と。
おむつは高いので助かる。
こんなふうに助けの手が差し伸べられることもあり、介護をあまり深刻にとらえないようにして暮らしたい。

母には毎週日曜に面会に行くことにしているのだけれど、今日は持って行ったプリンを美味しそうに食べて、何と私の名前を正確に呼んだうえに「長女」と、はっきりと口にした。
嬉しかった。
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良いことしか残らない

2025-06-29 13:35:05 | 家族
母は気が強いところがあり、晩年は私と衝突ばかりしていた。
思えばその時から少しずつ認知症の進行があったのだと、今ならわかる。

もともと、物事を深く考えることが苦手で刹那的な生き方をする人で、子どもの私は苦労が絶えなかったので、親として失格だとずっと思ってきた。
大学を卒業してもしばらく一緒にくらしていた次女は、そんな私たちのやりとりをみていたので、おばあちゃんのことは全否定。完全に無視して殆ど会話もないまま家を出て行った。
私が次女に母の愚痴をこぼしたりしたのも一因だが、それはつい最近まで続いていて、胸が痛んだ。
次女のことを気にかけていた母だったけれど、あまりにも遠く隔たって、認知症の今となっては、次女の名前も忘れてしまったことが残念だ。

ところでその母だが、不思議に今は良いことしか思い出さない。
怒りや軽蔑という負の感情で見えなくなっていた良い点、良い出来事。それがあぶりだしのように次々と浮かんできて、嫌な出来事はすっかり消え去っている。
少しずつさよならをしている母にとっても、私にとっても、それはとても幸せなことだろう。



生きていると、他者との間に時には許せないと思うような感情の行き違いやトラブルを経験することがある。
親子や親しい友人だから、つい甘えて本音が出てしまい、それが取り返しのつかない失望を相手に与えることも。

でも、他人を厳しく責められるほど、立派な人はいない。
たったひとつでもその人とのよい思い出があれば、それを大切にして許し、受け入れるひとであってほしい。
少し遅すぎたかもしれないけれど、母のことを思いながら、家族にこのメッセージを届けたい。

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母の退院。

2025-06-29 12:56:08 | 家族
私の仕事の都合で日曜の退院となった。ほぼ1ヶ月の入院だった。

新しく服を買って行ったら、ぶかぶかだった。縮んで一段と痩せてしまっていたのだ。
私の顏をみて泣いて喜んだけれど、やはり「妹」と言うのでガッカリしていたら、「でも病室では娘さんの名前を呼ばれていましたよ」と看護師さん。
夢の中のほうが、私の存在を思い出すことがあるのかもしれない。


看護師さんに手伝ってもらってどうにか車に乗せて、施設へ向かう。
窓の外を見て、「緑がいっぱい」と言う母に今が何月か尋ねたら、ちゃんと6月と答えた。
認知症の診断を受けても、覚醒して我にかえる時間があることを忘れてはいけない。
項垂れて傾眠している母を横目に、こうして車に乗せることが、この先何回あるだろうかと思う。
まだ元気な頃は、外出して買い物をしたり美味しいものを一緒に食べたりしたなと思い出す。
 
お世話になっていた施設へ戻ると、「お帰り」と出迎えた職員に、母は「ただいま」と笑顔を見せた。
その後ベッドに横になり、母は瞬く間に眠りについた。
もうエネルギーはあまり残っていないのだろう。
また復活することがあるだろうか?
車椅子から歩行器に戻ることは出来るだろうか?
8月には新しい介護保険証が届く。
今は介護2だけれど、もしかしたら介護4になるかもしれない。

自宅にもどって、病院からもらった入院中のケア計画を見た。
担当者欄のサインを見た。医師、理学療法士、介護士、看護師。
サインの文字は、どれも一目で若い人たちのものとわかる個性的な
字だった。
皆優しくて、溌剌としていて、そんな若者たちに見送られて母は病院を後にしたのだった。
なぜだろう?
その文字を見つめていたら、いつのまにか涙がこぼれていた。



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父の日。

2025-06-15 20:29:20 | 家族
私が離婚したのは、次女が小学校に上がる前だった。
慰謝料などはなかったので、必死に働いた。
大学で学んだこととは全く無関係の世界に飛び込んで、フルタイムで働いた。
子育てで家庭に入った私にとっては、福祉の仕事のほうが安定していると確信した。

父親がいない家庭を押し付けてしまった身勝手さを娘たちに詫びつつ、出来る限りのことはしてきたつもりだ。
リッチな旅行は出来なくても毎週出来るだけドライブに連れていき、ボーナスをためておいて誕生日やクリスマスには娘たちがほしいものをプレゼントして。
それでも足りなかった。
両親がそろっている家庭とはくらべものにならないほど足りないものだらけだと感じていた。



今、長女は母の日だけではなく父の日にも私に何かしらを届けてくれる。
お母さんは父親の分も頑張ってきたんだからと言ってくれる。
その言葉は嬉しいけれど、やはりそれは違うという思いがある



娘たちに寂しい思いをさせてきたことをもうしわけなく思っていたけれど、今は二人ともよい伴侶に恵まれ、良い義両親にも恵まれた。

娘たちにお父さんと呼べる家族が出来て良かった。
父の日を祝えることを心から嬉しく思う。
大切に、いつまでも仲良くと願っている。

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母のこと。

2025-06-15 20:02:05 | 家族
先週の初め。
一般病棟に移ったのもつかの間、病院から電話があって、母が下血したので必要な処置をするがよいかと、担当医。
かなり多量の出血。輸血を考えているがその最中に心臓が止まる場合もあるのでとのこと。
医師に一任して、結果、母は事なきを得た。おそらく痔からではないかと推察しますとのことだった。
それで今日再び一般病棟に移ったので、雨の中を面会に行った。



母は寝ていたが、しばらくしてうっすら目が開き、声をかけると何ともちぐはぐな会話。
私の名前も正確に覚えておらず、娘と言っても、曖昧に微笑むだけだった。
担当の看護師から、硬膜下血腫もみられたと報告がある。
何度も転倒して頭を打って、頭蓋骨と脳の間に出血が広がっているが、いつの時のものかは特定出来ないとのこと。


心臓の手術をしている母は、血液をサラサラにする薬を飲む必要があるが、その薬のおかげでとても出血しやすい状態になっているのだ。

母との意思疎通のない会話の中で、「めんどうくさいねえ」という言葉だけがはっきりと聞き取れた。
こんな歳まで生きていくのは、本当に大変だよと言っているようで、思わず同情する。

良い人ほど早死にする、憎まれっ子世に憚るなどと揶揄されるが、母をみていると、それは違うなと思う。
認知症になって、沢山の病を負って、それでも死ねず、自由もないまま生きていかなければならない、そんな日々は地獄のようではないか?
母はいつまで苦しまなければならないのだろう。

今入院している病院は、急性期の病院なので、状態が安定すれば退院となる。
母はどこに落ちつくのが一番安心なのだろう。



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