漫歩マンの健康日記

日々健康を求めて~~

昔のこと

2016-03-27 14:11:55 | 人生
ワタクシは昭和16年4月に中国で生まれたらしい。
彦根のおじいちゃんおばあちゃんには子供がなく、養子を貰らうのだが、
おじいちゃんは京都大丸の分家でそれなりの家柄からの養子を求めた。

たまたま近江長岡の庄屋(吉川家)の3番目の息子(おじいちゃんと従兄弟にあたる)を貰った。
その養子(ワタクシの父親)は結婚して、中国に渡り呉服屋を開いた。
呉服屋は京都大丸の関係もあり大いに繁盛したと言う。

ところが母親はワタクシを産み落とすと間もなく結核で亡くなった。
時も時、太平洋戦争の風雲怪しげになり呉服屋をたたみ、全財産を没収されて、
おじいちゃんおばあちゃんのお迎えつきで帰国したと言う。

ワタクシには母親がないため、おじいちゃんおばあちゃんは「不憫だ不憫だ」と我が子のごとく猛烈に可愛がって育ててくれた。
ワタクシはこんな時代で、牛乳とかはないため「おもゆ」でひ弱に育った。

父親はワタクシの4~5才の頃、後妻(継母)を貰うがそうするとおじいちゃんおばあちゃんは、
ワタクシを後妻に取られると思い余計可愛がった。
故にワタクシの「甘えんぼう」「わがまま」はそのまま性格としてこびりついている。
………………………………
生駒山にて
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