井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

スコセッシ監督「沈黙」を観てきました

2017年01月27日 | ドラマ

過日、スコセッシ監督の「Silence」(沈黙)を観てきました。

久々に、唸るような映画を観せてもらいました。

いい作品は冒頭数分で解るのですが・・・・スコセッシ「沈黙」は

いきなり、タイトルから引き入れられます。

音楽なし。ただ、西洋人には風情ではなく、虫の声と共に「ノイズ」として捉えられているのであろう蝉しぐれ、カナカナの圧倒的な音量のみ。それがぷつりと途切れて、無音になり、その耳を圧する音声の不意の途絶えは、作品中も唐突に訪れ神の「沈黙」を象徴する演出で、鮮やかです。

のっけの、島原の火山の煙が立ち上がる地獄の黙示録的風景の中、バテレンたちが火山のマグマを身体にかけられ、むごたらしく処刑されています。地獄絵図なのですが、美意識のフィルターで描かれているので、絵画的に美しくもあるのです。

この感性がわからない人には、おそらく単なる「物語」でしかないのでしょう。スコセッシ監督が提示したアーチストとしての深淵を理解はしないであろうと思われます。

三島由紀夫氏がかつて黒澤明を評して「偉大なアルチザン(職人)ではあるが、アーチストではない」と。正鵠を射た発言であろうかと思いますが(といって黒澤映画への貶めではありません)・・・・スコセッシ監督は腕のいい職人であると同時に、この作品においてはアーチストかもしれません。

予想した通り、映画では(たぶん原作でも)テーマが逸れてしまうせいもあり、有色人種の奴隷化に手を貸したポルトガルの宣教師たちの悪辣な面は描きません。

豊臣秀吉が、宣教師追放令を発布したのは天正15年でしたが、日本国植民地化への危惧と共に、ポルトガル宣教師たちが神の愛を説きながら、その一方で多くの日本人男女を、子供も含めて海外に奴隷として売り飛ばしていたからです。資料として「九州御動座記」があります。

愛を説きながら、彼らの胸にあったのはビースト(獣)としての黄色人種であり、白人としての優越感です。神により近い白人が、群を抜いて格上なのです。
今も昔も彼らの基本的勘違いであり、思い上がりです。

スコセッシも、日本人の貧しさと汚さを重点的に描き当時あった、日本の洗練の極みにあった文化を描いてはいません。その精神性の高みも豊かさも。
ポルトガルがいかに文明に秀でていようとも、世界で最初の長編小説を書いたのは、日本人でありしかも女性です。極限まで語句を配した短い詩も日本のものです。古来より多くの日本人が庶民に至るまでポエットでありました。
また、当時の日本を訪れた外国人たちが驚嘆した、世界一の清潔さと暮らしの端々にまで息づいている芸術性も、描かれてはいません。


しかし、そこに踏み込むとテーマがぼけるのだし、映画とひょっとして原作も、それに触れないからといって作品自体の質を落としてはいません。「シン・ゴジラ」もそうでしたがレーゼドラマ(会話劇)が国防論を背景に展開され興味深かったのですが、「沈黙」でも彼我の宗教観の差異が語られる部分が、優れたレーゼドラマになっています。

ただ、もう一歩踏み込んで欲しい部分ではありました。たとえば日本人の宗教観を説明するのに、大日如来の名称を出して要するに「太陽崇拝」として描くのですがこれは、少々乱暴だと思うし、また大日如来より日本人のメンタリティを描くなら、天照大神でしょう。

遠藤周作はカトリック教徒ですが、スコセッシ監督もおそらくはキリスト教徒なのでしょう、かなりキリスト教側に加担した視点で、仏教や神道には不公平なのですが、作品じたいの瑕疵というほどではありません。

思想的には、申し訳ないのですがキリスト教は成熟はしていません。
組織としての「教」のことであり、キリスト自身が幼稚であったという
僭越なことは言っていません。

原作は知りませんが、いかに人間が過酷に扱われようと、むごたらしい運命に翻弄されようと、神は無言だが人の苦しみに寄り添って神も共に苦しんでおられるのだよ、という視点は・・・・・・まあ、そうなんですが、私に言わせりゃちょっと、ふざけるな、といわゆる「神」の理不尽に十代の頃から文句を言い続けてきた私などは、思うのですが。

人間をジャッジしたり救済したりする人格的キャラを持つ神など、存在はしていないと解った今、私もまた神をジャッジすることは止めたのですが。

この映画に関しては、終わってクレジット・タイトルが流れ始めても席を立たないでください。エンディングロールがまた、素晴らしいのです。

発端と同じく、音楽はなくただ、蝉しぐれ、ひぐらし、波音、雷鳴、叩きつけるごとき豪雨・・・・そしてふいに圧倒的音声は途切れ、訪れる静寂。

東宝シネマズは心遣いが繊細で、エンディングロールが終わってもしばらく明かりはつけず、観客を暗がりにおいて余韻を味あわせてくれます。
ただそれがありがたいのは、名作の時だけですね。
でもない時は、私もエンディングロールが始まると同時に、席を立ちます。

この間、名作と大ヒットしてもレベルが高いとは言えない映画の差異を
述べましたが、作る側の「志」が奈辺にあるか・・・・ということも
単なる娯楽かアートに昇華されているかの違いであろうと思われます。

ウェルメイドで、世界的に大ヒットしていても私がやや退屈で後味悪く感じる映画というのは「志」が低いのです。プロが見れば売るための計算が見えすく作品。
「タイタニック」もカメラの向こう側で、札びら数える手つきが見えて私などは興ざめでした。

「沈黙」は、ジャンク・フードを食べて、別にまずくもないけどなんだか血が汚れると言おうか・・・・・そういう大ヒットジャンク映画を見せられた後の清涼剤でもあり、細胞が蘇った思いでした。かと言って、この間も申し上げた如く万人の平均的知性と感性のレベルに応える作品はあってもいいと思います。という言い方も傲慢ですが・・・・・質も志も仮に低かろうと、売れる作品を生み出すことは至難だし、腕も要るのは事実です。


ただ・・・・質の高い作品と、大ヒット作品とは基本で異なるのだし、同じ地平で面白い面白くないというレベルで語られるものでもない・・・ということは心得ておいて頂きたい、と思います。

 

*誤変換他は、後ほど推敲いたします。ご寛恕くださいませ。


ゴボウとレンコンの、味噌アンチョビソースピザ

2017年01月26日 | 断食 少食 不食

減量を始めて1ヶ月半を越え、現在7キロ減。
身体が軽くなって楽なんですが、とりわけ苦労して
減量したわけでもなく、合間にフグのフルコースなど
食べての好結果なんで、楽なイエットのコツは
掴んだと思います。

年内に、あと理想までの10キロ減、おそらくあっさりと簡単。

 

「こんなに簡単、らくらくダイエット」の方法はいずれ、まとめて人様に
教えて差し上げたいと思っているのですが、
そのうちの1つは「イメージ手放し」法です。

これを食べたい、あれを食べたいという妄念がダイエット
挫折の障害なんですが、私は食べたいと思った瞬間、
その味や食感を口の中に蘇らせ、そしてすぐポイッと
宇宙に向けて「ありがと、さよなら」と手放します。
職業柄、イメージは相当リアルに映像化でき、また
味を舌に蘇らせるのも得意。
やっているうちに、そうでない人も慣れると思います。

 

大体イメージ法で、あれ食べたい、これ飲みたいという欲望に
対しては恬淡としてられるのですが・・・・・

 

そうもいかないのが、イメージできない未知の食べ物に
遭遇した時。

 

「ゴボウとレンコンの味噌アンチョビソース」がそれでした。
通りがかったレストランの前のメニューの文字を見た途端、
食べたい、という思いが膨らみとうとう今日、わざわざ
電車に乗って出かけたのです。

 

私は店構えで、美味しいまずいが解るのですが、この店は
入る前から太鼓判なんでした。

 

まず、現れたのがコオロギを100匹一ヶ月間養えそうな分量の野菜サラダ。

温かい麦茶と、甘い野菜ジュース飲み放題。

 

わ、これどうしようと・・・・

出かける前、店に電話してたんですが、一人で食べ切れる量かどうか。
「女性が一人で召し上がってます」
が返事で、安心してたのです。

 

が、エッジの膨らんだ部分だけが厚くて中身は空気、あとは極薄生地なんでした。

 

概ね想像通りの味で、満足。美味しかったのですが、2度食べることはもう
ないかもしれません。イメージで蘇らせることが出来るので。

 

店内のコンセプトも明瞭で、若手によって営まれているセンスのいい店です。

世田谷の野沢に暮らしている頃は、徒歩圏内に極上のイタリア料理を出す店があり、ほぼ日参。私のための「ピザ、いざわーの」があり、それは極薄生地のピザにアンチョビと細かく砕いたカリカリのガーリックなんでした。思えばあれが、私の体型イタリア人化の時期だったんでした。

 

その後赤坂のリッツ・カールトンホテルのレジデンスに移ってからも、ミッドタウン内なので、極上イタリアンは2軒ほどありました。

 

暗剣殺という方位を犯しての移転だったせいか、偶然か考えられない酷いことが起きるので、方位除けで、当時吉方位だった現在の場所に仮転居したのですが、これが住むと食も交通もまことに便利で、動くのももはや億劫、仮住まいが「延々住まい」となっているわけですが、不満の1つがイタリアンの美味しい店がもう何年かけてリサーチしても、ないことなのでした。

 

多少遠くても、やっと見つけた・・・・・と思った途端、私は少食へと
シフトしていて、一度訪れたら満足・・・・・

 

というわけで、煩悩をまた1つ捨て手放したところで、明日からオーガニック系少食に戻ります。

 

*誤変換他、後ほど推敲致します。

 

 


「やっぱりね」、とそして「なんで?」のへっぴり腰外交  岸田文雄外相

2017年01月26日 | 歴史・政治

南京大虐殺否定の本を、アパの会長がお書きになり、その本をホテルに置いている、ということでアパホテルへの中国人の攻撃が激しいのですが、テレビに出演した岸田外相いわく、


「今、問題になってるこの事案自体は、民間企業の話なので
それに対して政府が何を言うかってのは、やっぱり立場をしっかり考えて
発言しなければならないと思います」

 

いや、中共政府が口出しして来た時点で、国家マターだと思いますが?

 

 

そして、因果関係は証明できませんが、中国外務相 華春螢報道官の
会見の直後から、アパホテルへのサイバーアタックが始まった、と
されています。

 

 

いずれにしても、あちらが民間に介入するなら、日本もせねばやられ放題です。

軍艦島ユネスコ登録では、強制連行を認めさせてしまうし、この男、
一体何をやってるんだ? 外務相ユネスコ大使の佐藤地氏ともども。

敗戦を機に、小和田恒氏を筆頭に売国の輩が出世街道を駆け上ったような、
そんな体質が、いまだ外務相。

慰安婦像も然り。「遺憾の意」だけで、長年スルーでやっと大使召喚、今頃やっと、です。

 

それにしても、領土を不法占拠されながらありもしない強制売春婦で
侮辱され、靖国で内政干渉され、なにが「日韓友好祭り」ですか。

 

いいかげんになさい、岸田さん、それから相変わらず安倍昭恵さん。
キムチパーティにもご出席のご様子です。

 

画像の最初二枚は、ここから拝借。

ht

tp://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/

下の画像は日韓国文化院より

 ht

tp://m.korea.net/japanese/NewsFocus/Culture/view?articleId=112947

安倍昭恵さんは、ご丁寧にFacebookに投稿して宣伝。

 http://www.j-cast.com/2013/09/23184407.html?p=all

(抜粋)

略 今年5月には、Facebook上で韓国のミュージカルを鑑賞したと報告。批判的なコメントが集中すると、「真摯に受け止めます」とした上で、次のように回答していた。

“「このミュージカルを観たことも載せないという選択肢もある中で、批判覚悟で載せました。どんなに甘いと批判されようが、すべての人や国と仲良くしたいというのが私の思いです。理想に向かっている私なりのアクションのひとつだとご理解ください」

                 ーーー抜粋はここまでーーー

載せないという選択肢、ではなく時節柄「首相夫人として見ない」という選択肢も
お有りだったのでは?
いえ、一般は自由です。私も韓流は見ます。

ただ私などと違って首相夫人として行かれれば、ご自身がFacabookに載せようと載せまいとメディアは報じ、それなりに影響力を持ちます。

あの当時は確か、韓国の国家関与が疑われていた日本貶め、韓国上げ策略の1つとして韓流があげつらわれていた頃だと記憶しています。
私自身は韓国の反日のこれとこれは許さない、と明言した上で作品には、同業者として尊敬すべきものもある、という姿勢で関わって来ました。

「理想に向かっている私なりのアクション」とは、なんと気色悪い・・・・・日本語の語感に敏感な人なら、鳥肌立つ如き言い回しを、理解して頂けると思うのですが・・・・

「このミュージカルを観たことも載せないという選択肢もある中で」
これも日本語をまともに書ける方なら「このミュージカルを見たことは
黙っていることもできるのですが」と平易に言えば済むことを
わざわざ、もったいつけるのもなんだかね。

自民党の党是である憲法改正に反対なさってみたり、党の公認に口を出すという報道が事実なら、由々しきことです。

安倍昭恵さん批判になってしまいましたが、下手な日韓友好は
なめられるだけ。というのは戦後70年間を見れば容易に解るでしょう?

日韓友好が1つでも役に立ったことがございますか?

ことは真逆に進み、いよいよ韓国の反日は断末魔の様相を呈して
いるではございませんか。

領土を盗られ、慰安婦で辱められ、その上で日韓友好など
ヘラヘラやるということは、相手の無法と捏造による侮辱を
言外に認めるということです。

中国もそうですが、韓国に「すべての人や国と仲良くしたいという理想に向かっている韓国なりのアクション」など、絶対に期待出来ません。

安倍昭恵さん、首相夫人という立場で独りよがりな政治的言動は、
迷惑です。安倍総理が総理でいらっしゃる間は、半ば公人でいらっしゃるということをお忘れなく、自らの(何だか一貫性を欠き、得体が知れないけれど)「思想」に基づくご活動は安倍さんが一線を外れられてから思う存分
おやりください。

備考 韓国も尻馬に乗って、アパホテルをやり玉に上げ始めました。
韓国・大韓体育会組織が関与。これをしも岸田外相は「今、問題になってるこの事案自体は、民間企業の話なので」と逃げるおつもりか。
使えない大臣は去りなさい、ヘタレ勘違い仲間稲田さんを連れて。

 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170126-00000103-fnn-int

韓国・大韓体育会、JOCなどにアパホテルについて是正求める書簡

 

*誤変換その他 後ほど推敲致します。

 

 


神よなぜ沈黙したまうのか

2017年01月23日 | 日記

日拝は、ずっと続けていて日の出る方向に神社さんがあるので、
そこへご挨拶がてら片道25分ほど、散歩することも多く、
上ってまだ時間が浅い、生まれたての太陽の光を正面に
浴びながら、タバコの吸殻を拾って歩きます。

一日三善を心がけているので、その一つ。と言いたいところですが、
実はこれ善にもならない。というのは私自身が昔、日本のみならず
世界の町のあちこちに、ポイ捨てして来ているので回収です。
回収はたぶん、一ヶ月間の拾い集めで私が捨てた分くらいには
達するとは思いますが、過去世現世と悪業を積み重ねてきた
懺悔の思いもあるので、たかだか吸殻拾いが善行とは
おこがましいのですが、やらないよりはいいかな、と。

片道でももく拾いのおっさん(死語?)をやった道を3日後に歩くと、
30本ほどあった吸い殻が、せいぜい10本程度になっていて
きれいになった実感が結構心楽しかったりもします。

日輪拝を始められた方も多いようですが、太陽の直視は
ごく短めになさらないと、目を傷めるかもしれません。
ヨガには太陽を見るやり方もあるようですが、オゾン層が
破壊されつつあり、有害な紫外線が降り注ぐ現代では、
太陽が仇となるケースもあるでしょう。

地上20~30kmのところにあるオゾン層は、厚さ3ミリほどのレースのカーテンの如きものなのだそうですが、地球保護膜破壊の元凶はフロンガスです。

太陽自体に咎のあることではなく、人類の愚行の結果ではありますが、しかしながら、古代エジプトでは「ラー」として、極東日本ではアマテラスオオミカミとして、信仰の対象となってきた太陽は命を育む慈愛の反面、砂漠においては人を苦しめる凶器ともなります。(かといって太陽が失せれば、地球上の生命全てが絶えるのですが)

愛と苛烈の背中合わせ。

擬人化されたごとく、神は人を直接罰したり救済したりする存在ではなく、ヒンドゥに端を発する仏教の世界観から言えば、前生現世来世にまたがる円環の中、人は自身の因果律の中で魂を存続させて行く存在です。
神なるものの巨視的視点から俯瞰で見下ろせば、人の一見理不尽な苦しみも、己のカルマの帰結だという捉え方です。
その一方、根源神の分波(誤変換にあらず)である諸天善神、諸菩薩などは根源神の一つの働きの側面として、救済の働きを担っておわします。

という如きことを、ふと思うのは最近映画館に参りますと、スコセッシ監督の「Silence」の予告編を観るからです。

遠藤周作の原作「沈黙」は読んでないのですが、映画の断片から察するに、キリシタン弾圧の中にあって、最後まで信仰を捨てなかった者たちがなぜ、こうも過酷に責め苛(さいな)められ命を奪われるか、という命題が主旋律の作品であるような。

もし、だとすれば・・・・そこで描かれる神は人格化されていて人を救い導きもする代わり、厳罰に処する神ですが・・・・・言ってしまえば、そのような人格化は宇宙生成のSomething Greatとは異なる、人間が勝手に作り上げた仮想の神ではないか、というのがわたくしの見解です。

述べれば長くなるので、後日に譲りますが・・・・・

以前パーム・サンデーを体感したくて椰子の葉(パーム)を手にした現地の信者たちの熱狂の群衆にもまれながらサン・ピエトロ寺院を訪れ、ローマ法王、当時はヨハネ・パウロニ世にもお目通り叶い、お言葉と握手も賜り、歴史の長い、それゆえ芸術性の高いこの宗教にそれなりの敬意を払ってはいますが・・・・しかし、本音を申せば、神道や仏教の世界観に比して、視野が狭いような気がしています。どういうめぐり合わせか、わたくしはカトリックの長と共に、仏教界の頂点でいらっしゃるダライ・ラマ猊下にもお会いしていて、彼我の宗教に関心がある人々には珍しくもないことでしょうが・・・・わたくしが宗教を考える時、常に世界観の上からは両極端に位置されるお二方のお顔が浮かぶのです。

キリスト教はカトリックとプロテスタントとあり、その中で更に宗派が分かれます。
仏教も然り。

キリスト自身が聖書を記したわけではなく、釈迦も同じく、弟子たちの聞き書き、覚書であり仏典の「如是我聞」、我かくのごとく聞きぬ、はバイブルも同様で、弟子の勘違いや、主観が混在しています。

宗派、分派が生じる一因でしょう。

キリストという覚者やゴータマ・ブッダという聖者の悟りを、そもそも文字で伝えることが不可能でしょう。

不可能だから、愛を説いたはずのキリスト教を原因として殺戮が起こります。

という視点で見れば、経典のない神道を清々しく感じます。
古代の人々の自然と向き合って得た、インスピレーションが神道、
見出した神へ至る道筋がすなわち「神道」であろうかと、わたくしは
思っています。

神道もさほど身を入れて勉強しているわけではないので、道半ばの者の言うことですが、その宇宙観の正確さに於いて、神道や仏教徒の直感のほうが、わたくしはキリスト教より優れているように感じます。

誤解なきよう、再度申し上げますがそれは「宗教」という一つの枠に収まったときの言い方であり、キリストや釈迦の、根源神とつながった悟りを比べているわけではありません。

それにしても、十字架の上のキリストが言ったとされる「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」、我が神、 我が神、なにゆえ我を見捨てたまうや」(マタイ27、45、46)の言葉です。

古語的に訳すと典雅に過ぎて実際に生きていた人の言葉としては、実感が湧かないので現代風に言うなら、「神様、神様、なんで私を見捨てちゃったんですか!!」とかなり、差し迫った思いとして伝わって来ます。

この死の間際の言葉が長年、わたくしには大きな謎です。

その後の「復活」がひょっとして、この謎の言葉を救済、あるいは糊塗のためのフィクションか、と実は思いもするのです。

いまだ学びの途次の、未熟な意見です。神学者には、深遠な解釈があるのかもしれません。たぶん、わたくしそれには納得しないであろうという、予感があるのですが。

このキリストの謎の言葉をモチーフにミステリー小説の構想を、ここ10年ほど抱いていて、そろそろ書き時なのかもしれません。
同時に、仏教とりわけ密教の世界観をベースに空海と最澄を、両者に仕えた、というより両者に恋の対象として愛された弟子(男子です)の視線から書いてみたいとも思っていますが、フィクションとはいえ背景や宗教の世界の言語、密教の法具、法衣その他、描写も用語も正確でなければならず、京都に赴き、空海が愛した男弟子の名を確かめ、また空海のこの世のものならざる能筆に接したりも致しましたが、調べが膨大でまだ書いていません。稚児が僧侶の相手として閨に入る(いる)その、お次第にも目を通したいのですが、高野山に秘匿されているという「稚児の草紙」を寺側が公開することはないでしょう。一端を、誰だったか今東光か稲垣足穂の書物で知る程度。
僧侶の男根を灯明に見立て、男同士の性愛を一つの宗教儀式にまでアウフヘーベンしたといおうか、言い訳にしたといおうか微細に渡るらしいその聖なる性愛の手ほどき本は、いかにも日本らしいと思うのです。
つまり卑近なものを美意識で高みへと引き上げるその、やり口が。

話が逸れました。

転びバテレンの頃、日本に来た宣教師は日本植民地化の尖兵であったわけですが、そこは遠藤周作さんは書かれたのか、どうなのか存じ上げません。映画はテーマが他へ行くので、たぶん触れないと思います。

聖人化されていますが、まあ白人による有色人種の植民地化、奴隷化の手先ですね。ご本人たち全てがそれを自覚していたか否かは別として。

敗戦後の日本人の精神ごと根こそぎ、弱体化しようとGHQが打って来た手段の一つが、日本国民から神道を奪いキリスト教化することでした。

カトリックの教育をお受けになられ、また父方実家の祖母がカトリックへ改宗され、いずれ一族郎党カトリック教徒になられるような精神風土の中、お育ちになられた正田美智子さんを、GHQがかなりあの手この手で入内への道筋をつけたと、わたくしはいろんな資料を当たってみた結果の結論です。
館林の正田家に出入りして、まず美智子さまの祖母を改宗に導いた、ジョセフ・フロジャックがキーパーソンだとわたくしは見ています。フロジャック自身も、美智子さんの入内が自らの最高作品(仕事の成果)だと、その著書に誇らしげに述べています。
正田家が、アメリカ産小麦粉を媒としてGHQと密着していたのは、客観的事実です。

 

さて、断食ペンションから帰京後、1ヶ月にして6キロの減量に
成功しているのですが、ジョージィのイタリアでの受賞を口実に
食べようということで、奥さんが里帰り中でご飯にあぶれている
甥っ子と、それからわたくしが世話になっている方と3人で
ふぐを食べることになり、これでまた1キロ弱戻るかな・・・・と
思いつつ、しかしそれほど頑なな食事制限しているわけではなく、
ふぐの唐揚げと白子を抜き、刺し身と鍋の身、野菜をメインに食べてました。

食事の最中、オーラの話になり、同席の「視える」知人が
私に「甥のオーラ、視えます?」と訊かれたので「藍」と答えたら、
正解でした。(オーラの色は日により、変化します)

わたくしが甥に、「私の視える?」と訊いたら「視えない。視る能力ない」というので、
「ほんとは、誰にも視える。常識で塞いでるだけ。まして私の甥なら視えるはず」

とかなり強引だったのですが、答えを強要したら「紫」と割に即答で、サイキックな知人も、「その通り」と太鼓判です。

面白いもので、当日わたくしは出かける寸前まで着物は紫を選ぼうと思っていて、
あられもない話、下履きも紫だったのです。
それが、出かける前に紫の着物を出すのが億劫になり、虫干しで
三枚ほど吊るしてあった一枚を、適当に来て出かけた、のでした。

当日のわたくしのオーラは紫だったようです。

オーラといい「気」といい、三次元の言語では説明できないものを知覚できてない人に伝えるのは、至難というより盲目の方に色彩を伝えることにも似て不可能なのかもしれません。前世についても同じく。

前夜のいでたちです。

スマホ撮りなので、はっきり解りませんが羽織はベロアレースの
透けたの。黒地に透けた部分(穴)の縁取りがベージュという感じで・・・・帯は皮です。
羽織紐が、緑と茶(和名で言えれば素敵ですが、勉強不足です)

茶に緑が合うのは、自然界の樹木がその幹と葉で教えてくれますが、
案外反物に緑がありません。薄茶の着物に、濃緑で羽織を誂えたく探しているのですが、見つかりません。

茶に、緑の縞が少し入ったのでも面白いと思うのですが。

長襦袢。

草履。

昨夜の「なり」(装い)ですが、3つ掟を承知で破ってます。

足袋が、こはぜのないソックスタイプで片方の親指に、羽を広げた
鷹が金糸銀糸でワンポイント、あります。

あと、羽織に蝶のブローチをつけてます。

極めつけが着物が実は単衣なんです。(最近、こだわらなくなりました)

改まった席ではないので、いいかげんといえばいいかげん。

単衣でも男は下に下着を重ねられ、更に長襦袢が厚手です。
最近は冷暖房があるので、伝統もやや変わってもいいのかも
しれません。

ブローチは、もともと羽織のレースが洋装の上に羽織れる感覚の、
もともと掟破りを志したものなので、ま、いっかということ。

そもそも皮の帯自体が、サッシュともいうべき感覚でこれじたいが
伝統からははみ出ています。

 

*誤変換その他後ほど、推敲致します。

 


思うことさまざま トランプへのアンチデモから慰安婦・・・・

2017年01月22日 | 日記

イタリアに送る画像について、皆様から公開・非公開で
さまざま、ご意見を賜りありがとうございました。
たくさんご意見を頂いて、初期のものしかお返事を差し上げていません。
ごめんなさい。

一つずつ、ありがたく読ませて頂きました。

でも、意見が割れて割れて分散。というわけで・・・・・数人の方からの
アドバイスのように、画像全部イタリアに送ってあちら様に選択して
頂くことにしました。

非公開で3人の方から、プロのカメラマンに写してもらいなさい、というのも
頂いたのですが、時間がないこととプロって、実物の何割増しか、
きれいに撮ってくれるんで、気が引けます。

ご意見、本当にありがとうございました!!

さて、ドナルド・トランプ大統領に対するアンチデモが盛んなようで、
国民の投票で決まったものを、今更何の意味があるのだろうと
不思議ですが。デモに名を借りた鬱憤晴らしで、商店の窓ガラスを
割ったりなどしている連中は例外としても。

STOP安倍は(与しはしませんが)解るのです。国民の総意で
選ばれたわけではないし、次には総理にはさせないでくれという、
アピールにはささやかでも、なるでしょうから。
彼らの思いに反して、支持率は上昇の一途ですが。

私は、アメリカにとってのヒラリーとトランプ、どちらがいいのか
分かりませんが、日本が戦後71年間隷属状態で来た
日米関係脱出のとば口になるかもしれないという一抹の
期待は持っています。

敗北の後のヒラリーの、常軌を逸した狂乱状態が周辺から
漏らされたりすると、デモの連中に対してはこの火病おばさんの
ほうがいいの? と訊きたくなったりするのですが。
昔ふと垣間見た彼女の表情、喋り方から、ああこの女性は
相当、ヒステリックだな・・・・・と思ったことがあるのですが、
当たっていましたね。ヒス起こして核のボタンを押しそうなイメージ・・・・
あくまでもイメージ。

メリル・ストリープが素晴らしい女優であることはむろんですが、
ある授賞式の場で、「ここにいる人達は様々な国から来た人たちだ」
と暗にトランプ批判をぶちあげたことに対して、賛意のスタンディングで
拍手を浴びていたことにも、そこはかとない違和感。

政治とは本来無縁の場であるべきところに、政治をからめた
違和感もさることながら、ハリウッドの選良中の選良、突出した才能たちが集まったところで「民族差別」を言われても。トランプの言う排斥は、ちと違うような気がするのですが。イスラム過激派や不法移民の排除でしょう?
「おらがアメリカ」に、莫大な利潤をもたらすハリウッドセレブたちは、どの民族であろうと歓迎だというのが、トランプ実利おじさんの姿勢ではなかったでしたっけ?

日本の芸能人たちが、ハリウッド風に政治発言を始めたのはまぁいいとして、
いかんせんお勉強不足の付け焼き刃。政治問題で、お笑い芸人をひな壇に飾るの止めてくれないかな・・・・・いえ、蔑視してるわけでなく、常日頃彼らの頭の回転の速さと感受性に感服してます。ただ、政治に関する発言は10年前の、無知だった頃の私より、ひどい・・・・・。

話題一転、韓国は竹島にも売春婦像を作ろうとしているようで、ここまで来るとむしろ「どんどんやってくれ」という、心境です。
韓国の常軌を逸した姿に、またやっと気づく日本国民がいるのではないですか。
外務省のやきもきをよそに、安倍総理は駐韓大使を韓国へまだ戻す気はなさそうで、何よりです。

慰安婦の次は「強制労働夫」を目玉にするらしいですが。

小和田恒氏らが率先して作り上げてきたGHQ押し付け自虐史観をベースの、外務省における売国体質をこれを機に壊して欲しいものです。一朝一夕にはいかぬ「反日の砦」ではありますが。

安倍内閣への支持率の高さを、そのまま即憲法改正への賛意とも
言えぬのでしょうが、安倍総理を嫌う人が、
クリエイター
に多いのは事実です。ある先輩熟練脚本家の方から、
「安倍さんの支持なら、きみとはもう口をきかない」と言われ
苦笑したことがあります。私も、10前まではお仲間だったので、
偉そうに言う資格は皆無なのですが。安倍さん支持も全面支持でもないのですが、今この現実の中での選択肢としてはベストの方、とは思っています。

安倍総理と言えば、お互いの言い分と姿勢を突き合わせれば、総理と両陛下が対立関係であることは、一目瞭然でしょう。だから、政府(内閣)主催の東日本大震災追悼式にはご欠席、また本来の名代たる皇太子殿下も出してやらない、という両陛下からの、無言のメッセージ、反抗、あるいはお仕置き・・・・であるような気がしないでもありません。

「お気持ち」を恒久法ではなく、特措法で対処されそうなことに、いたくご不満のご様子だし。政府としては天皇陛下の憲法違反が目立たぬよう、やむなくそそくさと妥協案提出、と思われますが。もろもろ、いちいちは申し上げませんが、
「あれもこれも」政府は苦慮、呻吟していると思いますよ。海外でパパラッチに狙われたら、ひとたまりもないことが、あるようだし・・・・・。

タイやヴェトナムへお出かけになられながら、至近で営まれる慰霊祭に不参加ということに、首を傾げている国民も少なくないように見受けます。
ご年齢には過酷な暑い国へお出ましの体力と気力とがおありなら、生前退位は急がなくてもよろしいのでは、という声も聞きます。
そのような不要不急の旅に、多大の国費を投じていらっしゃる前に、祭祀をなさってくださいませ、という意見も見かけます。譲位の前に、次代の神道の祭祀王に対して、しっかりご教育でしょうか。
畏れながら皇太子殿下は、祭祀を営まれる身体的条件にいらっしゃいましょうか。

祭祀を抜きにしての、天皇陛下や皇太子殿下のご存在の意義とは、なんでございましょう? あらゆる余剰を削ぎ落としていって、最後に残る皇族の背骨は、皇祖神につなぐことが出来る祭祀であろうと、愚考致します。

NHKという公共放送を“私用”されての「お気持ち」の
表明以降、ご学友を通じての、政府へご不満の表明など、ここへ来て急に陛下の「個人」としての「肉声」をあからさまに聞くことに、戸惑いがあります。

昭和の御代まで天皇とは、私人としての肉声を放たれず発言は常に
国家国民へに向けての、非常にいい意味での「建前」で、言葉の全ては
茫洋とした絹の衣にくるんで述べていらしたと思います。

皇太子殿下のご健康に関して、そして皇太子の岳父の海外某所における、ある“不祥事”がお耳に届いていないわけもないと思われますが、何をお考えで譲位をかくも急がれるのか・・・・・。
不遜ながら、どうも胸の内がスッキリ致しません。

天皇陛下の代弁者であられ、外部へ向けてのスピーカー役の
ご学友、橋本明氏の「次は(天皇陛下が次に行かれるのは)韓国だ!」と
おっしゃったことも、胸につかえています。

なかんずく皇后陛下主導で、韓国への謝罪旅行を示唆なさっているような、ご発言を報道で散見することもあり。

 

話題各様各種、テーマに統一のない文章でした。

 

*誤変換その他、後ほど推敲いたします。