井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

母の介護

2017年11月06日 | 日記

 

 

男には介護は出来ないな・・・・というのが「ママを殺した」(藤真利子著)の
最もシンプルな部分の読後感である。

まりんこ、こと藤真利子とは公私にわたり30年以上に及ぶ付き合いがあるので
本書に私自身は登場しないが、記述の行間に(ああ、これはあの時)と
読み取れ、またお会いしたことのある方々も登場して、
なおさら迫ってくるものがあるのだが、「身びいき読み」しなくても
老親の介護という誰もがおおむね突きつけられる現実が、作家の娘らしい
正確な筆致と感性で綴られていて、一気に読み即、ご本人に
感想を送ったのだが、書かれてある事象が重すぎて軽い言葉はかけられない。

真利子ちゃんのお母様には、真利子ちゃんが務めていた「アマデウス」の観劇の時
お目にかかったことがあり、ジャニーズ事務所のメリーさんにもこの時紹介
された。

真利子ちゃん、メリーさんと3人で何度か行った六本木のレストラン「まくろう」なども本書には登場して
そういう意味でもなつかしかった。

本書の表現は忘れたが、赤ん坊を育てることには未来があるが介護は
死への道筋だ・・・という、それはほとほとそうなのだと思った。

父親の愛人のもとを訪れ帰った真利子ちゃんをお母さんが「マリが汚れた!」と
冷たい風呂の湯につけて頭から押し込み溺れさせそうになるくだりなど、
申し訳ないが脚本家としての性根がわなないたくだりである。

「ママは私が殺した」は真利子ちゃん本人から、何度か直接聞いたことだが
軽々になぐさめる気にはならない。

「私が殺した」は120%の介護が行き届かなかったことへの自責であり悔いであろうが、
何より愛の表現だからだ。

愛する者(人間に限らず)の看取りに満点は絶対にない。あれもすればよかった、こんなことしなければ
よかったという思いにずっと付きまとわれる。でもそれがたぶん、愛の表白なのだ。
だから、真利子が「私が殺した」と言っても、私は黙って聞いている。
強い思いを前に、お座なりな言葉は無礼であろう。

看取った後、背負う十字架の大きさが、きっと愛の大きさなのだ。

かくいう私も実は犬たちに、毎朝詫びている。人と比べてはいけないけれど。
何という至らない「親」であったろうと、侘びて侘びていつしかもう十年の余が過ぎた。

そう言えば、真利子ちゃんは世田谷区に住んでいる頃、しじゅう遊びに来てくれたので
犬たちのこともよく知ってくれている。

明後日、内館牧子たちを加えて食事の予定なので、その時真利子ちゃんに
犬たちの思い出を聞いてみたいと思う。

 

 

 

誤変換その他、後ほど。

 


3 コメント

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藤真利子さんに幸あれ! (総太郎)
2017-11-06 13:16:40
先生、皆様方、こんにちは。

藤さんの著書、まだ未読ではございますが、
とにかく、御自身を責めないでください・・、
とお伝えしたいです。

お母様もきっと心から藤さんに感謝され旅立たれた筈・・。
人生は様々な苦しみがあり、こちらの読者の皆様含め、それぞれに悩まれ、懸命に努力されている筈なんですよね・・。

御自身であれだけ努力なさった藤さん・・。
ファンの一人として心より敬意を表明させて頂きます。

先日、先生にもオフ会でお伝えさせて頂きましたが、小生の御尊敬・お慕いする東映の名匠・内藤誠監督が、やはり藤さんの近況と御事情に言葉を失われておられ・・。

以前も投稿させて頂きましたが、内藤監督が藤さんをゲスト主演に迎え、メガホンを撮られた
TBS 「Gメン75」(太平洋大捜査網)
は御自身の中でも最高の自信作の一つ!

藤さんは全編ベトナム語の台詞を全てマスターなさり、素晴らしい熱演!

当時、フジテレビ「飢餓海峡」
と掛け持ちなさり、ハードスケジュールだった藤さんの身柄を少しでも早く確保したい
「飢餓海峡」スタッフの小栗康平監督が(当時、浦山桐郎監督の助監督をされておられました)
「G メン75」の撮影現場にも車で乗り込み待機!

内藤監督曰く「私は浦さんのように粘りませんから安心してください(苦笑)、必ず、真利子さんを時間通り、早めにお返ししますから・・」旨。

小栗監督も、安心された御様子で真利子さんを車に乗せて、神風のように去られたそう・・(^_^;)

そんな状況でも、弱音一つ吐かず、いつも努力家で、スタッフや共演者の方々にも優しい気を配る女優が藤真利子さんだったと!

内藤監督からも藤さんへの心からの激励を承り、読者の皆様にも藤真利子さんの素晴らしさを改めて知って頂きたく、投稿させて頂きました。

元々、「飢餓海峡」はドタキャンした某女優さんの尻拭いを藤真利子さんが快く引き受けられ、
一方、「Gメン75」への御出演は、「飢餓海峡」決定以前より早い段階で引き受けておられたようで、責任感の強い真利子さんが、御自身にむち打ち全力投球なさった経緯!

先日のテレビ朝日「そして誰もいなくなった」も素晴らしい存在感でしたし、
藤真利子さんの今後の御活躍を皆様と一緒に心から応援させて頂きたいものです。

そして井沢先生にもこれからも末永く、真利子さんのお側に居て頂きたく・・(^_^)

真利子さん、頑張ってください!
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真利子さんの目が好き (ときわ)
2017-11-06 20:07:26
井沢先生、みなさん、こんばんは。

私は、藤真利子さんに比べれば短い期間でしたが、母の介護をした経験があります。
子育てなら日々少しずつ楽になっていくのに、介護は逆ですから本当に参りました。

嫁が義父母を、息子が父母を、娘が父母を。
介護の形は色々ありますが、娘が母を介護するのが一番きつい、とどこかで読みました。
娘が親の介護をする場合は、やって当然と周囲に思われますから。
それこそ兄弟や夫からも。
また、親の方も娘に対しての甘えがあるのです。まるで母に対する幼い子のように。

励ますつもりなのでしょうが、
「痛い思いしてあなたを生んで、寝ずにおむつを替えておっぱいを飲ませてくれたお母さんだもの、大事にしないとね」
などと、他人に言われたことは数知れず。

うちも父の浮気騒ぎで、母が真利子さんのお母様のような心理状態に陥り、子どもだった私は訳も分からず混乱しました。

母は大正15年生まれ。
戦争に、若くて楽しいはずの青春の日々を奪われた世代です。
遅い結婚をしたあとも、苦労が絶えない母でした。
小さな身体で一生懸命育ててくれたのに、その母に私はひどい言葉を浴びせ、手を上げたのです。
優しくしてやれない自分、母を重荷に思う自分。
精神的にも体力的にも限界を超えていました。
いっそ私が先に死んで母を迎えに来れたらいいのに、と思いました。
その母も亡くなり、私も重い十字架を背負いました。
どんなに詫びようと母はもういない。

このつらさを本当の意味で汲んでくれたのは、介護職はじめ、やはり経験者の人々でしたね。それと、当時まだ幼稚園児だった息子。

つらい思いを抱えているときは、黙って、かたわらでじっと話を聞いてくれる。
そんな人がそばにいてくれたら、と思います。

藤真利子さん、お疲れさまでした。

先生、いつも勉強させていただいています。
ありがとうございます。

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Unknown (ロビン)
2017-11-07 14:58:38
藤真利子さん大好きです。

高校生の時「文子とはつ」をみてから、とても気になる女優さんでした。
顔が好き!声も好き!
これからもご活躍を楽しみにしております。
 
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