井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

日韓断交はありや

2019年05月11日 | 歴史・政治

日韓の断交論が、両国で出始めてからしばらく経つ。
日本における断交論は韓国よりはかなり早かった。

それでも、あり得ないとする楽観論は韓国側だが、根拠は
この数字らしい。

日本への輸出
268億1,600万ドル

日本からの輸入
551億2,500万ドル

http://www.jftc.or.jp/kids/kids_news/japan/country/Korea.html
大韓民国HPより

要するに断交したら赤字になるのは日本だから,という理屈である。
しかしこの部分だけ切り取っての比較論は錯覚である。

日本全体の輸出入の数字で言えば、断交による韓国からの収入カットは
さしたる痛手ではなく、経済面だけではなく日本毀損のあれこれを
考慮にいれれば、トータルとして日本は断交により得るもののほうが
大きいという意見があり、私もそちらに与する。
といって即刻断交をというほどの急先鋒に立っているわけではないのだが
韓国が見くびっているのは,日韓の力の差を見誤っているからに過ぎない、
ということは指摘しておきたい。

たとえばHUBOは韓国科学技術院(KAIST)が04年に公開した
ヒューマノイドロボットだが、そのKAIST自身が認めているように
ロボットのセンサー、エフェクター、コントローラーという
核心部分の輸入は、スイス、ドイツと共に日本に頼っているのである。
第4次産業革命の技術が集約されたヒューマノイドはロボット産業界が
目指す最終目標だが、この分野において先んじているのはホンダの
アシモであり、韓国のHUBOはその心臓部分を自国で製作できないのだ。

もっとも米ボストン・ダイナミック社のヒューマノイドロボット・アトラスはソフトバンクが買収したので、微妙なところだが。

 

日韓の国交断絶は、北東アジアの安保情勢、北朝鮮の核・ミサイルを考慮すれば安易に言うことは出来なかったが、こと北べったりの文在寅政権が存在しそれが今後も引き継がれるなら、そうでもなくなった、とは言える。

韓国政府が「司法への不介入」と、都合のいい言い訳を理由に放置、
そのために韓国政府もおそらく困りきっているであろう、日本企業資産への強制執行による現金化が現実のものとなる勢いである。

日本に何をしようと言おうと、経済関係まで日本が断ち切ることはないと
たかをくくっていた韓国だが、日本から伝わってくる雰囲気が今までとは
違うことにようやく、気づき始めたようである。
徴用工判決による現金化に対しては、日本が報復措置に出ざるを得ないからだ。
韓国に対しては、岩屋毅国防相のようにへっぴり腰の人たちも、
ことここに至って何もしなければ、厳しい国内世論が自らの地位を危うくしかねない。

韓国における輸出の20%を占める半導体産業の、部品・製造装備の
多くが日本に負っていることを知らない韓国人が多いのではないか。
韓国に代替物はなく、輸入先を他に変えてもコストの面で
見合わないのだということを、韓国の人々には思い知って
頂きたい。

車両用半導体も日本からの輸入頼みであることを、韓国民は
知っているのだろうか。この分野における日本は世界に冠たる
位置にあり、日本が韓国に半導体を輸出しなくなれば、
韓国の未来型自動車開発は、たちまち頓挫する。

石油化学の分野も、日本との資本協力、技術協力がなくなれば
韓国はジリ貧になる。鉄鋼板、自動車部品も然り。

これは日本人も心得ておくべきことであろう。日本が本気で
勝負に出た時、勝ちのカードを手にしているのは日本である。
制裁に出たくない連中が日本に大勢いるので、即刻
韓国が追い詰められることはないにしても、韓国が
やり過ぎれば日本の世論が、政府の無策を許さなくなる。

「関税引き上げ」も韓国が報復関税を掛ければよいことなので、
あり得ないというのも楽観的過ぎる。日本の対韓輸出>韓国の対日輸出
である。日韓における被害の多寡は自明の理。困るのは韓国なのだ。

ビザ制裁も、韓国の被害のほうが大きい。日本の足腰は
それほど弱くはない。

対日依存度を低める努力、はずっと韓国で言われていて要するに自国生産と
他国からの輸入、代替輸入元探しであるが、双方上手く行ってはいない。
この点に於いても、日本は柔軟で有能、韓国の敵ではない。窮すれば
レアアースのケースを見れば解かるように、別の道を拓く能力がある。

いまだ、慰安婦の徴用工のと韓国は一体何をしたいのか。「未来志向」が
彼らの口癖だが、概ね有りもしなかった過去を振り返り足踏みしながら、
人は未来へ一歩を踏み出すことは出来ない。

韓国の子供たちも不幸であろう。相手が日本人であろうとなかろうと、
憎しみを最初に教わった子らが、建設的未来に視線をやるのは
困難なのだ。幼児期に刷り込まれた憎悪は概ね一生続く。
そして国が前進する力を弱める国民となるのだ。日本へ向けた
憎悪はいずれ、自国の大統領へと向かい引きずり落とし罵る。
挙げ句、「ヘル韓国」から国外脱出を試みる人々が多くなる。
そして移住した先で、彼らがやることと言えば祖国を棄てた
身でありながら、またも慰安婦像の設置である。

日本人が米国の原爆投下の非を忘れ去ったわけではない。だがそれはそれ、と
立て分けて考え対処する理性がある。

恨みがましい上目遣いで、賽の河原の御詠歌を歌っているごときことをして何になろう。

一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため

一つ積んでは慰安婦のため 二つ積んでは徴用工のため・・・・

賽の河原に積み上げた石は鬼に突き崩されるのだが、韓国人が
積み上げた石も、いずれ突き崩されよう。その「鬼」は
歴史の真実であろうか。