井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「すぐ死ぬんだから」

2019年02月19日 | 日記

友人である内館牧子の「すぐ死ぬんだから」を
一気に読み終えた。
さすが映像畑の作家で、読んでいるとシーンが目に浮かび
会話が音声で立ち上がる。
歯切れのいい文章で綴られ、軽やかな足取りで物語は
ぐいぐい展開するが、いい塩梅に深みも添えてある。

78歳の女が主人公だが、彼女は世間の「楽なほう」に流れる
世間一般の老いが嫌いで「人は外見だ」として、若さの
維持とファッションに気を配るのである。

「これなら浮気もしない」と見込んで見合いをした

夫とは円満。長男が掴んだ嫁がババで、その長男も
出来がいいほうではないが、「お前と結婚してよかった」と
手放しで言ってくれる穏やかな夫との暮らしに満足していて、
つつがなく人生をまっとうしそうであったが、夫の
急死で、物語の中盤にとんだどんでん返しがあり、
主人公は波乱の中に叩き込まれ、しかしその中から
彼女は恨みつらみを捨てることの快適さを
つかみ、残りの人生を生きてゆく、と上手な
あらすじではないが、おおむねそんな話である。

内館がまだ物書きにならないOL時代からの付き合いであるが、
年数を経て手練(てだれ)になったなあ、と思う。
それにしても、タイトルが昔から
上手い。初期の作品「BUSU」は鮮烈であったし、
最近作では「終わった人」そして今度の「すぐ死ぬんだから」。

「人は内面である」やら「シワが美しい」やら、私も
かねがね、こんな嘘っぽいことよく言うなあと思っていたのだが、
内舘の小説は、世間一般に流布されているこれらの
偽善的な言葉を吹き飛ばし、痛快であった。

内面が外見に表れるのは事実であるが、外見が内面を
左右もする。外側をつくろうことは、中身を
整えることにつながる。

老いは汚いのだ。汚いから、努力しないともっと汚くなる、
と小説は語る。「楽」に流れ、体を締め付けない
ゆるゆるの(耳に痛い)、それも灰色を来てセンスの悪いリュックを
背負って
徘徊する老人たちを、作者は主人公の口を通して罵倒するのが
小気味いい。こんなこと、素で語れば袋叩きに合うのだろうが
小説の中のことなので、抵抗感がない。

『自然に任せていたら、どこもかしこも年齢相応の、汚くて、
緩くて、シミとシワだらけのジジババだけになる。孫の話と病気の
話ばかりになる』

小説の中の一節である。
かといって作者は主人公を甘やかさず、娘の言葉に託して
主人公を厳しく批判することも忘れていない。

私も孫の話を過度に聞かされると
(ああ、あなたも人生からお褥(しとね)滑りしたんだね)と
密かに呟いている。孫が可愛いのは重々解かるが、他人には
面白くもおかしくもない。
と、そのことを測れるセンサーがもう、鈍化しているのだ。
老齢による社会性の喪失への第一歩である。


6 コメント

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訃報 (総太郎)
2019-02-20 01:09:01
先生、皆様方、今晩は。

内舘先生、白洲さんら、先生と縁の深い皆様のご活躍を改めて応援しております。

そして、昨日、先生とも御縁のある佐々木すみ江さんの御逝去が報じられ、心から御冥福をお祈りしたいです・・。

小生、一昨日の夕方、東映社員の友人から、心から御尊敬していた佐藤純弥先生の御逝去を知らされ、未だ意気消沈・・・。

三田佳子さんも追悼談話を公表してくださいましたが、未だに気持ちの整理が付かず・・・。

悲しい出来事が続きますが、合掌・・・。

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感性の老化 (美しい日本)
2019-02-20 13:39:02
井沢先生  こんにちは

認知症じゃないのに、
同じ話を繰り返すようになるのも、年配の方(主に女性)の傾向かと思います。

いわゆる “ 前期高齢者 ” に該当する年齢でなくとも、おしゃべりの中年女性で同じ話を繰り返す人はいますが・・・

その方のその時点での関心事なのでしょうが、短い時間でそう何度も同じ話をされると、
聞く方は辟易します。

先生の場合、センサーが働いて、あまり(滅多に)そういうのはなさそうですね。
元々の感性と職業柄でしょうか。
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私の対策 (井沢満)
2019-02-20 17:50:00
同じ話を何度もすることは余りありませんが、しかし「この話、前にしましたっけ」とは割に確かめてはいます。
大体覚えてはいますが、あやふやな時は「この話、以前にしたら申し訳ないんだけど」と前置きすることもあります。

そんなに老齢ではなく50歳程度なのに、20回ほどは同じ話を聞かされる人はいます。
「それ、もう聞きました」とは言えず、黙って聞いていますが、「と、おっしゃってましたねえ」と賢い相槌を打つ人を真似しようと思いつつ、私は黙って聞いているほうです。
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私も読みました (琥珀)
2019-02-20 21:11:01
こんばんは。
私もこの本、読みました。軽快なテンポと意外な展開に一気に読んでしまいましたが、年齢とともに楽な方へ流れるばかりの自分を反省しました。
美しいことと楽なことは対極なのでしょうか。
楽な方へ流れるのは年をとると何事も面倒になるから、と母が言っていました。

最近、読んだ内館さんのエッセイ、
「女盛りは腹立ち盛り」の〈まさおのたび〉に井沢先生が登場されていました。
先生がおっしゃった「言葉が崩れて民族崩れ、国は亡ぶ」
恐ろしいです、戦争でなくても日本が亡んでいきそうです。
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琥珀さん (井沢満)
2019-02-20 22:22:09
内舘のエッセーに昔は、私はよく登場していたのですが、最近のは知りませんでした。

小説の中では言葉遣いに対する毒舌も、共感しきりでした。「・・・・・のほう」「・・・・になります」という昨今定着してしまった「のほう」「なります」の無意味な濫用が、いまだ耳障りです。
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おはようございます (琥珀)
2019-02-21 09:20:52
先生のおっしゃる「のほう」「になります」はもちろん、「~のかたち」「~かな」これも耳障りです。
「全然大丈夫」など、全然のあとに肯定が続くのも聞き苦しいのですが、
職場では当たり前のように使用されていて、それが気をつけていても自分にも感染してしまいそうです。
頭の柔らかい子供の、国語教育の重大さを改めて感じます。
教師の教育がまず第一ですね。
内館さんの「金を積まれても使いたくない日本語」も読みました。
テンポ良く面白く書かれているのですが、美しい(正しい)日本語を使用するのが難しい時代になったと考えさせられました。
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