井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

ショーとしてのシーン

2018年03月10日 | ドラマ

 

東京は夜来の雨もどうやら上がり、午前中公園に出かけ裸足になってベンチに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら恒例のアーシングをやって来ました。

7話連続の今夜が最終回です。

◆『明日の君がもっと好き』脚本家・井沢満さん単独インタビュー<後編>「本当の恋とは何か?」 – テレ朝POST

 http://post.tv-asahi.co.jp/post-39426/amp/

 

取材に対して述べているように、いくつか「実験」をしています。
年がうんと下の妹と掴み合いのケンカをするのか・・・・と茜役の伊藤歩さんが
悩まれたようですが・・・・人さまざまで、私は母と娘が凄まじい掴み合いの
ケンカをしているのを目撃したのが、5歳の時。
とっさに掴んだ鍋を娘の頭に振りかざした母親の形相が、脳裏に刻印されました。
娘は東京でモデルをしているという話も幼いながらに理解していて、容姿の優れて
いる人でした。子供ながらに娘の男問題だなあ、と解っていたので
早熟だったのでしょう。

母と娘でさえ、生理的に合う合わないはあるのです。時に仇敵のように憎み合うことも。
そこに相手がいるというだけで、イライラする関係も。
前世がらみであることも、あります。かつての敵対の関係をこの世に持ち越したケースは
珍しくありません。と、怪しげな話はこの程度で。

世の中の考えられないような、親から子への虐待は必ずしも理屈で説明できる
わけではありません。

妻の連れ子に対する養父の虐待は、理屈でとりあえず説明できる部分ですね。

世の中にはこれといった具体的理由はないのに仲の悪い親子、きょうだいなど枚挙に暇がありません。
ドラマの中における姉と妹は、しかしケンカすることじたいがスキンシップであり
裏返せば密着した関係でもあります。
他人どうしはこうも、ひんぱんに掴み合いはしません。

ということを前提に、ドラマとしてのショーアップの意味もあります。
だからト書きに「ショーでありたい」と書いた部分です。

役者は、役の性根を一本の線を自分の納得できる形に引きたがり、それは
役者の生理とも言うべきものですが、時にはそれから跳ねてショーとしての
見せ場でやって欲しいことがあります。

役者は自分の生理も大事ですが、お客さんをどうもてなすかを優先したほうが
いい場合があります。

歩さんも、そこは納得してくださったようで最終回のきょうだいげんかは、
ちゃんと「娯楽」として成立しています。ケンカじたいが、一つの”見世物”に
なっています。

三田佳子さんのようなベテランだと作家のそういう狙いは百も承知で
「リアリズムから離れ、上海雑技団の変面で見せてください」と
お願いしても、技術上のことでは悩まれながらも、なぜそうなのか説明の必要が
ありません。

私のような、癖の強い脚本に初めて遭遇する若い俳優たちには役作りで
どうしていいのか、模索した時間もあったようですが、始まってほどなくして
市原隼人さんが「ドラマって、ドキュメンタリーじゃないんですよね」
と言ってくださって、ああ解っていただけたなぁ、と思ったのでした。

最終回では、皆さんがそれぞれ狙いを100%理解が行き届いての芝居を
見せてくださっています。

余談ですが、茜が遥飛に押し倒されながらもつい感じてしまう、脚本では
「女のボタンが押されたのか、反応してしまう」というような書き方を
したかと思うのですが、役より「自分をよく見せたい」女優さんの中には
「好きな人がいるのに、好きでもない人に感じてしまうなんて」と
抵抗する人もいそうですが(頭の悪い人はどの世界にも生息しています)、
歩さんはしっかり受け止めて、ト書き通りに演じてくださいました。

 

誤変換他、後ほど。

 


2 コメント

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まもなくお別れ最終回...( ; - ; ) (ぱたた)
2018-03-10 17:23:42
まもなく最終回...。この時は避けようもなく来てしまうのですね。(´・ω・`)
そのまえに失礼して、第6話を拝見してのよしなしごとを。

いままで亮の過去が知れないことが何かひっかかっていたのですが... 地元福岡でケンカ三昧? でも居酒屋でおやっさんに出逢ったときの彼は、むしろ内気な印象だった。それが今回、特大のビックリ箱を開けたような! ひゃああ、女形させられて舞台に立つのが嫌だったの?? 亮の娘姿、それはそれで見てみたいような^^;  代わりといっちゃなんですが、とばかりにまさかの伝さんカミングアウト! いやそうきたか!! 主筋と脇筋が二重奏を奏でるように、作中の人物と、意外な人物とかシンクロしあう... ドキュメンタリーならぬ「つくりもの」ならではの醍醐味をみせていただいた気がします。嫉妬に駆られる亮の周りが、一瞬「芝居」に変わる趣向。そのかみの内田吐夢監督の『浪速の恋の物語』、封印切りの果てに追っ手を逃れて落ちて行く二人の道行きが、生身の役者を人形に見立てた文楽の舞台になりかわっていくひと幕を思い出しました。美しかった...。

今回のビックリその2、は梓ちゃんです。いやーさすがに”コチュジャン”は引くわ^^; 一時は本気で香を守ろうとしていたみたいだったのに。姉さんが”昔は可愛かったのに!”と嘆くのも分かるような気が...。しかしこれも香さんの将来を慮ってのことなのだ...と思いたい。智宏さんとの子どもをもつことを考え始めた梓に、なぜかくりくりお目めのイエネコが子猫を産んで、”まーあの甘えンぼが、すっかりおかーさんらしくなって”といわれながら、懸命に子猫をなめまわしている画が重なってしまいました^^;  いいおかあさんになると思います、うん。

そしてその3、静子おばあさま。茜さんの不倫のDNAはおばあさま譲り、てな展開に?と思いきや、孫娘を伴っての節度ある「逢い引き」に、ゲスの勘ぐりを恥じたことでした。なんと美しい三田佳子さん!この1シーンに懸ける心意気の並々でないのを感じました。桜色のスカーフがおかおの色をひきたてて、ほんとうにお綺麗でした。
しかしこの静子さん、教養にみちあふれて、ごりっぱなことをおっしゃるのに、心に棲む鬼は制しきれない...。振れ巾の大きい役ですね。三田さんにとっても大変な挑戦だったと思います。「葉隠」の一節を引かれて、「成就したとたんに...」と言われたときは、コクトー監督の『美女と野獣』を思い出しました。豪華な衣装をまとったジョゼット・デイも美しかったけれど、身なりは質素でも背筋をすっきりとのばして、家事にいそしんでいた姿は数等倍きれいでした。それが映画の終わり、恋が「成就」したとたんに表情が弛緩して、どこか卑しくみえたのが残念でなりません。

最後の最後まで予断をゆるさず、視聴者をひっぱっていくドキドキのエンディング、二組がエスカレーターですれ違う「画」が印象的でした! 井沢先生が『浮雲』のなかにあると言われた「美学」が、このドラマのいたるところに息づいていました。このじゃじゃ馬な(!!!) 脚本を、隙なく美しい「画」に作り上げていかれたスタッフのみなさまに、満腔の感謝をささげます!( ̄^ ̄)ゞ
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ぱたたさん (井沢満)
2018-03-10 20:29:55
ずいぶん丁寧に観て頂いて、感謝に堪えません。

観るのはどのように観て頂いてもいいのですが、
頂いた感想は、私達作り手がそれは役者もスタッフも
含め「こう観ていただけたら」という願いのままで
ありがたいことに思っています。


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