井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

神々も、地域限定からその枠を広げる時代

2018年07月20日 | 高次元のお話

今日は、久々に「怪しげな話」なので、不得意な方は
スルーしてください。

ある、サイキックな方と談話の最中、青みが勝った紫(光に近い)が網膜に
鮮烈に映るので、なんだろうと思っていたら、私がそれを告げもせぬのに
「大天使ミカエルから、紫の炎を与えられているんですね。紫は珍しいのですよ」と。

ちなみに私の基本オーラは紫のようです。

「私の生まれ月で見れば、守り本尊が不動明王なのですが、不動明王と
ミカエルって、同一ではありませんか?」

と問うてみたら、「そのとおりです。それぞれの地にはそこに根付いた文化と信仰とそれに基づく信念体系があります。各地の文化や宗教観で、同じエネルギー体を別の名前で呼ばれて親しまれているのは確かです。

それ故に、宇宙的な視野で見れば同じものが、それぞれに色づけされているのだと思います。

けれど、これからはその地域的な、もしくは限定的なものの見方が段々無くなってきて、全体としてみることが出来るような意識に変わってくるのだと思います。どの地から見上げても空は一つで、宇宙は一つなのですから」

と、これは全く私のセンサーが感知するところと同じ。
キリスト教圏では天使と呼ばれる存在が、東洋では別の名を与えられているなあ、と前々から感じていたので符合、スッキリしました。

「それはすなわち天照大神、大日如来という日本の感性で捉えた神の時代の終焉でしょうか。エジプトではラーとして崇められた地域限定太陽神の終わりではないか、という意味でですが。天照大神と大日如来を世界の言語に、あるいは宇宙サイズに翻訳すれば、何になるのか。それが新たな神ではなかろうかと考えています」

とこれは私の言葉ですが、その方は頷いていらっしゃいました。

以前にも書いたことがありますが、これからは神とつながる神職に頼るのではなく、
個々人それぞれが神とつながる時代が来つつあるように思います。

組織としての宗教が政治色を帯びた刹那、神から遠ざかります。

余談ですが、不動明王=ミカエルが私の守護神であることは知っていましたが
その方いわく、「他に大天使ウリエル、こちらはあなたが生まれたときから
ずっと、そばにいらっしゃり、他に大天使ガブリエルが守護について
いらっしゃいます。3人は珍しいのですよ」

ということで、ウリエルとガブリエルを和名に翻案したら、どなた(どの
エネルギー)だろうと考えたのですが、ウリエルは弁財天かな、
と漠然と(確信は全くありません)。
ガブリエルは、今のところ見当がつきません。

ちなみに、ガブリエルはルネッサンス初期の頃は、女性として描かれていましたが、
それ以降は力強い男性としての絵画が多いのです。

もともと天使には、ということは日本の神々にも人間の肉体的意味における性別はありません。
ただ、その放つエネルギーが「男性性」であるか「女性性」であるかだけのことで、
これは日本の神々も同じこと。

天照大神は、男性、女性いずれの受け取り方もされています。伊勢神宮におわす天照大神は男性として祀られています。どちらの性の性質に重きを置いて見るか、それだけのことでしょう。

人間も、肉体の軛から解き放たれ、魂の存在となった時、性別は有しません。

 

本日は、埒もないお話でした。

*軛(くびき)=牛馬などを犂や馬車他に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具。

要は、繋がれて不自由な存在とさせるものの表象です。

枷(かせ)や桎梏(しっこく)、という言葉でも表せます。

 

誤変換他、後ほど。