井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

世界にたった一つの花 日本

2013年05月30日 | ドラマ


まずは、この地図の色分けを見て欲しい。それぞれ共通の文明圏としてくくれる国が
同一色で描かれている。そこで、日本に関して顕著なことに気づかれると思うが、
日本だけが一国で一色なのである。

よく、日本を中華文明に包摂しようとしたり、甚だしい人たちは朝鮮半島の
影響圏に置こうとするが決定的に間違いである。個人的にそう考えていたが、
それを学術論文としてまとめてくれたのはアメリカ人である。

サミュエルP・ハンティントン ハーバード大教授

リアリズムを基調とした保守的な思想で知られる国際政治学の世界的権威とされる。
日本を一カ国で単独文明圏としたのは、ハンティントン教授が著した書物『文明の衝突』
The Clash of Civilizations and the Remaking of World Orderに於いてである。

ハンティントン教授による文明の区分けはこうである。

◆中華文明

- 紀元前15世紀頃に発生し、儒教に基づいた文明圏であり儒教文明とも呼ぶ。その中核を中国として、台湾、朝鮮、韓国、ベトナム、シンガポールから成る。経済成長と軍備の拡大、および国外在住の華人社会の影響力を含め、その勢力を拡大しつつある。

◆ヒンドゥー文明


- 紀元前20世紀以降にインド亜大陸において発生したヒンドゥー教を基盤とする文明圏である。


◆イスラム文明

- 7世紀から現れたイスラム教を基礎とする文明圏であり、その戦略的位置や人口増加の傾向、石油資源で影響力を拡大している。

日本文明

- 2世紀から5世紀において中華文明から派生して成立した文明圏であり、日本一国のみで成立する孤立文明。


◆東方正教会文明


- 16世紀にビザンティン文明を母体として発生し、東方正教に立脚した文明圏である。

◆西欧文明

- 8世紀に発生し、キリスト教に依拠した文明圏である。19世紀から20世紀は世界の中心だったが、今後、中華、イスラム圏に対して守勢に立たされるため団結する必要がある。
ラテンアメリカ文明 - 西欧文明と土着の文化が融合した文明、主にカトリックに根ざしている文明圏である。

△アフリカ文明

- アフリカ世界における多様な文化状況に配慮すれば、文明の存在は疑わしいものであるため、主要文明に分類できないかもしれない。
エチオピアやハイチはどの主要文明にも属さない孤立国である。モンゴル、チベット、タイ、ミャンマーなどは仏教文化として括られているが積極的な行為主体とは考えていない。

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日本文明を中華文明から派生したとしてはいるが、そこから独立、一国独自の文明を
形成した、という見方は正確だと思う。

ただもっと正確に言うなら「中華文明から派生した」のではない、もともと
オリジナルの文明の持ち主であった日本が、中国の影響を受けた時期がある、
ということだと思う。

いずれにしても、こうして広大な世界地図を一望して、その中で日本だけが
他と異なる色で存在しているというのは、なかなか誇らしいことではないか。
もっとも、ハンティントン教授がとりわけ日本びいきで、こうした色分けを
してくれたというわけではなく、そもそも教授の著書の趣旨は、文明の衝突が
戦争を生じるといったていのものらしい。(実は未読である。ただこの7つの
文明の区分けにのみ興味を抱いている)


冷戦以後の世界を、文明にアイデンティティを求める諸国家間の対立として描いた、と
紹介されている。
ゆえに、文明の違いが戦争を生むというもともとの本の趣旨にのっとって
日本の文明上の孤立を危ぶむ人もいる。だが私は、その孤立性こそが日本で
あり、そこに誇りを抱くべきだし、孤立をベースにどう国として
生きていこうかと考えたいのである。

ハンティントン教授の、日本単独の区分けに異を唱える学者もいて、
意外なことにドイツ圏と一緒にするのだ。気質の似通いはあるが、
ドイツと日本を同じ色に染めるのは的外れである。

日本は万世一系の皇室を保って2600年、ほぼ単一民族単一国家として
生き延びてきたという点で、まず画然とドイツとは異なる。
ハンティントン教授がその論の中で天皇に触れているかどうかは
知らないが、日本固有の文明の洗練度を語る時、天皇の存在は
外せない。
この世のありとあらゆるものに神が宿るという、
古代的霊性の目覚めと結びついて現れたのが、神と人をつなぐ者としての天皇であった。
戦乱はあったとはいえ、他国のようにそのつど人口が激減するとか国自体が分裂するとか、
そういう極端な修羅場になっていないのも、天皇の存在が大きい。
中国など権力闘争がある都度、民は膨大に死に今現在の人民は
孟子孔子の文化に連なる民族ではもはやないとさえ、言われている。
あの文化の分厚い国で、なぜあの民度? といういぶかしさも、
ゆえないことではないのかもしれない。

片や日本は地続きの隣国を持たず、海に護られてあり、途中元寇はあったが、
それは神風が防いでくれた。不思議な国でもある。
第二次世界大戦はあったが、これも世界が目を剥くほどの奇跡的復興で
現在に至る。原爆を二度も食らった後、立ち直りに100年、200年
かかると思われていたのに。東北大震災もそうである。むろん、
復興はまだまだであるが、当初世界がかたずを飲んで見つめたほどの
ダメージは受けず、五輪誘致運動さえやっているではないか。

民族的結束の要にずっと天皇がいた。今、日本人はさまざまで天皇や、国旗国歌を
否定する人もいるけれど、日本という国がその文化を独自に高度に発達させた
その基盤には天皇がいた。
国旗や国歌が制定されたのは近年で、だから必須ではなく、新憲法に織り込む必要はない、
という意見も聞くが、時代が違う。国土じたいは四海に護られていたので、天皇さえいれば国の結束は万全で、他国のように旗を掲げ、戦闘的な国歌を歌って地続きの周辺諸国に示威行為を見せる必要もなかっただけのことである。
各国の国歌は驚くほど戦闘的なものが多い。

今は海も要塞ではなくなった。空からも海底からも来放題だ。それゆえ、国の旗と
歌で、民の心を一つに束ねる必要が出て来た。
地球市民的平和主義をいう人もいて、理想論としてはわかるが、時期尚早である。
いまだ国境は確固としてあり、隙あらば侵略しようと虎視眈々としている
国がある以上、一国のまとめと防衛は必要である。
そのために各国工夫を凝らすわけであるが、迷惑なことに中国と韓国が
仮想敵国扱いの日本を憎むことで人心を一本にまとめる手段としている。
天皇や国王を持たぬ国はこういうことになりがちである。
アメリカ合衆国では幼い頃から国旗国歌への忠誠が、教室で毎朝誓わされる。

日本は天皇を仰いで来たので国のまとめがシンプルだった。
現在求心力が薄らぎつつあるのは事実だが、しかし2600年以上に
わたって日本人の魂に刻印されてきたものが、一朝一夕に潰えることはない。
皇統がもし無事に悠仁さまに繋げられるなら、皇室も新たな
生命力を得る気がしている。繋がらなければもはや衰微であろうか。

少年時代に私は昭和天皇皇后両陛下の行幸啓を別府でお迎えしたことがある。
かなり間近に昭和天皇のお手振りを拝見した。バンザイという声、言葉にならぬ歓声、打ち振られる日の丸の小旗、とそこだけ切り取ったようにシーンとして覚えている。(今調べると、昭和33年の植樹祭でお立ち寄りになられ、花吹雪の季節だった)
戦後間もない時代で、天皇に対しては否定的な教え方を
されていて、少年の私の心の中にあったのは、告白すれば反発だった。
日の丸の旗も厭わしかった。そういう教育を受けていたのだと思う。
幼い頃町には占領軍が闊歩していた。

それから長い歳月が過ぎ、二十代の頃、美智子皇后のお母様をアメリカ大使官邸で
お見かけした。和服姿で辺りをはらう気品だった。

そしてまた月日が流れ、思いがけぬことに秋篠宮ご夫妻にご挨拶を賜る機会があった。
麗しいカップルで、人懐こい笑顔のお会釈に魅了されたが、それきりのことであった。

それから後、フジテレビで朝のワイドショーにコメンテーターで
少し呼ばれていた時期がある。
皇太子の話題の時に、ご学友という人がゲストで来ていらしたが
申し訳ないが関心がなく、おそらく気のないコメントを出したのだろう。
音楽関連のご学友と言われる方は相当不快な顔をしていらした。
私は好きでも嫌いでもなく、単に関心がなかっただけのことなのであるが、
番組終了後も寄って来て、なんだかネチっこくて気味の悪い思いを
したことを覚えている。

そう言えば・・・・昭和天皇と香淳皇后の第五皇女でいらっしゃる島津 貴子さん旧名、清宮貴子内親王)を、麻布十番のお祭りでお見かけしたこともある。シーンズ姿でいらした。

皇太子の幼い姿を学習院で先輩として知っている私の亡き親友(学習院の理事だった)が、
某殿下や妃を紹介したいと思ってくれたらしいのだが、私は少年時代の
教育の持ち越しで、皇室になんの思い入れもない人間であったし、
はかばかしい返事もせぬうち、親友は逝ってしまった。
弟が都庁で石原慎太郎氏の秘書をしていた時期があり、私を
引き合わせようかとも思っていたらしいが日本がどうの、防衛がどうのと
自分とは隔たったところにいる方だという認識しかなく、お会いせぬまま
弟は秘書役から外れ、石原氏も都庁から去った。
全てはご縁である。目の前にその方がいても、ご縁がなければ結ばれず、
通り過ぎて行く。
その後、日本というものを少し考えるようになって、中国と、
とりわけ韓国に余りにも批判されるので、日韓併合、従軍慰安婦、
南京大虐殺と調べるうち、教えこまれていたことと大きく
隔たりがあることに驚き、更に国というものを考えるようになった時、
思いがけず立ち現れたのは、天皇であった。
親友がいまだ存命で、皇族に会わぬかと言われたら、今なら迷わず、
秋篠宮家につてはないか、と訊ねる。
おそばで拝見したいのは悠仁さまである。
キリスト教界ではヨハネパウロ2世に、仏教界ではダライ・ラマ猊下にお会いした。
あとは神道界の星にお会いしたい。・・・それがなぜ悠仁さまかと
問われると答えに窮するのだが。

世界の文明も悪しく飽和点で、核は常時ダモクレスの剣として
頭上に揺れている。私はかねてより、世界の行き詰まりを打破できるのは、
日本古来の精神性であると思っている。
神道ベースの、日本古来の感受性の中にこそ、
世界を救う鍵がひそかに、光を放っている気がするのだ。
皇祖神はアマテラスであるが、日輪は世界を照らしている。

伊勢神宮を頂点として、霊的感受性が多少あれば(眠っているだけで、皆あるが)
神格の高い神社では宗教の枠など超越した、神の息吹を感じるはずである。
私は特定の宗旨宗派に属していないけれど、もし海外で宗教は?と
問われたらシントーイストだと答える。

秋篠宮殿下が、お嬢様がたがまだお小さいうちから皇祖神の
みもとへお連れになられ、先帝の御陵参拝に伴われたことを
素晴らしいとお見受けするが、なかんずく
嬉しく有りがたいのは幼い悠仁さまを、しきりに神域へ導かれることである。
伊勢神宮参拝も御陵訪問も、単なる儀礼ではない、最たる帝王学である。
将来の天皇陛下として、日本の神との交流を秋篠宮殿下はお教えになっているような
気がする。
これから世継ぎの男子として、厳しいしつけがなされるのだろうか。
いとけないご年齢で、おいたわしいが、そういう星を頂いてお生まれになられた。
しかしご家庭は、闊達で明るく突き抜けた慈愛に包まれているように拝見する。
大丈夫だ。
民草の1人として何のお力添えも叶わぬけれど、神社参拝の折には
悠仁さま秋篠宮家のご息災を祈ることとする。

秋篠宮家にまつわり、さまざま流されたゴシップは汚い泥沼であるけれど、
清らかな蓮の花は根を泥中に開く。秋篠宮ご夫妻のお年を重ねるほどに
光の添うような佇まいには、
過酷な泥が必要であったのかもしれない。
悠仁さまは聖帝となられるかもしれない。(もはや、思い込みと
化している。一種のファン心理と揶揄されても苦笑して、返す言葉がない)


日本が日本として、世界にたったひとつの花を咲かせ続けてありますように。




*皇祖神を高皇産霊(たかみむすび)という性別のない神、とする説もある。
以下は私見だが、天照大御神も本来は人間界で区別する意味での性別はないと
思う。男性神とする説もある。神は融通無碍でいい。尊と名付ければ
男性性の勝った神であろうし、媛と名付ければ女性性の勝った神となる。
いや学者ではないので、あくまでも私見だが。

*ダモクレスの剣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9
故ケネディもこの故事を演説に使った。

“Today, every inhabitant of this planet must contemplate the day when this planet may no longer be habitable. Every man, woman and child lives under a nuclear sword of Damocles, hanging by the slenderest of threads, capable of being cut at any moment by accident or miscalculation or by madness.”
地球のすべての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いをはせるべきであろう。
老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ。



3 コメント

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私も祈ります。 (秋篠宮家を尊敬する民)
2013-05-31 11:33:06
最近の井沢さんのブログに秋篠宮家の話題が増えてきたことをとても喜んでいるものです。
かねてから東宮一家にまつわるけっして微笑ましくはない話題ばかりを憂いておりましたところ 悠仁様のご誕生という一筋の光が差し込みました。秋篠宮ご一家は天皇皇后両陛下を支えて努力していらっしゃいます。皇室に興味のない国民に少しでも真実が伝わるように井沢さんもブログなり活動なりでお知らせくだされば幸いです。
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秋篠宮両殿下のご努力が報われますように (秋篠宮家の彌栄を祈るもの)
2013-05-31 18:24:33
井沢様、秋篠宮文仁親王及び紀子妃殿下に関する真っ当なご意見、誠にありがとうございます。日本を愛する、そして皇室を愛する一国民として心よりお礼申し上げます。
今月、秋篠宮両殿下は東北の被災地を訪問されました。一昨年の大震災以来、両殿下は度々被災地を訪問され、被災者を励まし続けてこられました。しかし、それをきちんと報道したマスコミがどれほどあったでしょうか? 
秋篠宮両殿下は、ご高齢の天皇皇后両陛下を支え、祭祀、伝統行事、地方公務、国際交流など、両陛下のご公務を見事に継承なさっておられます。本来、東宮家がなさるべき公務まで、秋篠宮両殿下が全て負担されている。
しかし、この事実が日本国内で正しく報道されているでしょうか? 秋篠宮両殿下の血の滲むようなご努力が、正しく国民に伝えられているでしょうか? 裏で蠢く不穏なものに情報が操作され事実が隠されてはいないでしょうか?
私は、秋篠宮両殿下の公務に対する真摯な姿勢や皇族としての在り方の素晴らしさは、もっと報道され、高く評価されるべきだと考えています。
ずる賢く生きるものが美味しい思いをしてはならないと思います。
皇室は日本人の精神的な支柱。私は、その支柱として相応しいのは秋篠宮両殿下であると考えています。そして、両殿下のもとでお育ちになられる悠仁親王殿下が将来立派な天皇になられるよう、心よりお祈り申し上げております。
どうか、井沢様のブログを通じて、少しでも多くの国民が皇室の現状を知って下さるよう願っています。
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秋篠宮悠仁親王殿下の健やかなご成長を祈ります (Unknown)
2013-06-01 12:47:13
幼い秋篠宮悠仁親王殿下が、藩屏のいない国立附属小学校の泥沼で汚されるのを憂慮している。
俗に言う「茗荷谷三校」はお受験業界の最高峰であり、その保護者には、立地上からも、医師や弁護士、大学教授などの知的職業に従事する父、高等教育を受けた母の割合が高い。そして、日本の高等教育の欠点でもあるが、皇室・皇族方に無関心な者、さらにいわゆる「天皇制」への批判を抱く者も多い。
教員は、その教育の結果について批判されたり有効性を検証されることがないので、独善的な思いこみ・思いつきによる十年一日の研究授業をしている。すなわち、20年前には画期的な教育手法とされ、10年前に左翼的文部官僚によって全国的に実施され、現在では葬り去られようとしている「ゆとり教育」や、高等教育の手法としては有効な「学び合い教育」を、いまだに小学生を実験対象として行っている。思想に凝り固まり、袋小路にはまり込んだまま、居心地の良い職場環境の維持に汲々としているやに見える。
児童への基礎学力定着は重要視されないので、危機感を抱く保護者は、自主的に学力の向上を目指すべく、低学年から塾に通わせる。児童は塾で得た知識を教室で披露し、教員の「子ども同士による学び合い学習」を支えている。(参照:2012年11月24日付産経新聞、解答乱麻・亡国の教育「学び合い学習」向山洋一氏)また、塾通いでストレスをためた児童らによる、陰湿ないじめもままある。よい大学へ進学し官僚・企業人(=臣下)となることが至上命題となっている児童らとは異なる、親王殿下の特別なご身分とそれに伴うご自制は、容易にそのターゲットになるであろうことは想像に難くない。他者へのいじめを傍観する行動も、親王殿下の教育上よろしくなかろう。
ご進学については、両殿下ももう少し考えて頂きたかった。
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