井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

日本会議設立20周年記念  日本会議国会議員懇談会

2017年11月28日 | 日記

昨日、表記の祝宴が、東京プリンスホテル「鳳凰の間」で催され来賓としてお招きを頂戴したので
祝賀に駆けつけた。

自民党、希望の党、維新の会と政治家諸氏多数、地方議会からも議員諸氏。
櫻井よしこ氏、竹田恒泰氏などのお顔もあり総勢2千名は壮観であった。

私のお隣の席が石平氏、前には佐伯チズ氏がいらした。

そして、各国からの留学生代表。

主な議題は「憲法改正」である。
拉致被害者の奪還、などの話題。

加えて皇室。女性/女系天皇の素地となる女性宮家創設阻止。

憲法について、いろいろ擁護する人もいるようだがしかし、現憲法が
GHQからの押しつけであり、決して日本国の為を思ってのそれでないことは
歴然としている。

原文は何しろ英語である。あの美しくない日本語はそもそも、原文が外国語だからなのかもしれず、
おまけに一箇所誤訳ないしは誤植まであるというていたらく。助詞の間違いである、と聞いた。

後述 *注 「信頼」は二格・ヲ格ともにある、とコメント欄にご注意を頂いた。漱石・鷗外らも「~に信頼」を用い、戦前の新聞記事では二格が優勢だった、そうな。

当時、作成に当たったアメリカ人がはっきり「日本を二度と戦えぬ半端国(半国家)にしておくための憲法であった」と言っている。日本無力化のための憲法である、と作った本人が明言しているのである。

安倍総理を極右と捉えて警戒する向きもあるが、左に寄り過ぎた日本を真ん中へ戻そうとしている
だけのこと。

あまり写真を撮るほうではないので、二次会の懇談会に移ってからの写真が1枚あるのみである。

衛藤晟一、新藤義孝、稲田朋美・・・氏らだが、これはほんの一部。記念大会には、もっとたくさん
いらして壮観だった。これらが、まずはまっとうな議員さんたち、と心強く思った。
個々、むろん物言いたいお方はいるにしても選別すれば「こちら側」の方。

 

会場で配られた冊子。

政治家諸氏の他、各界からの言葉。一色正春、加瀬英明、千玄室、徳川康久、ペマ・ギャルポ・・・・氏他、多士済々。

不肖、わたくしも駄文を寄せた。錚々たるメンバーの中でわたくしなど異端のほうかと思っていたのだが、「正論」だったか・・・・に随分、大胆なことを書かれた河添恵子氏のお名前もあり、ほっとした。

頂いた資料を拝見していると、平和憲法護持といい(女性宮家創設について、質問はなかったがこれを含めてもいいだろう)天皇陛下は日本会議と反対のお立場にあるのではないかという、実に大胆なことを、あっさりと質問している事項もあり驚いたのだが、それには真っ向からのお答えはなく「天皇陛下のお考えは常に正しい」という回答の仕方であり、これはこれで一つの姿勢の示し方なのかもしれぬ。
建前論も時に有効であることもある。それにしても、上記の設問を堂々と関連冊子に載せるあたり、日本会議も硬直していず、よかった。
ただ内部でもおそらく、姿勢は真っ二つに分かれるのではないだろうか。建前論で押し通すべきという派、否現実は直視せねば国の背筋は正せぬという派。ただ後者を公に口にすることを選択する人は僅少であろうと思われる。

 

以下がわたくしの寄稿文である。

 

 

まずは、設立二十周年記念おめでとうございます。わたくしが日本の危うい現実に、はたと気付かされたのは人生を半ば過ぎてからという不甲斐なさ。
終戦後にGHQの施した日本弱体化政策のあれこれ、戦後教育の洗礼で何も見えず延々と無知の無明をさ迷う間にも、二十年間という歳月を、日本の灯台であり堡塁であり続けてくださったことに感謝申し上げます。
北の脅威が日々増す昨今、日米同盟を緊密に保ちつつも大東亜戦争の本質を、わたくしたちは見失ってはなりません。自衛のためのやむなき戦であり、侵略戦争などではございません。これを子供たちに伝えねばなりません。
先人の皆様方が身を呈し守り抜いてくださったこの麗しい国を蛮族に蹂躙させてはなりません。
世界平和はもとより人類究極の悲願ではございますが、いまだ世界はその域に達してはおりません。
平和を希求する者として、憲法改正を渇望します。安倍政権の長期ならんこと、そして「日本会議」の更なる地歩の鞏固ならんことを祈念致します。
 
 
 
与えられた字数を律儀に守って書いたのはどうやら私だけらしく、皆さん想い溢れるのか政治家の方々含め
  長文。
しかし、2千名も集まっての愛国集会はおそらくニュースにもならないのだろう。
反日本、反政府デモなどは数百人で報道されるのに。

14 コメント

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久しぶりにコメント致します。 ()
2017-11-28 12:14:33
美容家の佐伯チズさんが保守だとは存じ上げませんでした。意外な名前を見かけると嬉しくなるものです。
金美齢さんの見間違えじゃないですよね?(笑)新谷のり子さんも似ていますが、あちらは左の方ですね。
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追記 ()
2017-11-28 12:28:04
助詞の間違えは「平和を愛する諸国民の公正と信義『に』信頼して」の事でしょうか?
あれは、書かされた日本人側の抵抗だったと思っています。当時、日本語に精通した白人はそうはいなかったはず。後世の日本人に「気づけ!この憲法は日本語もロクに出来ない奴らが考えてチェックして通したんだよ!」と。小学生でもわかる間違いですから。
この推理を言っていたのは、石原さんだったか倉山満さんだったかは忘れましたが…。
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助詞は難しくて… (ぬかった)
2017-11-28 19:18:08
仁さま

横からごめんなさい。実は、「信頼」は二格・ヲ格ともにある語なのです。漱石・鷗外らも「~に信頼」を用いていますし、戦前の新聞記事では二格が優勢だったようです。ところが現在は「~を信頼」が一般的になっていて、憲法の「~に信頼」に違和感が大きいのだと思います。

もし、憲法制定時に「信頼」がヲ格しかなかったとすれば、さすがにあちこちから声が上がったでしょうし。仮にも作家である石原慎太郎氏がおっしゃるのだから、と思いますよね、普通は。でも、これは違うでしょう。(というか、石原氏の言うことだし)

日本国憲法が即席の押し付け憲法なのは、間違いありませんし、他の助詞や語句に怪しい箇所があっても不思議ではありません。何しろ、天の声のように不可侵の存在でしたので、批判の対象とは考えもしませんでしたから。日本人って、なんて純情な国民なのでしょう。
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お返事 (井沢満)
2017-11-28 20:04:12
仁さん

佐伯チズさんに、間違いはありません 笑

>「平和を愛する諸国民の公正と信義『に』信頼して」の事でしょうか?

ですね。

ぬかったさん



なるほど。

実は、日本会議のどなたか博識の方のご挨拶に、文法の誤りとして引かれ、私はそれで知ったのです。

注として、補足しておきます。

ところで、ぬかったさんは言葉関連の専門の方でいらっしゃいますか?


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ぬかった様 ()
2017-11-28 20:57:21
知りませんでした。明治が言葉の変革期なのは知っていましたが、昭和からも徐々に変わっているのですね。
公正と信義に〜のくだりはあまりにまことしやかに語られているので、誤解している人もまだ多いんじゃないでしょうか?ニ格とヲ格…勉強になりました。ありがとうございます。
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櫻井よしこ氏も (井沢満)
2017-11-28 20:58:32
http://www.sankei.com/affairs/news/150503/afr1505030017-n1.html


鴎外、漱石は大正期の作家なので・・・・
ひょっとしたら、昭和20年前後というのは、
「に」が「を」に、語感として取って変わりつつ
あった時期、なのか?

もしそうなら、「文法上は間違いではない、が
当時の日本語の語感からは逸脱している」?
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日本会議 (Unknown)
2017-11-28 21:40:49
そんな素敵な集まりがあったとは、
井澤満氏のこのブログで初めて知りました。
日本にこうした方々がいて下さるとは、心丈夫、ホット致します。
なぜ報道されないのでしょう。

これから少しづつ御花畑の人々が気がついて行くと思います。
この会合で配られた冊子は、一般人は手にする事は可能ですか。
図書館などで、佳き国民が手に出来れば良いですね。
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単なる物好きで (ぬかった)
2017-11-28 23:36:35
私は、どうでもいいようなことを調べるのが趣味で…。先生、いつもうるさくてごめんなさい。仁さまにも、偉そうに申し上げちゃって。

このところ、格助詞を少し気にしていたので、この件を「ヲ格」「ニ格」で検索したのです。すると、国立国語研究所2015.9「漢語動詞における格表示変化傾向の探索―ヲ格と二格」が出て来ました。同志社女子大の服部匡教授の研究で、「信頼」の例も扱っていらっしゃいました。それが上記コメントの元です。

うちにある国語辞典でも「~に信頼」例はあるのですが、軍関係の出典でした。その後、またあれこれ見ておりましたら、日本国憲法の前文には、口語体にするため山本有三氏が大きく関わっていたのですね。

で、数段階の草案には「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に委ねようと決意」とありまして、「信頼」の語は、なんだか最後にするっと入れ替わった印象です。「~に委ねる」なら不思議ではないので、その影響下に「信頼」を入れたのか、とも思いましたが。

また別の、国会議事録から戦後国会での毎年の用例を調べた方のブログが見つかりました。

それによると、多い年には60例ほどもあった「~に信頼」が急速に減るのは昭和40年代で、昭和63年にはついに用例ゼロ。その後も散発的には登場しますが、まあ終焉を迎えたというか。私も、「~を信頼」しか記憶にありません。

ですから、憲法制定の時点では、「~に信頼」を用いるのは、別段不思議でもなかったのだろうと思います。ただ、人は忘れてしまうのではないでしょうか。もともとヲ格もあったわけですし。

ところで、憲法前文を改めて読んでみると、悪文の見本! やたらに続いて、わけがわからない。まあ、中身が空想的理念なので、こけおどしの抽象的な語句を満載したのでしょうけれど。どこに「公正と信義」の諸外国があるのかなー。

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お返事 (井沢満)
2017-11-29 01:14:46
Unknownさん

>この会合で配られた冊子は、一般人は手にする事は可能ですか。

「日本会議」の会員になれば、手に入ると思います。

http://www.nipponkaigi.org/


ぬかったさん


再びのご教示、ありがとうございます。
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日本会議 (Unknown)
2017-11-29 08:14:26
井沢満先生
一市民でも、日本会議のメンバーになれるんですね。
私は知らないことばかりです。
ありがとうございました。
さっそく手続きしてみます。
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