goo blog サービス終了のお知らせ 

井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

実は韓国では、さほどやられてない? 韓国式挨拶コンス

2017年03月28日 | 日本語

 

コンスという韓国式挨拶が、日本古来の毅然とした美しい挨拶に
取って代わり、日本中にセイタカアワタチソウみたいにはびこり、
困ったことに、皇后陛下がコンスではないのですが、コンスに極めて
似たご挨拶をなさるので、あたかも免罪符を頂いたかのごとく、
余計日本に変なポーズが蔓延することは、先に述べました。

すると、韓国在住の日本女性で韓国人と結婚なさった方から、
コメントを頂戴し、実は「韓国でコンスはさほど、されていない」
と意外なレポート。

私たちが、コンスを排するのはそれが韓国のお辞儀だからという以前に、
元々、コンスの原型は中国に屈従していた時代の、媚びとへつらいと
屈辱に満ちた「三跪九叩頭の礼」を彷彿させるので、何も日本人が
真似することもないではないか、と。クンジョルという最も最敬礼が
床に這いつくばった、挨拶なのですがコンスはその、起立系です。

韓国では、コンスが正式な韓国式挨拶であると、公立学校で教えられている、
その動画を見たことがあるのですが、それが実はそれほど韓国では
実践されてないとすると、日本での蔓延が余計滑稽なことに思われますね。

以下、韓国在住の方からのコメ欄への文章です。

  

▼こんばんは、韓国からです。

 

韓国人は韓国語は語彙が豊富だと自信を持っています。日本語と比べたら…というか比べてはいけない水準ですけど、自信は持っています。文法は大体同じですが、表現は直訳できないことが多いです。

幾通りにも表現できる日本語と違って表現の幅が狭いですよね。

漢字由来の言葉をいっぱい使うので、漢字語がなかった時代はどういう言葉だったのか気になります。

先月だったか結構人気のある若い歴史学者がテレビで講義をしてて、

 

"ウリナラは長い歴史の中で2回外国の侵略を受けた。1度はモンゴルに…その時は侵略というよりも政治的干渉だった。もう1度は日本に、完全に侵略された"

と言ってたんです。中国は…?と思ってすこーし韓国語で探してみたら、

明や清とは"結構無理な貢物を要求されたし、宗主国とは思ってたけど、政治的な干渉はなかったし、友好的な関係だった"となってるようです(笑)

今度娘(中学生)にどう教わったか聞いてみます

 コンスは日常的にはペッコブ・インサといいます。

オヘソ(ペッコブ)のあたりに手を集めてする挨拶(インサ)だからです。

学校に科目としては礼節法はありませんが、

幼稚園でまず大人へのきちんとした挨拶はペッコブインサだと習い、お盆(チュソク)正月(ソルラル)の前にはクンジョルという最高挨拶も練習します。

小学校では娘は5年生のキャンプの時にペッコブインサを習ったそうです。

中学校では入学オリエンテーションのときにしたそうです。

息子は5年生に上がった(3月が新学期です)ので今年習うのかな。テコンドーに通ってるのですが、そこでは時々礼節教育をしてます。

 コンスは普通の場合男性は左手が上、女性は右手が上で手を組みます。

凶事の挨拶の時はそれが逆になるそうです。

韓国では日本のように慇懃無礼な感じでコンスしてる様子はあんまり見られないかなぁ。なんせサービス業がなってないので…

ソウルの日本大使館の建物の1階にいた案内のお姉さんも、

丁寧に挨拶はしてくれましたがお腹で腕を組む姿勢はしていなかったような…

日本の方がいっぱい見られるかもしれないですね。

 

          ---------------- 転載ここまで --------------------

 

そういえば、朴槿恵大統領のコンスを見たことがありません。
挨拶姿に関してはきれいなお方です。

ちなみに韓国語には、漢字由来の言葉の他に日本語がたくさん溶け込んでいて、韓国の人たちも改めて、それが日本語とは気づかないようです。

以前、樹木希林さんからお手紙を頂いたことがあり、「あなたのご挨拶の時の手の組み方がヘンです」とあり、雑誌か新聞だかに載った私の写真の切り抜きがご丁寧に添えてあったのでした。素晴らしく達筆です。芸能界では三田佳子さんと並んで、二大能筆家。

それ以来、私は気をつけていていつしか妙な手の組み方は自然にしなくなっています。(コンスではありません)

店頭でコンスを見かけると、注意をなさる親切な人達もいらっしゃるようですが、即刻改める店、本人はキョトンとしているので店に注意したら「これが国際プロトコールにのっとったお辞儀です」と、跳ね返すところもあるのだとか。
これは、その店なり企業に派遣された、似非マナー講師たちの詐欺的文言ですね。

「相手に敵意がないことを示すために、武器を持つ右手を押さえている」
が定番の理由付けですが、これは口から出まかせです。武道家により完璧に論破済み。女性は右手を下にするのが韓国式なら、これも論理破綻。

従来の小笠原流なら、日本人なら普通に心得ているし、少々お茶や生花、舞踊などたしなまれる人々なら、もっと折り目正しい所作を身につけています。しかし、それじゃあ商売にならないから、これが国際スタンダードと嘘をついて広めているのでしょう。

中には、足を前後にずらしお尻を突き出した、なんだか踊っているようなマナー講師もいます。これは「あたし、きれいでしょ」という自己顕示であって、礼儀ではありません。

日本のお辞儀というのは、お相手への敬意を込め、そして自らも尊厳を保っているというごときお辞儀なのです。媚びへつらいとも、「見て見て、あたしってば、きれーでしょ」というナルシシズムとも無縁です。

さて、私が樹木希林さんに注意され矯正したように、畏れながら皇后陛下にもの申し上げるお方はいらっしゃらないのでしょうか。高価なお着物姿が美しい方だけに、コンスに見まごう立ち姿とお辞儀が残念です。日本古来の端正なお辞儀の保全のために、ここは是非本来の皇族の立ち姿と、お辞儀に戻って頂きたいのです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誤変換他、後ほど推敲致します。

 

  


「忖度」と「斟酌」の違い

2017年03月26日 | 日本語

松井一郎知事が、忖度と斟酌という、一般にも差異が定かならぬとはいえ、

ごっちゃにして使われています。

松井知事は、安倍総理とマスコミに対して「忖度」という言葉を使われ、

「斟酌」は用いていらっしゃらないのですが、しかし忖度を斟酌の

意味合いで語っている箇所が安倍総理に対してありました。

 

「この問題の本質をきちっと説明できない、わからなくしているのは、僕は皮肉にも安倍総理だと思う。忖度(そんたく)はないと強弁しすぎているんです。なぜ籠池さんが言う神風が吹いてきたというスムーズに手続きが進んだのかという部分。これはまさに忖度だったというのを認めるのが一番だと思います」

多く活字で報道されているこの箇所の忖度という言葉の使い方が

違うのですが、松井知事のは忖度という、すでに出回っていて国会でも

飛び交った言葉を用いているので、そこは無問題として。

ただ、「忖度の意味」を、テレビで語っていらした部分に思い違いがおありです。

その部分を活字で拾えないかと、探してみたのですが見当たりません。

ですので、端的に「忖度」と「斟酌」の違いを述べます。

一言で言えば忖度は、単に対象のあれこれを想像する物理的思考。お役所的ニュアンス。

斟酌には、同情や愛情、思いやりといった心情が添って、人間的です。

相手の心情を単純に推し量るのが忖度。

推し量った上で、具体的に対処してあげるニュアンスが濃いのが斟酌です。

忖度、大雑把。

斟酌、きめ細やか。

とそういうニュアンス上の区分けもできそうです。

▼斟酌の用法 

1 「犯人が未成年であることを―して責任は問わない」
「評価に、ちょっと斟酌を加えてくださいよ」

2 「市況を斟酌しての、販売路線方針」

この場合は、相手方から幾つか読み取れる選択肢の中から、採択するというニュアンスです。

3 「斟酌のない批評」

この場合は、手心を加えないというニュアンス。

いずれにしても、忖度と斟酌は似てはいますが、忖度に行動は伴わず、

斟酌には何らかのアクションが伴う、と記憶してもよろしいでしょう。

ということで、今回の問題で言えば忖度と斟酌の双方の要素がある、ということですね。

忖度だけなら、こういう思いでいるのか、と想像するだけで、

具体的対処はしていないということになるので、言葉の厳密な使い方で言えば、

「役所が忖度したからって、何が問題? 斟酌したってわけじゃないのだから」

ということになります。

私など日常言語化しているので、30歳代で書いた脚本にも

この言葉が出てくるし、コメンテーターの人たちが知らない、ということに

驚いたのですが、今は一般に意味が解らないどころか、読めないらしいですね。

やはり、若い頃書いた脚本のせりふに「烏滸の沙汰」と書いて、

プロデューサー氏が解らなかったのです。

そういう言葉遣いをするキャラクターだから書いたのですが。

日本語が、やせ細るばかりです。

母国語を絶滅危惧種化してはなりません。

ちなみに、母語と母国語も混同されますが、似て非なるものです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誤変換他、後ほど推敲致します。

 


共産党、小池氏の語感?

2017年03月25日 | 日本語

森友問題における共産党、小池氏の突っ込みに唖然としました。

 

(画像はこちらから拝借 h

ttp://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/moritomo-gakuen_n_15558714.html)

昭恵さんご本人のFAXですらないのに、何を突っ込むかと思えば、

「当方として見守ってまいりたいと思います」のくだり。

この箇所が、財務省に昭恵さんの意志を「忖度」させ、

かつ、それ以降の昭恵さんの財務省への口出しを思わせる、

というのが小池氏の言い分で、私は、はぁ~とテレビの前で

吐息を漏らしたのでした。

これ、人が頼み事に対してお断りした時の、婉曲逃げ口上と申しますか、

断りとワンセットの「社交辞令」でしょうに。「お愛想」。

それに、相手からしたら相当な頼み事に対して、自ら答えず

秘書に代行させたという時点で、やんわりと「峻拒」です。

まして、たったこれだけの文言を引いて、そこに安倍総理の意志が

あったのではないかとまで。

私が分からないのは、小池氏が事実を理解できず突っ込まれているのか、

知っていて、安倍政権貶めの手段としてあげつらわれているのか、

ということなのです。

表情やしぐさを観察していましたが、演じているならアッパレ役者。

政治は狐と狸の化かし合い。小池さんは当然、狸でしょうが。

以前、自民党の大島理森氏にお目にかかった時、「私を悪代官役で使ってください」

と売り込まれ、私は機会があれば、と思ってはいるものの寡作になってから、

悪代官顔の役者が入り用であることもないままに・・・・・。

しかし大島理森さんは、一見こわもてですが品があります。

有能な政治家は、皆役者なので悪代官も演じられると踏んでますが。

「外科医有森冴子」のシリーズを書いているときなら、悪徳外科医か緊急で担ぎ込まれたヤクザの親分をお願いしたんですが。

それにしても「忖度」という言葉を知らなかったというコメンテーターが多いのに、驚いています。

コメンテーターにとって、言葉は武器でしょうに。

研鑽しなはれ。

もう一つ、え、この言葉知らなかった? というのが、最近ありました。

はて、何だったか。

土地の破格の安さには、理由があったことを誰も解っていての茶番劇。

こんなものつついて、藪から蛇を出した民進党。

事情含みで売れない土地に加えて、航空法による高さ制限があるのでマンションなどは建てられないのだそうです。いわばゴミ捨て場。価格は妥当でしょう。
籠池氏はむしろ、高値掴みさせられたのでは、という意見すらあります。

と、原点に帰ると一体、何が問題でしょうか?

価格の正当性さえ証明されれば、後はせいぜい昭恵夫人の愚かしさぐらいかと
思われます。

後述

辻元清美氏に関して、民進党は「事実に反する」と声明を出しています。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170324-00000011-wordleaf-pol

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誤変換他、後ほど推敲します。

 


静かさや・・・。聴覚の狂った日本。

2017年03月24日 | 日本語

所要で銀座に行ったら、地下鉄駅構内の騒々しいこと。

騒々しさの正体は、アナウンスです。

「狭くなっていますので、注意してお通りください」

工事中で通路が狭いので、用心して歩くようにとの内容です。

しかし、こんなん必要か?

狭いの見りゃ解る。

しかも、同じ内容をほぼ10秒間隔置きで、繰り返す。

傘の置き忘れに注意まで、JRの大声のアナウンスは

世界に類を見ないのでは。

あの騒音に満ちたバンコクでさえ、駅のアナウンスは

車内に、一言低い声で次の駅名を告げるだけ。

日本の街を歩けば、店舗が客引きにかける大音量の音楽。

軍歌を大音量で鳴らし、日の丸と愛国心を貶める街宣車。

選挙カーに、どれほど実質的効果があるでしょうか。

日本、いつからこれほど聴覚が狂った?

以前、同業の方から書いている脚本のことで、相談の電話を

貰ったことがあります。

「あるシーンで静寂を表したいんだけど、難しい。どうしたらいいんでしょ」

それに対して、私はこう答えました。

「時代劇なんだね。だったら、軒端に風鈴をチリンと僅かに鳴らしましょう。

人が静寂を感じるのは、物音が最初からしてない状態ではなく、音が

途絶えたその一瞬なんです。音で静寂を表現するのは日本の伝統芸で、

たとえば歌舞伎では、雪のシーンに、とろとろと太鼓を低く打ち鳴らしますね」

音で静寂を表現したのは、芭蕉翁です。

閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声

古池や蛙飛び込む水の音

全くの静寂より、蜩(ひぐらし)の鳴き続ける、その一瞬に生じた空白が静寂を

人に感じさせます。

岩に染み入る、としたことで背景の無音をなお、際立たせました。

室内にいて、ちゃぽん・・・・と小さな水音が聞こえるほどの

森閑と音が途絶えたさま。

これは実景を描いたわけではなく、芭蕉の俳人としての

心境なのかもしれません。

西洋人が騒音と感じる虫の声も、日本人はその背景の静寂が

あるゆえに、愛して来ました。

静寂がなければ、虫の声は絶えるし聞こえないのです。

・・・・・・・ことほど左様に、音と静寂に対して敏感であった

日本人の聴覚の麻痺は、がなりたてる西欧の音楽・・・・・ロックが

入って来てからではないでしょうか。

風の間に間に漂う新内の風情は、失せました。

風のそよぎ、小鳥の声には耳を傾けず、波音を音楽で

かき消してしまう、そんな騒々しい日本になりました。

それと共に、言葉に対する音感も鈍くなりました。

古池や、の句における蛙がなぜ、カエルではなくカワズなのか。

なぜ古い池でなければ、ならないのか。

前者は音(おん)としての音が喚起する世界観の微妙な差異であり、

日本語独自のことかもしれません。西欧ではfrogはfrogでしかありません。

日本には実在の蛙と、美的形而上世界にも蛙がいて、その名称は

カエルではなく、カワズなのです。

なぜ古い池なのか。古い池は藻や泥でどよんとしていて、蛙の

飛び込む音は新しい池より、くぐもって静かだからです。

「静かさや」ではなく「閑さや」は音より視覚としての日本語の差ですね。

なお、岩にしみ入る蝉は、油蝉、みんみん蝉と論が分かれています。

句が詠まれた元禄2年5月末は太陽暦では7月上旬、油蝉はまだ

鳴いていない。ということから、みんみん蝉説が定着しているようですが、

私は直感で蜩(ひぐらし)だと思っています。季節的にも齟齬はありません。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誤変換、他の瑕疵は後ほど推敲致します。


言葉は国の防波堤

2017年03月21日 | 日本語

恒例、靖国神社さんの灯籠祭りに献灯させて頂く、書(もどき)を

今、書き上げたところです。

今年の文言はこれです。

      言葉は国の防波堤

      敷島の大和の国は言霊の幸はふ国ぞ

      世界一豊かで麗しい日本語を

      大切に致しましょう

 

毎回、どなたの揮毫と並ぶか楽しみなのですが一番嬉しかったのは、台湾の

李登輝総統の見事な書と並んだ時でした。

中にはちょっと並びたくないなぁ、と思う方がいると書くのは大人げないでしょうか。

どの御方も、靖国神社に心を寄せられる方たちでそこは志が一緒です。

「言葉は国の防波堤」は、すでにどなたかおっしゃっているかもしれませんが

私がずっと、主張していることです。

一国を侵略しようとする側が取る手段は、解りやすい武力ばかりではありません。

彼らが、試みるのは伝統と文化、それに裏打ちされたその国の

民族としての精神性です。言葉がそこに、含まれます。

言葉を死守することは、日本の精神と感性を護ることなのです。

韓国式挨拶コンスが日本中を席巻していることを、昨日述べましたが

それもまた、侵略の一つの形です。

なぜなら礼儀という「所作」には、その国の民族としての「誇り」が添うからです。

ちなみに、小笠原流のお辞儀とコンスをやってみてください。

そして、その所作の時心に何が生じるか、微妙な感覚を観察してみてください。

古来の小笠原流のお辞儀をする時、お相手を敬う気持ちと共に自らへの

矜持がそこにあります。

ところが、コンスには自分を美しく見せようとする「我(が)」と共に、媚び

へつらいを感じませんか?

北朝鮮でのコンスを見たことがないので、おそらくコンスは韓国で比較的

新しい時代に作られたものではないかと思います。現在、公立学校で

正式なお辞儀として生徒たちに教え込まれています。

よそのお国は無論、自由です。しかしながら、こうも日本の挨拶が

ある意味で
汚染されている状況には、危機感を持たざるを得ないので

言わせて頂けば、もともと韓国は李氏朝鮮以来中国の冊封(隷属)国として、

三跪九叩頭(さんききゅうこうとうのれい)で韓国の王が中国からの単なる使いに

這いつくばって額を床にこすりつけるごとき屈辱的な礼を強いられてきた国です。

 

  • 「跪」の号令で跪き、
  • 「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  • 「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  • 「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  • 「起」の号令で起立する。

 

これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」 (Wikiより一部転載)

 

コンスというのは、その所作からの派生ではなかろうかと思っています。

画像が拾えないのですが、韓国の学校で生徒たちがいっせいに床に額を

擦り付けている光景があり、ああこの立ち姿がコンスなのだな、と

思ったことがあります。画像が見つかればアップしておきます。

私が日本で、コンスを見かける時、思わず目を背けるのはそこに、

媚びとへつらいを感じるからかもしれません。

 

 

ソウルにあった迎恩門。

支那の属国であった朝鮮王朝の歴代の王が、支那からの使者を迎える為の門です。

建築技術の稚拙さも解りますね。

 

 

三跪九叩頭の礼を朝鮮王朝の国王が支那の皇帝にではなく、単なる使者に

行うという屈辱的な関係でした。

韓国は日韓併合の屈辱を言い立てますが、支那への屈辱的隷属が日本という

優雅な施政者に取って代わり、不満は多々あるでしょうが日本は自国から

持ち出して韓国のために尽くし、おおむね対等の相手として処遇していた

史料が複数残されています。

日韓併合を植民地化と言ってのける日本人もいますが、彼らは日本の統治まで

いかに韓国が中国に虐げられ、日本はそこからのむしろ救出者であったことは

言いません。

韓国の近代化は日本のおかげです。

私はご承知のように、何かを批判する時めったに実名を書くことは

致しませんが、日本における屈辱挨拶コンスの蔓延が、あまりにも惨状なので

今回は書きます。

小笠原敬承斎さん。この方はいけません。

小笠原流を名乗りながら、日本人に三跪九叩頭の礼ふうの卑しい心が添う

コンスを日本中に広めて、本物の宗家との裁判に負けながら、

しかもそれでお金儲けをなさっています。宗家が品の良さから

口をつぐんでいることをいいことにしての狼藉。日本の美しい

お辞儀の破壊者が礼儀作法を説かれますか。

あなた、恥を知りなさい。

 

 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%95%AC%E6%89%BF%E6%96%8E+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9

日本橋高島屋のコンセルジュ 敷田正法さん。温和で礼儀正しい素敵な

コンセルジュですが、いまだ高島屋にて男コンスをおやりですか?

本の表紙にまでコンス画像を載せて広めていらっしゃいます。

https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B1%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%81%AE%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%97-%E6%95%B7%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E6%B3%95/dp/4334977901

どうぞ、コンスの由来をご研究ください。

 

あと、畏れながら申し上げれば昭和の御代まではなかった“コンスふう”が

皇室でも散見されるのは、まことに残念なことです。

上品げにシナを作るのは、かえって下品です。誇りと威厳の喪失です。

GHQが日本を弱体化しようとした時、彼らは今思えば舌を巻くほどの

巧妙な罠を仕掛けて去ったのですが、その罠はいまだオンタイムで

作動していて、日本のよき伝統を捉え、砕きます。

GHQの日本弱体化政策の中には、放送局占拠がありそれがNHKです。

国営に準ずる放送局として、信頼の厚い局ですが驚くべきことにいまだ

GHQの名残りをそこここに、感じることがあります。

それは、あらゆる分野、教育機関、法曹界、宗教などにも言えることです。

日米関係も変わりつつあります。私たちはいつまでも、

GHQの仕掛けた罠にはまる兎であってはなりません。

罠は気づき、見つめた刹那消え去ります。

それは自虐という名の、幻想だからです。

GHQは日本語表記をローマ字にしようとして、失敗しました。

しかしながら、国語の貧弱化には成功して、現在に至ります。

国語は全ての、思考の基礎です。

あなたが何かを考える時、頭のなかで日本語を組み立ててていませんか?

日本語が貧弱になるということは、思考も感性もやせ細る、ということなのです。

このところ、例の幼稚園の問題にからみ、ゆとり教育の寺脇研氏を

コメンテーターとしてテレビで見かけることが多いのですが、日本の教育を

壊したご本人が何の教育論でしょうか? 

今日は、実名を3人もあげつらってしまいました。

一度奪われてしまった日本語を取り戻すのは、容易ではありません。

申し訳ないのですが、やむにやまれず。

でも一人でも自覚して、奪還を試みればその分、日本を言葉の防波堤で

護ることになります。国が美しく豊かに甦ります。

本当の国際化というのは、伝統と文化の破壊ではありません。

己の民族としての矜持(きょうじ)を保ちつつ、相手の民族性を尊重することです。

相手に城を明け渡してはなりません。

日本の心が死に絶えます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誤変換他、文章上の瑕疵は後ほど推敲致します。