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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

優れた語感の持ち主、小野寺五典氏

2019年02月08日 | 日本語

「韓国に対しては丁寧な無視を」という小野寺五典前国防相の
フレーズの鮮やかさを先稿で紹介したのだが、全文を記しておく。

「韓国に対してはどうしても(間違いを)認めませんから。認めたら韓国の政権自体がたぶん大変なことになるんじゃないかと思いますので。これだけ痛々しい言い訳をしている、ここをいくら泥仕合をやっていても同じことですので、むしろ国際社会に韓国に冷静に抗議をし、あとは韓国がいろんなことを言っても『丁寧な無視』をしながら国際世論の中で『これは勝負あった』ということにすることなんだと思う」

「丁寧な無視」が、穏やかな言葉遣いながら辛辣で秀逸。
そして、韓国の「痛々しい言い訳」も、見事だ。
国際社会に「冷静な抗議」も的確。

物腰柔らかく品よく平易な言葉で端的に問題点を指摘しつつ
人心に訴えかけ、かたわらそれが海外に向けての発信にもなっている。
語彙豊富で語感に優れた人でないとこうは行かない。
すべての議員にこのレベルを求めはしないが、目に余る人達がいる。

岩屋毅現防衛相の言語不自由なさまは、どうだ。
サイバーセキュリティ戦略担当大臣兼務、桜田義孝五輪相の言葉の、
たとたどしさ。
自らパソコンを使わぬことへの言及ではない。当然受けるであろう
質問に対して「言葉という武器で打ち返す」準備もない
姿勢のゆるさを言っている。パソコンに関する質問は、
当然出るであろうに。おのが身一つにセキュリティのバリアを張れぬ
お方がセキュリティ戦略担当とは、何の冗談だ。
安全に関わる領域の大臣になぜ、こんな日本語がろくに
使えぬ人達を、よりによって据えるのか。
政治家の発する言葉は、武器である。
竹光しか持たぬ政治家の要職起用は、国を損なう。


日本民族の優秀さを時には思い出したい

2019年01月21日 | 日本語


韓国が「我が国と価値観を共有する法治国家」だと
思ったことはない。政治的リップサービスで
著書にそう記した安倍総理も、もはや言わない。

感情が司法に勝る”情痴”国家である。韓国ネット民の
書き込みを見ていると、つくづくそう思う。
彼我共にネット族の極端化した言い分自体は変わらず、
根っこにあるのは、その愛国心の歪んだ形での
表出であるにしても飾らぬ本音も潜む。

彼我の本音を見比べてみても、基礎の道理は日本人のほうに
あると私は思う。

そういう必ずしもレベルが高いとは言えないサイトの
日本語訳の書き込みに、「日本の神代文字はハングルを
真似たもので、捏造である」という言い分を見て、相変わらずだな
とは思ったが、とりわけ自分の関心が深い神代文字についての
歪曲だったので、一言書いておきたくなった、というほど
日本の古代文字だとされている神代文字について、学んで
いるわけではない。学説でまだ定着してはいないものを
声高に主張するほどの確信があるわけでもない。
ただ、直感的にそれは「あった」と思い、そこから
傍証を探りつつある段階である。

韓国の低レベルの書き込みに対して、彼らと同じ次元で
言い返すとするなら、それほどハングルが漢字、平仮名とカタカナを
混交した日本語より優れているなら、なぜ世界最古の長編小説が
日本でしかも女性の手で「源氏物語」として誕生したのか、と女性の
地位が低かった韓国のネット民に問いたいのである。

同音異義が驚くべく多いのも、ハングルが未発達な文字で
あることを示している。漢字を捨て去ったせいで、韓国の
文字はより混乱を来すこととなった。

長い間の文字の蓄積がなければ同時期に書かれた「枕草子」の誕生もない、
というのも神代文字が存在したと思われる理由の一つである。

清少納言の「枕草子」は、西洋でエッセーの始まりとされている
モンテーニュのそれより執筆時期が古い。

「枕草子」に続く、これは男の手になる「方丈記」や
「徒然草」もモンテーニュよりも前に書かれている。
日本の三大随筆は、西欧より早いのだ。

文化はそれまでの蓄積の土壌に花開く。
それゆえ中国から文字が入ってくるまで、日本の伝達法は
口承であったという説を私は採らない。

韓国からの貶めに対して、あちらと同じ感情で返すなら
ではその優れたハングルでなぜ、ノーベル賞が
獲れ
ないのか、世宗大王が「愚民が読み書きできる文字」として
創案したハングルを一般に広めたのは、併合時代の日本で
あったという事実を見ぬのか、と問いかけたい。

文字すらない蕃(蛮)国に中国が「漢委奴国王」の金印を
授けるわけもないではないか。金印は文書に押されるものである。
すなわち日本国に文字でなる文書があったという証左であろう。

漢字伝来とされる年より500年近くも前に、金印が
授けられたことは中国
の歴史書である『後漢書』に
記されている。

金印は中国の相手国に対する最大級の敬意であり、
軽んじていれば銀印、銅印(泥印)とランクが下がる。
文字持たぬ国への金印はあり得ない。

ちなみにこの時代には、朝鮮半島の南半分が
倭国の領土であった、という説がある。だから
同等の隣国としての倭国と中国は誼(よしみ)を通じる
必要があっての金印であったという推論があり得る。

朝鮮通信使を引き合いに「朝鮮の高い文化を、日本に
与えてやった」というのも韓国側の言い分の定番であるが、
その朝鮮通信使が自国で教え込まれていた日本の
文化の低さが嘘であったことを来日して初めて知り、
嫉妬と悔しさで身悶えしているさまは『日東壮遊歌』に
詳しく自らの手で記している。

朝鮮通信使の中には、科挙を経てきた官僚として
儒教の素養を持っていたインテリもいた、とこれはフェアに
記しておくが、総じて朝鮮通信使は日本の民家から
鶏を盗むなど、質が高くはなかった。

濊(わい)は中国の史書である『三国志』や『後漢書』などに記されている
古代民族であり、すなわち朝鮮人である。そして濊は糞便を意味する。
理由は知らぬが汚穢族と書くべきところ、中国は「氵」を用いて濊の
字を宛てた。


我ながら酷いことを記していると思うが、事実である。
事実であっても、韓国が余りにも日本を不当に貶めにかからねば
言い立てはしない。韓国のみならず他国を貶めるごとき
ことを、わざわざ書きはしない。

併合前のソウルが、垂れ流しの糞便混じりの泥道であったことは、
訪れた外国人たちが記していることであり、詳らかには
書かぬが韓国と糞便とのある時代、ある種の「親和性」については、
知る人ぞ知る。家の中にトイレが出来たのは日韓併合後の
ことである。李氏朝鮮に「清潔」の観念をもたらしたのは
日本であった。

縄文展を観に行った時、一驚したのは
そのメソポタミア文明における出土品の技術と
引けを取らぬ精巧さであった。

日本が濊族から文化文明を授けて頂く余地など、かけらもない。

五十音の存在も、漢字伝来以前に日本に文字があったとしないと、
説明がつかない。

神代文字とされているものは30種類を超え、中には
ハングルと見紛うものもあるのは事実。しかしながら
それをもって神代文字がハングルの盗用であるとするのは
烏滸の沙汰であろう。中にはメソポタミアの楔形文字に
似ているもの、アラビア文字に似通うものもあるのだ。
そして上記に共通するのは、五十音であるということなのだ。
ありようは、日本の各地でそれぞれ異なる文字が使われていた、
ということではなかろうか。
それを漢字の導入を機に統一が図られたというのは
私見である。古事記にある天武天皇の
「書き文字の統一」への意志を見れば、なおさらその
思いを深くする。

天武天皇と自分を並べるおこがましさを寛恕願えると
するなら、私のかねてよりの持論「言葉は国の防波堤」である
という言葉への緊張感と危機感を天武天皇も
お持ちだったのではないか、とここまで来ると妄想めくが。

中国もまた日本を「中国の漢字を使って中国の悪口を言う日本」と
謗るのだが、その漢字を丹念に保って来たのは日本であり、今や
日本製の熟語を多種、中国が使用しているではないか。
漢字の便宜性を柔軟に取り入れ、平仮名カタカナを混ぜて、
書き文字としても美しい文字を編み上げたのは日本である。

中国3千年、4千年の歴史と誇るが、日本は縄文時代を入れれば
そんな若造の国ではない。11万年前から石器を使っていた。
1万6500年前には世界最古の土器の出現、
1万2500年前には漆が使われていた。

中国2千年がいつしか、3千年となり現在は4千年、5千年説まで
出ていて、南京大虐殺とやらの犠牲者数がいつの間にか
増えている国である。

石器時代を含めなくてもいいが、縄文時代から日本人は
ほぼ単一の日本人であり続けた。計算が不得意で
何年かは解らぬが軽く1万年は超すのではないか。
中国風解釈計算によれば、と添えておくが。

しかも、中国は度重なる外部からの侵略で漢字を編み出し文芸を
産んだ漢民族など今の中国にほぼいないではないか。
文化革命で中国は人民を圧殺したが、文化もまた弑(しい)された。

世界も中国の勢い(人口と国土の広大さ)に眩惑されて来たが
その治世の現実と、国民の人間としての質を問わずに来た。

中国は異文化、異言語の人々による「一見国家」だが
単一民族としてのそれではなく寄せ集めであり、20世紀になるまで
国家という概念すらなく、そこにあったのは個々の
集合体である。

「漢民族」というのは後漢末期の戦乱によりほぼ絶滅し、
北方より侵入の乱暴狼藉の遊牧民の末裔が
現代の中国人である。論語や漢籍、漢詩などは彼らの
ものではない。
「中国」という単一国家が4千年存続して来たことはない。
日本を含めた世界は、しかし中国の放つ巨大な国家CMによる
幻想を信じ込んで来た。

紀元前221年にの始皇帝に統一された中国だが、
しかし土地も人種も幾多の変遷を繰り返している。
日本と同じ意味における国家の存在形態ではない。
日本という土地に根ざした日本人とは異なり、遊牧民の末裔が
中国人である。性格の底に、モンゴル人の残虐さを秘めている。

故意に貶めるのではない。チベット、ウィグル地区新疆における
残虐非道を見よ。
それは一つの年で500万人を辱め殺し町ごと破壊したモンゴル帝国の
延長線上にある。
モンゴル軍の残虐さは、今もユーラシアの各地で語り継がれ
その血は現在の中国人に流れている。

中韓ともに、もし彼らの日本への狼藉がなければ上記のことなど
取り立てて述べはしないが、斬りかかられた刀は払わねばならぬ。

日米安保に不滅の安定性はない。日々迫りくる中国の脅威と
韓国が北朝鮮と一緒になった時を見据えて、日本は
憲法改正を急ぐべきだ。遅きに失しているが、急ぐべきだ。

文字論が横道に逸れ防衛論となってしまったが、
平仮名もカタカナも、神代文字からの発展形なのだ、と
私は仮説として持ち続けておきたいと思うのだ。
この分野については営々と学びたい。日本という国を
正しく解き明かすに
とても大切な要素を含んでいると私は思う。

初詣でお守りを頂いた方は、そこに記されてるかもしれない
神代文字に目と心を澄ませて見つめて欲しい。

言葉をないがしろに捨て去った時、国の滅びが始まる。
日本語は国の防波堤である。


言葉が政治家の武器なのだ

2019年01月17日 | 日本語

 

「遺憾」の文字は内閣の辞書から消すべしとして、海自の哨戒機への
火器管制レーダー放射事件以来、
とみに内閣にいる人達の
「政治家にとっては武器である言葉」の使い方の拙劣さについて
先般触れたが、
このたびまた成熟しているとは言い難い発言がなされた。

自民党本部で国防についての講義を受けた時、室内にいらしたので岩屋さんの
特徴的な風貌はよく覚えているが、就任以来のこの方の言語能力については
首をかしげている。前任の小野寺五典氏と比べるとなおさらに。

「(照射問題に関して日韓に)進展がなかったことは残念だが、完全に(日韓の)パイプを切るわけにはいかない」

やったほうと、やられたほうを同列に述べる気迫の無さ。
「残念だが」は遺憾と同じく、これが翻訳されて韓国に伝わった時は
お互いに理解しあえず残念だよ、のニュアンスにしかならない、ということにも
思考が及ばれぬか。

パイプなんか切っちまえ、と個人としての感情では言いたくなるが国防相として
それを言えないのは分かる。しかし「パイプを切るわけにはいかない」
とマスコミの前で公言する浅慮。これが韓国に伝われば「日本が、ほらみろ
いつもの弱気」としか受け取らないし、海外に於いてもあたかも
加害者韓国と、被害者日本が対等になって伝わるではないか。

僭越ながら推敲させて頂くなら、

「照射問題に関しては韓国が二転三転、状況説明がそのつど異なり空転したまま、
これは残念ながら韓国が嘘を塗り重ねているとしか判断せざるを得ない」

と、残念という言葉を使いたければ、せめてこの程度に。残念ながら、は不要だが。
あちらは、虚偽に基づくのに日本には「謝れ」とまで
手厳しい言葉の砲弾を浴びせているではないか。

本来なら「韓国が日本とのパイプをつないでおきたいと願うなら」と
返して頂きたいところ。

菅官房長官を私は無能とは思わないが、しかし武器としての言葉遣いという
意味では失格。

韓国の国防省が日本側の対応を「無礼」 と発言したことに対して、

 

「韓国の報道官のことについて一つ一つコメントすることは控えたいと思います。
双方が必要なデータを示すことは不可欠であるという風に考えます」

一つ一つコメントすることを控えるべきではない。逐一引用して、
確実に論破しないと、これも韓国に姿勢の軟弱さを読まれ、海外に発信した時は
あたかも日本にも非と弱みがあるように受け取られる。

なるべく穏やかに推敲させて頂くなら、

「韓国の報道官の言葉の矛盾を逐一指摘することは簡単ですが、それは
もう民間でさえ重々承知のことなので、反復はしません。
証拠を出せという韓国の要求に対して、日本は波型の証拠を提示すると
即答したのに、韓国は自らの証拠提出は拒否。この事実のみで
世界がどう判断するか、明白なので逐一は述べません。次」

私ならもっと直截に言うが、しょせん民間人の感情である。
だがベストの推敲であるとは思わぬが、上記程度には強く
出て欲しいのである。

青瓦台はもはや、敵国を北朝鮮から日本へとスライドさせているというのに。

道理が通じぬ相手なら、制裁という形での「返礼」を強く、望む。
初期段階のものでいい。それで効かぬなら徐々に段階を上げるまでのこと。

「言葉は国の防波堤」というのが私の年来の主張であるが、
「言葉は政治家の武器だ」をそれに加えたい。
言葉の応酬も戦争なのだ。政治家の、何という切迫感の希薄、
抜いた刀の、なまくら。

なまくらがたなは、鈍刀と書く。

政治家の武器としての言葉は、シャープに研ぎ澄ませ。
言葉の上達も日々の訓練しかないが、あまりにもなおざりにしている。

日本語は実は、日本人なら誰でも使えるというものではない。
使えると錯覚しているだけだ。あらゆる技術と同じく、
地道な日々の鍛錬あるのみ。


「火の用心しゃっしゃりませ」

2018年12月29日 | 日本語

火の用心の夜回りに出かけるというご町内の人と
立ち話をしていたら「初めて参加した時に『火の用心しゃっしゃりませ』と教わって、
その『しゃっしゃりませ』が解らず長老に訊いたんですよ」

むろん、しゃっしゃりませは「なさいませ」の意味で、
「さっしゃりませ」からの転化。

サ変動詞「す」の未然形に、尊敬の助動詞「さす」と「らる」の付いた「せさせらる」の変化型である。

火の用心の風情も好きだが、海外にそんな風習があるのはどうかは
知らぬけれど火事への用心を呼びかける言葉を丁寧、尊敬語で
発するのは日本独自ではあるまいか。

立ち話した人はその後「暴れん坊将軍」で大奥の腰元たちが
「火の用心しゃっしゃりませー」と深夜の城内に触れ回るシーンに、
納得したという話であった。

江戸かあるいはそれ以前かは知らぬが、古語がこんな形で
東京の街の片隅にまだ生きていることが、ほのぼのと嬉しく
感じられる。

夜回りのその日には町内の小公園にテントが張られ、
風除けのシートで覆われて、中ではおでんと
酒の振る舞い。寒い冬の夜、火の用心の夜回りを口実に
親睦会なのだろう。これも日本人の知恵であろう。

火の用心、という声の後にいい間合いで響く拍子木が
「日本の音」である。

中国地方の子守唄に「ねんねこしゃっしゃりませ」と
歌う。赤ん坊にさえ丁寧に語りかける日本人の
心映えがいい。

もっとも子守唄は「寝た子の可愛さ」に続き、
「起きて泣く子の面憎(つらにく)さ」と
正直であられもないのだが、旋律の物柔らかさに
乗せて歌われるので、刺々しさはない。

言葉も生き物でいずれは老いて滅びゆく定めに
あるけれど、その言葉に託した日本人の
心映えは、大切にしたい。

外国人が増え、日本のいい佇まいが駆逐されそうな
勢いの昨今、なおそう思う。

海上自衛隊のP1哨戒機が韓国駆逐艦の、撃墜予告に等しい
火器管制レーダー照射を受けたこと、それに伴う韓国側の恥知らずな嘘の連打に胸を
ざわざわさせながらも、日本人としての矜持と穏やかさは失いたくなく、
のんきなことを書いてみた。

国防相公開の動画は早速見てみたが、緊迫するアラームの
鳴り響く中でも海上自衛隊の男たちの
終始冷静でゆとりある構えに、これも日本人を感じた。
アメリカ軍なら、さしずめFUCK! の連呼ではなかろうか、
というのは偏見か、緊急時の軍人は声の記録を前提として
きちんとしているのかもしれない。

ハリウッド映画では、どうということもない
会話にfuckin'の連発で辟易とする。熟(つくづく)染まりたくない、
と思うのだ。

罵り語なら、日本語がもっと多岐に語彙が豊富であり、
それを忌避する気はさらさらないのだが、時と場を心得たい。

「ええい、韓国め豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ」
「顔洗って一昨日来やがれ」と罵り言葉も、日本ではゆとりがあって優しい。


またも、言葉の選択ミス 岩屋防衛相

2018年12月28日 | 日本語

現在私が得た情報は読売新聞の記事によるもののみであり、
岩屋防衛相の言葉の全文を
記載しているものは目にしていないので、あるいは
言葉尻を捉えた偏狭な批判になるやもしれぬとは警戒しつつも、
しかし、相変わらず言葉の使い方が練れていないこと、
サイバーセキュリティ担当の、桜田義孝大臣に次ぐものであろう。

記事内の岩屋防衛相の言葉でひっかかったのは、これである。

「海自側が適切な行動をとっていたということを国民に理解してほしい」
と(画像)公開の理由を説明した、と記事にはある。

いや、理解させるべきは韓国であり国民はその次であろうに。と、
突っ込まれても文句は言えぬ。仮に言葉のある部分を切り取られたにせよ、
切り取られるのが常であれば、切り取られても大事ない
言葉の選択、考え抜かれた表現方法というものがある。

例えばこの言葉の冒頭に「証拠は米国と共有しているが」とつけるだけで、
言葉の軟弱さのトーンが薄まる。

証拠は米国と共有しているが、海自側が適切な行動をとっていたということを
更に国民に理解してほしい」

色文字が、僭越ながら私が添削させて貰った箇所である。

しかし国民はとっくに理解している。ごく特殊なアンチ自衛隊以外の大方の国民は、
各報道で
事態の真相はすでに把握。

字幕で国民の理解を仰ぐのが悪いとは思わぬが、それと併せて数カ国語の字幕を用意、
世界に拡散するのが急務ではなかろうか。(後記 英語版は即刻作られたようだ。
願わくばもう2,3ヶ国語バージョンを。言語使用範囲の広い中国語、
スペイン語だろう)

韓国側のレーダー照射は、北朝鮮の船を捜査中のことではなく
救助後のことであり、こういう基礎での嘘が相手にはあるのだから
自衛隊に非がないことなど素人目にも明らか。自衛隊の潔白を証明することも
大事だが、しかし今回のことを奇貨として韓国側の総体的日本貶めが
いかに虚偽に満ちているか世界への報知活動に逆利用するだけの、
大局的見地からのふてぶてしさを持ちたい。

「国民に理解を」などという、軟弱な紳士は防衛相にはふさわしくない。