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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

令に、今を使ってもいいか

2019年04月03日 | 日本語

子供たちが新たな元号を習字しているのを
ニュースで見たが、にんべん(ひとがしら、ひとやね)「へ」の
下に新元号発表時の「令」を
書いている子もいれば、教科書記載の「今」を
使っている子もいた。

結論から言えば、どちらでもよいようだ。
意味の違いではなく「デザイン」の違いだと
いうことらしい。

ただ組織によっては「令」に統一するところも
あるようで、しばらく混乱が続く。


西暦に統一しようとした組織の一つが外務省であるが、
相変わらずだ、と嘆息。元号を日本人が用いることの
意味を解っていないのだ。外部からの批判に
西洋歴との併用にするとトーンダウンしたようだが、
自らも日本国の日本人だということを自覚されたい。
一体、どこを向いて仕事をしている。

 


雪冷え、飛び切り燗

2019年02月27日 | 日本語

しばらく顔を見ないと寂しくなる人がいて、三田佳子さんが
その数少ないお一人だ。

というわけで、先月食事をご一緒したばかりだが
昨夜も会食。大いに語り合い、そのうちお付きの
マネージャーさんより外から電話で、もう4時間が
経過していて、そろそろご帰還をとの催促だった。
この間も時間を忘れ、4時間半が経っていた。

飲みは私ばかりで日本酒のぬる燗2合、三田さんは
盃に二杯程度。

一度書いたことがあるが、日本は酒の温度にも細かい段階があり、
きれいな名前がつけられている。

 

「雪冷え」5℃
「花冷え」10℃
「涼冷え」15℃

以上が冷酒。

「冷や」20℃

冷やが常温。

以下が燗酒である。


「日向燗」30℃
「人肌燗」35℃
「ぬる燗」40℃
「上燗」45℃
「熱燗」50℃
「飛び切り燗」55℃

 

 

日本人として「雪冷え」と「飛び切り燗」の2語程度は心得ておきたい。

色彩も茶とグレーとに、濃淡と明度に応じて細かい名前がびっしり
つけられていて、日本人の繊細な感性に改めて驚嘆する。

伝統的な和食の時代には舌も、敏感であったと思われる。
土地の旬のものを濃厚な味付けなしに食していた時代だが、結局
それが健康維持にも叶っているようだ。

偉そうなことを書いているが、私もおそらく人肌燗とぬる燗の
区別はつかない。

明治維新期に、慌ただしく西欧文明を取り入れ、それは
致し方なかったことだが、やり過ぎた。今にして
思えば西欧の野蛮な”文明”まで識別なしに受け入れてしまい、
敗戦がそこに拍車をかけた。

昨今の言葉の貧困もまた、その一環であり内館牧子著、
「カネを積まれても使いたくない日本語」を読んだら
「頭の中の植民地化」という言葉があり、膝を打った。
私のかねがねの主張「日本語は国の防波堤」に通じる。


「全然」という言葉の由来

2019年02月21日 | 日本語

内館牧子の小説に触れ、「・・・のほう」や「・・・・になります」
という言葉の気色悪い使用について書いたら
コメント欄「のほうに」
以上の2つに加え、「・・・の形」
もそうである、とご意見を頂き、
これも、もっともなことである。
ご丁寧に3つ重ねて使うとするなら「これが当日券のほうになりますが、払い戻しのほうは出来ないという形になります」

「みたいな」も耳障りな言葉である。「これが一番嬉しい、みたいな?」
とわざわざ疑問形で尻上がりにするのも聞き苦しい。
すでに定着して久しいが、知性に秀でた人がこれを用いているのを
耳にしたことがない。

昔、「他人事」と脚本に書き仕上がったものを見たらある役者が
「たにんごと」と言っていたので、そこだけ録音し直してもらい
「ひとごと」としてオンエアしたことがあるが、最近
どうも「たにんごと」が定着しつつあるようだ。

「全然」という言葉については元来、肯定形に連なる言葉として
使用されていた時代もあることは、知っておきたい。

ネットで調べた使用例に過ぎないが、

・「一体生徒が全然悪いです」(夏目漱石「坊っちゃん」明治39年)
・「全然、自分の意志に支配されている」(芥川龍之介「羅生門」大正4年)

昭和初期までは「全然OK」というごとき使い方も間違いでは
なかった。

それがある時代から、辞書にも否定形と共に用いると記述され、しかし
後に、「明治・大正期には、もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていたが、次第に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」と追記されるようになっている。

言葉も生き物なので、一つの意味を帯びて定着したらそれに
従うほうが、暮らしの中では無難かもしれない。

全然+肯定形を用いて、腹の中で(間違ってる)と思われる
使い方を敢えてすることはないと思う。言葉に出して注意され、それが間違いだとして小さな演説をぶつのも対人関係に円滑を欠く。

ただ、由来は知っておきたい。

あと、「韓流」を「はんりゅう」と言わせる風潮。なぜ
韓国語と日本語を抱き合わせにするのか、これも気持ちが
悪く、間違っていると思われるのを承知で私は
「かんりゅう」と日本語読みして抵抗している。
それでも、もう定着した言葉に抗うのもくたびれて
「はんりゅう」と言うこともあるが、言った口をアルコール消毒
したくなる。「流」は韓国語でも「りゅう」だそうだが
韓流を読む時は「はんにゅ」となるふうに聞いた。

化粧品用語の「テクスチャ」も不得手。「感触」や「質感」で
何の不都合があるのだろう?


桜田五輪相の発言を、やはり擁護はしない

2019年02月18日 | 日本語

桜田義孝五輪相の「失言」を巡って擁護派と批判派が舌戦を
繰り広げているそうだが、これは不毛の論議ではないか。

私は批判派に分類されるのだろうが、実のところ桜田五輪相の
発言を「失言」というほどではないと思っている。
不用意であった、という点で批判している。

論点を失言であったか、なかったかということに絞れば
失言ではない。ただし述べた言葉の全文を読みさえすれば、だ。

問題点は切り取られ報道されることが容易に予測できる内容を
公の職域にある身で発言してしまった、とそれに尽きる。

放送も新聞も週刊誌も、政治家の言葉の切り取りなど、
この何十年、繰り返して来たことではないか。
いいかげん学習なさい、と申し上げたい。

それを配慮せずになされた発言は、プロではない、と
それに尽きる。

政治家にとって言葉は武器である。
その武器を使うに当たって、桜田大臣はいかにも
素人であった。という以前に、武器であるという
認識もなかったのではないか。

切り取り発言をしたマスコミの非を上げる人も、またマスコミ側の
反省もそのとおりではあるが、しかし極度に時間の区切られた
放送の世界で、ある人物の発した言葉を全部紹介することなど
不可能である。

不可能を前提に論じても詮無いことであろう。

活字にも厳しい行数制限がある。
新聞から書き文字としてコメントを求められることもあるが、
232字で、というごとき注文は珍しくない。
もっと細かい注文は、たとえば14字✕32行、というごとき。
レイアウトの都合である。

以前、コメンテーターとして情報番組に出ていた者として
とりわけ生放送の時の与えられる時間の無さと、
一秒がいくらで換算される放送の世界の時間の
厳しさを肌身で知っている者としては、まず
言葉が電波や活字で広められる者としての
言葉の選択に対して厳しくあらねばならない、と
それを指摘しておきたい。

偉そうに言っているが、私も大失敗したことがある。
フジテレビ系の朝の情報番組にわりに出ている頃だ。
コメント一つに与えられる数十秒間という時間内に、
言葉をまとめる技術をまだ持たず「思いとは別に」ある言葉を発してしまい、
局に抗議が殺到、番組から随分長いこと声がかからなくなった。

しかし、それを生放送の際の極度に限られた
時間を理由に言い訳はしない。曲解される言葉を
発した自業自得である。批判を覚悟での発言と、
うっかりミスは違う。

桜田五輪相が、サイバーセキュリティ戦略担当大臣でもあることを
言う人もいないようだが、自らに対してこんな無防備なことで
セキィリティに携われるのか、と苦言を呈したい。
HPをざっと見たが、このたびの件に関する言葉がないもの
いかがなものか。華々しい活動をのみCMのごとく
並べ立てるだけが政治家のHPではなかろう。触れたら
男が下がるというようなことなのか。いや、逆であろう。
誠意を尽くして株は上がる(一件に対する言葉がもし、
あればこちらの見落としでお詫び申しあげる) 

大臣としては無防備であると同時に、語彙不足である。
同じことを、「週刊新潮WEB取材班」が言っている。
「正直言って今回の問題は、桜田大臣がボキャブラリーの
乏しい人物であることを露呈したということに尽きる」

同じことをパソコン問題の時にも、感じた。なんと
言葉が拙い人なのだろう、と。

語彙の不足は短時日でどうなるものでもないが、心構えは
変えられる。少なくとも人一人の病に対して「がっかり」という
不用意な言葉を発することは、心構え一つでなくなるだろう。


「語彙」という言葉がやっと政界でも使われ始めたのかな?

2019年02月15日 | 日本語

桜田五輪担当大臣の、池江璃花子選手への言葉が自民党内でも批判されていて、その批判内容が「語彙がない」で、やっと政界でも
「語彙」の一語が使われ始めたか、とそれはいい傾向だと思う。

一言を切り取られて報道されてしまい、真意が歪められるのを
避けるための
ノウハウはさほど難しいことではない。

まず今この時、この場でこの言葉を発したらどういうふうに
受け取られるか、その想像力を持つのが第一歩。
まして立場から必ず受けることが想定される
質問なのだから、決定的に準備不足。いや、不足ではなく
身構えがゼロ。
おおやけに発する言葉の重大さを心得ないと。
言葉というものをひょっとして、軽く考えてはいらっしゃらないか。
日本語は、多くの人が勘違いしているかと思うが、
誰でも使えるというものではない。日本人です、だから
生まれたときから日本語は知っています、というような
安易なものではない。日々鍛錬しないと
それは使いこなせない。政治家はまして、言葉が
武器なのだ。

二歩目が、想定される質問に対して予め用心深く推敲した
文言を用意しておくこと。上級になれば、
そこにジョークや報道の見出しになりそうな
キャッチーな言葉を織り込む。
ジョークはその場の空気が左右するので、何種類か
用意しておき、場合によってはカットすればよい。
その時の天候や気温、出来事を入れたければ
( )にして仮として入れておいて、差し替えたり言い換えたり
できる当意即妙の、一見その場のアドリブに聞こえる
用意周到の原稿を。これが最上級の準備かもしれない。

桜田大臣は、サイバーセキュリティも兼務していて
しかしパソコンを知らない。その事自体は責められる
ほどではないが(褒めも出来ないが)、当然初期に来るであろう質問は
容易に予測できるのだから、なぜそれに対して
用心をなさっていなかったのだろうと、そこは
緩すぎであろう。事前にサイバー犯罪に関して専門家を
呼んでレクチャを受け、そこからパソコンを自ら
使わぬ者としての、最適な言葉を拾い上げれば良い。
有能な官僚相手に、想定問答ぐらいやっておくべきだった。

失言したらしたで、当然釈明を要求されるわけだから、
それに対する答えも推敲して備えているのが
よい。あの程度の短い詫びをメモを見て読み上げるようでは
こころもとない。甘い。再び言質を取られぬようにという用心が
痛々しくもあった。だが、あの短い文言は暗記して、
カメラが捉えた時、視線が国民の目を真っ直ぐ見ている形に
しなくては。言葉とともに「見せ方」も大事である。
その場にいるのは、野党や記者たちばかりではない。
ある意味それより大事なのは、テレビカメラの向こうに
いる国民である。その国民の存在を意識されたい。
ピンチをチャンスに変えるための文言というものはある。
おそらく実直さと、運とでここまで上り詰めたお方。人がよさそうなだけに、
思わず黒子として、予定原稿を予め書いてあげたくなった。

いずれにしても、言葉で身を鎧えない人に安全管理はできない。
かといって辞任するほど悪質な失言でもないとは思うが、
世間は発した言葉の全文を読んでその文脈から真意を
探ってくれるほど親切ではない。
この世は妬み嫉み僻み、悪意敵意で出来ていて
ましてある頂点に達した人への風あたりは強い。
男社会の嫉妬は凄まじいのだ。
相手が野党なら、もっとである。

物好きに桜田大臣の言葉を推敲してみる。

「びっくりした。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿になって戻ってもらいたいというのが、私の率直な気持ちだ」

⇒驚き、また胸が痛んだ。あの年齢で受け止めるには過酷過ぎる現実だと、我が娘のことを考えなおさら、つらい思いをした(あるいは、もし自分にあの年頃の娘がいたら、とつらかった)


記者:競泳の中でも有力な選手だ。

桜田五輪担当相「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手だから、本当にがっかりしている。早く治療に専念していただいて、また元気な姿を見たい」

⇒「今は選手云々という肩書はむしろ外して、病を癒やすことにどうぞ専念していただきたい」




記者:池江選手にエールを送るとしたら?

桜田五輪担当相「とにかく治療を最優先して、元気な姿を見たい。またがんばっている姿を期待している」 ⇒「病の重圧に耐えている18歳にエールはかえって酷だと思うので、慎みたい。敢えて、今は五輪のことは忘れ治療に専念をと申し上げたい。メダルよりあなたの命が大切だ」

思いつくままで満点推敲ではないが、これだと少々一部を切り取られて報道されても「敵」に付け入られる余地はない。

辞任しないという表明も、言葉が拙い。

「職務を全力で全うするつもりだ。今までの分も挽回できるように、一生懸命頑張りたい」 ⇒「皆様ご承知のように、思いはあっても口下手で伝わらず、それを恥じている。頂いたご叱責を胸にしっかり刻み、与えられた職責を全うすることで責任を果たさせて頂きたい」