goo blog サービス終了のお知らせ 

井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」

2018年06月26日 | 映画

表題は、江戸川乱歩が好んで色紙に記していた言葉で
端的に乱歩ワールドを表しているかと思います。

昨夜、奥山和由版「RAMPO」を観て、たけし映画(「ソナチネ」)に見る
暴力性のかたわらに、こんな耽美を裡に隠し持って
いらっしゃるのかと、いよいよ奥山さんという
お付き合い初めの方に興味をそそられたのでした。
また、まかせた監督の作品が気に食わないと、自ら
撮り直す気迫とやんちゃぶりも好もしく。
同じ台本に拠る違う監督の二作が同時上映され、
それも話題を呼んでヒットとなったようなので、
かたわら、プロデューサーとしての計算もあったのかなぁと下衆の勘繰りを
したりもしていますが、面白い。
自作版の上映時は、香水を館内に漂わせたそうで、嬉しさに絶句
します。

本木雅弘くんと羽田美智子さんが、特筆すべき美しさです。

夜の夢の中で息し続けられればよいけれど、目が覚めれば
しらじらとした現実。乱歩というひとは、しかし人の数倍
夜の時間が長い、至福の人であったかと思われます。
ふと、泉鏡花を思い出したりもするのですが。

美に耽る映画が払底しています。そういえば、可愛がって頂いた
鈴木清順先生も、美学に殉じる方でした。

 

誤変換、他の地ほど。


「女殺し油の地獄」

2018年06月23日 | 映画

奥山和由さま

「女殺し油の地獄」を拝見、脳天を貫かれました。これは見事。
演出、俳優、脚本、三位一体で掛け値なしの傑作。

まず時代劇としての端正な佇まいに目を奪われ、そして
そこに添う官能の色艶。

相当地毛を使ったのかカツラと
顔の境目がナチュラルであったことも嬉しかったのです。
大方、カツラと肌の継ぎ目が露わで興ざめすることが多いだけに
細部ですが、作品の目配りがこんなところにも利いています。

いきなり油地獄の修羅場に、子供たちの転がった玩具が無造作に転がっていて
鮮やか。わらべ唄や物売りの声も、どこから採取なさったのか、メロディは
創作なのか、と尽きせぬ興味が湧きます。
最初に不義密通の男女がさらされて、なぶりものになっているシーンも
必要ですね。今どきの、フリンとは覚悟が違う時代の、まぐわうにも
命を賭けてのそれであったという提示。またそれを、当の小菊が
いたぶっている面白さ。

細部ばかりをいうようですが、全体が掛け値なしの傑作なので・・・・
それに神は細部に宿るということで言えば、
偶発か、演出か判然としないのですが、与兵衛の油に濡れたふんどしに、
男根の存在がぼってりと浮き出るいやらしさ。エロスときれいにいうには、なまなましくて。
どうも、監督の計算内であったような。
人物の動きにも、監督の手さばきを感じます。

五社英雄監督には、ある席でつかの間お目にかかったことがあり柔和で、
私のような些末な書き手に恐縮するような敬意を払ってくださる方で

あることに、思い込みのイメージがひっくりかえったのですが、
映画に於いても「男目線で女を描く人」という偏見があったことを
告白せねばなりません。

「女殺し」でその偏見を恥じました。たっぷり裡に女を飼っている人でも
あるような・・・・。それとも、最期のインスピレーションがスパークしたのでしょうか、女を描くにも過不足のない・・・・アートと娯楽の均衡が取れた・・・・諸条件が自ずと打ち揃い、奇跡的な作品が誕生することがありますが、そんな作品を残して去られ、幸せな方です。

浄瑠璃を活かした音楽も、好きでした。衣装もライティングも何もかも。

井手雅人さんの近松脚色も、梗概を読んだ時は「いじり過ぎ」ではないかと思ったのですが、いいえ、まさに、こう。近松が現代に生きていたらこう描いていたでしょう。時代を損なわぬまま現代に移植されていました。

一つ、演出かホンのト書きなのか判然としなかったくだり、小菊がお吉の足をギリギリと踏みつける、私もおそらく考え詰めればはっと、出てくる描写ではあろうかと負け惜しみで思いましたが、脚本上で学んだことの一つです。もう一つ、ト書きか演出か判然とせぬのが、小菊が与三郎にのしかかられながら匕首の切っ先で、与三郎のふんどしの紐を切るところ。

あと、もし増村保造監督が同じ脚本で撮ったらどうなのだろうと、なぜかしら思いました。もっと変な連想で言えば、黒澤監督なら? およそ、男しか描かない方だったので、どうなのか解りませんが、画面の構図といおうか完成度といおうか、そこは黒澤映画を想起したのです。

末尾で恐縮ですが「熱狂宣言」における二度目の花嫁の顔を余り写さないのは
ご本人の要請であったのか、意図的であるのか判りませんでした。
いずれにしても、あの「抽象的な」花嫁で正解だったと私は思います。
というのも、松村さんが男として色っぽく、見ている女の観客達の多くが
松村さんに恋して、この男に寄り添い面倒をみたいと思い、映画を観ている
つかの間は結ばれることをふと夢見るだろうからです。

それにしても、タキシードもありきたりの白ではなく、凝った織りが入っていて、
松村さん、どこまでおしゃれなのか。

治る可能性低く、日々深まりゆく病気をしかし表看板にはせず、
闘病記でもなく、同情と共感を誘うでもなく、熱狂的楽観主義の
これは不埒な映画です。

実業に疎く、若い起業家が一部上場に一代で持ち上げることの凄みが今ひとつ
解らないという一点においては、私は最良の観客ではないかもしれません。

奥山和由という、私には遠い火明りでありながらずっと気になっていた方の
作品渉猟をこれから始めるかもしれません。何しろ「遠き落日」と
今回の「女殺し油の地獄」以外を存じ上げません。興味はご本人に
向かっていたようです。

「RAMPO」など、二作を比べてみたいと興味をそそられながら、最も忙しい時期に私があり、かたわら厭世から来る命を粗末にしつつの入退院の明け暮れで、映画館に足を運ぶ時間もエネルギーもなかったせいもあります。次は「うなぎ」か手に入るなら、そして可能なら両方の「RAMPO」を観てみたいと思っています。比較がおそらく奥山研究の一助になる、という大上段なことでもないのですが、まあ、むらむらと好奇心をそそられるのです。

素晴らしい作品をご紹介頂いたことに、感謝申し上げます。
お忙しい方に、長々と恐縮です。少しばかり熱に浮かされて
いるかもしれません。作品の瘴気にあてられているかも。

 

愚満 拝


雨の日に映画を観ました

2018年06月21日 | 映画

所用で雨の銀座に出た流れで、ふと映画館に立ち寄ってみました。
一番近い時間に始まる映画が「ワンダー君は太陽」という、私にとっては
気乗り薄な映画で、ちょっと迷ったのだけどしばらく映画を観ていないし、
好きではないジャンルの作品でも、お勉強にはなるから・・・・ということで
あまり入ってはいない客席の片隅に腰を下ろしたのでした。

遺伝子の疾患で顔が変形した子が、いじめの学校生活の中で
友情を得ていく、というそんな話で原作はベストセラーに
なっているようです。

危惧していたように退屈でもなく、アメリカのごく素朴なレベルの
正義感や友情が、ストレートに描かれていて後味の良い作品では
あります。アートとしての完成度など持ち出すのはお門違いの
映画でしょう。
私のようにひねくれた見物人でない大方の人たちは素直に
感動するのではないでしょうか。 

この種の映画の定石オンパレードで・・・・・新たな学びがあったかと
言えばそうでもないのですが・・・・同じような素材でもし自分が
執筆を引き受けたらどうするだろう、という観点から見れば
かなり点数の高い出来であろうとは思います。

私は観終わってもなお気乗り薄ではあるのだけれど。でも悪い映画では
ないです。

これ、形を変えた美「女と野獣」だよなぁ・・・・外面を超えた内面というモチーフ・・・と思いながら観たのですた、後で得た情報に間違いがなければ、「美女と野獣」のスタッフなんだそうな。(しかし、映画の美女、あれ美女かなあという理由で観なかったのです。外見よりも内面、と言われれば反論もできないけれど)

噴飯ものを承知で正直にいえば、私は内面もさることながら見た目の美しいのが、男女子供問わず好きなので・・・・・自分にないし・・・・子役では主演の子より、親友役のミルクみたいな天使顔のノア・ジュプ君が好きなんでした。

現実、俳優の世界で美男美女なのに性格はゲロ吐きそうなのを、したたか知っているくせに、美形好きには困ったものです。

ただ映画の中のノア・ジュプくんはいいやつなので好きでいられましたが、もう一人端正な顔立ちの子役は、陰湿ないじめをする子で嫌いだったので・・・とりあえず、私もまともです、ってことで。

 

誤変換他、後ほど。


スポットライトから消えゆく人たち

2018年06月20日 | 映画

奥山和由さんから、たぶんご自分の松竹時代に手がけられた
作品だろうと思うが「女殺し油の地獄」を観て欲しい、
藤谷美和子さんが絶品だから、と言われ・・・・

VHSを取り寄せたのだが、さあ機器の扱いが解らない。
何かで観ることもあるだろうと、VHSを観るための機器は
以前から備えているのだが、使ったことがない。

YouTubeでも、レンタル料を出せば観られるようだが、パソコンでさえ
いまだ、見よう見まねレベルで、YouTubeの登録の仕方も
使い方も解らない、というていたらく。

「女殺し油の地獄」は近松門左衛門の作品で、五社英雄監督。
あの厳しい奥山さんが手放しに絶賛なさるからには、ひょっとして藤谷さん、
最後の輝きを見せた作品かと思えば
なおさらに早く観たいのだが、VHSのカセットを入れた機器がピクとも動かぬ。

藤谷さんも五社さんも、ちらっとお目にかかった方たちではある。
観て早く、奥山さんに感想をお伝えしたいのだけれど。

それにしても、サンセット大通りから始まって、スターの凋落の
物語ばかりを潜在意識が追っている気がする。

栄光の頂点から墜落する人たちを身近に、いくたりかまざまざと見てきたけれど。
人もさることながら、我が身とて絶頂期にあった頃の自分と
現在を比べれば、落差の激しさにしばし呆然としていた時期もあった。
満潮がサーッと退いて行くのである。
イタリアで浴びたフラッシュの嵐と人々の歓声で、つかの間頂点にあった時代を
思い出したけれど。
裏方の私ですらそうなのだから、まして表で眩しい照明を、それも
若くして浴びていた人たちが、照明がある日
ふっとかき消え、目の前に広がる暗がりに愕然とするさま、いかばかりだろう。

でもそれでも、彼らは凡人が生涯味わえない頂点の恍惚を味わったのだ。
それはそれで、面白い人生だったんじゃないか。と、死の間際に
思えたらいいのだけど。私は脚本家がまだラマの中心にいた時代に
最盛期だったので、現在の脚本家の
人たちが経験していない華やかさを、味あわせてもらった。
光多ければ、訪れ来る闇もまた濃いのだ。それも人生の妙味だろう。

 

誤変換他、後ほど。

 


観浸り

2018年06月18日 | 映画

昨夜から、今朝にかけハリウッドの古い映画3作品に
浸っていました。

「サンセット大通り」Sunset Boulevard(1950年)ビリー・ワイルダー監督 グロリア・スワンソン

「イヴの総て」All About Eve(1950年)ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督 ベティ・デイヴィス アン・バクスター

「何がジェーンに起こったか」What Ever Happened to Baby Jane?(1962年)ロバート・アルドリッチ監督 ベティ・デイヴィス ジョーン・クロフォード

 

うっかりしていると、記憶がごっちゃになりそうな3作品です。いずれもバックステージものであり、ベティ・デヴィスは2作品に出ているし、3作共に栄光の頂点から滑り落ちたスター女優の物語。
「サンセット大通り」も「何がジェーンに起こったか」も、女優の狂気がモチーフで起こる悲劇です。

偶然、同じ分野の作品を観たわけではなく、次に書きたい・・・・かもしれない作品の教科書として観たのです。

「何がジェーンに起こったか」は2度観ました。最初字幕無しで観て、その後どのくらい英語のダイアローグが聴き取れていたかのチェックをしたのですが、結果はガッカリで・・・ストーリーが皆目解らぬというレベルではないのですが、キーになるセリフをいくつも取りこぼしていて、ヒアリングが相変わらず貧相で情けないことです。

名作として評価が定まったものばかりで、監督、脚本、俳優、いずれも見事です。
ベティ・デヴィスの凄みには圧倒されました。

この頃のハリウッド映画は、まだヨーロッパのいわゆる文芸もののテイストを残しています。「質」がいつしか商業主義偏重に取って代わって、現在です。
私が近年、ベストだと思っていた「沈黙」はさしたる話題にもならず、索然としました。ハリウッド映画における賞で納得の行ったのは、「ムーンライト」ぐらいだったでしょうか。
いずれも大味で、精神も感性も成熟していない・・・・でもお金を持って映画館に集う若年層をターゲットにしていて、物足りません。

 

そうこうするうち、コン・ユ主演の「新感染」のDVDが届きました。
U-NEXTで観られるのですが、ベッドに寝そべり大きな画面で
観たいので。昨夜から「観浸り」なのですが、未見のDVDが
そばにあると落ち着かないので、結局観ると思います。

どれも、お勉強と言い訳しつつ。

 

誤変換他、後ほど。