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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

熱く熱く、熱かった「ボヘミアン・ラプソディ」

2018年11月30日 | 映画

ロック嫌いの私が見る気もなかった「ボヘミアン・ラプソディ」だが
世評の余りの高さに、重い腰を上げ映画館に珍しくネット予約して
出かけたのが昨夜。満席だった。

作品と劇中鳴り響く楽曲に心を射抜かれた。

元々、音というものは自然音以外に疎ましく思うことが多く、
まして大音声(おんじょう)でがなりたてるロックには拒否反応、
クラッシクと稀に言葉(歌詞)がいい演歌がかろうじて許容範囲というこの私が、
劇中爆流のように流されるクィーンの楽曲には、
血がざわめき泡立ち、畏怖の念さえ抱いた。本物だからなのだろう。
半世紀遅れて、クィーンのただごとならぬ力に翻弄されたのだった。

ボーカルのフレディ・マーキュリーは自身がその性的アイデンティティ,
B(バイ)だという認識を、彼にとっては運命の女だった人に「あなたはG(ゲイ)よ」と言い切られるシーンの男と女、お互いの切なさ。

フレディ・マーキュリーが結婚を申し込んだその女性は終生、
彼の運命の女であり続けるのだが、しかし女性は他の男と結ばれ、
短かった生涯における晩年のフレディに寄り添ったのは男性であった。

死の近いことを悟ったフレディは伴侶であるその男を両親と妹がいる
実家に伴い紹介する。母親に男との関係を問われたフレディが
「大事な友人だ」と答えその男の手に自らの手を
そっと重ね、男もまたそれに応える。
繊細で静かなカミングアウトだが母親は女親の敏感さで察知、
息子が(最期に)伝えたい親への思いを瞬時に無言で受け入れるのだが、
「世間の常識」の権化のごとき父親がそれを察知したのかどうか、
映画では解らない。その時の父親の表情では、どちらとも取れるが
いずれにしても音楽という形で、それまでへの確執を超え和解はあった。

オンタイムでクィーンを体感、共有した世代にとっては
震えの来るような作品であろう。劇中鳴り響くクィーンの
楽曲に合わせて体が自ずと動いてしまうのだろう、私の
席の背後の男が踏み鳴らす足の振動が椅子越しに響いて、
普段なら迷惑に思うのだが、その時には「解かる、解かる」
とむしろ共感だった。ロックコンサートの魅力の
一つは、こういう場の一体化もあるのかもしれない。
クレジットタイトルが終わって、さりげなく背後の客の
顔を観たら50歳ぐらいの男であり、彼もまたオンタイムでの
クィーンファンではなく、遅れてきたファンなのであろう。
ロックを媒に、日本中の世界中のファンとつながるごとき
至福の一端をこの歳にしてやっと解ったしだいである。

映画を見ながら、ローリング・ストーンズの公演を
観に行ったのを思い出していた。何の気迷いか、おそらく
世界の大いなる流行り物を観ておこうかという程度のことで、
テレビ局に手配を頼んだのであろうが、ステージに至近の
良席であった。

ロックそれ自体に相変わらず感興を催すことはなかったが、
驚嘆したのはミック・ジャガーである。
靴底に踏まれた濡れ落ち葉のようであった男が、
歌い動き始めた瞬間、いきなり艶めいて目を奪われた。
その色っぽさと来たら! そう言えばプレスリーも
容姿に恵まれた人ではなかったが、セクシーだった。

フレディ・マーキュリーもそうである。視覚的に美しい存在ではないのだが、
ライトを浴びて歌いだした途端、ただごとならぬ何かに
変貌するのである。

ということからまた連想が飛んで、「覇王別姫」というあの名作に
主演したレスリー・チャンに舞台裏で遭遇した時のことも
思い出していた。スクリーンやステージで放つ美しい光芒は、
舞台を降りた途端に消え失せ、私は本人を目の前にしても
しばし、その人が香港の高名なスターであることに気づかないほどであった。

フレディのカミングアウトシーンは静かで深く楽曲抜きに秀逸なシーンであったが、
レスリー・チャンのカミングアウトはステージ上で観客に向けて華々しかった。
黒いタキシードのまま黒靴を脱ぎ捨て、真紅のハイヒールに履き替えて
一曲を歌い上げ、そして「これもまた、私です」と淡々と告白したのだった。
私には不意打ちだったがさして驚きはせず、客席も
静かに受け止めていた。
高嶋政宏くんと観に行ったステージである。レスリー・チャンは、
レスリーの親友であったワダエミさんから伝えられた話だと、その時カナダに
妻子がいたと思う。

アーチストの感性は複雑で、この世の単純な男と女という
領域を時に超える。が、凡庸な世間の理解の埒外にある。
劇中歌の中「私はこの世の贄(にえ)だった」と
十字架を背負って生きることの艱難をフレディは歌う。栄光の頂点にいながら
骨を噛む孤独。そしてその孤独は、自ら愛を乞い接近した
、かつての使用人であった一般人の男により救い上げられる。
世界中の人々から熱烈な愛を捧げられながら、しかしフレディが
本当に欲しかったのは、たった一人の人の愛であった。

「生産性がない」というあの粗野な論文を併せて私は思い出しもした。
フレディ・マーキュリー
がどれほどの光の花束を全世界数億の人の心に投げ入れたか、
生き抜く力を与えたか、もし経済上の生産性を言うなら、どれほど莫大な富を英国にもたらしたか、論文を書いた主には思いも寄らないのだろう。卑小である、魂として。
政治家としての実績には刮目して来たが、あの論文の心根の低さは
いまだ不協和音として脳裏に残っている。主張の内容それ自体よりも
まがいものの言葉それ自体が帯びた、卑しさへの違和感である。
政治的言語に転嫁して言い合う気はない。人の品性として下卑ているものは
単に下卑ている。

「ボヘミアン・ラプソディ」へのオマージュを記すつもりが、
思わぬ文章で讃歌を汚してしまったかもしれぬ。

主演男優は、ハムスターのようであったフレディの前に突き出た
大きな歯も忠実に再現して、見事だった。

アフリカの飢餓を救うための手弁当でのチャリティでの、フレディの
絶唱では銀幕内の会場が地響きするほどにどよもしたが、
それを映し出している映画館の客席も熱いるつぼと化して、
空気が熱をはらみ密度がひしひしと濃くなった。巷間言われている如く、
ラスト20分が圧巻で息もつかせぬ。

We Will 、We Will 、Rock You
Rock You!!

We Are The Champions
友よ、君もまた王者なのだ
最後の最後まで戦い続ける・・・・

いまだ耳に鳴り響いているクィーンの楽曲。

この世の束の間を疾走したフレディ・マーキュリーよ、
あなたはこの世に降臨した神の一族だ。

 


「七人の侍」

2018年11月17日 | 映画

海外で日本映画のトップに上げられる「七人の侍」を観た。

唸った。何という完成度。シナリオ、役者、音楽、演出は言わずもがな。
完璧。

折々に息抜きの笑いを散りばめているのだが、しかし余りの緊密度と面白さに、息苦しくなるほどで私は数回映像を止めて、休憩したぐらいだ。

1954年(昭和29年)の製作で、私もさすがにオンタイムでは観ていないが、それでも相当若い時期に観て、しかし息苦しくなることもなく脳裏に残ったのは雨中の壮絶な戦いのシーンのみ。幼かったのだ。物語の緊迫度に加え、プロとしての分析でも見るのでその計算の巧緻に行き届いた様も、見事過ぎて欠点という一種のツッコミどころという余裕がないことも呼吸困難に陥った理由である。

幼い頃見落としていたのは若い武士と百姓の娘との情交のくだり。女がいつも添え物で、男の影にしかいないのが黒澤映画の特徴であるが、今回は違った。思春期を迎え異性への関心と性欲を体にみなぎらせた村娘が若い武士に迫るくだり、珍しく女のアップを使い息を飲んだ。

黒澤は偉大なアルチザンであるが、アーチストではないという三島由紀夫の批評(けなしているのではない)に与する私だが、娯楽も突き詰めればアートではないか、というのが作品を観ての感想だった。
そして何より、品格。下品を描いても、ゲスに堕ちぬのが品格であるが、黒澤映画に共通するのはその品性である。昨今の日本映画に決定的に欠落している所。

映像の物書きとして最盛期にあった頃、わりにしばしば問いかけられたのは「監督はやらないのか」であり、「朝起きが苦手だし、私には集団の統率力がない」とそのつど答えて来たのだが、思えば朝起きも統率もその気になって腹を据えれば出来ぬことでもなかろう。

私に決定的に欠けているのは画面を作り上げる「絵心」なのだ、と「七人の侍」という大傑作を前に改めて思い知ったことだ。絵コンテの一つも描けず監督は務まらない。

これからしばらく、ほぼその全てを観ている黒澤映画をもう一度見直して観ようと思う。
ただ、初期中期が黒澤映画のピークに達していて晩年に到るほど輝きが失せていた、という感想は変わらない気がする。技術は円熟して来るはずなのに、創り手としての生命力の衰えであり、こわいことだ。漫画家も命の衰えを迎えると絵が下手になると編集者に聞いて、唸ったことがある。単に手先のことではないのである。

それはおそらく文の書き手も同じこと。三島由紀夫もまた晩年に近い作品には、かつての漲るようであった輝きが褪せて来たと思う。

こんな天才と自らを並べる愚はしないが、しかし半端な物書きにも切実な問題ではあり、さればこそ「君の名で僕を呼んで」という見事なシナリオを書き上げた作家が90歳を超えていることが、心の支えなのだ。いつまで書き抜けるやら、ただ営々と言葉を磨き感性をみずみずしく保つ努力を続けるしかない。

最後に、「平和」と唱えつつ村人が9条を持ったとしたら野盗と化した野武士の狼藉が防げたのか、止んだのか、という余計な政治的一言を付け加えておく。


「スマホを落としただけなのに」

2018年11月15日 | 映画

考え事にふけると身辺が疎かになり、あちこちに
財布その他ぽいぽい置いてくる癖があり、
スマホもその一つ、あまり忘れ物が多いので
自戒のためにも観ようと思い立ったのが
表題の映画。

だったのはいいが、散歩がてら自宅から映画館まで歩いたのだが、
時間を勘違いしていて映画はすでに始まっていた。
こんなところでも、生活不適応者。

帰ろうかと思ったのだが、ちょうど始まる映画があったので、
迷いながらも観たら、紙のコミックで10分あれば
読了できる程度の内容、コミックでなら成り立つ
人間像も、実写ではムリ、途中で出ようかと思ったのだが
ひょっとしたら終わる頃、ちょうど次の「スマホ」が
始まるのではないかと、ふと思ったので忍耐して
最後まで。

案の定、終わったら間もなく「スマホ」が始まる時間だった。
映画の怖さより、スマホを落とすことにつきまとう
怖さが、これでもかと描かれていて、私にはいいクスリだった。

 成田凌という人の芝居が、抜きん出ていた。異常者という
特徴のあるキャラは演じやすくはあるのだが、それにしても
優れた表現者だった。

・・・・とこんなこと読みに、アクセスしてくださったのでなかろうと
思うのだが、例のヒップホップグループに関しては書きたくもない、
報道の影にこそ、もっと幾つかあるようだが、辟易とするばかりである。

キム・ジャンフンという韓国の歌手、この人は竹島(独島)は韓国領土だと
いうアピールに泳いで渡ろうとして途中で溺れかけ、過呼吸を起こした人だった
ように記憶しているが、安倍総理の写真付きで日本のこのたびの
騒ぎを批判、この人が何をいうかは予め解かるので読みもしなかったのだが、
趣旨であるらしい「加害者である日本人が被害者ぶるな」というのは
原爆のことである。

主張の全体が誤認識による惨憺たる論理だが、この人が特殊な人だと
いうわけではない。

ヒップホップグループと価値観を共有する人物でもあり、それは
韓国における一般思考・感性でもある。日本人はそれを腹に据え
再認識したほうがいい。


それが彼らなのだ。


幼児期からそういう教育を受けている。だからグループも自分たちが

糾弾される理由が、さっぱり解らないでいるだろう。だから個人としては
謝罪はいっさいしないし、またすれば国で袋叩きである。

事の真相を心得た人もいて、あの教育体制の中でよほど
傑出した感性と思考力のある人々なのだろうが
発言した途端、袋叩きである。お付き合いのある
呉善花さんも、日本に来て暫くの間、幼い頃から刷り込まれた
歴史観から脱出できずにいらした。真実に気づき声を
上げ始めたとたん、帰国すら叶わない身の上となられた。

この件について余り書きたくないのは書くすら憂鬱だからだが、もっと
憂鬱なのは、彼らを許容するどころかかばい、称える日本の若者が
相当数いたことに脱力気味、加えてマスコミの報道内容の
浅さにも。かの国が絡んだ際毎度のことではあるが全てが報道されている
わけではない。テレビをつければコメンテーターの認識の
浅さに(言いづらい部分は忖度しつつも)歯噛みするというふうで
精神衛生によろしくない
この数日間である。

「歴史を忘れた国に未来はない」が韓国の人々が日本を撃つ時に
使う決まり文句だが、日韓関係にも未来は見えない。
ただそういう国、そういう人々なのだと腹をくくって付き合うなり
距離を置くなりするしかないだろう。断交は言うほど易くはない。

普通に道理で物を言っても韓国に関しては、即「嫌韓」と
変換されてしまうのも憂鬱の種。

ところで、私のひんぱんな忘れ物、落とし物が思えば
手元に戻って来なかったことがない。運もいいのだろうが、
日本なりゃこそでもあるのだろう。そういう国で
あり続けて欲しいのだが、外国人が多くなるにつれ行く手は覚悟。
全ての外国人がそうだというわけではないが、全般に日本の
倫理の水域は下がる。

それにしても外での遺失物は、ことごとく戻って来るのに
室内での紛失物は、多くが失せたまま。むろん、どこかには
あるのだろうが、失せ物探し不得意も私の欠陥の一つではある。


日本映画の秀作

2018年11月06日 | 映画

英国BBCと、アメリカの映画サイトが選出した
日本映画ベストの顔ぶれが興味深かった。

BBC「史上最高の外国語映画100本」。

1位「七人の侍」(1954年:黒澤明)
3位「東京物語」(1953年:小津安二郎)
4位「羅生門」(1950年:黒澤明)
37位「千と千尋の神隠し」(2001:宮崎駿)
53位「晩春」(1949年:小津安二郎)
61位「山椒大夫」(1954年:溝口健二)
68位「雨月物語」(1953年:溝口健二)
72位「生きる」(1952年:黒澤明)
79位「乱」(1985年:黒澤明)
88位「残菊物語」(1939年:溝口健二)
95位「浮雲」( 1955年:成瀬巳喜男)


こちらはメリカの映画サイトが選出した「日本映画歴代ベスト40」である。

40. 『家族ゲーム』 森田芳光 1983年
39.『野獣の青春』 鈴木清順 1967年
38. 『ビルマの竪琴』 市川崑 1956年
37. 『麦秋』 小津安二郎 1951年
36.『巨人と玩具』 増村保増 1958年

35. 『上意討ち 拝領妻始末』 小林正樹 1967年
34.『鬼婆 』 新藤兼人 1964年
33. 『二十四の瞳』 木下恵介 1954年
32. 『人情紙風船』 山中貞雄 1937年
31. 『武士の一分』 山田洋次 2006年

30. 『HANA-BI』 北野武 1997年
29. 『原爆の子』 新藤兼人 1952年
28. 『トウキョウソナタ』 黒沢清 2008年
27. 『天国と地獄』 黒澤明 1963年
26. 『楢山節考』 今村昌平 1983年

25. 『御用金』 五社英雄 1969年
24. 『茶の味』 石井克人 2004年
23. 『女が階段を上る時』 成瀬巳喜男 1960年
22. 『浮雲』 成瀬巳喜男 1955年
21. 『飢餓海峡』 内田吐夢 1965年

20. 『おくりびと』 滝田洋次郎 2008年
19. 『山椒大夫』 溝口健二 1954年
18. 『赤い殺意』 今村昌平 1964年
17.『他人の顔』 勅使河原宏 1966年
16. 『たそがれ清兵衛』 山田洋次 2002年

15. 『仁義ない闘い』 深作欣二 1973年
14. 『大菩薩峠』 岡本喜八 1966年
13. 『そして父になる』 是枝裕和 2013年
12. 『野火』 市川崑 1959年
11. 『薔薇の葬列』 松本俊夫 1969年

10. 『おとし穴』 勅使河原宏1962年
9. 『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』 1985年
(日米合作。製作総指揮はコッポラ監督とジョージ・ルーカス監督)
8. 『雨月物語』 溝口健二 1953年
7. 『誰も知らない』 是枝裕和 2004年
6. 『人間の條件』 小林正樹 1959年

5. 『砂の女』 勅使河原宏 1964年
4. 『東京物語』 小津安二郎 1953年
3. 『切腹』 小林正樹 1962年
2. 『羅生門』 黒澤明 1950年
1.『七人の侍 』 黒澤明 1954年

 

・・・・・どうであろう。私としては、成瀬巳喜男監督や生前親交のあった鈴木清順監督の作品があることで、ほぼ成仏。

それにしても「七人の侍」が強い。もう一度、観てみようと思う。
小津安二郎監督の、あの劇的展開の乏しい、作品の湛えた静謐と
ある種の虚無を英米が評価していることに、かなり驚いた。
意外だったのは「薔薇の葬列」がアメリカで、というより名作として
カウントされていることである。
記憶によればオイディプスに典拠をとった近親相姦の
物語。原典が母と息子であったのに対して、「薔薇の葬列」は
不埒にも父と息子の相姦であり、50年前に観た時は
度肝を抜かれたが、なるほどオイディプスを現代に
引っ張って来たら、こういう物語になろうかと、
その発想に感心した記憶がある。

 


映画で思い出した慰安婦合意

2018年10月22日 | 映画

三船敏郎主演、黒澤明監督「静かなる決闘」(大映、1945年)を
観た。

1944年の、野戦病院で物語は始まる。手術の最中の明かりさえ
乏しい中でのオペシーン。頭上で燃えている明かりが
何なのか解らなかったのだが、電気ではない。

と細かいところに目が行ったのは、「慰安婦」を名乗る
老婆の一人が日本軍に「電気拷問」を受けたと
恥知らずな嘘を述べ立てているからだ。

強制の慰安婦などいた事実はないが、それにしても
日本の左派と韓国がでっち上げありもしない慰安婦問題は、
「米国が仲介して当時の岸田文雄外相と尹炳世外交部長官が記者会見で
最終的かつ不可逆的に解決したことを公式に宣言」して終了済み。

そもそも戦後補償問題は戦後20年目である1965年の日韓基本条約と
同時に締結された日韓請求権協定で
完全に解決したものだ。

いつまでも、日本は韓国の約束反故に引きずられてはならない。
慰安婦合意と基本条約の存在は、教科書でさえ教えるべき筋合いのことである。
あちらはどうせ教えはしない。だからこそ、我が国の子どもたちには、
きちんと教え込むべきであろう。

「静かなる決闘」は、同じ三船・黒澤コンビで後の「赤ひげ」に
つながっていると思う。

黒澤に関しては、「偉大なアルチザンだが、アーチストではない」という
三島由紀夫の評が的確であろう。

そのシナリオの巧みさ、映像の精錬度の高さに唸りながらも、
芸術的感興を覚えたことは絶えてない。
これは黒澤映画への貶めではない。完璧な職人を志す監督に、
芸術への指向はなかった。

と書きながらアートであった作品が皆無かと言えば
そうでもないなと思ったのは「羅生門」という傑作の存在を
思い出したからだ。

思うに、作品の持つ芸術性は監督が女性性の側面を
持たねば生まれない。黒澤監督は極めて男性性の
勝った方であり、映画における人物は概ね
男性に焦点が当てられていて、女性はほぼ常に
脇にいる。

映画における慰安婦は東宝映画「独立愚連隊」で取り上げていて、当時は
慰安婦など日韓で問題にされてもいない時代の映画で、
娯楽作品だが、娯楽作品であるからこそ政治的意図よるプロパガンダは
皆無、時代背景として普通に事実が描写されていて、
やれ慰安婦狩りの年端も行かない少女の連行のと片鱗もありはしなかった。

生前可愛がっていただいた鈴木清順監督の「春婦伝」における
慰安婦は威張っていて、新兵など顎の先で使っていた。
清順監督には「肉体の門」リメイクのシナリオを
依頼されたが、企画は成就せず私が書くこともなく終わり、
監督とは俳優さんとしてのみのお付き合いで、
ついに監督とライターとしての仕事はないままである

話が脇に逸れたが、強制的に駆り集められた慰安婦など
いはしない。いたのは、募集に応じた日本人を含めた娼婦たちだ。
中に少数、韓国内で韓国人の女衒に騙されたり、親に
売り飛ばされた少数例があったのみである。

「独立愚連隊」の岡本喜八監督にはあるパーティで
隣り合わせの席にいたのだが、その当時
慰安婦問題など関心もないころで、とりわけ
それについてお話もしていない。

もっとも、岡本監督も話を持ち出したところで、
きょとんとなさっただけのことであろう。
日本国内で、左派がないところに煙を立てるまで慰安婦問題そのものが
存在していなかった。