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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「湯シャン」で「ノー・プー」な私 

2016年04月05日 | 日本語について

コメント欄に、ヘアケアについてかいてください、とリクェストを
頂戴したので、再度記します。

ただ専門家ではなく、ただ個人的に黒々ふさふさ艶々なので、
自己流ケアが上手くいっているのかな? ということで
話半分に聞き流して下さい。

頭皮の皮脂の除去が基本、ということが流布され私も、
毎日シャンプーをしていた時期もありますが、なんとなく
「直感」あるいは「本能」で、それちょっと洗い過ぎでは?
と感じ、お湯だけの洗い流しを多くしてから、もう何年も
経過しています。

最近は、シャンプーしないというのがトレンドのようで
私は結構時代に数年先んじていたのですね。

h ttp://bg-mania.jp/2016/03/16151019.html

リンスに「酢」を使うことまで、世の流れに先駆けてやってましたね。
と自慢しましたが、全然シャンプーを使わないかというと、
それはありません。4,5日に1回は使います。ただし、
シャンプーを使っての2度洗いはしません。

記事によると酢は薄めて使っていますが、私はそのまま手のひらに
とって、髪と頭皮に使っています。とりわけ不都合はありません。
殺菌作用もあるし。

あと、月に一度専門家のところで頭皮マッサージは温めたオイルを
使ってやってもらっていて、この時は皮脂を徹底的に揉み出して
もらいます。

後は思いつくまま記します。

結局、ヘアケアは椿油に落ち着きました。ただ、付け過ぎると頭皮にべったり、
見苦しく髪も重たくなります。洗髪後の「まだ濡れている時に」、毛先ほんの
数ミリにちょっとずつ塗って、後はつげの櫛かブラシですくだけで
よろしいです。毛先に塗るのも、ほんの20本程度で全部に塗る必要は
ありません。つげの櫛かブラシで、濡れた髪全体に行き渡りちょうどよいのです。(
椿油は、親水性があるので水分で伸ばして使うと皮膚にも使えてシンプルです。オリーブオイルも結構水で伸びますね)

こうした状態で、翌日から数日間はお湯だけの洗髪を、シャワーの
湯圧を受けながらの頭皮マッサージかねて。マッサージは湯船の中でもいいですが。

つげの櫛は昔ながらの日本人の知恵ですぐれものです。櫛もブラシも、
使ううち自然に椿油を吸い込んで飴色に柔らかくなり、油を
髪に使わなくても、すくたびに髪に潤いと自然の光沢を与えてくれます。
女性の長い髪なら、50歳でも天使の輪は浮かびますので、諦めず。

ある美人歌手の長い髪が美しいので、髪の手入れを訊いたら
「油を使ってます」との返事。油の種類は聞き忘れましたが、
彼女の櫛を見たら、根本に埃がかなり浮いていて、いやこれは
悪口ではなく、彼女がまめに、髪をすいている証です。
私の視線に気づいた付き人がそそくさと、埃が根本にある
櫛を隠したのですが、私は自分に好意を寄せられていても
気がつかないやつ、と昔から何度も言われているほど、普段はぼーっと
しているのですが、いったん何かに関心を持つと鷹の目になって
見逃しません。物書きの資質の一つではありますね。

毛髪の保存については、一にブラッシング、ニにブラッシング、三が
頭皮マッサージです。まだ薄くならぬうち、白髪が出ぬうち、日に
トータル300回ほどのブラッシングを。静電気が起きぬ獣毛か、
つげのブラシでどうぞ。パッティングする形のブラシと併用すると
万全でしょう。理想は35歳ぐらいから始めると、いいでしょう。
私が始めたのは40代ですが、効果はあったように思います。

後同じく、40代でヘアケアとして使い始め、ずーっと使用しているのが
ヘナというインドのハーブです。慣れると実に簡単ですが、
美容院でもやってくれますね。ただケミカルなものを使っている
ところもあるので、自分で持ち込むのもありでしょう。
ヘナは、インディゴを使うと毛染めにもなります。
カラーが個体差で微妙なので、試行錯誤してみると良いと思います。
黒すぎて重たい髪の色も、柔らかにすることが出来ます。

私はケミカルなものが好きではなくとりわけ防腐剤が不得手なので、
よろず自然系を選ぶのですが、自然系だからといってたとえば
私の場合、同じインド系ハーブでもシカカイやアムラは、使うと
とんでもない蕁麻疹が全身に噴き出て、ひどい思いをします。
私は面倒なので、とりあえず使ってみて、合わなければ廃止、と
してますが、きめ細かくやれる人はパッチテストが無難でしょう。

それまで大丈夫でも、ある時から身体が拒否反応を示すことも
あるようで、甘利元大臣がそれでヘナ使用を止めたとブログに記載
されていた記憶。違ったかな?

お湯で溶いたヘナには、精油をわずかに垂らします。髪に圧倒的に
いいのはローズマリーです。私は他にスッキリ感と殺菌作用が欲しいので
ペパーミント。それから柑橘系がおそらく髪にはいいので、
柚子のオイルを1滴。そこに加えて、頭皮の血行を良くする
せんぶりを、2滴ほど。

以前は、せんぶりをそのまま椿油に漬け込んで、それを使用していたのですが、
ネットでせんぶりのエッセンスが手に入ることを発見してからは、溶液頼み
です。

基本的に顔と頭皮はつながっているので、顔の皮膚に良いことは頭皮にも
髪にも良いと意識をシフトさせるとよいかもしれません。

昔の宝ジェンヌたちは肌が美しいので評判だったのですが、
旧宝塚劇場(東京だったか、本場だったか聞き忘れました)の
浴場がスチームが通っていて、まるで湯気風呂状態だったそうなのです。
だから、毛穴から老廃物が出てまた潤いを得ていたのでしょう。

ということを、発想に面倒くさくない人はスチームを使うとよいでしょう。
ということは、頭皮にも髪にも湯気をあててあげるといいのかもしれません。

日劇の演出家の方に教わった、肌を大幅にさらす踊り子さんたちの
肌の保ち方。おへそに、オリーブオイルを1滴垂らして、もみこむ。
肌に良ければ、髪にもいいような気がします。
たまにはおへそに多めのオリーブオイル(か椿油でも良さそうな気がしますが)
綿棒で掃除すると、ぎょっとするほど汚れがついています。
黒い綿棒で試してみてください。

シャンプーの前に、ブラッシングと素洗いは常識ですが、
私は数日間に1回のシャンプー剤を使った洗いの時には、
事前に、オイルをたっぷり頭皮と髪に塗り込めて、そのまま
湯船につかり、それからシャンプーします。
オイルで頭皮に栄養を与えることと、それから頭皮の油を
誘発して洗い流すことが目的です。これ自己流なんで信じないで下さい。
オイルは麻他、適当に気分で使っています。

髪にふりかけるトニックは、使わない事が多いです。
理容院で使われることに抵抗するほどこだわっているわけでもないですが。
ただ、自分で作るほうが気分いいので、適当に精油と無水エタノール、精製水で
作っています。基本的に化粧水と同じ成分ですが、そこに髪と頭皮にいいローズマリーとせんぶりを重点的に加えます。

寝癖でついた顔のシワは翌日伸ばして修復しなさい、と私が
美輪明宏さんから教わったのは二十歳も半ばの頃でしたが、
まったくやらず、左の顔を下にして寝るのでそこだけほうれい線が
出来てしまいました。ゆったりとした呼吸法と、体のくつろがせ方も
教わったし、夜中に神々の「会議」を見る方法も教わったのですが、
まるでやっていないのです。何時か時間帯の指定もあったように記憶しているのですが、改めてはうかがえません。せっかく伝授頂いたのに、ずーっとサボっていたわけですから。

髪もそうですが、皮膚のためのローションも遊びながら自分で
作ります。ベースは薔薇水(Rose Water)、薔薇の花びらから精油を蒸留法で抽出する時残った水で高価ではありません。
これに、自分の直感に問いかけながら、自分に必要な成分を探りつつ、
たとえばセラミド、ビタミンC、ヒアルロン酸などの溶液を付加して
シェイクすれば自分に合った自分だけのローションがいつしか
出来上がります。ただこれも、私が面白がりながら、遊びながら試しているので、
誰にもいいかどうかは分かりません。市販で買ったらえらく高価な
成分が豊富に入ったローションが自作だと相当安く仕上がると、それだけの情報です。
ローズウォーターもビタミンCやEなどの溶液もネットで安価に手に入ります。

肌に良い物は基本で髪にも頭皮にも良い、ということでざっくり、いいかげんです。いっときは、香水作りに凝って人様に差し上げていました。

文字にするとややこしいようですが、実際にやればヘナ含めてさささっと
出来ます。

・・・・・こんなとこですか。思い出したら、追加しておきます。

老いが現れる目元、首筋、手に意識を。口のまわりが巾着口にならぬよう、
これも意識を。首筋を手刀で、スナップきかせてパンパン軽く叩いていると、
シワができず二重あごになりません。これも八段錦法という中国の体操の
一つなんですが。目の輝きが失せぬよう、また白内障を防ぐのにも
八段錦法は有効です。八段錦法は仙道とも言われ、仙人の健康法だと
されています。

まず手をこすりあわせ、熱を帯びさせます。
その手で、両目をそれぞれ覆い、眼球を上下10回ほど動かす。
次に左右。次に右斜、左斜め。
やると、疲れ目の時は尾てい骨がじんじんするほど、響きます。
それと人によっては、眼球の老廃物が目やにという形で
たくさん出て驚きます。

八段錦法で手のひらをこすり合わせるのは、「気」の湧出でしょう。
こすり合わせ熱くなった手で、頭皮や髪を撫でたり、顔をリフトアップするよう
引っ張り上げると良いです。
「気」に懐疑的な人もいますが、それはあります。私はたまにですが、
視覚化します。白い靄状として私には見えます。
あと、ハートから流れ出ている濃いローズ色の気流のごときものも
一度見たことがありますが、これは「愛」の気が視覚化したものでしょう。

怪しげ系に抵抗のない人は、あとチベット体操ですね。
覚えるまで少々厄介ですが、覚えたら後は簡単で
さして時間もかかりません。と言っても、私はきちんとやっている
わけではなく、労力を3分の1程度にしているので、なにごとも
アバウトです。

あとは声ですね。声帯も老いるので、歌うなどして鍛えておくとよいです。

細胞は人の意識に驚くほど、素直に反応します。老けたなあ、と自らに
わざわざ言い聞かせなくてもよいです。それより自分の美点とまだ輝いている
若さの一点に意識の集中を。実年齢より常にマイナス5歳、10歳の
意識でいるのもよいです。老いの厚化粧は老齢を際立たせるだけですが、
意識の持ちようで身ごなしや表情が若返るのは、自然です。

生者必滅会者定離。万物老いてこの地球から一旦姿を消すのが法則ではありますが、自ら進んで老いることもないので、可能なら若さを保存しておきたいものです。地球もいずれ、生命が尽きて宇宙の塵に一旦戻ります。
万物流転。絶えざる変化が宇宙の実相なら逆らわず、身を委ねつつ
しかし、急いで枯れることもないでしょう。敢えて申せば変化が実相なら、
よいほうに変化することだって、可能ではありませんか。少々屁理屈では
ありますが、結果それで若さをなるべくキープできればそれで、
いいじゃないかということで、遁走。

繰り返しますが、私は専門家ではなく自身の経験則、それから
人様のなさり方を観察していての、個人的な民間なんとか
レベルですので、単に参考になさる程度でお願いします。
自分流で一番あっている方法を探り当てるまでの過程を
楽しんでみてください。遊びながら発見すれば面白いと思います。

Good Luck


「申告」という名の韓国の密告制度

2016年04月03日 | 日本語について

元々は、スパイをみつけてそれを通報したら巨額の報奨金を
もらえる制度だと、うっすら理解していたのですが・・・・・

韓国における「申告」あるいは「カパラッチ(caparazzi)」と呼ばれる密告制度は、果てはタバコの投げ捨てを撮影してスマホの専用アプリで「申告」、報奨金がもらえるまで、細部に及んでいるようです。

こういう報奨金を伴う密告制度が政府に採用されると、隣人を売るごとき嫌なことが行われそうで、これは北朝鮮の金正恩批判が即密告され処罰されるのと似た体質。
思えば韓国もついこの間までは軍事政権なのだし、北と南と人種は同じ、メンタリティが画然と違うわけでもないでしょう。

韓国在住の邦人によると、ブログはおろかメールまで監視されているのではないかという疑心暗鬼があるそうで、夜中になると急にネットがつながりにくくなったり、ぷつんと切れたりするのはそのせいではないか・・・・と韓国人も言っていると聞きました。

そこで容易に想像されるのが、現地邦人の人たちの言論がかなり不自由であろうことです。韓国の日本人学校について触れてある現地在住日本人のブログを読んでも、隔靴掻痒の印象や、韓国に心情を寄せる唐突な結論など見かけると、それが原因なのかと得心したようなしだいです。

では帰国してからだったら言えるかとなると、仕事でいつまた韓国に
戻らねばならないか解らなかったり、仮に単なる用事目的であっても
入国に際して空港でストップをかけられる事態を避けたくて、口をつぐむのではないか、とこれは私の想像です。

 

金 慶珠氏的話術

2016年03月28日 | 日本語について

昨日、どの局であったか、下村博文元文科省大臣、ケント・ギルバート氏などが、金 慶珠氏(東海大准教授)と一緒に出ている番組の日韓関係に関するところだけ見ました。

嘘かまことか整形前後の写真が出回っているくらいに、華やかな美貌のせいもあるのでしょうが、日韓問題を取り上げると必ずと言っていいほどテレビに呼ばれ、あたかも韓国の日本窓口的立ち位置で韓国に都合のいいことばかりペラペラ述べられる方で、かつての自国を冷静に分析なさる呉善花さんなどは、局も決して呼びません。道理の通ることを語っても、日本側のコメンテーターとは「ケンカ」というショーにはならないからでしょうか。

金 慶珠氏の立て板に水の言葉連射には、当初驚きましたが、
彼女の語り口のノウハウが解ってみれば、申し訳ないが
あのチープな話術とそれに伴う見え見えの論法が、そういつまでも
通るとは思えません。
彼女のやり口は簡単で、とにかく相手の反論が来ないよう、
言葉に「間」を置かず、「まくしたてる」のです。
その間に数字や年度など、もっともらしい「データ」を散りばめる。
そして、「顔芸」。相手が正論を語っていても、
それが韓国にとって耳の痛い言説であったりすると、
表情で大仰なまでに「うんざり」「なに、でたらめ言ってるの」「呆れたわ」
と、アピールするのです、表情で。
カメラはすかさず、その日本人は余り見せないオーバーなまでの表情を
捉えます。
場数を踏んでいるので、テレビというものをよく知っています。

ただ、私もそうですが彼女のそういう「芸」を見透かす日本人も
増えてきたように思います。

それで感心したのは下村元大臣が、金氏が言葉の機関銃を
放ち始めると、すかさずそれを遮る言葉の爆弾を投げつける。
おそらく金氏にとっては、普段のノウハウが遮られ、
いたってやりづらい相手だったでしょう。「下村先生が
あたしを攻撃する」と二度ほど口走っていましたが、攻撃ではなく
そもそもあの場はディベートの場だったでしょう?

金氏の、やり口に振り回されない日本人もいるってことです。

ある意味、私は彼女はけなげなほどに韓国を代弁していると思います。
けなげ、もニュアンスが違うかもしれませんが、道理も通らぬ空疎な
言葉の連射をしている自らを、恥ずかしくないのかな、と
思うからです。お国のために自らを貶めても、がんばっていますわ、と。
しかし韓国人として日本に来ている以上、そうするしか彼女には
道がないわけだし、言論の自由という意味でなら、
韓国に自由はありません。
それに加え彼女の言論の提示方法には、文化の違いもあるのかも分かりません。
相手の言い分には耳を傾けず、風向きが危うくなったらとにかく、
喚き散らす。

それが下村元大臣には通用しなかったようで、見ていて
甚だ痛快でした。下村元大臣に、まだ大臣の肩書がなかった頃の
名刺がかなり以前から手元にあり、はてどこで頂戴したものやら。
あるいはパーティで、どなたかに紹介して頂いたのかもしれません。
こんな、痛快な日本男子なら御縁は結んでおくべきでした。

しかしそれにしても、竹島を日本の領土だと認識していない
日本人が多数いて、韓流ファンをそのことだけで
非難するわけではないのですが、
「韓国には韓国の言い分が」などと言っていましたね。だから余計、
疎まれたのですが。私も韓流は見るので、韓流ファンがいけないと
言っているのではありません、念のため。
歴史は歴史としてきちんと認識しましょう。でないと
「韓流の時代劇で歴史を学ぶ」などと、大真面目に言う日本人に
なってしまいます。あれは彼らの見果てぬ夢、現実にはなかった
歴史、あられもなく言えば考証無視の願望捏造劇です。
彼らはこうであったらいいなあ、という願望が史実にないと
映画やドラマ、アニメで「史料」を作成します。

考え方の相違というレベルではなく、単なる事実として竹島は日本の
領土です。教科書にやっと明記されるそうで、遅きに失しましたが、
よいことでしょう。韓国が数ページを独島(竹島)に費やして
いるのに対し、日本は数行の記述であり、まだまだこれからでしょう。

私は番組中、誰かが金 慶珠氏に対して「竹島はどの国の領土ですか?」と
ぶつけて欲しいと、思いながら見ていました。
とうぜん「韓国領土」だと彼女は応えるでしょうが、その瞬間彼女は
学究の徒としての良心を売り渡すのであり、正体を
現さざるを得ない。それゆえに、質問をぶつけて欲しかったのですが、
番組の男たちに私のように底意地の悪い人はいなかったようで、
優しいなあ、と思いながら見ていました。
下村元大臣も、金氏の連射砲話術には化かされてはいませんでしたが、
基本、優しいと私は感じました。憮然となさった表情から、
金氏の言い分を許しているとは思いませんでしたが。

それにしても韓国。そこまで竹島に粘着し、日本に激昂するのであれば、
なにゆえ、ハーグの国際裁判所に出て行くことを拒否するのか。
理由はネット民レベルの言い分含めて、述べられていますが、要するに出れば
自分たちに分がないのが国際的にばれるからです。
ならば、日本は国際社会に向けて言い募るべきでしょう。
裁判から逃げるなら、逃げるその理由を韓国はそのつど述べねばなりません。
客観的に納得できる理由を彼らは述べることが出来ません。

日中韓が教科書で合意ラインを探ろうと集まったことも
あるのですが、最初の段階で決裂しました。
というのは、教科書問題の核ともいうべき領土問題に関して、
中韓は最初から聞く耳持たぬ、話し合う必要なしとして
突っぱねるから、話し合いにもならないのです。

話しあえば、日本側がまっとうな資料と証拠を持ち出してくるのは必然で、
そうすればぼろを出すのは、中韓なのです。

そういうことも含めて、日本の大人は子供たちに教え込むべきでしょう。
でないと、金氏がおっしゃるごとく、「日本人の◯割は、どっちの領土か
解らないと言っているではないか」などと、あたかもそれが
竹島は韓国に属する証拠のように言い換えられてしまいます。
「どっちの国の領土化解らない」と言っているのはかつての韓流ファンや、子供たちだけではありません。
自治体の職員が「韓国には韓国の言い分がある」などと
言っている始末です。

韓国が独島について教科書に5ページを記載するなら、
日本は理路整然たる反証を、幾つもの証拠付きで10ページ、
記載すればよろしいのです。

金 慶珠氏は宮沢喜一元総理の「近隣諸国条項」を上げていましたが、
ここにも金氏特有の詐術的レトリックがあります。
「近隣諸国条項」では東京裁判史観に基いて、日本が「迷惑を
かけた」国々の感情を逆なでせぬよう、留意するようにという
条項ではありますが、嘘をつかれて濡れ衣を着せられることに
対して、黙ってがまんしていなさいとまでは、さすがに
示していません。

「近隣諸国条項」の近隣とは、実際的には韓国中国北朝鮮ですが、
この三カ国に近隣諸国条約はありません。
つまりこの三カ国は日本に対して言い放題、捏造の教科書でも
構わない、ということです。こんな国際的にはとんでもない
片務的条項は撤廃すべきでしょう。敗戦国としての屈辱裁判である
東京裁判史観からの脱却を図らない限り、日本の再生はあり得ず、
「近隣諸国」とやらの嘘と横暴に、蹂躙され永遠のたかりを
受け続けるだけです。


 友達の友達は友達じゃないから

2016年03月26日 | 日本語について

私も若い時は「友達の友達は友達だ」ぐらいのおおらかさと
無防備さだったのですが、少しは世の中を見聞きするうち
慎重になって来ました。

友達の友達が敵であることもある。多々ある。

ある人から電話がかかって「相談なんだけど」と。
「あの会ねえ、あの人が勝手に声かけて、私の知らない人まで
呼んだっていうの」

私もいささか、聞いて憂鬱になりました。呼んだと言われるその人達は
私にも未知の人たちです。


お互い共有する言語空間というのがあり、付き合いが長いほど
それは濃いのです。だから「会おうね」という時はその空間を
予期して約束するのですが、そこに想定外の第三者というのは
常に出会いを求める若者ならいざ知らず、普通億劫なのではないでしょうか。

皆さんいかがですか。性格にもよると思うけれど。
電話で相談してきた人は顔のよく知られた人で、その憂鬱感も
あったようです。仲間内で、くつろごうと構えていたのに
外野からの視線を浴びることになるのかと。
「あなたも写真撮られてフェイスブックとかツイッターに上げられたら、いやでしょ」
とその人が言うので「私は平気。それにあなたほど有名じゃないし」
と答えたのでしたが、その人が余りに気が重そうなので、
「私が、その人に言おうか?」と言ったのですが、結局それも
角が立つなあ、という結論で。

結局相談の結果、二人共そのことには触れず、ここは大人になって、
とにかく出よう
ということにまとまりました。

当初親しい者同士でくつろごうと、という会の趣旨でした。
しかし、いかにこちらが、気疎く思おうと声をかけられ参加をする人たちは
そのために、スケジュールを空けたのだろうし、
それを断られていい気はしないだろうし、また
声をかけた人の顔を潰すから、という理由で
二人共不満はぐっと腹に押し込んで、私達にとっては
異質な初対面の人達がいる集まりに出たのでした。

それで思い出すことがあります。

私達が思ったことは腹に飲み込んで、想定外第三者の出席を
表向きは快く是としたのと反対のケースです。

知人から、さる有名な方に会ってくれぬかと打診を受け、私は
その場の趣旨を聞いて「はて、いささか場違いな?」とは
感じたものの、お相手がそういうことを気になさらぬ方なのであろうと、
スケジュールを空け、承諾したのでした。もうお一人、同じことを
言われ承諾した人がいて、こちらは私の友人です。

ところが、さる有名な方が「会いたくない」と言って来た、と
の返事で仰天しました。

「会いたくない」は、こんな強烈な言い方ではなく、「場違いな人たちを、
なぜ呼ぶの?」というレベルの反応であったは思うのです。

場違いは最初から場違いなので、それはいいのですがしかし、
失礼な人だなあ、とは思いました。大人なら、一度出席の
返事をした相手に向かって「来るな」ということの非礼は知っているだろうし、
(実は多分知らない)、間に立った人の困惑も大人なら解るでしょう。

 

ある世界にずっと生き続け、頂点にまで上り詰めたお方です。
ある集団を指先ひとつで動かして来た人です。
ああ、大人になりそびれた人なんだな、と私は思い、しかしそれはそれとして、
その方の政治的立ち位置は応援して来たのです。

しかしそうこうするうち、相手のほころびが目につくようになりました。
まず女の問題。女はいいです、というと叱られそうですが、個人対個人の
範疇のことです。奥様やお子様がどう対処しているか、はたからは
分かりません。

ただ、これはちょっと薄汚い・・・・と感じたのは、その「影の女」が
公的な場にしゃしゃり出てきていることを知ったからです。
昔は、妾も分を心得ていて、相手の奥様をないがしろにするのは
ご法度。
自らは影にいる節度がありました。

連れて行く男もダメなら、そういうところはくっついていく女も
愛人としては二流です。二流の女しかつかない男は、たぶん
人間としては二流なんでしょう。
女房に世間的に恥をかかせる男も、その点ではカス。
相手の奥様の立場を考慮できぬ女もゲス。

いまだに、政治的立ち位置は支持していますがしかし、人として
どうよ? ということになって来ると、かなりテンションが下がったのは
事実です。

人の心の機微が掴めぬ人は、大勢の支持が必要な政治家には
向いていないのかもしれません。語る言葉もお上手ではなく、いや正直に
言えば拙劣で、もしお会いしてご縁が生じれば僭越ながら、その後ずっと多少のアドバイスが出来たと思うのですが、今はまるでその気もありません。

ところで、一つ思い出したことがあるのですが、友達の友達は友達だ、と
思い込んでいる人は案外いて、自分の友達をもう一人の友達に
無造作に会わせます。善意の人なんです。善意だからこそ、友達の友達は
友達だと思い込み、その人にかかってきた電話にさえ「出て」と受話器を
渡され困惑することがあります。
電話の主に会ったことはあるのですが、私がその人を必ずしも受け入れているかどうか、解らないではありませんか。
呼ばれた席に行ってみれば、その人の友達ではあるが、私は絶対に
2度は座を共にしたくないと思っていた人が、予告もなしにいて
愕然としたこともあります。その人が来ることが解っていれば、
私はその席には行っていません。
案の定・・・・・で、後に私がその場で、その場限定で語ったことが
妙な人の耳に密告され、不快な思いをしました。
そして後日談があり、私の談話をリークしたその人は、自らも
やがて裏切られ、すると今度は私のところに電話をかけて来て、
自分を切ったその相手の悪口を延々と言い続けます。
際限もなく延々と。ゲスはどっちへ転んでもゲスなのです。

そういえば、私に相談の電話をかけてきた人も、こぼしてました。
「あの人ねえ、自分にかかってきた電話なのに、私にも出ろっていうのよ。
理由は◯◯◯だって(詳細は省きます)。萎えるわよ。自分の友達は私にも
友達だって感覚なのかしら?」

「友達の友達は友達ではない」ということのほうが正しいのであって、
友達の友達は友達、を信じ込んでいる人は裏切られ傷つくことのほうが
多くはないですか?

ある場も集まる人によりガラリと空気が変わるのだし、口には
出さなくても、その人には二度と会いたくないと思っている
人だっているわけです。予定外の人を
呼ぶのはとりあえずマナー違反でしょう。大人社会では。

それに、人と人は合わない、うまくいかないと構えるのが
この世の常識です。それを前提に、うまくいけば、めっけものなのです。

 


言葉の足りない子たち

2016年03月22日 | 日本語について

中3の万引き濡れ衣自殺について、非常に激しい憤りを
私は教師の思想への疑いと共に抱いたわけですが、
その憤りもまだ冷めぬ内に、今度は某所で中学生男子の
自殺です。

聞けば両親から虐待を受けていたそうで、男の子が児童相談所に
助けを求めていたのに、通り一遍の対応しかせず、
男の子は自ら命を断ってしまいます。

自ら死ぬ、ということにどれほどの激しい迷いと追い詰められた決断が伴うかは
考えずとも解ります。

日常的に額などに傷がある男の子を「深刻な状態にはない」として、
「施設に入りたい」という男の子の訴えを相談所は、まっとうに
受け止めていなかったのです。

相談所の担当者と、母親のインタビューを見て更に私の脳は
煮えたちました。

まず担当者はろくに反省の言葉も謝罪もなく、淡々と事実経過を
報告するのみ、人間なら慙愧の念を持つべきケースです。
それを「自分が悪かったわけではない」ふうに淡々と、対応する
わけです。

そして母親。「しつけの範囲ですわ。どこも、そうと違いますの。
言って分からんかったら叩いて教えるんと違いますの」

お前だよ、わからんのは、このバカ母、と胸ぐらを掴んで
ゆすってやりたくなりました。

体罰なしの家庭のほうが多いし、仮に親の一方が手を出したとしても
一方が止めに入り、なぐさめるのが普通です。
父母揃って暴力を振るっておいて「どこも、そうと違いますの」と平然と。
投げ飛ばして、机の角で脇腹に怪我させるレベルのことは
しつけの範疇は超えています。額になんで、傷が残るのか。

中3濡れ衣自殺の生徒のケースも、教師の理不尽な指摘にろくに言い返していないことが目立ちました。最近の子の語彙不足はとみに感じることではありますが、おそらく状況を筋道だって説明したり、抗議したりという能力が欠如しているように思います。児童相談所に見捨てられた子も、自分の状況の深刻さを
相談所と警察に伝えるだけの十分な語彙がありさえすれば。

国語能力の著しい低下を憂える者ですが、子供たちには母国語たる日本語を
もっと教えるべきです。それが、近頃小学校中学校で韓国語を教えている学校、それも公立があるというので、仰天しています。なぜ韓国語なのです?
多々他に言語がある中で。講師への謝金は税金からまかなわれて
いるのでしょうか?

それよりまずは国語の充実を。

それと私が怒りを感じるのは、相談所が両親と男の子と三人で面談を
していることで、本当にバカかと思います。男の子は、帰ったらまた
両親に暴力を振るわれるのが怖くて、本当のことを言えるわけが
ないではありませんか。

私は、その相談員のけろけろとした報告の様子をテレビで見ながら
拳を握りしめていました。少年の無念、そして恐怖、親から
やられる絶望、誰も助けてはくれない深い孤独。

人一人の命を自分が直接やらずとも、間接的に
死に追いやっておきながら、よくもまあ涼しい顔で人前に出て来れる。