All animals are equal, but some animals are ...

but some animals are more equal than others.

毎日新聞の連載「縦並び社会」に注目

2006年01月07日 | ニュースから
1月6日 棄民の街
1月5日 株に乗り遅れるな
1月4日 時給は288円
1月3日 患者になれない
1月2日 年金移民
12月31日 眠りながら走れ
12月30日 派遣労働の闇
12月29日 ヒルズ族になれなかった男
12月28日 アンケートと連携の新連載 29日夜開始


毎日新聞「縦並び社会」

 「一億総中流」時代は終わり、格差が広がりつつあります。効率追求の競争はますます激しく、会社も人も「勝ち組」「負け組」にはっきり分かれようとしています。自殺は毎年3万人以上、生活保護は100万世帯を超すという現実が私たちの眼前にあります。

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年間3万人の自殺者という数の異常さについて以前blogで書いたのだが、そろそろ社会がこの問題を放置できなくなってきたのだろうか。政府が腰をあげそうだ、という報道も目にした。単純な比較をすることはよくないのかもしれないが、年間万単位で国民が望まぬ死を選ばざるをえないなんて、テロや戦争、災害の対策と同等もしくはそれ以上の対策が注力されてしかるべきであろうと思う。

12月29日の「ヒルズ族になれなかった男」はさほどの関心を寄せることはなかった。

その見事な切り口を見せてくれたのは12月30日「派遣労働の闇」だ。
実名をあげながらずばずばとありのままを文字として並べて見せた。某社の悪どさについては以前、ビジネス誌で取り上げられていたのを見た記憶がある。その時点で十分問題企業であったわけだ。しかし、それが大きな社会的問題として取り上げられることはなかった。

12月31日「眠りながら走れ」はいまさら何を、という問題でしかない。東名や名神を車で走る人ならば蛇行するトラックの話を聞いたことはあるだろう。途中のサービスエリアでドライバーの表情をみたことがあるのではないか。
少し話はずれるのだが、長距離バスの事故が相次いで報道された時期があったように思う。彼らの待遇がひどいのは明らかである。2台で走行するバスの片方の運転手がもう一台の運転手のところへ半泣きで「限界だ、眠くて運転できない」とやってきたのを見たことがある。新サービスとしてもてはやされる「低価格」は必ずどこかにしわ寄せがきているはずなのだ。

1月2日「年金移民」は私にはリアリティがない話だ。

1月3日「患者になれない」も見渡せば誰もが身近に一人はいるのではないか。いないのだろうか。私は常々国民皆保険なぞ絵に描いた餅だな、と思っていた。なぜ大問題にならないのだろう、か、と。すでに大問題になっているのだろうか。問題が処理できていないだけなのだろうか。すでにそういうリアリティすらなくなってきた。年金問題より前にマスメディアはこの問題を大々的に報じるべきだと思う。「将来」ではなく「明日」が生きられないのだ。

1月4日の「時給は288円」には呆然とさせられる。アンケートで9割がNoと答えるのも当然だろう。記事を読んでいる限り、片道切符の奴隷制度を髣髴とさせる。

1月5日「株に乗り遅れるな」も昨年週刊誌などでよく目にした記事だ。経済云々ではなく、これは「合法博打」でしょ?はっきりそう言えば自己責任で処理できるじゃない。自己破産でもギャンブル絡みは免責されないと言う。

1月6日「棄民の町」はもう待ったなしと通り越してあきらめすら漂う。都市の乗換駅や公園から強制排除された人たちはどこへ行ったのだろう。割れたコップに並々と注がれた水をこぼさないような歩いているような印象がある。コップが割れるのが先か、水が溢れるのが先か、どちらもいつか水はこぼれはじめる。高度経済成長のなれの果てが透けて見えてくる。いまのフリーター「活用」社会のなれの果てには何が見えてくるのだろう。