西原氏よりコメントが発表されていました。
以下に要約します。
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関係者から(学校等に)抗議が来ていないのに、私を呼び出すのはおかしい、と担任へ告げた。
後日、PTA会長から「学校長からあなたをトラブルメーカーだと聞いている、問題を起こすような人はPTA活動に参加すべきでない」と言われ、その件について武蔵野市に文書で回答を求めたところ「事実に反する」との回答を受けた。
自分は「お笑いまんが家」であり、その創作内容について否定的意見があることを認める。
表現の自由を主張したいわけではない。
今回の件で不愉快に思った方には謝罪したい。
しかし創作活動は続けていく。
(原文はこちら)
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先日の読売新聞の報道と相反するような気がしますが。
>「表現の自由への圧力」と抗議する西原さんに対し、市側も「正当な教育的配慮」と譲らない。双方が文書で主張を繰り返す事態となっており
西原氏のコメントを読んで、彼女が表現の自由を盾に、創作活動の無限な正当性を主張しているのではない、ということはよくわかりました。
また西原氏は担任とはいい関係を続けているとも主張しています。
保護者からの抗議はないとも主張しています。
じゃ、一体誰と西原氏が対立し続けているのでしょう。
武蔵野市?PTA会長?
担任は何が故に西原氏に抗議をしたのでしょう。
今回の件で気になるのは
「西原だから仕方がない」
「従前の西原に比べたらこの程度のことは問題ではない」
という主張が西原支持のblogに散見されることです。
もし、このことによって傷を受け不利益を被った方がいるのなら、それからの抗議は受け止め、対処をして然るべしかと。でもその抗議主体が誰なのかが不明瞭なのがこの件をわかりにくくさせているような気がしています。
この件を西原ファンの友人2人と話したところこういう意見でした。
1人目
商品として毎日新聞が送り出す以上、新聞社の編集権行使に間違いがある。問題点をその時点で処理するべきであり、以降の処理も毎日新聞の責任で行うべき。
2人目
西原も偉くなって、勘違いをしている。
売れっ子になり、権力の後ろ盾を得て横暴に振舞ってしまっているのではないか。配慮が無さ過ぎる。
自分の影響力を自覚してほしい。
2人に共通した意見は
「明るい陽の当たるところに出て行って書くべきことではない」、でした。
両者ともに問題点がずれていて、しかもそれが私が感じているモヤモヤと奇妙な一致を見せたようで不思議な気分になりました。
西原ファン、と書いたのはこの件がマイナーであり、意見を言う人の
大半が西原ファンであり、それ以外の人にとっては関心外であるという断りです。どうしても視点が偏りがちであるのは否めません。
こういう事って何事にも起こり得るのですけどね。
この件について取り上げるblogの大半もそうかもしれません。
まるさんから丁寧な解説をいただきました。
随分と時間を割いていただいたようで、恐縮しきりです。
他の方への返答も含め拝読し、モヤモヤした霧が晴れてきました。
まずはお礼を申し上げます。
>「自分の子供がバカと呼ばれたら傷つく」と言う人が多くいました。そこが争点なのかどうかわかりませんが。「学級崩壊させている教師と思われたら傷つく」なのかもしれません。
西原氏と対立しているのは題材にされた子供およびその保護者(の声を代弁した教師)なのか。
それとも責任を問われる可能性を感じた教師なのか。
どちらなんでしょうね。
どちらでもないのかもしれない、という気もしてきました。
>作品化された無垢の第三者(ってまるにはよくわからないのですが利益を得られない人のことと思いました)
「無垢」ではなく
「無辜」でした。
ただでさえ稚拙な文章がより意味不明になってしまってます。
すいませんでした。
対立軸の外に置かれている被害者(なんてものがいるのか?)という意味で使った言葉です。
お奨めいただいた作品は近々読んでみます。
西原氏の絵はかつて見た記憶があり、それ自体を不快に感じたことはありません。
また、「羽をむしる」という行為はあらゆる創作者に課せられた宿命なのかもしれません。
最近、漫画と言えば「まんがタイム」系の雑誌を移動中などに読む限りですが、自分の体験を削って提供してるなぁと感じる作者がいます。作家の本質とはある種ストリッパーのようなものだという言葉もかつてどこかで見かけたことがあります。
素晴らしい作品がそのような努力や犠牲の上に成り立つことが多いのが事実だと思います。
裁判所なりの第三者が判定する他ないのかもしれませんね。