まめママ日記

難しい病気と共存しながらも元気に育つ我が家のプチ殿様「まめ」の育児を中心に、日々の出来事を綴ります。

プロフィール 1

2006-11-19 09:37:56 | プロフィール

はじめまして、まめママです。まめパパの好意によってブログが開設されました
まめファミリーは、まめ(←愛称です現在1歳4ヶ月)とまめパパ、まめママの3人です。
私たちの日々を時々伝えられたらいいなと思っています。

というのも、ブログを作ってもらった主旨の一つに、遠く離れて生活している友達&なかなか連絡できていない友達に、まめのことを知ってもらいたいという思いがあったからです。

そう、まめのこと、、ほとんどの友達に伝えられず今まで来てしまいました。

まずはこれまでの「まめ」についてお伝えしたいと思います。
驚かせちゃうと思います~

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私はまめを出産した翌日みんなに元気な男の子が生まれたことを報告しました。無事の出産に本当にほっとしたのを覚えています。
ですが、、メールを送った直後にまめの様子に異変があり地域のNICUがある大きな病院へ搬送されてしまいました。
当初は出産時に起こる「くも膜下出血」との事でした。出産時のくも膜下出血は珍しいことではなく1週間ほどで退院できるであろうとのことでした。
私は不安に思いながらもその言葉を信じ、自分の退院の日にまめも家に帰れることを祈っていました。

しかし、1週間が過ぎてもまめは退院できませんでした。NICUにいるまめは見た目は健康そのものでしたが、息を止めてしまう発作が続いていたからです。。
まめの小さな体に沢山のコードが付けられていました。代われるものなら代わってやりたい、、何もしてあげられない自分の無力さを痛感しました。

毎日まめの面会に向かいました。久しぶりの車の運転もいざとなれば高速だって乗れちゃうもんです
面会中まめを抱かせてもらうことはほとんどできなかったけれど(刺激を与えないためだそうです)発作を止めるため麻酔を使って眠らせていることが多くほとんど泣き声も聞くことが出来ませんでしたが、保育器の中のまめは本当にかわいかったです面会時間以外の様子は看護士さんから詳しく聞き、また連絡ノートのようなものを頂きまめの様子を教えてもらったり疑問や希望などを交換して書いていました。

そして週に二日の医師とのカンファレンスには1人東京で働くパパも電話で参加してもらっていました。精神的にかなりきつい日々が続いていました。毎朝目が覚めて夢であったらいいのにと思っていました。
PCにかじりついてまめの状態に当てはまる病気を探し、泣き崩れるの繰り返しで実家の母を随分心配させてしまいました。

そして生後1ヶ月になりEIEE(大田原症候群)というとても珍しい病気(症状名であって病名ではありません)であろうと告げられました。予後のとても悪いものです。
ネットで調べて知っていた名前でしたが、絶対に告げられたくなかった病名でした。

そしてそこの病院ではお手上げ状態になり(←そんなことははっきり言いませんけどね)、、里帰り出産だったので家のある東京のT大学病院へ転院することになりました。転院前夜まめパパも職場から新幹線で駆けつけてくれました。
そして医師同伴で新幹線でT大学病院へ向かいました。
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続きは、、長い話なので数回に分けてお伝えしたいと思います。

私はまめの病気が分かってからPCで彼の病気についての情報を探そうとしてきました。100万人に1人といわれる珍しい疾患で情報がなかったからです。そしていつしか病気で戦っている子供のママ達の作ったHPやブログにどれだけ助けられているかを知りました。

このブログを通して同じように難病と闘っているお友達&ママに勇気を与えたい、、なーんて大きな事は出来ないですが、私なりの療育や思いなどを綴っていきたいなと思っています。

なにぶんブログ初心者ですので不手際が多いと思いますが、時々のぞきに来てくださいね