まめママ日記

難しい病気と共存しながらも元気に育つ我が家のプチ殿様「まめ」の育児を中心に、日々の出来事を綴ります。

プロフィール 4

2006-12-06 16:53:03 | プロフィール
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妊娠中、私は体調には本当に気をつけていました。食べ物も妊婦に良くないとされるものや添加物などは避け、栄養にも特に気をかけているつもりでした
妊娠中気付かないうちに何らかの感染症にかかってしまったのが原因ではないか、、現時点での考えられる原因として医師にはそう言われました。
私は妊娠中に風邪などひいた覚えもないし、こんなに元気な妊婦っているだろうかと自分でも関心するくらい順調でした。出産も比較的安産だったのに、、なぜこんなことになってしまったのか。。

成長が追いつかない、、どんどん差が開いていってしまう、、
まめの病気の原因が分からない、、何が悪かったのだろう、、自分を責め、まめの将来を思って、まめのいないところではいつも泣いてばかりいました。

まめのお昼寝中、私はいつまめが起きてもすぐにミルクを上げられるように準備し、目が覚めて一声でもあげようものならすぐに抱っこをし、、、まめの泣き声に対してある意味恐怖感に駆られていた気がします

そんな混沌とした毎日、でもめまぐるしく日々は過ぎて、、
まめが8ヶ月を迎えるころ地域の療育センターへリハビリ(PT)に通うことになりました。それまではT大学病院の受診後に同病院のPTを受けていましたが、先生が異動されることになったのがきっかけになりました。

予約を取りパパと3人で初めて療育センターに向かいました。
センター内の小児科の先生は今までのまめの話を熱心に聞いてくださり、さぞ大変だったでしょうと声をかけてくださいました
お母さん大丈夫?無理してない?お母さんが元気でないとまめちゃんも嬉しくないよ。ずっと一緒にいなくて良いのよ、色んな人に助けてもらって時には放っぽっちゃっていいのよ、と。
私はその時初めて肩の力を抜くことが出来たように思います。

その後またまた予想外の引越しがあり、PTに療育センターへ通うことが分かっていたので、それを踏まえて引っ越すことにしました。(以前の家から近かったのですんなりと生活は始められました)

1歳を越える頃まめは睡眠を少しまとめて取ることが出来るようになりました。最初は私のほうが何度もまめを確認するくらいでした。それに伴い抱っこしていなくてもご機嫌でいられる時間も少しずつ増えてきました。もちろん相変わらず泣きは激しく、泣いては発作っぽくなって焦ることも日常でしたが、、笑顔も本当に沢山見られるようになり、その笑顔にどれだけ救われたか


そうするうち都の制度で、難しい病気を持つ子供を自宅でみている家庭に看護師さんが訪問してくださる、という制度を使うことになりました。退院当初に話は頂いていたのですが、まめとの生活がどんなになるか(まめの成長を信じていたし)分からなかったのでお断りしていたのでした。今思えば一番大変だった時に助けてもらうべきだった。。

そうしてまめの療育の環境が整っていきました。療育センターへ月に二日のPTと同じく二日通園に通うようになりました。
同じように難しい病気を持つ子供のママたちとも交流が持て、みんな頑張っているんだ、私1人じゃないんだと、少し客観的になれた気がします。

調子が良いなと思ったとたんに悪くなったり、、そんなことをずぅっと繰り返しながら今までやってきて、ようやく少し落ち着いてきたかなと思えるようになりました。

まめの成長は、、やはり難しく、1歳4ヶ月の今現在で首の据わりはありません。
最近少し寝返りをするようになりました。手が抜けず、また戻れないのでうめいていますが嬉しい成長です。
緊張も強く、泣きはまだまだ激しく、しょっちゅう反り返って泣いています。。
しかも抱っこ星人です。(でも、1歳になりやっとベビーカーに乗ってくれる様になりました!)
体は丈夫な方で今までに軽い風邪を一度ひいたのみです。(妊娠中に気をつけていたことが報われたのかなと、ちょっとだけ自負しています

障害を持った子供を育てるって大変なことは沢山あるし、泣いちゃうこともいっぱいあるけど、、
「不幸せ」と思ったことは一度もないですまめパパともよくこう話します。
「私たち幸せだね~

だってね、まめちゃん、とっても可愛いんです
私たちも立派な「親ばか」しています


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当初成長については未知であるからと不安と期待をもって見守ってきました。
今は同じ月例の子供の成長とはかけ離れてしまっているけれど、諦めるのではなく、まめはまめなりの成長をしていってくれれば良いと思っています。

まめの将来を案じて泣いてばかりいた(今でもしょっちゅう泣いてるけど)、、、今思えばまめの将来はもちろんだけど、自分の将来を案じての涙だったのではないかと思います。。恥ずかしいです

産まれたときからずっと思っていることですが、これからも
まめがひと時でも多く幸せを感じられるようにしてあげたいと思っています。




プロフィール 3

2006-11-30 18:12:45 | プロフィール
今年も後ひと月、寒いけれどクリスマスという暖かいシーズンの訪れです
我が家もクリスマスツリーを出して飾り付けしようと思います。


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退院してからの生活、、今思い起こせば、、同じこと出来るかな、、

家族3人での生活はやっぱりほっとしました。
もちろん引越し後であるので片付けなどもあったり、近所のスーパーやドラッグストア、郵便局探しなども生活には必至だったけれど、ある意味新鮮でした。
地域の保健士さんも早速来て頂いて、まめの検診のことはもちろん近くの小児科、病院、はたまた生活雑貨のお店情報なども教えていただきました。
退院してからすぐにコープの宅配も来てもらうように手配し、生活の基盤は何とか整いつつありました。

まめの育児は、、、大変、でした。
大変さを言葉にしたら何時間あっても話は尽きません
退院前に看護士さんから、育てにくいタイプのお子さんかもしれないと言われていたけど、まさにまさに。。
まめは緊張が強く、一日中泣いて(号泣、、泣き叫び?)いました。抱っこしていても泣くけど、抱かないともっと泣くので、、寝ているとき以外はずっと抱っこしていました。トイレも抱っこしていっていました
体中に鋭敏なセンサーがあって、少しでも置かれる気配を感じては大泣きで、、もちろんベビーカーもダメ、お出かけもずっと抱っこでした。
物音はもちろん、車の音にもびっくりして大泣き、風が当たっても吸い込んで大泣き、抱っこ具の締め付けもだめ、、スーパーに入っても大泣きなので並んでいるレジも皆さん譲ってくださったり
赤ちゃんは泣くものだから、とよく言われるけど、そんな次元は遥かかなたに超えていました

ミルクの飲みは比較的良かったのですが、飲み干した途端に全部吐いてしまったりもしょっちゅうで、半年でカーペット一枚ダメになりました

眠りも浅く、寝付かせるのに2時間かかって、寝たのは1時間なんてことはしばしばだったし、初めは3時間おきのミルクで寝不足も覚悟でしたが、半年と経っても夜泣きは続き、ミルクで目が覚めるのではなく何かが彼の中で起こっていて泣き出している事が分かってきました。辛そうに見えました。
ひどいときには10分おきに泣いて起きてを繰り返していました。どうにも泣き止まず私も一緒に泣いていることもしょっちゅうでした。(パパがびっくりして起きて来て夜中に代わってくれたりもしていました

月に一度の受診で先生に相談していました。先生いわく睡眠障害はこの疾患には比較的ある事だそうした。でもどうしようにもなく。。

まめパパとは別の部屋で寝ていたのですが(共倒れだけはしてはいけないと思っているので)、平日は朝5時から7時までまめパパと交代し、続けて2時間の睡眠を取っていました。
また週に一、二度、土曜の夜などは一晩代わってもらいまめをお願いしていました。

一番辛いのはまめなんです、ただ毎日続く究極の睡眠不足に正直自分の体調なんて構っていられなく、生きているのが精一杯の生活でした。いつ倒れてもおかしくなかったと思います。まめが寝ているときに一緒に寝られれば少しは楽だったかもですが、この短い時間にしか自分の食事や最低限の家事が出来なかったのでとても寝ていられませんでした。
実家の母も数回手伝いに来てくれ、そのときは休ませてもらいましたが、私は三つ子ちゃんでも育てられると母に話し苦笑いしていました。


まめは退院したころは笑顔を探す程度だったけれど、おもちゃの音に反応して笑ったりと笑顔が増えてきていました。体は丈夫で風邪一つ引かないで過ごせていました。体も順調に大きくなっていき色白プクプクのカワイイ赤ちゃんでした

そんな中、初めての年末年始をパパの実家と私の実家で過ごしてきました。
初めての飛行機は、、かーなり泣いてくれましたが(皆さんごめんなさい)何とか行って来ました。
みんな心配してくれていたので、色々あるもののまめの姿を見せられて良かったと思います。あまりの大泣きに驚かせてしまったと思いますが、まめもおじいちゃんおばあちゃんに一杯抱っこしてもらえて嬉しかったと思います帰り際に「頑張らなくて良いから、(私の)体に気をつけて」と声をかけてもらったことは今でも忘れられません。
私の実家に着いたとき、私は何だか変だなぁと思っていたらなんと帯状疱疹になってしまいましたまめに水疱瘡としてうつってしまうかもと心配しましたが、結局滞在を1週間ほど伸ばして母に甘えて私は休ませて貰い、まめに移さずにすみました
私は久しぶりに数人の友達にも会えて話が出来、まめに会ってもらえて本当に嬉しかったです。久しぶりにお腹の底から笑った気がしました。


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プロフィール 2

2006-11-24 16:25:45 | プロフィール
今日は金曜日、さっきまめはお昼寝に入りました
でも何でなのでしょう、お昼寝前には必ず大泣きします。
そっくり返って息詰めて、泣きます。しつこくしつこく泣きます
私はお昼寝に入ってくれるとやっと半日終わったとホッとします

さて、プロフィールの続きを書こうかと思います。

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まめは生後1ヶ月と9日目にT大学病院へ転院しました。転院について当初は東京までの移送手段などに問題がありとても無理だといわれていたのですが、私たちの必死の思いで何かあっても責任は問わないとまで言ってお願いしたのでした。(もちろん民間の救急移送会社に問い合わせたり情報は手に入れていました。)

T大学病院の小児科はまめのような病気にとても強く、全国各地からこちらの治療を求めて患者が来ていました 私はもうここ以外にまめを任せられる場所はないと思っていたのでどんな病院なのだろうと不安だったのですが、医師や看護士さんたちの迅速で的確、重厚な対応にとても安堵したのを覚えています。医師4人のチームでまめを診てくださいました。
こちらの病院ではNICUではなく小児病棟に入院するので母子入院になり、夜はまめと同じベットで寝ることになりました。まめのお世話に慣れていない私はまめの様子をちゃんと報告しなきゃと気負っていたので夜は寝られませんでした。看護士さんや先生に寝てくださいと叱られちゃったりして体がもたないからと、、それからは少し寝られるようになりました。

しかしまめの様態は転院直前から変わらず良くない状況で、昼夜問わずひっきりなしに看護士さんや先生が駆け込んできました(寝られないでしょ?)モニターやアラームはナースステーションでチェックされていて病室では聞こえないようになっていたのですが、二人部屋の相方さんにはとても迷惑だっただろうなと思います
そんな緊迫した中でもまめは毎日お風呂に入れてもらえてさっぱりして、
発作のない時は心地よさそうに寝ていました。寝ている姿は本当に普通の赤ちゃんと何ら変わりなくて平和でした

転院してからもまめはまたまた検査検査でした。聞いたことのない検査も多々ありました。でも検査結果は全て異常なし。喜んでいいことなのに喜べない、悪いところが見つからないのに発作が起こっている。なんとも不安定な状況でした。
そうこうするうちにまめの発作がある薬で止まったのでした!
二日三日と日が経っても発作は起こりませんでした。

発作が止まれば成長は進むんですよね?成長は追いつきますよね?どんな後遺症が残るんでしょうか?先生を見つけてはこんなことばかり聞いていました。
先生の答えは、「まだ分かりません、成長はその子その子で違いますから」
患者側はウェブで何でも情報が手に入ってしまうため先生は対応しにくいだろうなと思います。。

まめは本当に良く泣いていました。激しく泣きなかなか泣き止まず、看護士さんたちも入れ替わり相手してくれましたがお手上げ状態でした。夜中も泣いて寝てくれず、夜中の廊下を歌を歌いながら毎晩抱っこして歩いていました。先生や看護士さんたちには泣き声聞いただけでまめと分かるまでになっていました
まめは2ヶ月のころには鈴の音を目で追うことが少しできたり、時々笑顔が出るようになり表情が豊かになってきていましたミルクもたくさん飲んで体重も急激に増えていきました。

その後も検査やお薬の調整、リハビリ、経過観察などで結局退院できたのは生後2ヶ月半の時でした。退院までの間に何度か外泊をして、安心して生活ができる様に環境が整ってからの退院となるよう病院側は気を配ってくださいました。その他にもソーシャルワーカーさんが間に入ってくださり地域の保健士さんに連絡とって頂いたりしました。というのも出産直後に家主の都合で引越しを余儀なくされていたので(まめパパ1人で引っ越しました)退院後に帰る家は私の知らない地だったためでもあります

そして退院当日、主治医と小児病棟の上の先生方とカンファレンスがありました。
まめの診断名(症状名)は 変則的ではあるけれどもEIEE、重症であろうこと。原因は分からない。との事が告げられました。
発作が止まれば成長が追いつくと期待していただけにショックでした。先生方は私たちの気持ちを察し言葉を選んで選んで、本当に症例の少ない病気だから発達については何ともいえない、けれども、難しい状況ですとおっしゃいました。
まめパパは、自分たちに出来る事はないか、たとえば空気のきれいなところで静かに暮らすことが必要とか、、と聞きました。まめパパは必要であれば転職も考えていたのでしょう。
先生は、、特にはありません、ただ音楽を聞かせるなど沢山の刺激を与えてあげてください、成長につながるからと。
私は、先生が今まで診て来られた同じような病気のお子さんは今どうなさっているか、と聞きました。
先生は答えにくそうに、4歳くらいで首が座る程度の成長だとおっしゃいました。
私は涙を抑えることができませんでした。

そうして退院し、出産後やっと家族3人での生活が始まったのでした。

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暗すぎます?一応淡々と書いたつもりなんですが、、


プロフィール 1

2006-11-19 09:37:56 | プロフィール

はじめまして、まめママです。まめパパの好意によってブログが開設されました
まめファミリーは、まめ(←愛称です現在1歳4ヶ月)とまめパパ、まめママの3人です。
私たちの日々を時々伝えられたらいいなと思っています。

というのも、ブログを作ってもらった主旨の一つに、遠く離れて生活している友達&なかなか連絡できていない友達に、まめのことを知ってもらいたいという思いがあったからです。

そう、まめのこと、、ほとんどの友達に伝えられず今まで来てしまいました。

まずはこれまでの「まめ」についてお伝えしたいと思います。
驚かせちゃうと思います~

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私はまめを出産した翌日みんなに元気な男の子が生まれたことを報告しました。無事の出産に本当にほっとしたのを覚えています。
ですが、、メールを送った直後にまめの様子に異変があり地域のNICUがある大きな病院へ搬送されてしまいました。
当初は出産時に起こる「くも膜下出血」との事でした。出産時のくも膜下出血は珍しいことではなく1週間ほどで退院できるであろうとのことでした。
私は不安に思いながらもその言葉を信じ、自分の退院の日にまめも家に帰れることを祈っていました。

しかし、1週間が過ぎてもまめは退院できませんでした。NICUにいるまめは見た目は健康そのものでしたが、息を止めてしまう発作が続いていたからです。。
まめの小さな体に沢山のコードが付けられていました。代われるものなら代わってやりたい、、何もしてあげられない自分の無力さを痛感しました。

毎日まめの面会に向かいました。久しぶりの車の運転もいざとなれば高速だって乗れちゃうもんです
面会中まめを抱かせてもらうことはほとんどできなかったけれど(刺激を与えないためだそうです)発作を止めるため麻酔を使って眠らせていることが多くほとんど泣き声も聞くことが出来ませんでしたが、保育器の中のまめは本当にかわいかったです面会時間以外の様子は看護士さんから詳しく聞き、また連絡ノートのようなものを頂きまめの様子を教えてもらったり疑問や希望などを交換して書いていました。

そして週に二日の医師とのカンファレンスには1人東京で働くパパも電話で参加してもらっていました。精神的にかなりきつい日々が続いていました。毎朝目が覚めて夢であったらいいのにと思っていました。
PCにかじりついてまめの状態に当てはまる病気を探し、泣き崩れるの繰り返しで実家の母を随分心配させてしまいました。

そして生後1ヶ月になりEIEE(大田原症候群)というとても珍しい病気(症状名であって病名ではありません)であろうと告げられました。予後のとても悪いものです。
ネットで調べて知っていた名前でしたが、絶対に告げられたくなかった病名でした。

そしてそこの病院ではお手上げ状態になり(←そんなことははっきり言いませんけどね)、、里帰り出産だったので家のある東京のT大学病院へ転院することになりました。転院前夜まめパパも職場から新幹線で駆けつけてくれました。
そして医師同伴で新幹線でT大学病院へ向かいました。
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続きは、、長い話なので数回に分けてお伝えしたいと思います。

私はまめの病気が分かってからPCで彼の病気についての情報を探そうとしてきました。100万人に1人といわれる珍しい疾患で情報がなかったからです。そしていつしか病気で戦っている子供のママ達の作ったHPやブログにどれだけ助けられているかを知りました。

このブログを通して同じように難病と闘っているお友達&ママに勇気を与えたい、、なーんて大きな事は出来ないですが、私なりの療育や思いなどを綴っていきたいなと思っています。

なにぶんブログ初心者ですので不手際が多いと思いますが、時々のぞきに来てくださいね