こやぶん 旧東海道を行く③

2008年11月05日 | パグと出かける
京都市山科(やましな)区は、四方を山に囲まれた盆地です。



古くは… 縄文時代の足跡が今も残されており、
飛鳥時代には大化の改新で功績のあった中臣鎌足邸宅跡があり―
平安時代に山城国宇治郡山科郷という名で呼ばれ― 皇室や貴族とも深い関わりのある地域です。


こやぶん 旧東海道を行く②で紹介した徳林禅庵から少し西へ― 毘沙門堂に続く道があります。

こやぶん ちょっと寄り道して… 毘沙門堂へ。

桜・紅葉の穴場スポットで、侘びたカンジ・・・で、観光客も少ない のが、こやぶん的には
まだ青いモミジのトンネル(=キツイ階段)を抜け、立派な阿吽像が睨む仁王門をくぐると― 
本堂がどど~んと現れます。

沙門堂の本尊には天台宗の開祖とされる最澄(伝教大師)作の毘沙門天が祀られ、
毘沙門天は別名多聞天ともいい、全ての物事を聞き漏らさないという神様であり、
暗黒界の支配者でもあるといわれる神様で、鬼門の守り神とされることも多いそうです。
正面に本堂、本堂左手の回廊の奥には霊殿・宸殿・庭園があります。
霊殿には阿弥陀如来が安置されていて、天井には龍が描かれ、宸殿の襖絵は狩野益信が描いたもの。
龍の絵も襖絵も、逆遠近法と云う技法で描かれています。
どの位置から見ても龍と目が合い、
襖絵も― 立つ位置を変えると、襖絵の桜の木が回転? 人物が太ったり痩せたりします。
写真では伝えられない遊び心たっぷりなので―  ぜひご覧ください



毘沙門堂に続き… 琵琶湖疏水(第一疏水)にも寄り道。

こやぶんが小学生のだったみぎり、社会の授業で習うのが『京都の三大事業』(明治)であり、
必ず一度は… 遠足(or)社会見学が琵琶湖疏水だったりする。

琵琶湖疏水を例えるなら―、京都版黒部ダム、 黒部の太陽です。

大津から京都まで水路を引くには隧道開削を要する日本初の大工事である。
人夫の教育、資材調達と一からの苦労が待ち受けていたが…
工事自体もは難渋を極め、犠牲者も出しつつ一時中止の危機にも瀕したが、
四年にわたる工事は明治22年2月に完成をみた。
そして、補修しながらも現役で使用できる疎水は… 外人技師の手を借りずに
日本人だけで作り上げたモノです。

観光地として有名な哲学の道や南禅寺境内にある水路閣も… 全部琵琶湖疏水第一疏水
全部 明治初期のフロンティア精神とも相俟って、日本人自身で築いた水路なんですよ
                                  ※サスペンス劇場で遺体が発見される南禅寺境内・水路閣(ついでにねじりまんぼも見てね)

山科盆地の高台、旧東海道に沿うように第一疎水が縦断しています。

実は・・・ 山科あたりの疏水も桜・紅葉の名所です。
ただ哲学の道と違い、遊歩道であっても、ニホンザルさんやイノシシさんなどの出会いもあります。
そして… 人通りも少なく、ワンコを番犬に散策するには、持ってこいの場所です(砂利道だけど…)

第二隧道東口にかかる石額は、
仁以山悦智為水歓 井上馨 ≪訳:仁者は知識を尊び智者は水の流れをみて心の糧とする》
 隧道の出入り口などには、明治時代の名だたる名士からの一文(漢文)が掲げられています。
 今の○治家さんと違い教養あふれる… 偉人達の一文を、少し紹介したいと思います。
  ○第一隧道東口 気象萬千 伊藤博文(訳:千変萬化する気象と風景の変化は見事なること)
  ○第一隧道ル西口 廓其有容 山縣有朋
            (訳:悠久の水をたたえ雄然とした疏水のひろがりは大きな人間の器量をあらわす)
  ○第二隧道西口 随山到水源 西郷従道(訳:山に沿って行くと水源にたどりつく)
  ○第三隧道東口 過雨視松色 松方正義 (訳:時雨が過ぎると一段と鮮やかな緑をみることができる)
  ○第三隧道西口 美哉山河 三条実美 (訳:なんと美しい山河であることよ)
 とても優れたデザインと書体で見てるだけで明治浪漫を感じる、こやぶんでした。


寄り道もこの辺で、 旧東海道を京都へ向かって進みます。

冒頭にも書きましたが、
山科は皇室と深い所縁のある場所で… 皇室の宗廟である、山科陵(天智天皇陵)があります。

車寄せ(アスファルト舗装)までペットOKであり(それなりに距離もある)、
そのあたりから眺める… 奥に続く木々のトンネルがとてもきれいです(紅葉の頃はもっと綺麗だろうなぁ)
また天智天皇(=中大兄皇子/なかのおおえのおうじ)は、
漏刻(水時計)をつくり時刻制度を定めたことに由来するモニュメントも建っています。


余談ですが… このあたりは山科区御陵血洗町(やましなく みささぎ ちあらい)と云います。
御陵― 天皇・皇后・皇太后・太皇太后の墓。京都市西京区にも御陵(ごりょう)があるので注意。
血洗町― は読んだとおりなので、さほど難しい地名ではない、だけど 不思議で気味悪い地名です。
前半が墓、後半が血…、兎に角、突飛な、珍しい地名&心霊スポットの扱いを受けやすい地名に、
この付近の住民も、色々詮索されるのが嫌で、間違えたふりして、皿洗(さらあらい)町と書くとか?
地名の由来は、義経伝説に基づきます(詳しくはこちらを

旧東海道は、山科稜看板の手前から左に入り西北へ向かう。
大津宿からの道中では逢坂山と並び称された日ノ岡峠の難所に向かって登っていく…

住宅街の中を歩くので、正直 こやぶん 「道迷っていないか?」と心配だった。
(旧東海道を偲ばせる、建物も道標もなく… 
そして 緩やかな坂道を登っていくと― 京都屈指の突飛な地名日ノ岡ホッパラ町に辿りついた。
 江戸時代の刑場側で… 刑死人を埋めるために原っぱを掘った=掘原が語源説もあり…
真偽の程は こやぶん 知りません。

さて 江戸時代中期、木食養阿上人を指導者として日ノ岡峠道の改修工事を行った際に、
井戸を掘り当て、旅人の休憩所と喉を潤すための施設とし、不動尊を祀ったのが亀の水不動尊の始まり…

助っ人の水道水の力を借りて… 今も滴る亀の水不動尊を、どうぞ

 ※道も狭く(車一台がやっとの、狭さ。大津→京都へ一通のみ)、地元で大切に守られています。

さらに細い道を西へ進むと、府道143号線と旧東海道が合流地点に
「車石を利用した牛車道の広場」があり、
車石とはなんぞやと云う疑問を、一目瞭然で解決してくれる。



凹んだレールの上に荷車の車輪を沿わせ、
逢坂山・日ノ岡峠に九条山(下の写真)を超える縁の下の力持ちだったわけですね。



ここまで来たら、三条大橋は目前― ほぼ 京の都に入ったも当然。



琵琶湖から疏水を通じ運ばれた水は…発電所や浄水場などに使用されます。
なので、このあたり一帯は明治時代の遺構が数多く残っている地域でもあります。
特に春先は桜並木が美しいインクラインはおススメです。

また 南禅寺などの紅葉の名称がすぐ傍にあります。

見慣れた三条通りを西へ西へと歩んでいきますと― 高山彦九郎の像が皆様をお出迎え
地元では「土下座前」で名が通り、「高山彦九郎って、誰?」が大半です。
で、高山彦九郎とは… 江戸時代中期の勤王思想家で、
その後活躍する幕末の勤王の志士達に、大きな影響を与えた人物と云われています。

幕藩体制が揺るぎだした頃とは云えまだまだ幕府の権力が強い時代に、
尊皇を唱え幕府を批判します。彦九郎は尊皇の旅と交遊の詳細な日記を
残しつつ全国を回りますが、
ついには幕府の締め付けのためか、久留米で自刃してしまいます。
銅像は彦九郎が京都を出入りする度に皇居の方角を向き、ひれ伏す姿(崇拝)を再現しています。
なので、土下座ではないことを、こやぶん 今回 初めて知りました。

ぜひ 三条大橋東詰南に鎮座する土下座… もとい、彦九郎像の実物をご覧くださいませ。 


そして 目の前には鴨川が流れ、三条大橋が掛かっています。


三条大橋の西詰から2本目の南北の擬宝珠に、池田屋騒動のときについた傷と言われています刀傷がある。

※写真は北側の擬宝珠に残る刀痕です。
 
それにしても、刀痕ひとつ… 何でも商売にするのねぇ~ こやぶん 商売根性に感服

ここで 旧東海道、三条大橋の終点です(後日、東山地域を紹介します)。

最後に、こやぶん 旧東海道を行く②で紹介したかねよ(京極)を。
三条大橋から、徒歩10分もかからない場所に、お店を構えています。

こやぶんの調べでは、
大谷も京極も元々は同じ店で、戦前に親戚か板前かが暖簾分けをしたらしい。
(両店の店員さんに尋ねたが… 詳しくは分からないらしい)
京極かねよのご主人によると同店の創業は明治末期で、かねよの建物は大正時代のもの。
(だから Webではこの地で創業って意味で「大正」なんですね

こやぶん お気に入りの… 靴を脱いで2階へ上がれば窓側へ床が傾いているのも、納得の古さ。

きんし丼も、かねよ(大谷)と違い、

どど~んと、京風出汁巻玉子が… はみ出ちゃってます。
出汁巻き卵ををめくってみたところ(*/∇\*)キャ~ うなぎが隠れているのだ

みな様に代わって、きんし丼頂きました… 
かねよ(大谷)と甲乙つけがたい美味しさございました。 ごちそうさまでした。

こやぶんが 必死こいて旧東海道を踏破してる頃…


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8 コメント

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Unknown (お多福)
2008-11-07 10:01:29
こやぶんさん、この記事を書くのに大変だったでしょう~。
ご苦労がしのばれます(笑)

読みはじめから「きんし丼」はどこ~?って探してました(笑)

福豆さんをお供にしたら番犬になったんでしょうか?
そこも気になるところ。
置いてきぼりばっかりだと、ぐれちゃうかもよ?!

京都といったらこれからは紅葉が見事でしょうね!

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お多福さんへ (飯使い こやぶん)
2008-11-07 13:35:19
ズバリ ご明察の通り、 
旧東海道の大津宿~三条大橋、歩いて踏破する以上に
Blog更新するのが大変でした。
ホントは、「つつみ生八つ橋」や「義士餅」などなど
いろんな和菓子を紹介したかったのですがねぇ~。
(番外編で、紹介しようかしら

>福豆さんをお供にしたら番犬になったんでしょうか

番犬より― 猟犬でしょうなぁ、福豆さんは。
日頃から、鴨川河川敷でハトさん相手に狩りの修練されていますかね。
ちなみに、福豆さん 朝・に1時間弱ほど… 有酸素運動済みで、
わいろも渡したので、なんとか― グレずに済みそうです
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Unknown (pug7一家(ひっくん))
2008-11-07 21:31:25
こやぶんさん、こんばんは!
いや~、旧東海道の連載、文章も写真も興味深く見させていただきました。
Project Fのために、がきっかけだとは思いますが(感謝しております)、地元のルーツを探る旅という感じで、楽しんでいる様子が伝わってきます。

そうそう、先日報告会がありまして、マーちゃんさんより体力増強メニューが渡されました(笑)
今日も体力作りに勤しみますが、スクワット10回、腹筋背筋5回、腕立て3回で挫折です...(爆)
あの~、何卒お手柔らかにお願いいたします...
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Pug一家(ひっくん)さんへ (飯使い こやぶん)
2008-11-08 09:37:58
ProjectFの決行日・・・ 一ヶ月を切りましたね。

>地元のルーツを探る旅という感じで

京都のルーツはおどろおどろしいお話で、
巷での本屋さんで「京都魔界○○○」として紹介されていますよ。

さて、旧東海道(大津―三条大橋)は、一度歩いてみたかったので、
こちらこそ きっかけを頂いて・・・ ありがとうございました。

紅葉シーズンの京都は、車移動は難しい(無理?)です。

こやぶん自身、渋滞した車により信号を横断できない事は、毎度の事。
細い一通の道路ばかりだから、慣れない限りは裏道を抜けるにも大変ですからね。

やっぱり 自転車が一番ですよ。
(手袋と帽子(寒さで耳が痛くなる)をお忘れなく!)
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Unknown (あかりん)
2008-11-08 12:02:06
旧東海道を行くを堪能させていただきました。
ありがとうございました!
ホント、すっごい!!
こやぶんガイドブックを購入した気分ですよ~。
大変だったでしょ~、ホントに感謝です。

やっぱり食い意地の張ってるワタシが気になるのは
きんし丼ちゃん♪なんてふっかふかの出汁巻き卵ちゃん、そしてその下には~、あ~お腹すいた~!
こやぶんさんが羨ましいッス!

一ヶ月きりましたよ~。
楽しみですわっ。。
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あかりんさんへ (飯使い こやぶん)
2008-11-08 19:19:37
『そうだ福豆、鴨川で爆走しよう!』も、一ヶ月をきりましたね。

 >きんし丼ちゃん♪

美味しいですよ~ 

かねよ(京極)は、こやぶん自身 幼き頃から見慣れた店ですが、
かねよ(大谷)は 初めてで・・・ ホント驚きでございました。

ProjectFの際、ぜひ味わっていただきたい― 一品ですね。
マネができない・・・ 深い丼ですよ
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寒くなりました。 (弥生の母)
2008-11-10 19:25:38
 こんばんは 『こやぶん 旧東海道を行く②』にて山科茄子の解説でナスらしき写真があり、かわいいなぁ~!と気になっていました。先程夕方のTVニュ-スで『もてなすくん』と言う名前だと判明しました。商店街で作ったんだそうですが、100コも取られちゃったらしいです。
 京都に居ながら地元の事を知らないので、勉強になります。こやぶんさん!何時も有難うございます。
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弥生の母さんへ (飯使い こやぶん)
2008-11-10 23:35:38
急に寒くなりましたね。
福豆さんのマラソン散歩の季節、到来です。

>『もてなすくん』と言う名前だと判明しました。

こやぶんも、 後日 新聞で「もてなすくん」の名を知り、
盗まれていることも・・・ ホント 残念です。

昔ながらの京町家の軒先に「もてなすくん」が5ヶぐらいぶら下がるの図、
なかなかの可愛らしさで、Blogで紹介したかったのですが、
デジカメさんでの撮影では暗すぎて写らないのです。
(デジイチ君のお出ましですね)

ぜひ 山科にお越しの際は― 旧三条通りを抜けてくださいね。
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