たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

四国(4/13-2) 6~7mの巨大な花崗岩が林立する謎のスポット・巨石群

2019年05月21日 | 

続き

 

竜串に行く前に唐人石巨石群に寄り道です

謎のストーンサークルですが、この付近から縄文~弥生時代の石器や土器が

多数、発掘されたと言いますからこれは太古の文明の名残なのでしょうか

ここは光り輝く神の居場所

沖を流れる黒潮に乗った航海人はこの光り輝きく石を後悔の目印にした様ですね

 

     

落ちたら足の骨を折ってしまいそうな板を渡った先に在るのは千畳敷石

巨石群の中で上部面積が広く表面が平らなため降神時、巫女たちが此処で奉納神楽を舞ったのだそうです

そんな事から「神楽石」と言う別名も有るのだとか

その神楽石からの眺めです

直ぐ前に在るのが亀石、途中見た時には納得できませんでしたが

此処から眺めれば、なるほど亀が首を持ち上げた形に見えますね

奥の方に唐人駄馬も見えます(唐人とは偉人  駄馬とは平らな場所を言うそうです)

ここを開拓し根を下ろしたのでしょうか

千畳敷石と向かい合う様に唐人石がせめぎ合っております

説明版に寄りますと

『右端の石は巨石群の中心の石で別名「坊主石」とも呼ばれています。

三列に並んだ石の面は、およそ南南東を向き

側面を平行に夏至の朝日が射すと言われています

石の頭頂部にはエネルギーを放出すると言われる盃状穴の加工がされています』

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全部を廻りたかったのですが不明瞭な所や危険個所も有りましたので半分廻って退散

帰路は来た道に戻らずに大浜方面に抜けましたが、この道がまた凄い 

唐人駄馬や桜公園で一時、開けますが

対向車が有ったらきっと難儀するだろうと思える様な暗く狭い道でした

そうした山道の途中で「お遍路道」という古い木札を見ましたが

昔はこんな寂しい山道を通って、お遍路さんは金剛福寺を目指したのですね

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竜串に着いたのはもう直ぐ17時になろうと言う時でした

途中に在った道の駅「めじかの里土佐清水」は既に店仕舞いでしたので

今夜の宿泊場所は竜串入口の駐車場件、観光案内所です

さて、夕食をどうしたものかと思っている時に民宿の女将さんが出て参りましたので尋ねた所

快く教えて下さいまして(↑)の「鰹のぶっかけ丼」に在り着く事が出来ました

タレの掛かった鰹を味わった後に熱いだしをかけてお茶漬けの様にして頂くのですが流儀だそうです

これが堪らなく惜しかった!

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未だ明るいので竜串を廻る事に致します(これが正解でした、翌日は酷い雨だったのです)

何故か海が近いと猫が多いのは世界各国、共通ですね

これはその一部です  数えても見ませんでしたが全部で何匹いたでしょう

    

名前は解りませんが浜辺にはこんな美しい花がチラホラと足元を飾ります

いよいよ竜串の一角にやって参りました

 

 

 

長い年月をかけて風や波が砂岩や泥岩を侵食し作り上げた自然の造形

中には土器の様な形のまま残ったもの、波の流れをそのまま残した物

蜂の巣の様な不思議な形になった物  それらを見ているだけで時間が直ぐに経ってしまいそうです

写真の枚数が多くなりそうですので竜串の絶景は次回に紹介いたしますね

と言う事で本日もコメント欄は閉じました

 

 

 

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四国旅(4/13-2) 足摺岬&金剛福寺

2019年05月20日 | 

続き

足摺岬に向かう途中、お遍路さんの姿を見ました

弘法大師さんと同行二人、其々が其々の想いを胸に 遍路の旅に出ているのですね

この像はご存知、ジョン万次郎

漁に出て漂流した時に米国船に助けられ、そのまま渡米した中浜万次郎は

海外知識を得て帰国し藩や政府の通訳、英語、数学、測量、航海術、造船技術など

多岐に渡る分野で活躍した偉大な功績を遺した人物ですよね。

この像は足摺岬入口に在りました

先ずは展望台に行かず原生林の中を通って天狗の鼻を目指します

 

何と言う花なのか解りませんがこの辺り一帯で丁度見ごろを迎えておりました

その側に平成天皇が皇太子の時代に詠まれた歌碑が有りました

素晴らしい描写だと感心してしまいました

 此処まで足を延ばす観光客は滅多にいない様で岬の景観を二人占めです

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展望台より見た灯台

歩いてもそう遠くはなさそうですが、この後、竜串へ行く予定が有りましたので眺めて終わり

 

 

 

 白い波と紺碧の海

しかし美しい海の色です

ジッと見ていましたら鳥の名前は解りませんが一羽の鳥が目に留まりました

近くにいた人がウミガメが居ると騒いでいる中

ズームを目いっぱい効かせ鳥に集中していたのは私だけでした

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足摺岬には38番札所・金剛福寺が有りました

四国最南端に位置するそうです

中には88ヶ所全部回って今回が3度目だと言う方もおられました

さすがお齢なので今回は車でのお詣りだそうですが

こうして寺を訪ね歩く事を生きがいにしているらしい明るい表情の方でした

   

 

   

 

   

 

   

ご覧いただき有難うございました 

本日はコメント欄を閉じております

 

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閑話休題 一回り大きくなった子狐たち

2019年05月18日 | 野鳥や動物

1週間くらい前でしたか梅林の下草を刈り取るエンジン音が聞こえて来ました

「あーぁ、これで狐が見られなくなってしまう・・・」

ガッカリするも諦めきれず毎朝、毎夕 窓の向こうを凝視

1日・2日・3日と経ちましたがシーンと静まり返っております

4日目の夕方の事でした

「居た

巣穴から出てきた一匹の子狐は辺りを見回すと直ぐに巣穴に戻ってしまいました

その素早かった事

それから二日後の早朝5時

一匹目

二匹目

 

3匹目

 

4匹目

ん?少し太ったかな

親狐もおりましたが葉の陰に居た為に撮れませんでしたが親子共々元気な様子です

 

 

行儀よく整列

「お母さんはこれからお前たちの食料を探しに出ますから 大人しく待っているのですよ」

とでも言われているのでしょうか

とは言われても大人しくなんかしてられないって!

早速ふざけ合いが 始まりました

行動半径も広がり今日は栗の木の下まで来ましたよ

私の居る場所とは目と鼻の先です

 

 

行動も敏捷になって来ましたのでカメラが付いていけません

 

 

ひとしきり遊べば満足

でも一寸お腹が空いちゃった~

喉も乾いたけど其処に転がっているペットボトルのお水は絶対、飲んじゃいけないんだよね

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四国旅(4/13) 「桂浜」~「水車の里」~「四万十」へ

2019年05月16日 | 

 

「単なる浜辺よ」

「だけど一応、観光名所だし 行って置かないと後悔が残るぞ」

はりまや橋もそうだったのですが(結局、車窓からチラッと眺めただけ)雄さんと私の意見が分かれました

結局、私が折れる形になった訳ですが・・・

高知市街は道の駅といった類が無く散々探したあげく松林公園の標識を見つけ

そこで一夜を明かした私達、薄暗くなった空き地で松の木を透かして見ればすぐ横は墓地ではないですか

それでも草地の中に水道管が立ち上がっていましたしトイレは有りましたので

嫌な環境などと我儘など行ってはおられません

旅に出て不便を苦にしないのが私達の真骨頂

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と言う事で目覚めて直ぐに桂浜に向かったのでした

 

広い駐車場には早朝だったせいか係員もおらず、それでもゲートは空いておりましたので出庫時に

支払えば良しと遠慮がちに車を置き浜辺へ向かいました(7時10分)

 何だかんだと言いながらも目の前に広がる広大な太平洋、打ち寄せる波が

朝陽を受けて眩しく輝いております

「♪ 月の名所は桂浜」と謳われた桂浜ですが加えて「朝陽百選」にも選ばれたのだとか

やはり、其れほどの感慨も湧かなかった桂浜でしたが雄さんはどうだったのでしょう

結局、出庫時にも係員がおらず支払いもせぬまま此処を後に足摺岬へと向かいます

今日は少々長丁場・・・気合いを入れて

途中、須崎に来た時に道の駅「かわうその里すさき」の看板を見つけ

一休み件、遅い朝食を取る事に致しました(10時)

購入したお弁当を手に店内をウロウロしていた時、いきなり火の手が

 

「藁焼き鰹のたたき」実演です

この前にテーブルとイスが並べて有りましたので早速、二人前は無理なので一人前を注文し・・・

美味しかった~~~~~~~~

 普段、鰹はあまり口にしない方ですが鰹を此れほど惜しいと思った事は嘗て無かった事です

目に青葉 山ホトトギス 初鰹

 

 道の駅から30分ほど走ったでしょうか

左に太平洋の海原が広がりました

私は気付きませんでしたが「西南大規模公園」と言う看板が有った様です

数台置けそうなスペースが有りましたので、そこに車を置き散策を試みました

台風で進入禁止ヶ所も有りましたが岬方面に足を向けます

ムべ(?)

   

色が美しかったノジスミレ                                タツナミソウ

東映映画を思い出しますねぇ

遠くこれから訪れる足摺の岬が海に突き出ているのが確認できましたが未だまだ距離が有りそうです

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R56を快適に飛ばし中村駅に差し掛かった時、私はここで「水車の里」が近くに在る事を思い出しました

雄さんはあまり乗り気では有りませんでしたが「田園の中に凄い数の水車」「日本のオランダ」「近いし」

とか何とか興味をそそる様な語句を並べ・・・ 

探し探しでしたので20分くらい走ったでしょうか、前方に水車がポツンと・・・・・

その時の雄さんの顔 「これがオランダか?」 と言う様な

私も想像していた景色とは勝手が違う事に戸惑ってしまったのは事実です

しかし

 

 

 

 

 景色は一変しました

 

 

 現在、残っている水車は15基ですが 当時は50基がここで回っていたんですって

今でも水車の廻る音が周囲の景色と相まって実に長閑なものでした

 

 

   

 早いですね、四国はもう田植えが始まっているんですね

群馬より2ヶ月近く早いかな?畦にはレンゲソウが涼しそう!

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 少しずつ足摺岬が近づいて来ております

 走っているのは四万十川を左に見るR321

 車窓から眺めただけの四万十川ですが

ここはもう海に近く川幅もかなり広いですね

 豊富な水量を湛え静かに流れる景色は眺めているだけで思いのほか心が癒されました

 

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四国旅(4/12) 沈下橋→高知城

2019年05月14日 | 

 続き

中津渓谷で仁淀ブルーを堪能した私達が次に目指したのは越知(おち)町です

R33を佐川方面に向かい途中、左折した18号線は仁淀川沿いに延びており

随所に沈下橋が架けられていると言うところに注目しました

さっそく現れた「浅尾の沈下橋」

川の水は、あくまでも澄み空の青さを映してブルーを際立たせておりました

棚田風景はもう当たり前の景色になりました

もし此処に道の駅でも在ったならば一泊して

厳しさと長閑さが同居する生活を肌で感じてみたい、そんな想いに駆られる村落です

 

18号線は次第に道幅が狭まり、これが生活道路とは俄かに信じられない様な山道が延々と続く中

『ここからxxxm区間、車の擦れ違いは出来ません』

狭い道は登山口へ行くのに慣れてはいますが、こんな看板は見た事が有りません

斜面に作られた道ですので当然、右側は崖になっており、もし対向車が来たならば

バックするのも一苦労する事でしょう  どうか車が着ません様にと祈る気持ちで何とかクリア

やがて閉塞感から解放されると前方に集落が見えて参りました

其処に架かる橋が「片岡沈下橋」

ここでは当たり前の景色なのでしょうが沈下橋と言う言葉さえ聞かない群馬の人間に

この景色を目の前にして恥ずかしながらも子供の様に心の弾むのを抑えられませんでした

その橋を若い女性ドライバーが平然とした表情で渡って行きました

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やって来ました  ここは高知市内

路面電車が走ってる・・・先ほどの沈下橋と言い又もや私をワクワクさせる風景

まるで山の中からやって来た(実際そうなのですが)お上りさん宜しく視点が定まりません

 

 

  

僅かに残されたお堀から歩を進めれば堂々とした構えの大手門の向こうには天守閣が

 優美な姿を見せておりますした

高知城藩主・山内一豊が慶長6(1601)年から10年の歳月を要して築いたと言う高知城です

日本国内で天守と大手門が江戸時代当時のまま現存するのは高知城のみなのだとか

(左)山内一豊像  (右)内助の功で一躍、名を轟かす千代像)

 

    

 

    

右の写真の雄さんが立つ右には上段の間が在りますが(写真失敗)質素な造り の中に

落ち着きのある間取りでした

左の欄間は斬新と言いますかシンプルと言いますかそんななデザインですが

土佐の甚五郎と名高い武市仁七作の土佐の荒波を表現したものだそうです

右はお堀の水連の葉陰でう水鳥なのでしょうね、こうした欄間飾りが幾つか下に並べられておりました

    

 

 天守閣からの眺めです

上の写真左→奥の門は黒鉄門は儀式の際に藩主が出入りする為の門

右の写真→青銅のシャチホコ、鋭さが感じられます

下の写真→詰門で本丸と二の丸を繋ぐ役目を果たしており「橋廊下」とも呼ばれ

2階には家老、中老などの詰所として用いられていた様です

帰りは乾櫓跡方面を散策する事に致しました

すると、これは一体?

 

 石垣に飛び出しているもの

これは「石樋」なのだそうです

土佐は雨が多いため此処で排水をしていた様です

どの様に流れるのかは実際、雨が降ってみないと分かりませんよね

野面積の石垣は一見、雑の様に見えますが非常に頑丈な築き方なのだそうです

     

城内に展示されていた完器の数々

時代を遡り当時に想いを馳せて追手門を潜れば掘りの中に一輪だけ咲いていた水蓮が印象的でした 

 

 

 

 

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