たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

思い出に残る山(その2)槍ヶ岳

2017年02月15日 | 心に残る思い出の山
今回は槍ヶ岳を選んでみました,私のアルプスデビューです

1988年8月(山中3泊)

かなり省略して有りますが青字は当時の日記です


中房温泉から入山して第一ベンチ、第三ベンチ、富士見ベンチを過ぎ

漸く辿り着いた合戦尾根で名物のスイカ(一切れ400円)は

疲れた体を蘇らせる味でした

あれから29年、名物のスイカは今でも売られているのでしょうか

・・・・・やっと辿り着いた合戦の頭で一気に展望が開けた

私達はリュックをおろし休憩をとった、休憩を取ったと言うより

へたり込んでリュックを投げ出したと言った方が良いかもしれない

すると先ほど駆け下って行った若者が荷物を背負って

まるで平坦な道を歩いている様な足取りで戻ってきた

「げんきですねぇ何処まで行くんですか?」雄さんが声を掛けると

「大天井です」と応えまた元気に通り過ぎて行った

この差は若さだろうか、テントを担いでの重い荷物のせいだろうか

私達はそのバイタリティに只ただ唖然として見送った

そしてそんな若者のエネルギーをつくづ羨ましいと思った

頭上には水色の澄んだ空が広がっていた


私達がヨレヨレにみえたか上から励ましの声が聞こえてきました

「もう少しで燕山荘ですよ~~頑張って~~」

顔を上げると霧の掛かる尾根に人影が小さく手を振っています




燕山荘はまるでお伽の国のお城の様な佇まいでした

「ウワー凄い」私の叫びに目を覚ました雄さんがテントから這い出してきた

「苦労して登って来ると言うのは、これなんだな」と灌漑無量でつぶやく


右に花崗岩が林立する燕岳が有り目指す槍・武尊の連峰が

このまま雲の上を渡って、歩いて行けそうな気にさせる

分厚い雲の彼方にどっしりと構えている


後ろの岩のレリーフはこの山行のきっかけを作ってくれた小林喜作さんです


私は山本茂美著「喜作新道」を読みいよいよアルプスへの憧れが強まりました

北アルプスと言えば嘉門次さんも有名ですが喜作さんの

素朴な人物像に魅かれ繰り返し繰り返し読んだ記憶が有ります

この時に登場した常さん(内野常次郎)で面白いエピソードが有りました

秩父宮妃がアルプスを訪れたおり、この常さんが妃殿下の事を

「おかみさん」と呼んでしまいました

さぁ、世が世でも有りお付きの人達は相当、慌てました

その時に妃殿下が発した言葉が「常さんは、おかみさんで宜しい」

これは欲も得も無い常さんの人徳と言うものでしょうか

喜作さん、常さん、嘉門次さんの名はアルプスに欠かせない人物ですね


大天井からダケカンバ、ハイ松の樹林帯を抜け出た稜線は

幅広の尾根道となりたった今、歩いてきた道が白く弧を描いて見えた

人間の足の一歩一歩は凄いものだと改めて思った瞬間であった

(行く手に見える山は赤岩岳です)


「対岸に見える山が常念岳、その脇に小さく見える小屋が常念小屋」そう教えて

くれた燕岳から付かず離れずして来たY夫婦との縁はこの時から始まりました

次にテントを張る西岳はもう一踏ん張り

私達は初めて見る雷鳥に興奮し石楠花の美しさに見とれ

西岳ヒュッテに着いたのは3時15分だった

先ずはテントを設営し小屋で1リットル100円の水を

水筒に入れ夕食の準備に取り掛かった

隣りの男子学生のパーティはシチュウを作ると言って後輩が

慣れない手つきでジャガイモの皮を剥いている

刻々と暮れなずんで行く谷の向こうに常念岳が薄墨色のシルエットを

見せていた。その脇には小屋の灯りがマタタキ始めた

灯りと言う物は何故か心を落ち着かせるものだ

そして一寸した感動も与えてくれる

私達は感動の中で暫くその光景を佇んで眺めていた

大分、つらつらと長くなってしまいましたので

槍ヶ岳登頂は次回に書きたいと思います

よって本日もコメント欄はクローズさせて頂きました

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コメント (2)
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