続き
高崎公園にはミニ動物園が有ります
昔はキリンや象などの大型動物もいましたが観音山動物園に移され
今は猿コーナーと鳥コーナーのみとなってしまいました
孔雀が羽を広げるのは求愛のポーズなんだそうですね
懸命に媚びを売って見ましたが・・・完全無視のポーズです
それどころか「おばさん!静かにしてくれないかね」と睨まれてしまいました
何これ珍百景では有りませんが面白い物を見つけました
① 市内の数カ所に設置された貸自転車(無料)置き場
② 将軍の孫と題された如何にもやんちゃな坊主像
果たして将軍様のお名前は誰なのか、残念ながら記されてはおりませんでした
③ 夏祭りの山車蔵とお隣のこじんまりしたお社は新(あら)町の氏神である諏訪神社
高崎の夏祭りは各地区から出された山車が街を練り歩き中々の迫力です
暫く観に行っておりません、来年は行ってみようか
この神社には武田氏から賜った宝石が祀られているとか
という事で歩を先に進めます
訪れたのは頼政神社
私は根っからの高崎っ子ですが五月の祭礼が有る事を今日、初めて知りました
まだまだ知らない事はたくさん有りそうです
この寺は箕輪城主だった伊井直正が和田(高崎)に城を移した際、箕輪から白庵和尚を
招請して開山したという竜広寺です
(と言っても、この寺に関して私に何の知識も無く訪れて初めて知った事ばかりなのですが)
この辺り路地が入り組んでいて目的の一際高い寺の屋根を目指しても殆どが袋小路で
私達は行ったり戻ったりを何度も繰り返す羽目になってしまいました
墓地の奥まった所に陸軍の墓がズラリと並んでいます
その一角にロシア人兵士の墓が有りました
日露戦争時、ロシア軍の捕虜10名は竜広寺に抑留されていましたが病を患い
元陸軍病院(雄さんが今年入院していた国立高崎医療センター)で病死されたという事です
さて、こちらはご存知 村上鬼城の墓
8歳の時に高崎に移り住んだ鬼城は正岡子規の弟子になり
「ほととぎす派」の一員として俳句の道を歩んだ人物ですが今更、私が説明するまでも有りませんね
氏の墓は歴代住職の墓近くに有りましたが
何しろ込み合っていて皆で手分けして探す有様でした
供えられた生花が未だに氏の人気を物語っておりますね
本日の〆は忘年会も兼ねてアルコ・バレーノへ
私は「ウニとホタテのクリーム和え」 エスプレッソと良く合います
そう言えば今日のウォーキングもエスプレッソの様な濃縮された街歩きでした
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