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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
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まなざしは、ゴールの先を見つめている。

日本列島の骨組みを組み替えた大断層

2021年06月11日 16時17分58秒 | 地理・地震
出処

棚倉(たなくら)構造線…東北日本と西南日本の境界

日本列島の基盤は、時代とでき方が同じグループ(地質帯)にまとめられます。日本列島の基盤は古アジア大陸に海洋プレートが沈み込む「沈み込み帯」で造られてきたので、基本的には海溝と平行に並んでいます。東北日本の地質帯は北海道~東北へ南北に並び、西南日本の地質帯は関東~沖縄へ東西に並んでいます。

東北日本の地質帯と西南日本の地質帯は山形県酒田~福島県棚倉(たなくら)~茨城県水戸北方を通る「棚倉構造線」で切られ、連続性が断たれているので、基盤については棚倉構造線を境に、東北日本と西南日本に分けられています


中央構造線…西南日本の内帯と外帯の境界
「中央構造線」は、日本がまだアジア大陸にあった中生代白亜紀の1億年~8000万年前ごろに誕生した長大な断層です。

西南日本の基盤は、まだアジア大陸の一部だった時代に、 中央構造線により大きくずれ動かされました。中央構造線を境に、内陸側を「内帯(ないたい)」、海溝(現在は南海トラフ)に近い側を「外帯(がいたい)」に分けられています。

海洋プレートが沈み込んでいる「沈み込み帯」では、海溝から離れた内陸に海溝と平行にマグマが上昇して火山帯ができ、海溝付近にはマグマの上昇はありません。内帯は中生代白亜紀にマグマが上昇した地帯で、外帯はマグマが上昇しなかった地帯です。

もともと内帯と外帯の間にあったはずの岩石は、中央構造線を境に上昇し、侵食されて失われてしまったと考えられます。

東北日本では、中央構造線がどこに続いていたのか、まだ良く分かっていません


フォッサマグナ地域西縁の糸魚川-静岡構造線も北部と南部で別の断層
糸魚川-静岡構造線はフォッサマグナ地域の西縁の断層ですが、前述のように、北部フォッサマグナと南部フォッサマグナはもともと別々にできた地帯ですから、糸魚川-静岡構造線も北部と南部はもとは別の断層です。

北部フォッサマグナ地域の西縁の糸魚川-静岡構造線は糸魚川~松本平~諏訪湖~山梨県の駒ヶ岳神社付近に続いています。地表では西側の古い基盤と、東側の被覆層の境界になります。北部フォッサマグナ地域の東縁は、柏崎‐千葉構造線などが提案されていますが、第四紀のもっと新しい火山噴出物や堆積層に覆われていてはっきりしません。さらに東側の飯豊・朝日山地、越後山地、足尾・八溝山地には、西南日本内帯の基盤が露出しています。また関東山地には西南日本外帯の基盤が露出しています。関東平野の下にも西南日本の基盤が続いていることが、深さ3000mに達するボーリングで明らかになっています。

南部フォッサマグナ地域の西縁の糸魚川-静岡構造線は、山梨県韮崎市武川から~夜叉神峠付近~早川~竜爪山地稜線付近~静岡市内の線です。富士川沿いにたどるのは誤りです。甘利山~櫛形山~身延山は、今の地形では南アルプス側の一部ですが、地質は海底火山の噴出物や海峡やトラフの堆積物で、南部フォッサマグナを構成する岩石です。なお、南部フォッサマグナの西縁を糸魚川-静岡構造線ではなく安倍川沿いの十枚山構造線とすべきだという主張もあります。南部フォッサマグナの東縁は丹沢の北東縁の藤ノ木‐愛川構造線です。



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