「ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466」
モーツァルト:作曲
(ピアノ)チョ・ソンジン、(管弦楽)ヨーロッパ室内管弦楽団、(指揮)ヤニック・ネゼ・セガン
(30分48秒)
<ユニバーサル UCCG-1826>

「地球大紀行」「チベット大河紀行」「ヒマラヤトレッキング紀行」など、数多くのNHK山岳番組を撮影してきたカメラマンが語る、高嶺のドラマ、生と死とのはざま、極限の緊張とやすらぎの風景…。
未踏峰ナムチャ・バルワの夕雲
聖山巡礼、カイラスへ
消えた菩薩のほほ笑み―国境の町プラン
白き天女の峰―チョモラリ
シェルパのささやき―エヴェレスト
涙に映ったエヴェレスト―女優たちのヒマラヤ
銀亀たちの夢を追って―シルバー登山隊
スノー・レイク―星明かりの秘境
峠の先に何がある、山の向こうに何がある―テレビカメラマンの34年
ナムチャ・バルワのその姿は、鋭いくちばしを天空に向け、白い翼を広げて飛び立とうとする鷲のようだった。
チベット語で「空から雷のような轟音とともに落ちてきた山」
「天から落ちてきた石の塊」
ヤルン・ツァンポ川の大屈曲部は世界で最も深い谷で、未だこの峡谷を通過した人間はいない。
ナムチャ・バルワの前衛峰;ナイプン
NHKスペシャル
『未踏峰ナムチャ・バルワ』
『再挑戦 未踏峰ナムチャ・バルワ』
カンチェンジュンガはひと目でそれとわかった。
巨大な白い城砦のようだった。
そして、マカルー、チョモランマ、と8000m峰が西へと続いていく。
ヒマラヤ山脈の白い高まりは、アンナプルナを過ぎたところで一旦ペースを落とし、ダウラギリⅠがラストスパートをかけて巨峰群のリレー競争を締めくくった。
古格王国遺址
カイラスの巡礼者たちは今日も五体を地面に投げ出して苦行を続けているのか、
巡礼路最高点の礼拝所ドルマ峠はどこかーー
歩けば1周3,4日、
地を這いながら回る五体投地礼なら20日もかかるカイラス巡礼
チャンタン高原はチベットの北部に広がる大高原で、東西が2,400km、南北は700km。
日本列島が2つ入っても余る広さだ。
平均高度は4500mともいわれる。
人身御供(ひとみごくう)に誰を出そうかと思案あいていたところに・・・
日本ヒマラヤ協会のナムナニ峰偵察隊は4名だった。
地理研究者の五百沢智也さんと娘の杉子さん、彼女は中国語ができる。
チベットの空の玄関クンガ空港
ヂョカン寺の屋上に上がると、ダライ・ラマの居城ポタラ宮殿が目に入った。
麓には土壁の伝統的な庶民の家屋が、宮殿にひれ伏すようにびっしり建ち並んでいた。
樹木の育たないチャンタン高原では、家畜の糞といえども貴重な燃料。
牛の仲間であるヤクの糞は最高級の燃料だという。
冬は氷点下40℃にもなる。
四川名物のスッポン料理や火鍋料理、山東料理
標高4200mのヤンパーチェンはチベット最大の地熱地帯で発電所があり、ラサに電力が供給されている。発電所の近くに温水のスイミングプールがあった。おそらく世界最高所の人工スイミングプールだ。
ナムツォ湖;天の湖の意
4700mの標高にあって、琵琶湖の3倍の広さを持ち、チベット高原では青海湖;ココ・ノールに次いで二番目に大きい。
ナムツォ湖を筆頭に大小多くの湖が点在するチャンタン高原は『湖の高原』と言って良い。
ニェンチェンタンラ山脈を望む天空の放牧地。
ヒツジとヤギの放牧は若い娘の日課。
夏は、この果てしない天涯のすべてが、彼らの安住の地になる。
お茶には脂肪の粒が浮いていた。バター茶だ。
煮立てた『てん茶』に塩とバターを加え、ドンモという木の筒でかき混ぜて作る。
バター茶は、茶のビタミン、バターの脂肪分、それに塩分が同時に補給され、チベット世界では欠かせぬ飲み物。少しでも茶碗に口につけるとすぐに注ぎ足すのがチベット風のもてなし。
ヤクの毛で編んだテントの生地は薄く、外の明かりが漏れてくる。
石は家畜集めの有効な武器
チャンタンの遊牧民の生活は家畜とともにある。
野菜からビタミンを得られない彼らにとって、バター、ヨーグルト、チーズなどの乳製品は欠かせない。灯明の油としても使われる。また、バターを顔に塗って強力な紫外線と乾燥から肌を守るクリームでもある。
ココシリ;可可西里という無人の凍土地帯
崑崙山脈の麓は標高4000m前後の高山沙漠。
その南に広がる無人境ココシリは、野生のロバやヤク、チルー、オオカミなど希少動物の宝庫。
チャタン高原で豊富に採れる塩は、いまは勝手に採取したり売ったりしてはならない。
プランは、聖地カイラスとマナサロワール湖にヒマラヤを越えてやってくる巡礼者たちの、古くからの拠点であり、「国際」と名のつく交易場がある町。
チベット高地に住むチベット人にとって、最も一般的な方法が鳥葬である
塩湖は天然の塩田だった。
現在は政府の統制下におかれ、勝手に採って売るのはご法度だ。
1周50kmのカイラス巡礼路
体を地面に投げ打って祈る仏教最高の礼拝;五体投地礼
カン・リンポチェ;カイラス山
ボン教は、仏教が伝わる以前からチベット人たちに信仰されてきた自然崇拝色の強い宗教で、いまも信者が多く、彼らはカイラス山を開祖が降臨した地として崇めている。
仏教徒との対抗上、カイラス山を反時計に回るので、すぐにわかる。
カイラス山は北面と南面では異なった顔をもっている。
白い綿帽子をかぶったような南の顔にくらべ、北は切れ落ちた岩壁となっている。
その岩壁には仏の姿が刻まれていると、巡礼者たちは手を合わせていた。
処女の大腿骨で作ったという笛「カムリン」
カイラス巡礼路最高所のドルマ峠;5600m
ヒマラヤ越えーー片足のインド人巡礼
「私は1人でインドのカルカッタからネパールを通って、最高の神カイラスに会いにきました。マナサロワール湖にも行きました。
ここまで来るのに12年かかりました。」
ラカスタール湖の河岸から望むナムナニ峰の眺めは、湖水の青と白い峰のコントラストが際立って素晴らしいの一語につきる。
インド、ネパール国境の交易の町プラン;普蘭鎮ーーヒンズー教で「タクラコット」
南にアピ山群が連なる。
チベット高原から塩を運んできたヒツジの群れがセリにかけられる。
羊毛はヒマラヤを越えて輸出される。
プランの標高は3900m。
チャタン高原から一気に1000m下ったところにある。
NHK特集『秘境崑崙山脈』
文化大革命:紅衛兵
「古い思想や、周辺の悪しき文化や風習は一掃されねばならない。
チベットの仏教は人民を惑わす悪い教えだ。
その邪教を捨てたという証を示せ」
寺院や仏像の破壊に地元の人々が動員されたという。
チュンビ渓谷
ギャンツェ県
チベットの歴史上の第三の大都市である
ギャンツェはチベットの歴史上ラサとシガツェに次ぐ第三の重鎮であり、街の中心は古都の中心であるギャンツェ・ゾン(宗山)にある
全域の気候は温和、日照も充分で、物産は豊富。経済は農業が主で、主にハダカムギ、エンドウマメ、コムギ、アブラナ等を産するチベットの最も主要な食糧生産基地の一つであり、「後蔵の糧倉」の称を有す。当地で作られる絨毯は1200年の歴史があり評判がある。
1904年にイギリス領インドからイギリス軍が進軍してきた際に山の中腹に砲台などの防御工事を行ったものの、実力が遥かに勝るイギリス軍に対し、この地を守っていた軍隊と民衆は弾薬も食糧も尽き崖から飛び降りて死んだ。
『秘境西域八年の潜行』
「山全体を白衣で包んで峨峨として聳え、泰然としてあぐらをかき、地上全体を圧している山の王者ヒマラヤが、ちょうど紺碧の中天に白カーテンを吊るしたように果てしなく南北に波打って地平線の彼方に消えていた。秘境といおうか、仙境といおうか、山の王者ヒマラヤが眼前に開けた、この素晴らしい景色、雰囲気は、拭い去ろうとしても一生消すことのできない印象を、脳裏に深く刻んだ」
ロシア製ボンベが酸素登山に革命を起こしている
満タン重量が4.5kgと軽く、頂上アタック時でも6時間はもつ。
酸素を吸っていると足指や手指の寒さもあまり感じない。
「お金を払えばエヴェレストに登らせてあげます」
というガイド付き商業登山隊
ネパール側からの登山で600万円
チベットサイドで360万円
1996年5月、日本人女性として2番目の登頂者となった難波康子が遭難死。
こうした商業ベースの登山隊だった。当時は800万円だった。
難波康子(死亡) - Fedex社員。七大陸最高峰のうち六峰に登頂していたが、いずれも加藤保男、長谷川恒男などに引率されたガイド登山だった。
1995年春、日本大学隊はエヴェレストにのこされた未踏ルート「北東稜」に挑戦
どんな難しいルートでも挑戦するのは自由だが、あっさりと敗退されてしまったのでは、番組の作りようがない。
8000mを超えるあたりに巨大な岩峰;ピナクル
NHKとは「日本簿謝協会」の略ともいわれ、出演料も安い
真野響子
千堂あきほ
若村麻由美
『地球大紀行ーー引き裂かれる大地』
藤田弘基
1999年5月『ヒマラヤトレッキング紀行』
特別注文の全天カメラ
カラコルムの貴婦人ライラの端正なピラミッド型のピーク
スノー・レイクは長大な氷河の奥にひそむ「雪の湖」である
名付け親はコンウェイ『カラコルムの夜明け』
「それはあらゆるものとの比較を絶していた。
見たこともないようなもっとも美しい光景。またこれ以上の美しさがこの世にまたとあろうかとも考えられるほどのものであった」
イワシの缶詰と何の肉が入っているのかわからないパキスタンコンビーフで我慢
氷河がもたらす突然の洪水は、カラコルムに住む人たちの脅威となっている。
夕日に燃えるスノー・レイクの盟主;バインダー・ブラック
人食い鬼の異名をもち、取り付けないような岩の砦。
モーツァルト:作曲
(ピアノ)チョ・ソンジン、(管弦楽)ヨーロッパ室内管弦楽団、(指揮)ヤニック・ネゼ・セガン
(30分48秒)
<ユニバーサル UCCG-1826>

「地球大紀行」「チベット大河紀行」「ヒマラヤトレッキング紀行」など、数多くのNHK山岳番組を撮影してきたカメラマンが語る、高嶺のドラマ、生と死とのはざま、極限の緊張とやすらぎの風景…。
未踏峰ナムチャ・バルワの夕雲
聖山巡礼、カイラスへ
消えた菩薩のほほ笑み―国境の町プラン
白き天女の峰―チョモラリ
シェルパのささやき―エヴェレスト
涙に映ったエヴェレスト―女優たちのヒマラヤ
銀亀たちの夢を追って―シルバー登山隊
スノー・レイク―星明かりの秘境
峠の先に何がある、山の向こうに何がある―テレビカメラマンの34年
ナムチャ・バルワのその姿は、鋭いくちばしを天空に向け、白い翼を広げて飛び立とうとする鷲のようだった。
チベット語で「空から雷のような轟音とともに落ちてきた山」
「天から落ちてきた石の塊」
ヤルン・ツァンポ川の大屈曲部は世界で最も深い谷で、未だこの峡谷を通過した人間はいない。
ナムチャ・バルワの前衛峰;ナイプン
NHKスペシャル
『未踏峰ナムチャ・バルワ』
『再挑戦 未踏峰ナムチャ・バルワ』
カンチェンジュンガはひと目でそれとわかった。
巨大な白い城砦のようだった。
そして、マカルー、チョモランマ、と8000m峰が西へと続いていく。
ヒマラヤ山脈の白い高まりは、アンナプルナを過ぎたところで一旦ペースを落とし、ダウラギリⅠがラストスパートをかけて巨峰群のリレー競争を締めくくった。
古格王国遺址
カイラスの巡礼者たちは今日も五体を地面に投げ出して苦行を続けているのか、
巡礼路最高点の礼拝所ドルマ峠はどこかーー
歩けば1周3,4日、
地を這いながら回る五体投地礼なら20日もかかるカイラス巡礼
チャンタン高原はチベットの北部に広がる大高原で、東西が2,400km、南北は700km。
日本列島が2つ入っても余る広さだ。
平均高度は4500mともいわれる。
人身御供(ひとみごくう)に誰を出そうかと思案あいていたところに・・・
日本ヒマラヤ協会のナムナニ峰偵察隊は4名だった。
地理研究者の五百沢智也さんと娘の杉子さん、彼女は中国語ができる。
チベットの空の玄関クンガ空港
ヂョカン寺の屋上に上がると、ダライ・ラマの居城ポタラ宮殿が目に入った。
麓には土壁の伝統的な庶民の家屋が、宮殿にひれ伏すようにびっしり建ち並んでいた。
樹木の育たないチャンタン高原では、家畜の糞といえども貴重な燃料。
牛の仲間であるヤクの糞は最高級の燃料だという。
冬は氷点下40℃にもなる。
四川名物のスッポン料理や火鍋料理、山東料理
標高4200mのヤンパーチェンはチベット最大の地熱地帯で発電所があり、ラサに電力が供給されている。発電所の近くに温水のスイミングプールがあった。おそらく世界最高所の人工スイミングプールだ。
ナムツォ湖;天の湖の意
4700mの標高にあって、琵琶湖の3倍の広さを持ち、チベット高原では青海湖;ココ・ノールに次いで二番目に大きい。
ナムツォ湖を筆頭に大小多くの湖が点在するチャンタン高原は『湖の高原』と言って良い。
ニェンチェンタンラ山脈を望む天空の放牧地。
ヒツジとヤギの放牧は若い娘の日課。
夏は、この果てしない天涯のすべてが、彼らの安住の地になる。
お茶には脂肪の粒が浮いていた。バター茶だ。
煮立てた『てん茶』に塩とバターを加え、ドンモという木の筒でかき混ぜて作る。
バター茶は、茶のビタミン、バターの脂肪分、それに塩分が同時に補給され、チベット世界では欠かせぬ飲み物。少しでも茶碗に口につけるとすぐに注ぎ足すのがチベット風のもてなし。
ヤクの毛で編んだテントの生地は薄く、外の明かりが漏れてくる。
石は家畜集めの有効な武器
チャンタンの遊牧民の生活は家畜とともにある。
野菜からビタミンを得られない彼らにとって、バター、ヨーグルト、チーズなどの乳製品は欠かせない。灯明の油としても使われる。また、バターを顔に塗って強力な紫外線と乾燥から肌を守るクリームでもある。
ココシリ;可可西里という無人の凍土地帯
崑崙山脈の麓は標高4000m前後の高山沙漠。
その南に広がる無人境ココシリは、野生のロバやヤク、チルー、オオカミなど希少動物の宝庫。
チャタン高原で豊富に採れる塩は、いまは勝手に採取したり売ったりしてはならない。
プランは、聖地カイラスとマナサロワール湖にヒマラヤを越えてやってくる巡礼者たちの、古くからの拠点であり、「国際」と名のつく交易場がある町。
チベット高地に住むチベット人にとって、最も一般的な方法が鳥葬である
塩湖は天然の塩田だった。
現在は政府の統制下におかれ、勝手に採って売るのはご法度だ。
1周50kmのカイラス巡礼路
体を地面に投げ打って祈る仏教最高の礼拝;五体投地礼
カン・リンポチェ;カイラス山
ボン教は、仏教が伝わる以前からチベット人たちに信仰されてきた自然崇拝色の強い宗教で、いまも信者が多く、彼らはカイラス山を開祖が降臨した地として崇めている。
仏教徒との対抗上、カイラス山を反時計に回るので、すぐにわかる。
カイラス山は北面と南面では異なった顔をもっている。
白い綿帽子をかぶったような南の顔にくらべ、北は切れ落ちた岩壁となっている。
その岩壁には仏の姿が刻まれていると、巡礼者たちは手を合わせていた。
処女の大腿骨で作ったという笛「カムリン」
カイラス巡礼路最高所のドルマ峠;5600m
ヒマラヤ越えーー片足のインド人巡礼
「私は1人でインドのカルカッタからネパールを通って、最高の神カイラスに会いにきました。マナサロワール湖にも行きました。
ここまで来るのに12年かかりました。」
ラカスタール湖の河岸から望むナムナニ峰の眺めは、湖水の青と白い峰のコントラストが際立って素晴らしいの一語につきる。
インド、ネパール国境の交易の町プラン;普蘭鎮ーーヒンズー教で「タクラコット」
南にアピ山群が連なる。
チベット高原から塩を運んできたヒツジの群れがセリにかけられる。
羊毛はヒマラヤを越えて輸出される。
プランの標高は3900m。
チャタン高原から一気に1000m下ったところにある。
NHK特集『秘境崑崙山脈』
文化大革命:紅衛兵
「古い思想や、周辺の悪しき文化や風習は一掃されねばならない。
チベットの仏教は人民を惑わす悪い教えだ。
その邪教を捨てたという証を示せ」
寺院や仏像の破壊に地元の人々が動員されたという。
チュンビ渓谷
ギャンツェ県
チベットの歴史上の第三の大都市である
ギャンツェはチベットの歴史上ラサとシガツェに次ぐ第三の重鎮であり、街の中心は古都の中心であるギャンツェ・ゾン(宗山)にある
全域の気候は温和、日照も充分で、物産は豊富。経済は農業が主で、主にハダカムギ、エンドウマメ、コムギ、アブラナ等を産するチベットの最も主要な食糧生産基地の一つであり、「後蔵の糧倉」の称を有す。当地で作られる絨毯は1200年の歴史があり評判がある。
1904年にイギリス領インドからイギリス軍が進軍してきた際に山の中腹に砲台などの防御工事を行ったものの、実力が遥かに勝るイギリス軍に対し、この地を守っていた軍隊と民衆は弾薬も食糧も尽き崖から飛び降りて死んだ。
『秘境西域八年の潜行』
「山全体を白衣で包んで峨峨として聳え、泰然としてあぐらをかき、地上全体を圧している山の王者ヒマラヤが、ちょうど紺碧の中天に白カーテンを吊るしたように果てしなく南北に波打って地平線の彼方に消えていた。秘境といおうか、仙境といおうか、山の王者ヒマラヤが眼前に開けた、この素晴らしい景色、雰囲気は、拭い去ろうとしても一生消すことのできない印象を、脳裏に深く刻んだ」
ロシア製ボンベが酸素登山に革命を起こしている
満タン重量が4.5kgと軽く、頂上アタック時でも6時間はもつ。
酸素を吸っていると足指や手指の寒さもあまり感じない。
「お金を払えばエヴェレストに登らせてあげます」
というガイド付き商業登山隊
ネパール側からの登山で600万円
チベットサイドで360万円
1996年5月、日本人女性として2番目の登頂者となった難波康子が遭難死。
こうした商業ベースの登山隊だった。当時は800万円だった。
難波康子(死亡) - Fedex社員。七大陸最高峰のうち六峰に登頂していたが、いずれも加藤保男、長谷川恒男などに引率されたガイド登山だった。
1995年春、日本大学隊はエヴェレストにのこされた未踏ルート「北東稜」に挑戦
どんな難しいルートでも挑戦するのは自由だが、あっさりと敗退されてしまったのでは、番組の作りようがない。
8000mを超えるあたりに巨大な岩峰;ピナクル
NHKとは「日本簿謝協会」の略ともいわれ、出演料も安い
真野響子
千堂あきほ
若村麻由美
『地球大紀行ーー引き裂かれる大地』
藤田弘基
1999年5月『ヒマラヤトレッキング紀行』
特別注文の全天カメラ
カラコルムの貴婦人ライラの端正なピラミッド型のピーク
スノー・レイクは長大な氷河の奥にひそむ「雪の湖」である
名付け親はコンウェイ『カラコルムの夜明け』
「それはあらゆるものとの比較を絶していた。
見たこともないようなもっとも美しい光景。またこれ以上の美しさがこの世にまたとあろうかとも考えられるほどのものであった」
イワシの缶詰と何の肉が入っているのかわからないパキスタンコンビーフで我慢
氷河がもたらす突然の洪水は、カラコルムに住む人たちの脅威となっている。
夕日に燃えるスノー・レイクの盟主;バインダー・ブラック
人食い鬼の異名をもち、取り付けないような岩の砦。
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